五章 最前線の騎士

 「引くな! 引けば町はやつらに蹂躙される! 町のみんながやつらに食われるぞ! おれたちの町を、おれたちの家族を、何としても守り抜くんだ!」

 おおおっー!

 騎士団長ジェイの檄に騎士たちが地鳴りのような声をあげる。大地を踏みならし、鬼部おにべの群れに突進する。重鎧に身を固め、大型の盾と小ぶりの戦斧をもったふたりの騎士が一体の鬼部にぶつかり、盾で挟み込むようにして動きを止める。そこを、鋭利な長槍を手にした騎士が隙間から突き入れ、刺し殺す。

 騎士団長ジェイが鬼部との戦いがつづくなかで考案した三位一体の戦法。この戦法を徹底するようになって以来、戦闘効率はずっとあがった。それは確かだ。しかし――。

 相手はやはり、人間を遙かに超える身体能力をもつ鬼の一族。この三位一体の戦法をもってしてもたやすく倒せる相手ではない。

 両側から盾ではさんでも力ずくで振り払われる。

 槍を突き入れても頑健な肉体に阻まれ、へし折られる。

 そして、巨大な拳で吹き飛ばされ、生命を落とす。

 三位一体の戦法を徹底してさえなお、騎士たちの死亡率は鬼部と同等かそれ以上のものだった。地面に転がる死体はたしかに、人間たちの方が多いように見えた。逆に言えば、この三位一体の戦法を取り入れる前は鬼部よりもはるかに多くの死者を出してようやく、撃退できていた、と言うことなのだ。

 ――鬼部の数そのものが少ないから何とか持ちこたえてこれたが……しかし、もし、こちらと同等、あるいは、それ以上の数の鬼部の軍勢が襲いかかってきたらどうすればいい? どんな対処法がある?

 胸のなかに沸き起こる絶望的な迷い。その迷いを振り払うかのように騎士団長ジェイは長剣を振るう。人間の騎士のなかでかの人だけは三位一体の戦法を採らず、たったひとり、自らの一剣だけをもって鬼たちと渡り合い、次々と血祭りにあげていく。その体力、剣撃の力強さ、技の冴え、どれをとっても人間とは思えないほどのものだった。

 浜辺の町エンカウン。

 海を望む小高い丘に築かれたこの城塞都市こそ、鬼部との戦いにおける王国の最前線。鬼部の軍勢が内陸へと駒を進めることを阻む人類の防波堤。その防波堤を守り、指揮するのが警護騎士団長であるジェイ。『王国で三本の指に入る』と称される屈指の剣士。鋼のように強靱な長身と浅黒い肌、波打つ黒髪をもつ堂々たる美丈夫である。

 「団長!」

 騎士たちの先頭に立って剣を振るう団長の下に、若き副団長アステスが駆けつけた。

 「戦闘不能者の数が一割を超えました!」

 「一割を超えたか。おれの両翼もそろそろヤバいな。両翼を下がらせて休憩させろ。予備兵力と交代させるんだ」

 「団長! 団長こそ下がって休んでください! ほとんど一日中、戦いつづけているんですよ」

 「いいから命令通りにしろ!」

 「は、はい……!」

 団長に一喝されて、まだ一〇代の少年に見える副団長は命令を伝えるべく走り去った。

 ――まったく。生き残れよ。

 その初々しい後ろ姿を見ながらジェイは苦笑交じりにそう思うのだった。

 浜辺の町エンカウン。

 それは、数百年の昔、鬼部の侵攻に対抗するために作られた城塞都市。海を望む小高い丘に築かれ、三重の城壁と三重の堀に囲まれ、大陸最大規模の警護騎士団を擁するレオンハルト王国随一の防衛都市である。城壁には獰猛な犬が、堀にはやはり獰猛な肉食魚がはなされ、鬼部撃退に一役買っている。

 その性質上、農地や放牧地、森林に川までが都市を囲む城壁のなかに含まれ、そのなかだけで暮らしが完結するようになっている。人口も多く、製造業もさかんで、都市内部の活動だけでも経済が成り立つようになっている。そのために、レオンハルト王国に属する一都市でありながら代々、独立の気風が強く、王国内にあって半ば独立した都市国家のような立ち位置にある。代々の国王でさえ、ことエンカウンに対しては一定の配慮と遠慮とを示しながら接してきたのだ。

 また、少々かわったところでは『美女の産地』としても知られ、鬼部の侵攻前には大陸中から美女を目当ての観光客が訪れていたものだ。これは『鬼部は人間の美女を襲い、犯すことを好む』という俗説から、鬼部の軍勢をこの都市に惹きつけ、他に累を及ぼさないようにするため、国中から集めた美女の一団を移住させたことに因むという。美女が多ければ見目麗しい子供が産まれる確率も多くなるわけで結局、エンカウンの町は男女を問わず美形が飛び抜けて多い都市として知られているのだった。

 王国の防波堤としての役割を担いながらこの数百年間はまずまず平穏な時代を送ってきたがいま再び、最前線として、激闘の日々を送っている。

 そのエンカウンの頭領として全体を取り仕切っているのが騎士団長のジェイ。防衛都市というその性格上、警護騎士団の団長が領主の役割も兼ねる慣習になっている。

 その騎士団長兼領主たるジェイはいま、愛用の鎧も、剣も脱ぎすて、涼しげな麻の衣服をまとって領主館の廊下を歩いていた。一日半にも及ぶ激闘の末、ようやく鬼部の軍勢をを追い払った。それから、風呂に入り、服を着替え、休む間もなく領主としての職務をこなすべく領主室に向かっているところだった。

 その傍らには副団長のアステスが控え、一歩下がって歩いている。こちらは生真面目な性格そのものを象徴するかのように鎧姿のままである。

 騎士団長と副団長、そしてまた、領主と領主補佐という関係上、いつ見てもふたり一緒にいる。そのことからなにかと市内の女性たちの噂の種になっている。何しろ、長身痩躯の堂々たる美丈夫と初々しい紅顔の美少年という組み合わせ。女性たちの妄想を刺激する要素には事欠かないのだった。

 領主室に入り、自らの席に着くと、ジェイはさっそく領主補佐の報告を聞いた。

 「騎士団員の損耗が激しくなっています。すでに、満足に戦える騎士の数は全体の七割を切っています」

 「兵力の増強が急務、と言うわけだな。他には?」

 「物資の搬入が滞っております。とくに食料品が不足しています。エンカウンは農地も放牧地も、そのすべてを城壁内に含んだ自己完結型の都市ですから持ちこたえていられますが、長い戦闘で男手の多くが戦場に駆り出され、生産人口が減っています。いまの状態が続けば食料生産は致命的な低さにまで落ち込み、深刻な食糧不足に見舞われることでしょう」

 「総督への支援要請はどうなった?」

 「それが……」

 と、アステスは悔しそうに唇を噛みしめてから言った。

 「何度も要請はしているのですが、言を左右に逃れるばかりで具体的な支援は何も……」

 「あの無能……などと文句を言うわけには行かないな。ここだけではなく、シンボルス地方全体が鬼部の侵攻を受けている。総督も対処に大わらわだろうからな」

 「はい。我がエンカウンを含むシンボルス地方は鬼界島と直接、接する地域。地方全体が同時に鬼部の襲撃を受けています。総督閣下にしてみれば『エンカウンは王国随一の防衛都市なんだから自力で何とかしてくれ』というのが本音でしょうね。とくに最近は農地への襲撃が増えていますから地方全体で食糧不足が深刻になっています。こちらに回したくても回している余裕がない、というのが実際のところでしょう」

 「王都に支援要請するにしても、あの熊猛ゆうもう将軍閣下は戦場でのこと以外は興味がないからな。補給路の警備なぞろくにしやしない。物資を送ってもらっても輸送中に襲撃を受け、多くが失われる」

 「……はい」

 「そのなかでは総督殿もよくやっている方だろうな。実際、農地を直接、襲撃されては手の打ちようがない」

 大軍勢を編成して都市を襲ってくる、となれば手の打ちようはある。兵を集め、城壁を築き、堀を巡らし、罠を仕掛け、守りを固めることもできる。ジェイが考案したように三位一体の戦法を使って優位に戦いを進めることもできる。しかし、せいぜい数体の鬼部が徒党を組んで風のように王国内を移動し、嵐のように農地を荒らして去って行く、となると対処のしようがない。農民に武器を持たせて自衛させるにしても所詮、戦いには素人の農民たちが鬼部に対抗できるものではない。訓練を積んだ本職の騎士でさえ、一対一で鬼部と戦えるものなど千人にひとりもいないのだ。かと言って、広大な農地のすべてに騎士を駐留させて備えるなど無理な話。そんなことをすればたちまち孤立した騎士たちが各個撃破され、騎士団そのものが壊滅してしまう。

 「……と言って、農地が荒らされるに任せておけば、やがて食料生産は完全に停止してしまうしな」

 シンボルス地方は代々、対鬼部戦役の最前線としての役割を担ってきた。そのために人々の警戒心は強く、慎重で、備蓄を欠かしたことがない。だから、農地を荒らされてもすぐにどうと言うことはない。しばらくの間は持ちこたえられる。しかし、当代の鬼部戦役が始まってからすでに二〇年以上の時が立っているのだ。代々蓄積してきた備えもすでに底をつきはじめている。このままでは数年のうちに戦えなくなるだろう。

 「食糧を増産しようにも決定的に人手が足りない。二〇年以上に及ぶ鬼部との戦いで人を失いすぎた。そこへ来て『子沢山の法令』ときた」

 「不条理です!」

 アステスが『憤懣ふんまんやるかたない』という表情と口調で叫んだ。『紅顔の美少年』という表現そのままの顔が怒りのあまり、真っ赤になっている。

 「ただでさえ人手の足りないこのときに、人口の半分を占める女性たちを家庭に押し込めておくなんて。女性たちをもっと活用すれば余裕も生まれるというのに……」

 アステスは苛々した様子で足などを動かしている。『床を蹴りつけてやりたいが上官の前でそんな乱暴な真似はできない』と、葛藤しているのだ。

 「……お前はこの話題になるといつもムキになるな、アステス」

 「そ、それは……」

 アステスはジェイにそう指摘されて急にあたふたしはじめた。美しい顔にいままでとはちがう赤みが差した。

 「だがまあ、お前の言うとおりだ。うちは法令を無視して女たちにこっそり働いてもらっているからまだ何とかなっているとして、生真面目に守っているところは苦しいだろうな」

 「……うちにしてもいつまで隠し通せるか。法令を無視していることが国王に知られたら団長が罪に問われます」

 「おれのことはまあいいとしてだ。うちの出生率が国内で一番、低いのも事実。いま、人手不足を解消するために女たちに働いてもらえば未来の人口が減る。それは事実なだけに『子沢山の法令』に面と向かって異議は唱えづらいんだが……」

 実は王都からは何度も詰問されているのだ。『なぜ、エンカウンでは出生率が年々減っているのか?』と。『度重なる襲撃に男たちも疲れはて、子作りしている余裕がない』と答えているが、それでいつまでごまかせることか。

 アステスは急に深刻な表情になった。声を潜めるようにして上官に尋ねる。

 「団長も……女は家庭に籠もって子作りに専念すべきだと思っておいでなのですか?」

 「平和な時代ならいざ知らず、いまはひとりでも多く、人間を増やさなければならない時代だ。『子沢山の法令』に面と向かって反対するためには、女たちが戦場に出ても出生率を下げないようする仕組みが必要だな。そんな仕組みに何か当てがあるのか?」

 アステスは押し黙った。そう言われると、かの人にも何か良い考えがあるわけではない。

 ポツリ、と、ジェイが呟いた。

 「……せめて、熊猛ゆうもう紅蓮隊ぐれんたい並の装備をこっちにも回してくれればな。単なる金属の塊ではない、魔法の付与された強力なやつ」

 要請自体は何度もしたのだ。王宮の開発班によって生み出された強力な装備品。それをこちらにも回してくれるよう。しかし、一度たりと叶えられたことはない。王都からの答えは常に同じ。

 『最も強いものが最も強い敵を倒す。そのために、最も強い武器を最も強いものに渡す。雑兵どもに渡すいわれはない』

 「雑兵か。言ってくれるよな」

 「連中は勇者だけで鬼部の王を倒せると思ってるんです!」

 アステスが再び怒りを露わにした。部下としての自制心も限界を超えたようで今回ばかりは思い切り床を蹴りつけた。

 「勇者や熊猛紅蓮隊が攻撃に出ていられるのは我々が必死に町を防衛しているからだと言うのに!」

 「最も強いものが最も強い武器を使い、最も強い敵を倒す。たしかに、『鬼部の王』を倒す、と言うことだけを考えるならそれが一番、効率がいい。しかし、いくら鬼部の王を倒したところで、人類が滅び去っていたら意味ないだろうに」

 ジェイは席を立った。窓辺に向かった。小高い丘に立てられたエンカウンの町。そのなかでもひときわ高い作りの領主館。その窓からはほど近い海がよく見える。しかし――。

 代々の頭領たちが愛してきたその海はいまや、二十数年前までは存在しなかった陸地によって覆われている。

 「鬼界島、か」

 ジェイは海を覆う陸地を見つめながら呟いた。

 数百年に一度、海の彼方からやってきては接岸し、鬼部の軍勢を送ってくる謎の島。いや、謎の大地。

 それが、鬼界島。

 「……鬼たちは個々の能力で見れば人間よりもはるかに疾く、そして、剛い。いつでも、何処にでも、少数の部隊を派遣して荒らすだけあらして去って行くことができる。そんな連中を相手に守りに入っていては、兵の数がいくらいても足りなくなる。それよりはむしろ、こちらから攻め込むことで向こうから手出しできなくさせるのが戦略というものなんだが……」

 「勇者や熊猛紅蓮隊は何をしているのでしょう?」

 アステスは忌々しさと弱冠の焦りを込めて言った。

 「我々が守りを固め、鬼部の軍勢を引きつけている間に敵地に乗り込み、鬼部の王を討つ。それが勇者たちの役目のはず。装備からなにから優遇されているならそれぐらいのことはやってもらわないと。それなのに、連中のやっていることと言えば鬼部に制圧された辺境の城を取り戻す、そればかりではありませんか」

 「結局、おれたちは鬼界島のことを何も知らない。どれほどの広さがあり、どれだけの数の鬼がいて、王がどこにいるのか。そもそも『王』と言うべき存在が本当にいるのかさえもな。ただ、昔から『いる』と言われているだけだ。前回の対鬼部戦役の記録にも『王』に関する確かな証拠はない。そんな状況で鬼界島に乗り込んだところで、どこに行けばいいのか、何を目的にすればいいのかもわからない。いま、鬼界島に乗り込んだところで、せっかくの精鋭たちを失うだけだ。おれたちが鬼界島に攻め込めないのもそれが理由だしな。勇者一行や紅蓮隊が辺境の城を奪還しているのは、鬼たちを捕え、捕虜にして情報を引き出すという目的もあってのことだ」

 「だからって……!」

 激昂したアステスがさらに叫ぼうとしたそのときだ。

 領主室の扉を蹴破らんばかりの勢いで押し開け、ひとりの兵士が飛び込んできた。

 「ほ、報告……! 報告です!」

 「どうした?」

 兵士の無礼をとがめることもなく、ジェイは尋ねた。兵士は恐怖に顔を引きつらせ、泡を吹きながら叫んだ。

 「き、鬼界島に潜入していた、せ、斥候兵からの報告……かつてない規模の鬼部の軍勢が出撃体勢にあるとのこと……!」

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