四章 伯爵令嬢アンドレア
レオンハルト王国国王レオナルド。
人間としては決して人好きのする型の人物ではない。しかし、王者としての業績は本物だった。
戦場に斃れた父王の跡を継ぎ、弱冠一六歳で王位に就くと、もともと世界最強だった国力をさらに高め、自らの治世を黄金時代にすることを宣言。言葉だけではなく、産業の振興、貿易の促進、教育の拡充と言った政策を次々と打ち出した。
どちらかというと国内をしっかり固める型の君主であって、戦となれば武闘派の弟ふたりに任せることが多かったのだが、それでも、武力と権謀術数を駆使して周辺諸国を次々と従え、『人類最強国家』としての立場を盤石なものとした。
さらに、
その統治の特徴は『徹底した厳罰主義による秩序の維持』にあった。その象徴とも言えるのが俗に『子供殺しの法令』と呼ばれる法令だろう。
「例え、パン一個であろうとも盗んだものはその場で斬り捨てる!」
レオナルド自らそう発言し、しかも、市場の視察中、一切れの菓子パンを盗んだ子供を自らの手で実際に斬り殺したことから『子供殺しの法令』と呼ばれることになったその法令はレオナルド治世の苛烈さの証明だった。
もちろん、『たかだか菓子パン一個』を盗んだだけの子供をいきなり殺すなど乱暴すぎる、やり過ぎだ、との批判の声はあった。あまりにも都合よく、めったにない視察中に、しかも、レオナルドの目の前で事件が起きたことからも『当初からの仕込みではないか』との疑いももたれていた。しかし、レオナルドは、
「ならば、何歳からなら罪になる? 何個のパンを盗めば罪となる? 年齢や数に関わらず罪は罪だ」
と、傲然と言い放ち、その姿勢が揺らぐことはまったくなかった。
そして、その子供が日頃から市場を根城にして盗みを繰り返す、身寄りのない浮浪者であったこと、その一件以降、市場で盗みや不正を働く人間が実際に激減したことなどから、批判の声はすぐに忘れられ、成果だけが強調された。そこにはもちろん、レオナルド自らが指示して行わせた情報操作の影響もあったわけだが。
ともかく、そのように厳格な統治であったから、反発するものや息苦しさを感じるものが多いのは確かだった。しかし、常に自分の信念の正しさを確信してぶれることのない首尾一貫した姿勢と、その厳格さの結果である治安の良さは大方の国民から支持されており、その治世に対する評価は歴代国王のなかでもかなり高い方だった。ただひとつ――。
国民の半分に大きな不満を抱かせている法令があった。
それが俗に『子沢山の法令』と呼ばれるものである。
「鬼部との戦いに備え、ひとりでも多くの屈強な戦士が必要となる。女たちは家庭にあって子を産み、次代の戦士を育てることに専念せよ!」
そう宣言したのだ。
宣言だけならまだしも、実際に女性の付ける職を次々と制限し、家庭に籠もらざるを得ないように仕向けたことにはさすがに、不満の声も多かった。とは言え、家に籠もらされた女性たちの声が社会的に連携し、大きなうねりとなることなど有り得なかったし、大方の男たち――とくに貴族階級――は、この法令を歓迎したので表立った問題とはなっていなかった。実際、この法令の制定以降、以前に比べて産まれてくる子供たちの数は増えており、成果は確かにあったように見えた。見えたのだが……。
「陛下。我が国は現在、深刻な人手不足に見舞われております」
このとき、レオナルドは玉座にあって宰相からの報告を聞いていた。
「農民、職人、交易商人……およそ、考え得るすべての分野から人手が足りないとの悲鳴があがっております。鬼部との戦いが長引き、戦死者が増えるにつれ、補充のために民間人が戦場へと駆り出され、生産や商業に携われる人間の数が減ってきているのです。いまのところはまだ残された人間たちが夜も寝ないで必死の働きをしているおかげで維持できておりますが、そんな無理は長くは続きません。何とか、人手不足を解消しないことには我が国はそう遠くない将来、完全な機能不全に陥りますぞ」
深刻極まりない宰相からの報告をしかし、レオナルドはあっさり片付けた。
「女たちの付ける職業をさらに半分にせよ。女たちを家庭に入れ、出産・育児に専念させるのだ」
「陛下、それでは……」
「何が不満だ。余がこの方針を掲げて以来、産まれる子供の数は年々、増えている。子が増えれば、その子たちが成長してさらに多くの子を産み、その子たちがもっともっと多くの子を産み、人口は増え、国は栄える。いいことずくめではないか」
「陛下。たしかに、長期的に見ればその通りかも知れません。ですが、産まれた子供が働き手として役立つようになるまで十数年の時がかかります。このままではその時がくるまでに国が崩壊すると申しているのです」
「子供の就労年齢を現在の一二歳から一〇歳に引き下げろ。一〇歳ともなればもう充分におとなの手伝いをして仕事が出来る時期だ。それだけで生産人口は跳ね上がる」
「陛下! 数がいればいいというものではありません。農業にせよ、家造りや陶器作りにせよ、一人前になるまでには長い時間と多くの経験が必要です。いま必要なのは見習いの子供を増やすことではなく、熟練者の復帰なのです」
国王、それも、『獅子王』と呼ばれ、その苛烈さで知られるレオナルドを相手にここまで食い下がったのは大変な勇気と責任感だったと言える。しかし、その代償は安いものではすまなくなりそうだった。
レオナルドはしつこく抗議されてたちまち気分を害したようだった。表情が不機嫌なものへとかわり、険しい視線で職務に忠実な宰相を睨み付けた。
「熟練者の復帰だと? まさか、軍からそやつらを引き抜き、仕事に復帰させろなどと言うのではあるまいな」
「そ、それは……」
自分の言動が国王の限界線に近づいたことに気付いて宰相は青くなった。そこへ、『獅子王』の異名にふさわしいレオナルドの咆哮が襲いかかった。
「たわけが! そんなことをしたら軍は瓦解し、人類世界はたちまち鬼部どもに蹂躙されるわ。その程度のこともわからん無能とあっては、宰相を任せておくなどとうてい出来んな」
罷免、そして追放の意思表示である。
宰相の顔色が青いのを通り越して真っ白になった。口を大きく開き、酸素を求めてあえぎはじめた。そこへ、助け船を出したのはレオナルドのすぐそばに佇む人物であった。
「陛下。わたしに提案があります」
その人物、アンドレアはレオナルドにそう語りかけた。
アンドレアはレオナルドの近い将来の妻として常に身近にいる……というのは、周囲の人間の見方であって、アンドレア自身はあくまでも『護衛』として側にいるつもりである。決して脱ぐことのない騎士装束と、国王の前でただひとり、佩くことを許された長剣がその証である。
レオナルドは将来の妻の発言に面倒くさそうに視線を動かした。宰相は自分から注意がそれたことを知って密かに安堵の息をついた。
「何だ、アンドレア。何が言いたい?」
「お許しを得て申し上げます。陛下。いますぐに『子沢山の法令』を撤回し、女たちが自由に職に就けるようにすべきです」
また、それか、と、レオナルドは心の底からうんざりした表情だけで語った。言葉にして言わなかったのは、あまりにもうんざりしすぎて口に出す気にもなれなかったからである。それでも、怒鳴るのではなく、諭すような口調で答えたのは、あまりの繰り返しに物分かりの悪い子供を相手にしている気分になったからかも知れない。
「お前はいままで何を聞いていたのだ、アンドレア? 我々はいま、鬼部との戦いに直面している。その戦いに勝つためにひとりでも多くの子供が必要なのではないか」
「陛下。宰相閣下の仰られたように、子供が働き手として使えるようになるまでには一〇年からの時がかかります。その点、女たちならば即戦力です。人類の半分は女なのですよ。女たちを家庭から解き放てば人類の戦力は一気に倍になります」
「だから、そんなことをして子を産むものがいなくなれば人類は滅びると言っておるのだ。いつもいつも同じことを繰り返している暇があったら、女たちにもっともっと多くの子供を産ませる方法を考えろ。それこそ、一〇人、二〇人と産ませる方法をな」
「女は子を産む道具ではありません! そんなにも多くの子供を産ませては心身の健康を損ない、寿命を縮める結果になりかねません」
「それがどうした。子を産むことで死ねるなら女として本懐だろう。それしか能がないのだからな」
その発言に対し――。
アンドレアが何も言わなかったのはもちろん、納得して感銘を受けからではない。怒りのあまり、頭のなかが一瞬、真っ白になったからだった。
――子を産むしか能がないだと⁉ 女たちが付ける職を次々と制限し、『子を産むしかない』状況に追い込んでいるのは、お前だろう!
できることならそう怒鳴りつけて根性をたたき直してやりたい。しかし、アンドレアはシュヴァリエ家の人間。シュヴァリエ家は先祖代々、王家の剣として、盾として、絶対の忠誠を尽くしてきた家系。アンドレアも産まれた頃から王家への忠誠を叩き込まれている。そのアンドレアにとって――いくら怒り狂っているとは言っても――国王相手に怒鳴り声をあげるなど、不可能なことだった。
「陛下」
アンドレアの凜々しく生硬な口調とは対照的に、たおやかな女性らしい声がした。反射的に振り向いた一同の視線の先、そこにひとりの貴婦人が立っていた。
「お勤めの時間にございます」
「おお、もうそんな時間か」
レオナルドはそれまでの不機嫌さもどこへやら、嬉々とした様子で玉座から立ちあがった。アンドレアのことも、宰相のことも、すべて忘れた様子で貴婦人のもとへ向かう。
「お待ちください、陛下!」
アンドレアがあわてて声をかけた。あわてていたせいもあって、生来の生硬な口調がさらにキツいものとなり、『荒々しい』とまで呼べる口調になっていた。その声を聞いた貴婦人が密かに『勝利の笑み』を浮かべたのは、国王の未来の妻に対して女らしさで勝っていることを確認したからだった。
「お話はまだ終わっておりません!」
「黙れ! 余には最重要の大切な仕事がある。それ以外のことはすべてそのあとだ」
レオナルドはアンドレアの叫びをそれに倍する怒声でかき消した。かの人には実際、大切なたいせつな、とても大切な仕事があるのだ。余人をもってかえることのできない、この世でただひとり、かの人にしか出来ない仕事が。すなわち――。
――世継ぎを得る。
という仕事である。
レオナルドはアンドレアのことも、宰相のことも、完全に無視して貴婦人とともに『仕事場』に向かった。数多くの愛妾たちがまつ後宮へと。
先ほどまで真っ白になっていた宰相は、自分の罷免と追放とかうやむやになったことに安堵の息を漏らし、一方、アンドレアは――。
怒りのあまり頭から湯気を噴きあげ、北方の蛮人たちさえかくや、というほどの荒々しい歩調で玉座を出て行った。『どすどすどす』と、王宮という場にはあまりにもふさわしくない足音を立ててアンドレアが脇を通り過ぎた瞬間、宰相が嫌悪と非難の表情を向けたのは――。
責められないことだったろう。
△ ▽
レオナルドは貴婦人とともに王宮の長い廊下を歩いていた。お互いの立場を示すかのように貴婦人はレオナルドの三歩、後ろを歩いている。
貴婦人の名前はデボラ。レオナルドがまだ少年であった頃、はじめて愛人として抱えた女性であり、レオナルドの最初の子を産んだ婦人でもある。デボラは当時すでに子爵家の当主と結婚していたので、ふたりの関係が公式のものとなることはなかったが、私的に親密な関係は途切れることなくつづいていた。
ちなみに当時、デボラの伴侶であった子爵はレオナルドとデボラとが関係を持つようになって程なく死亡している。死因は不明。子爵であった配偶者が亡くなり、子供もいなかったのでデボラが爵位を継ぎ、『女子爵』と呼ばれる地位に就いた。そのことから『国王という後ろ盾を得たデボラが、邪魔者となった夫君を暗殺したのでは?』という噂は当時から流れていたのだが、それを確かめようとするような勇敢――あるいは、愚か――な人間は王宮にはいなかった。
デボラはレオナルドとの間に三人の子供を設けたが、いまも存命なのはひとりだけ。あとのふたりは幼くして病死した……というわけではなく、戦場に斃れたのだ。
例え、自分の子供であろうと、いや、自分の子供だからこそ、無理やりにでも軍に入れ、戦場に立たせるのが『強い子供』を求めるレオナルドらしいところ。おかげで、三人の子供のうちのふたりが一〇代のうちに戦死する羽目になったのだが、そのことが『さすが獅子王陛下だ。国民を守るために自分の御子さえ犠牲に差し出すとは。他人の子供ばかりを戦わせるそこらのへなちょこ王とはちがう』と、民間人や臣下、とくに軍部からの支持を得る結果になっている。ふたりの息子が戦死に追いやられたのは、ただ単にレオナルドが自分の好みを押しつけた結果なのだが、事情を知らない他者にそこまではわからない。
デボラはすでに五〇代。子を産むのに適した年齢はとうに過ぎ、レオナルドと床を共にすることもなくなったが、後宮の管理を一手に引き受け、新しい愛妾の確保や王子たちの養育を引き受けることで多大な影響力を維持していた。
「今日は新しく三人の女が加わっております」
「ほう。そうか。もちろん、余好みの女たちであろうな。見た目ばかりのひ弱な女たちなど必要ない。女は健康な子を産むために頑健であるべきなのだ」
「もちろん、承知しておりますわ、陛下。いずれも、病気ひとつしたことがなく、体格もいい女たちです。必ずや、陛下のご期待に添えることでしょう」
「おう、そうか。さすがに長い付き合いだけのことはあるな。よく分かっている。まったく、デボラ、お前は女の鑑だ。決して、仕事の場に出しゃばることなく、奥に控え、出産と育児に専念する。女はそうでなくてはいかん。剣を佩き、男の真似をするなど愚の骨頂だ」
「まあ、そのようなこと。未来のお妃さまに聞かれては大変ですわよ」
「ふん、アンドレアか。あれの父親はおれをかばって死んだ。その効に報いるために妃として選んでやったというのに可愛げのない女だ。もっとも……」
ニヤリ、と、レオナルドは笑って見せた。
「そこがいい。気の強さに加えて、剣の腕も一流。あの女ならば必ずやおれの望み通りの強い子供を産むことだろう。やつに、一〇人、二〇人とおれの子供を産ませてやるのが楽しみだ」
かつての愛人を後宮へと送り届けた後、デボラはその足で中庭へと向かった。その顔には隠そうとしても隠しきれない嬉しさがにじみ出ている。その表情がまた幼い女の子のように自然なもので、レオナルドの前で見せる嬉しそうな表情が化粧染みて見えるのとまったくの対照を成していた。
王宮の中庭。ちょっとした町ならひとつ丸ごとすっぽりと入ってしまいそうなその広大な敷地のなかではいま、何千、何万という人夫を動員しての大がかりな工事が行われていた。
――鬼部との戦いに備え、籠城戦を想定しての王宮の改革が必要。単なる空き地に過ぎない中庭を改造し、水資源の確保のための広大な水路と食料の貯蔵庫を建設し、さらに、町の人間たちを避難させるための宿泊所も作るべき。
デボラのその提案によってはじまった数年がかりの巨大工事。その計画がレオナルドの口から発表されたときには町民たちは感激し、『我々を避難させることまで考えてくれるとは、さすがは獅子王陛下だ』と、賞賛した。しかし――。
それは単なる建前で実態はかけ離れたものであることを、提案者であるデボラと、そのデボラによって指名された工事監督だけが知っていた。
「どう、工事の進み具合は?」
デボラは工事監督に尋ねた。
「こ、これは、デボラさま……!」
いきなりの雇い主の登場に工事監督はひっくり返りそうになって応対した。
目の前で行われる工事の数々。その結果として生み出されつつある広大な水路と建築物。それらをうっとりとした表情で眺めながらデボラはささやくように言った。その囁き声にはたしかに、若かりし頃のレオナルドを夢中にさせた頃の蠱惑的な響きが残っていた。
「順調そうね。そうなんでしょう?」
「は、はい、順調です。この調子なら予定通りに仕上がるでしょう」
「そう。もうすぐなのね。楽しみだわ」
「で、ですが……」
「なに?」
「ほ、本当にその……予定通りに建設なさるのですか?」
「当たり前でしょう。すべてはそのためなんだから」
「し、しかし、百万羽の白鳥を飼うための湖の建設など……」
怯えながら、それでも、自身の良心に従って黙っているわけには行かなかったのだろう。工事監督は勇気を振り絞って抗議の声をあげた。
ジロリ、と、デボラは工事監督を睨み付けた。工事監督はその一睨みですくみ上がり、口出ししたことを後悔した。それを『臆病者』と呼んで非難するのは酷だろう。何しろ、相手はレオナルドの後宮の全権を掌握し、王宮内に巨大な影響力を誇る『影の女帝』なのだ。一介の雇われ人ごときが逆らえるわけがなかった。
「それの何が悪いと言うの? 無数の白鳥に囲まれて暮らすことこそわたしの幼い頃からの夢。その夢がいまようやく、実現できるようになったのよ」
そう。百万羽の白鳥のための庭園。それこそがこの工事の本当の目的。『水資源確保のための水路』とは白鳥が住まうための湖のことであり、『非常用食料の貯蔵庫』とは白鳥たちの餌場。そして、『町民を避難させるための宿泊所』とは百万羽の白鳥たちのための繁殖場所のことだった。
工事監督は震えながら反論を試みた。
「し、しかし、戦費圧迫の折、そのような贅沢のために大量の資金を使うのは……」
「ああ、うるさいわね! お金がないなら平民どもからいくらでも税金を取り立てればいいでしょう。やつらはそのために生きているのだから」
「し、しかし、この工事のために何万という人間が動員されております。人手不足が深刻になるいま、不要不急の工事のためにこれだけの人員を割くのは……」
工事監督は真剣になるあまり、自分が命取りとなる一言を言ってしまったことに気が付かなかった。
ジロリ、と、デボラは工事監督を見た。その目にはもはや一片の寛容も含まれてはいなかった。
「不要不急? わたしの幼い頃からの望みを不要だと?」
「そ、それは……!」
絶句する工事監督に向かってデボラはヒラヒラと手のひらを振って見せた。
「もういいわ。実績を買って指名したけど、どうやら歳をとりすぎたようね。やはり、こういう工事には因習に囚われない若い人間が適任ね」
その一言で――。
工事監督は自分のすべてが終わったことを知った。
自室において新しい工事監督を任命する書類と、前工事監督を不敬罪で処刑するための書類にサインをすると、デボラはペンを置いて『ふう』と一息ついた。
「無数の白鳥たちに囲まれて暮らす。それこそがわたしの幼い頃からの夢。誰にも邪魔させないわ」
デボラは絶対の決意を込めて呟く。
「そうよ。それこそが、生まれついての貴族であるわたしにふさわしい人生というものよ。余の平民どもにはわたしのその夢を叶えるために喜んで奉仕する義務と責任がある。それが、貴族と平民の関係なのだから」
一片の迷いもなく――。
そう断言するデボラであった。
△ ▽
「ええい、ふがいない! それでも王宮の親衛隊か!」
王宮の訓練場にアンドレアの罵声が響く。伯爵令嬢としてはいささか、いや、かなりはしたないその叫びをあげたのは、親衛隊の剣士相手の訓練で一〇人ばかりを立てつづけに床に這わせた後のことだった。
剣士たちにしてみればたまったものではない。
たしかに、ふがいないのは自分たちでも分かる。何しろ、一〇人つづけてアンドレアに一太刀も浴びせられずに敗退したのだ。情けないと思う。まだまだ修行しなくてはならないと思う。しかし、自分たちだって怠けているわけではない。鬼部との戦いに備えて毎日きちんと訓練しているのだ。
それなのに、こんな罵声を浴びせられたとあっては剣士としての誇りも傷つく。アンドレアを見る剣士たちの目は恨みがましいものであったが、アンドレアがその視線の意味に気が付くことはなかった。いまのアンドレアにそんな精神的な余裕はなかったし、そもそもが生硬な性格で他人を気遣うような型の人間ではない、と言うこともある。
「もういい! これでは時間の無駄だ。次にくるまで少しは鍛えておけ!」
わざわざ言わなくてもいいことを口にして剣士たちの誇りをさらに傷つけながら、アンドレアは訓練場を後にした。
アンドレアはたしかに強い。かの人を知るもので『王国で五本の指に入る剣士』という評判を疑うものはいない。五本を三本にしても同じだろうし、一本にしてもそうかも知れない。もちろん、勇者であるガヴァンは別格としての話だが。
すべては父を亡くした幼いあの頃、シュヴァリエ家の名誉のためにと死に物狂いで修行に励んできた成果。しかし、その剣の腕もレオナルドの方針のもとでは振るいようがない。『女だから』という理由だけで、子を産み、育てるための役割に徹するように強制されるのだ。
――女だからと言ってそんな扱いを受ける謂れはない! 女のなかにも立派に戦えるものはいるんだ。
アンドレアは腹が立って仕方がない。
しかも、レオナルドと来たら早々に手を出しておいて一向に正式に婚姻しようとはしない。
『床を共にするのは正式に結婚してから』
アンドレアは何度もそう言って拒んだのだが、国王相手に逆らいきれるはずもない。強引に床入りさせられた。そのときの初体験の思い出と言えば――。
――なんなんだ、あれは。痛くて、気持ち悪くて、いいことなんてひとつもない。なんで世の中の男女はあんなことをやりたがる? まったく、気が知れない。
子を孕むためには、あんな痛くて、気持ちの悪い行為を繰り返さなくてはならないのか。だとすれば、子供を孕むとは何と非効率で割に合わない役目なことか。
――男に生まれていればよかったんだ。
いったい、人生で何度目だろう。そう思ったのは。
自分が男に産まれていれば、父も次代のことで悩む必要はなかった。『次代の分まで自分が……』と、思い定め、戦死することもなかったかも知れない。子を孕むためにあんないやな思いをする必要もなかったし、誰に邪魔されることなく存分に剣の腕も振るえたのだ。そう思うと悔しくて仕方がない。
――しかし、わたしは現に女に生まれた。ならば、女として出来ることを増やしていくしかない。能力がありながら子供を産む道具として扱われている多くの女たちのためにも。
「見ているがいい、レオナルド。わたしは必ず、お前の方針を打ち破る」
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