五四章 惨めなる勇者の死

 人類防衛の町エンカウン。

 鬼部おにべ本拠地ほんきょちである鬼界きかいとうを望むその沿岸部分。その一帯を何千という小鬼たちの群れが埋め尽くしている。その数千という数がたったひとりの勇者をしとめる、そのためだけに動いていた。

 その敏捷性にものを言わせ、突進する。すれ違いざま、爪の一薙ひとなぎで鎧を傷つけ、走り去る。勇者が後を追ってとどめを刺す間もなく、次の小鬼がやってきてやはり、鎧を一薙ぎして去って行く。

 正面からの攻撃に対応しようとすれば後ろからやってくる。その攻撃に対して振り向けば次は右から。そして、左から。あらゆる方向から襲いかかっては爪による一薙ぎで鎧にかすかな傷を付けて去って行く。

 もちろん、いくら鬼の爪とは言え、勇者の鎧にまともな傷など付けられるものではない。鎧の表面にほんの引っ掻き傷、いや、傷とも言えないような跡が残るだけ。むしろ、小鬼たちの爪の方が痛手を受ける。

 一回や二回、いや、一〇〇回、二〇〇回と食らおうともそれだけなら『そんなことしか出来ないのか』と高笑いしていればいい、そんな攻撃。しかし、そんな攻撃が一〇時間、二〇時間、いや、一日中、三日、四日と延々とつづいたら?

 勇者ガヴァンが遭遇そうぐうしているのがまさにそういう事態だった。

 知殺将軍エイプヘッドは何千という配下の子鬼を従え、手足のごとく扱い、勇者を追い詰める。

 休ませない。

 飲ませない。

 食わせない。

 眠らせない。

 倒す気など最初からない。

 数にものを言わせて間断かんだんなく攻撃を繰り返すことでひたすらに疲れさせる。

 それが目的。

 ――くそっ!

 ガヴァンは心のなかで毒づいた。

 ――くそっ、くそっ、くそっ! こんな連中、まともに勝負すれば相手にもならないのにっ!

 ガヴァンの思いは正しい。

 たしかに、万全な状態でまともに戦えばこんな小鬼、何百いようと勇者たるガヴァンの敵ではない。すべてをひとりで倒すことが出来る。しかし――。

 倒す気もなく攻撃しては去って行く、を繰り返す敵が相手となれば話は別だ。追いかけて仕留めようにも次からつぎへと別方向から襲いかかってこられるのでは追いかけようがない。その場に棒立ちになっているしかない。

 一撃いちげきは取るに足らないような攻撃でも、何千何万と重なれば致命傷になっていく。自慢の鎧も数えることも出来ないほどの小鬼の爪に引っかかれ、ボロボロになっていた。

 いくら大枚はたいて開発された勇者の鎧とは言え、継ぎ目のない一体成形ではない。そんな鎧では防御力はあっても身動きひとつできなくなる。人間が着て、動くためのものである以上、関節部分もあれば、金属のない継ぎ目部分もある。そんな場所を狙われればいくら勇者の鎧でも耐えれない。表面を削られ、継ぎ目を壊され、部分ぶぶんが地面に落ち、輝いていた姿は見る影もないありさま。

 鎧を失ったガヴァンの素肌も細かい傷でいっぱいになっている。一〇や二〇なら単なる引っ掻き傷ですますことが出来る。しかし、皮膚という皮膚を埋め尽くすほどの傷が刻まれ、その傷の上をさらに引っかかれるとなれば……。

 それはまさに、おろし器で全身をゆっくりとすり下ろされるような感覚。攻撃と言うよりも拷問だった。

 ――くそっ! おれは神託の勇者だぞ! 鬼王を倒し、人類を救うべく選ばれた存在なんだ! それなのに、こんなやつらに……。

 悔しさのあまり、涙がにじんだ。

 悔し泣きをする勇者。

 そんな情けない勇者がどこにいる?

 しかし、それが、神託の勇士やガヴァンのいま現在の姿だった。

 そんな勇者の様子を指揮官である知殺将軍エイプヘッドは満足の笑みと共に眺めている。神経をさかなでするためか地面にあぐらをかいてどっかりと座り込み、酒と干し肉を手に宴会気分。さかなはもちろん、苦しむばかりで何もできない勇者のみじめな姿。

 酒は人の血から作ったもの。

 干し肉は人間の脚丸ごと。

 狩り集めた人間の血肉を食いながらの勇者見物。

 鬼部を倒すどころか、鬼たちの酒の肴にされている。

 こんな惨めな勇者は歴史上、ガヴァンがはじめてであったろう。

 ――ふっ、馬鹿なやつらよ。

 惨めな勇者の姿を楽しみながら、エイプヘッドは内心でほくそ笑む。

 ――なぜ、どいつもこいつも『勇者を倒す』ことにこだわる? 勇者を倒す必要などない。ただ休ませず、飲ませず、食わせず、眠らせず、戦いをつづけさせれば、それでいいのだ。

 勇者も人間。飲まず食わずで戦いつづけることは出来ない。

 必ず限界が来て戦えなくなる。

 動けなくなる。

 起きていられなくなる。

 そのときになって仕留めれば良い。

 勝てない相手に無理に勝負を挑む必要などないのだ。

 ――そこに気が付くのが知殺将軍エイプヘッドさまの頭脳というものよ。

 エイプヘッドは得意満面で酒をあおり、肉を食らう。一方、酒の肴にされている勇者は飲まず食わずでの戦いを強いられ、もはや限界に達していた。

 食っていないのに動きつづけることで腹は減る。

 飲んでいないのに汗をかくことで体が乾く。

 なにも飲めず、なにも食えず、それでも動きつづけなくてはいけないなら自分の体を食うしかない。

 勇者の体は自分自身の肉体を栄養にかえはじめていた。

 血を、肉を、骨を、動きつづけるための燃料源として消費していった。それは『餓死』が間近に迫っていることを示していた。

 疲労と寝不足、そこに空腹に脱水症状までが重なって、もはや意識は朦朧もうろうとしている。起きているのか眠っているのか。それすらもよくわからない。

 敵がどこにいるかもわからないまま、ただただ身についた習性のままに剣を振るっている。ただ、それだけだった。

 「勇者だけで勝つことなど出来ないのですよ⁉」

 「勇者だけで鬼王を倒せると思うならやってみせることですな」

 疲れ切った勇者の脳裏にハリエットの、そして、モーゼズの言葉がこだまする。

 ――くそっ! くそっ、くそっ、くそっ!

 心のなかでそれだけを叫ぶ。

 実のところ、ガヴァンにはまだ生き延びる道はあった。英雄となる道は残されていたのだ。

 ハリエットやモーゼズ、かのたちの言葉を認め、自分のあやちを認めてさえいれば。

 この場の戦いに勝つことはどうやっても出来ない。しかし、逃げることは出来る。自分の過ちを認め、逃げてさえいれば。

 おごりをすて、ハリエットたちと合流しさえすれば。

 ガヴァンはたしかに『真の勇者』となって人類軍の中核となり、人類を救う英雄になれたのだ。しかし――。

 ――認めない、認めないぞ! おれは神託の勇者ガヴァン! 鬼王を倒すべく選ばれた存在なんだ! そのおれが有象うぞう無象むぞうどもの助けがなくてはなにもできないだなんて……そんなことを認めてたまるか!

 この期に及んでもガヴァンは自分が、自分だけが特別な存在なのだという思い込みから逃れることが出来なかった。いや、その思いにしがみついていた。それだけが、疲れ切った勇者を立たせている唯一の理由だった。

 しかし、気力はどうあれその肉体は着実に限界に近づいてきていた。もはや体内に残されたわずかな力も食らい尽くした。外から補給できない上に体内に食うものは残されていなかった。

 眠い。

 疲れた。

 喉が渇いた。

 腹が減った。

 頭が重い。

 朦朧とする。

 幻覚が見える。

 景色がふにゃふにゃになっている。

 ありとあらゆる異常が勇者の身に降りかかった。

 ああ、眠い。

 眠りたい。

 もし、いま、枕を抱いて眠ることが出来るなら……。

 永遠の生命と引き替えにしてもいい……。


 気が付いたとき、目の前には豪壮ごうそうきわめた城があった。

 ――鬼部の城だ!

 ガヴァンはそう直感した。

 目の前に鬼部城があった。人類の怨敵おんてきである鬼王。その鬼部の王が住まう城が。

 おおおっ!

 ガヴァンは吠えた。

 とどろきをあげた。

 突進した。あたりに群れなす鬼どもを片端から斬り倒し、城へと突入する。内部の警備兵どもなど勇者の相手ではない。当たるを幸いなぎ倒し、玉座の間に向かう。

 そして、見た。

 玉座に座るひときわ魁偉かいいな体格をした鬼を。

 鬼王。

 きさまかあっ!

 勇者は叫ぶ。その剣を振りおろす。勇者の斬撃ざんげきが鬼王の身を両断する。

 ガヴァンの身を圧倒的な達成感が走り抜ける。

 やった、ついにやったぞ! 鬼王を倒し、人類を救った。

 見たか、雑兵ぞうひょうどもなど必要ない。おれはおれだけの力で、おれひとりの力で鬼王を倒し、人類を救って見せたんだ!

 「……そうとも。おれは神託の勇者。雑兵どもなどおれには必要ない」

 エンカウンの町の前。

 そこに広がる沿岸部。

 そこに立ち、無数の小鬼たちに囲まれながらついに睡魔すいまに逆らえずに眠りに落ちた勇者は寝言を漏らしていた。それが、勇者が残した最後の言葉だった。

 いかに勇者と言えど眠ってしまえばただの人間。無防備な肉の塊に過ぎない。そして、その肉は――。

 鬼部の餌だった。

 「さあ! 今日は勇者の焼き肉で宴会だぞ」

 エイプヘッドが陽気な声をあげる。勇者の頭に手をかける。そのまま力任せに引きちぎった。

 放り投げられた頭が血を吹き出しながら宙を飛び、重い音を立てて地面に落ちた。

 そこへ、小鬼たちが殺到さっとうした。次々と肉を、骨をむしり取り、口に運ぶ。

 これが、神託の勇者ガヴァンの最後だった。


 勇者は死んだ。

 ここに、ひとつの歴史は終わりを告げた。

 だから、ここから先は単なる蛇足である。次なる歴史がはじまるまでのほんの幕間まくあい

 勇者が殺されたあと、さすがに危機感を覚えたフィオナとスヴェトラーナはふたりして鬼部の群れに立ち向かった。

 しかし、しょせん、魔法使い。前線を支える戦士がいなければ何もできない。

 あっという間に攻め込まれ、自慢の魔法を使う間もなく食い殺された。

 ――自分こそが勇者の妻となる!

 互いにそう言いあっていた聖女と魔女。

 ふたりは共に鬼部の腹のなかて勇者と添い遂げることになった。


 王都ではガヴァンの死を知らされた国王レオナルドが悲嘆ひたんに暮れていた。

 ウォルターにつづき、末弟まっていのガヴァンまでも失って『獅子王』と呼ばれたレオナルドも内政に関する凄みまでも失ったように見えた。

 それでも、ふたりの弟を失ったいま、レオナルド自らが軍を率いて出陣しなくてはならない。しかし――。

 しょせん、内政の専門家であり、いくさに関してはふたりの弟に任せきりだった身。将としても、兵としても水準以下。まともな指揮など執れるわけもなく連戦連敗。

 「これなら出陣せずにおとなしく食われた方が被害が少なくてすむ」

 兵士たちにそう陰口をたたかれる結果しか残せなかった。

 レオンハルトにもはや領土を守る力はなく、鬼部たちの侵攻に呑み込まれるだけだった。


 ハリエットはジェイやアステス、モーゼズ、バブラク、アルノスたちと協力し、強固な防衛線の構築に尽力していた。

 レオンハルトの敗北を人類の敗北としないために。

 苦難くなんの時を超えて再び立ちあがり、反攻の時を迎えるそのために。


 アーデルハイドはカンナやリーザと共に大陸各地を巡り、商人たちや地域の武装集団を抱き込み、食糧の生産拠点の確保に邁進まいしんしていた。


 アンドレアはただひとり、赤ん坊の世話に追われ、育児地獄に囚われていた。


 熊猛ゆうもう将軍しょうぐんと勇者。

 主戦力であるふたりの死によって人類はこれからの数年間、厳しい辛抱の道を歩むことになる。そんななか――。

 ひとりの少年がただ一羽のおおわしだけを供に鬼界島に乗り込もうとしていた。

 「さあ、行こうか。ベルン。僕もやっと、ひとりの人間として役に立てるときがきたんだ」

 ただ一羽の大鷲と画材道具一式。

 ただそれだけをもって敵の本拠地に乗り込む。

 だと言うのに、少年の顔は希望と喜びに満ちあふれていた。

 我らが英雄、逃げ兎!

 のちにそう呼ばれることになる少年。

 アルノ(注)だった。


 第一部完結。

 第二部『婚約破棄からはじまる追放された令嬢たちが新しい世界を作り、人類を救う物語2 〜戦いの真実篇〜』につづく。

 

(注) アルノに関しては『自分は戦士じゃないけれど』第四話『我らが英雄、逃げ兎! ~前日譚~』を参照のこと。

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婚約破棄からはじまる追放された令嬢たちが新しい世界を作り、人類を救う物語1 〜勇者の敗北篇〜 藍条森也 @1316826612

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