一〇章 荒れる熊猛紅蓮隊
「ガハハハハッ!」
エンカウンの町に粗野なまでに大きな笑い声が響いた。
町の片隅にあるありふれた食堂でのことだった。
「いやあ、やつをぶった切ってやったのは爽快だったなあ」
「そうだろう、そうだろう、うまくはまったよなあ」
「ああ、あんなにうまく行くとは思ってなかったからなあ、驚いたぜ」
「何を言ってやがる。だから、絶対、うまくいくって言っただろ」
「ちげえねえっ!」
熊猛紅蓮隊に所属する下級の騎士たちが一軒の食堂を占拠し、戦場での話題で盛りあがっては『ガハハハハハッ!』と、将軍譲りの粗野な笑い声をあげているのだ。
テーブルの上には串焼きの肉が山と積まれ、その脇には酒が樽ごと置いてある。辺り一面、酒がこぼれて、まるで店内に雨でも降ったかのよう。食いかけの肉やら割れた皿やらもあたりに散乱し、こちらはまるで大地震のあとのようだ。
食い散らかし、飲み散らかし、口に含んだ肉や酒を吹き出しながら大声で笑うその姿はもはや『騎士』という称号から想像される姿とはほど遠い。単なる粗野な男たちの群れだった。
そんな騎士たちの姿を、店主や店員たちが眉をひそめながら見つめている。
本来であれば大量に注文してくれる騎士たちはありがたい客だ。しかし、突然やってきて他の客たちを追い出し、無理やり貸し切り状態にして店内を汚す一方とあっては、とうてい上客とは言えない。
――
その思いがあるだけになおさらだった。騎士たちが口から吹き出した肉片一つひとつでさえ、もはや、一般的な町民には手の出せないような金額となっているのだ。
騎士たちは店主のそんな思いも知らず、相変わらず粗野な話題で盛りあがっている。
「ところでよ。鬼部には女っていないのかね?」
「はあ、何言ってんだ? まさか、女がいたらヤッちまおうってのか?」
「いやいや、それはないだろ。鬼部だぜ、鬼部。女がいたってゴツいだけで色気も何もないだろうよ」
「わからねえぞ。案外、鬼部の雌は色っぽい鬼娘かも知れねえぞ」
「おお、なんかありそうだなあ。思ってみるだけでたまらなくなってきたぜ」
「ゴツいだけでも羊を相手にするよりはましだろうしな!」
「ちげえねえっ!」
そうわめきあっては『ガハハハハッ!』と笑い飛ばす。
話はどんどん下品で粗野なものとなっていき、声もどんどん大きくなる。それに比例して店主の眉のひそめ方も大きくなる。
――真っ昼間からそんな話題とは。うちはその手の客を集める夜の店とはちがうぞ。まっとうな客を相手にするまっとうな店なんだ。そんな態度を取られてはうちの評判が悪くなるじゃないか。今後、客が寄りつかなくなったらどうしてくれる。まったく、うちには嫁入り前の若い娘の店員だって大勢いるというのに……。
店主としては、自分の娘が汚されているようで腹が立って仕方がない。実際、若いウエイトレスたちは店の奥でひとかたまりになり、怯えと嫌悪の入り交じった表情で騎士たちを横目で睨み付けている。
店主としては店のためにも、店員たちのためにも、こんな連中は即刻、叩き出してやりたい。しかし、相手は武器をもった屈強な騎士。しかも、粗野で下品きわまる酔っ払い。そんな連中相手に意見などしたらどんなことになるか……。
それを思えば本音を口に出すなど出来はしない。態度にもなるべく出さず、騎士たちが満足して帰ってくれるのをまつしかなかった。
――いくら、生命を懸けて鬼部と戦う騎士団とは言え、これではただのゴロツキだ。人類最強の精鋭と聞いていた熊猛紅蓮隊がこんな連中だとは。うちの騎士団なら絶対、こんな態度は取らないというのに。
エンカウンの騎士団は団長であり領主でもあるジェイによって鍛えられた規律正しい集団。そのほとんどがエンカウンの出身と言うこともあって『町を守る』という自分たちの使命に誇りをもっているし、町民との関係も深い。それだけに、町民に迷惑をかけ、騎士の名を貶めるようなことはことはしない。
いや、もちろん、若い人間であるからには『酒に酔った』、『恋人にフラれた』と言ったような理由で暴れたりすることもあるにはある。しかし、それだって、たかの知れたものであるし、そんな事態が起きたときには副団長アステスによってきちんと処罰と謝罪、それに、賠償が行われる。騎士の方も反省するので、町民としても『まあ、気持ちはわかるが自棄になるのもほどほどにしとけよ』と、子供を諭す親のように一声かけて終わりにする。今回のようにひたすら迷惑をかけられる、と言うようなことはない。それだけに、熊猛紅蓮隊のこの粗暴さは信じられないものだった。
――かと言って、武器をもった酔っ払い相手に下手なことは言えないし……せめて、若い娘の店員だけでも帰しておくか。
店主がそう思ったその矢先だ。
「おい、肉がないぞ! 早く、もってこい」
騎士たちが口のなかの肉片を吹き出しながら叫んだ。
「は、はい……!」
若いウエイトレスがあわてて大皿いっぱいの骨付き肉をもってやってくる。いかにも『可愛らしい町娘』と言ったエプロン姿のウエイトレスに、騎士たちが下卑た好色な笑みを浮かべる。腕が伸び、ウエイトレスの尻をさわる。
「きゃあっ!」
ウエイトレスが悲鳴をあげる。騎士たちがおもしろがって囃し立てる。そのまま抱きすくめ、頬ずりする。
「や、やめてください……!」
恐怖にかられ、それでも必死に身じろぎして抵抗する。しかし、単なる町娘の身で騎士、それも、世界中から選ばれた精鋭である熊猛紅蓮隊の騎士に対抗できるはずがない。どんなに抵抗しようとがっしりとつかまれ、逃れることなどできはしない。
「いいじゃねえか、ちょっとばかり付き合えよ。いい思いをさせてやるぜ」
「そうそう。世界と人類を守る英雄さまの相手が出来るなんざあ、名誉なことだぜ。一生の自慢になるからよ」
「いやっ!」
「お、おやめください、騎士さま!」
店主がオロオロしながら仲裁に乗り出した。
武器をもち、それも酔っ払った騎士相手に口出ししようと言うのだ。怖い。恐ろしい。いまにも斬られる自分を想像してしまい、卒倒しそうになる。
それでも、店主として店員への狼藉を見過ごすわけにはいかない。責任感と使命感とをありったけ動員して勇気を奮い起こし、騎士たちに抗議する。
「こ、ここはお食事を楽しんでいただく店でして、そのような行為をする場所ではありません。その娘も嫌がっております。どうか、騎士さまは騎士さまらしく……」
「ああ、なんだ、てめえは? まさか、おれたちに意見するつもりか?」
「い、いえ、その……」
「いいか、おやじ。おれたちゃあ、命がけでお前等を守るために戦う熊猛紅蓮隊、人類を鬼部から守る切り札だぞ。そのおれたちに対して何か文句でもあるってのか?」
「で、ですが……」
「気に入らねえなあ」
騎士が座った目で店主を睨み付けた。
「まったく、気に入らねえ。守っていただくてめえらにしてみりゃあ、喜んでありったけのものを差し出すのが礼儀ってもんだろうが。それをゴチャゴチャ抜かしやがって」
「そ、そんな……」
店主が泣きそうな顔になったそのときだ。
「おい」
店の入り口から声がした。
上級騎士の紋章を付けたひとりの騎士が店に入ってきた。
「何をしている。もう集合の時間だぞ。騒いでいないで早く来い」
「へ、へえ……」
店主や店員に対する居丈高な態度もどこへやら、たちまち従順な犬の群れと化した騎士たちはぞろぞろと店を出て行こうとする。
――やっと出て行ってくれる。
店主はホッとしたもののすぐに大切なことを思い出した。
「あ、あの、お代の方は……」
「ああん?」と、たちまち騎士たちは粗野で居丈高な態度を思い出して店主を睨み付けた。
「なんだってえ? 何か言ったか?」
「で、ですから、その、お代の方をまだ頂いておりませんで……」
「おいおい、聞いたか、おめえら。金を払えってよ。このおれたちに」
「いやいや、聞き間違いだろ。命がけで鬼部から守ってやっているおれたちに金を払えなんて、そんなバカをことを抜かすやつがいるわけねえ」
「おお、それもそうだ。聞き間違い、聞き間違い」
『ガハハハハッ!』と笑い、そのまま出ていこうとする。店主は食い下がった。その態度はもはや勇敢と言うよりも無謀というものだったろう。店主もわかってはいたのだが、これほどコケにされては相手が誰であろうと黙っているわけには行かなかった。
「おまちください! うちは食堂です。飲み食いしていただいた分はきちんとお支払いいただきます」
「なんだと?」
騎士が酒に濁った目で店主を睨み付けた。店主が青くなった。
「聞き間違いにしちゃあ、しつけえな。そんなまちがったことを抜かす口はぶった切ってやろうか」
騎士が剣の束に手を駆けた。
店主が青くなり、奥でひとかたまりになっている店員たちが悲鳴をあげた。
「よせ」
上級騎士が静かに言った。騎士たちはたちまちおとなしくなる。
店主はホッと胸をなでおろした。
――さすが、上級騎士さまだ。下っ端連中とちがって礼儀をわきまえてくださっている。
そう思った。
このままこの上級騎士が代金を払い、迷惑極まりない部下たちを連れて出て行ってくれるだろう。
そう期待した。ところが――。
上級騎士はじっと山と積まれたままの焼き肉や酒樽を見た。それから、言った。
「おい、店主」
「は、はい……!」
「この店はなかなかいい肉や酒を用意しているようだな」
「はっ? え、ええ、それはまあ、おかげさまで……」
「よし、決めた。この店にあるすべての食料を徴収する」
「え、ええっ⁉」
「何を驚く。我々は命がけで鬼部と戦う熊猛紅蓮隊だ。そのことに感謝し、支えるのはきさまら一般人の役目だろう」
「で、ですが、食糧事情の悪化するなか、この店にある食料は町のものたちにとっても貴重なものでして、いくら熊猛紅蓮隊さまでもすべてをお売りするというわけには……」
「売るだと? 何を言っている。徴収すると言っただろうが。人類の切り札たる我々から金を取ろうなどと厚かましい。きさまらに金を払う謂れなぞないわ」
「そ、そんな……!」
「それと女どももだ。この店の女どもも全員、連れて行く」
ウエイトレスたちがいっせいに悲鳴をあげた。
「そ、そんな……! それではまるで強盗……」
思わずそう言ってしまってから、店主は自分が言ってはいけないことを言ってしまったことに気が付いた。真っ青になり、口を押さえた。しかし、もう遅い。その言葉はしっかりと聞かれていた。
上級騎士は店主に詰め寄った。
「強盗だと? 我ら栄えある熊猛紅蓮隊を強盗呼ばわりする気か?」
「そ、それは……」
「紛れもなく不敬罪であるぞ! きさまはもとより、一族郎党すべてしょっ引いてくれる!」
「そ、そんな……!」
店主が悲鳴をあげた。そのときだ。
「おやめなさい!」
凜とした女性の声が響いた。
全員の視線がその声の先に集中した。そこにいたのは世にも美しいひとりの女性。どんな卑俗な環境であろうと浄化してしまうのではないか。そうとさえ思えるほどに高貴なオーラをまとった『これぞ令嬢』と言いたくなるような人物。
エドウィン伯爵令嬢アーデルハイドだった。
「ア、アーデルハイドさま……!」
アーデルハイドは怒りを込めた視線で騎士たちを睨みながら言った。
「何をしているのです。誇りある熊猛紅蓮隊ともあろうものが、守るべき対象である一般人を脅すなど」
「し、しかし、この店主めが我らへの協力を拒みましたもので……」
「協力? あなたたちのしたことは脅迫と言うのです。騎士としての誇りが残っているのなら即刻、謝罪し、自分たちの汚した痕を片付けなさい。そして、きちんと代金を払って帰るのです」
アーデルハイドは毅然とした態度でそう言ったが、騎士たちは『へっへっ』と下卑た笑いを浮かべただけだった。
「そうは言われますがねえ、アーデルハイドさま。あなたは単に将軍閣下の婚約者だと言うだけで我々に対する命令権があるわけではないんですよ」
「そうそう。何しろ、あなたさまはねえ、へっへっへっ」
アーデルハイドが熊猛紅蓮隊の将軍であるウォルターの婚約者であることはもちろん、熊猛紅蓮隊の騎士であれば誰でも知っている。だが、同時に、アーデルハイドがウォルターから疎まれていること、ウォルターの寵愛は愛人であるイーディスひとりに注がれていることもわかっている。アーデルハイドに対する敬意は見せかけ以上のものとはなり得ない。
「それに、この件はあなたの責任でもありますぞ、アーデルハイドさま」
上級騎士が言った。
「わたしの?」
「我々、熊猛紅蓮委の補給はあなたの責任のはず。あなたがその責任を果たさず、補給が滞っているものだから我々は現地で調達しなければならないのです。我らにとやかく言う前にご自分の責任を果たすことですな」
ぬけぬけと、とは、このことであろう。部下たちを監督すべき自分の責任を放棄しておいて他人の責任をとやかく言う上級騎士である。そんな上級騎士に向かってアーデルハイドはキツい視線を投げかけた。
もちろん、そんなことで怯むような騎士たちではない。態度はどうあれ、世界中から集められた対鬼部用の精鋭たち。くぐり抜けてきた修羅場は十指に余る。いざ戦いとなればまったく無力な貴族令嬢に睨まれたぐらいで怯むはずがない。
「……わかりました。補給に関してはわたしの責任において必ず行います。ですから、この場は引きなさい」
「それでは」と、上級騎士は部下たちを引き連れて店を出た。その姿を確認してからアーデルハイドは店主に頭をさげた。
「申し訳ありません。ご迷惑をおかけしました。代金と迷惑料はわたしが支払わせていただきます」
「あ、ああ、いや、どうも……」
店主の声は歯切れが悪い。場を治めてくれたことはもちろんありがたい。感謝している。しかし、『しょせんは自分たちを防壁扱いしている王都の人間』という思いがある。パレードに参加したのも『国王命令』として促されたからであり、本心から紙吹雪を散らし、歓声をあげていたものの数は決して多くはないのだ。
アーデルハイドもその思いを感じ取った。後片付けも自分の手でしていくつもりだったのだがこれ以上、自分がここにいてもなおさら迷惑になるだけのようだ。
それと悟り、アーデルハイドは代金と迷惑料を支払い、重ねて謝罪して店を辞した。支払った金はすべてエドウィン家の私財だった。ウォルターに疎まれているアーデルハイドには熊猛紅蓮隊の予算を使う権限は与えられていなかった。
その夜深く。
急ごしらえの執務室に籠もったアーデルハイドは溜め息をついた。
「……なんてことなの。最強の精鋭軍であるはずの熊猛紅蓮隊の規律がここまで乱れているなんて」
今日一日、市内を見回ってみただけで七件もの似たような脅迫、略奪、さらには、誘拐まがいの事件に出くわした。見ていないところで一体、何件の同じような事件が起き、何人の被害が出たかわかったものではない。
「このままでは熊猛紅蓮隊こそが人々の恐怖と憎しみの対象となってしまう。でも、騎士たちが略奪するのも無理はない……」
事件の続出を見て改めて調べてみて驚いた。本当に物資が足りていないのだ。特に、食料が決定的に足りない。ウォルターとその側近、数少ない上級騎士はともかく、下級騎士のほとんどが栄養不良。ひどいときには栄養失調に陥っているという医療データまであった。ほとんどの人員が単に生命を繋ぐだけでも不充分な量の食事で鬼部相手の戦いを強いられている。それが人類最強の軍、熊猛紅蓮隊の実体だった。劣悪な環境で命がけの戦いを強いられている騎士たちが機会あれば略奪に走るのはたしかに、自然な感情というものだった。
「それもこれもすべては戦場の雄ばかりを偏重する国是のせい。そのために民間人は蔑まれ、補給は軽視される。充分な補給を受けられず、騎士たちは略奪に走る。こんなことでは、鬼部との戦い以前にレオンハルトは内部から崩壊してしまう」
あの騎士たちにしても最初からあんな粗野な人間であったはずがない。その技量と実績とを買われて熊猛紅蓮隊に招かれた精鋭たちなのだ。その頃は皆『人類を守る』との使命感に満ちた立派な騎士だったにちがいない。
それが、想像とは異なる劣悪な環境に置かれ、一方では戦場の雄ばかりを偏重する国是によって特権意識ばかりを肥大化させられ、あのような粗野な人間に成り果ててしまった。
「このままではレオンハルトは滅びてしまう。なんとしてもこの風潮を正さなくては」
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