九章 騎士団長と男爵令嬢、あと一名
国王レオナルド。
そして、勇者ガヴァンとふたりの側近、聖女フィオナと魔女スヴェトラーナ。
殴殺将軍ナックルベアとその配下の軍勢を一蹴した一行は、凱歌をあげながらエンカウンの町へと堂々の入場を果たした。町中央の大通りを渡るその行進は、そのまま勝利のパレードへと企画された。ありったけの町民が動員され、即席の紙吹雪がまき散らされ、歓呼の声が響き渡る。
そのなかを『町を救った英雄』たちは得意げに片手をあげ、満足しきった表情を浮かべて行進していく。それはまさに『
その一方、三日三晩にわたって
「おい、さっさと運べよ! 早く治療してやらなきゃ……」
「簡単に言うな! おれだって怪我してるんだ」
「お前は腕一本、引きちぎられただけだろ! こいつは土手っ腹に風穴、開けられて死にそうなんだぞ!」
通常ではとうてい考えられないすさまじい会話。三日三晩にわたって休む間もない激戦を繰り広げたエンカウン騎士団に無傷なものなどひとりもいない。多かれ少なかれ誰もが傷を負っている。このなかでは『軽傷』とされるものでも、世間一般の基準で言えば『重傷、絶対安静』と勧告されるようなものだった。
手足の一本ぐらい失うぐらい、傷のうちに入らない。
『首を刎ねられたって気にするな。かわりの頭も、体も、そこら中に転がってらあっ!』
騎士たちの間でそんな軽口が飛び交うほどの状態であったのだ。
本来ならば後方に控え、負傷者の搬出と治療に専念すべき衛生兵までが慣れない槍をもって参戦していたので、無傷のものが怪我人を治療する、などと言う贅沢は望むべくもない。怪我人がより重度の怪我人を運び、治療する。そんな有り様だった。
「どけどけどけ!」
粗野なほどの声が響き、薄汚れ、血にまみれた包帯を体中に巻いた騎士が飛び込んできた。二本の槍を並べて、そこに軍服を通しただけの粗末な担架を抱えている。
「どけどけどけどけ! ジェイ団長とアステス副団長が大変なんだ!」
急ごしらえの粗末な担架に乗せられて運ばれているのは、騎士団長ジェイとその補佐役たる副団長のアステスだった。
ジェイはもはや死人ででもあるかのようにピクリともせず、アステスは青黒く変色した顔に苦悶の表情を浮かべて身をよじっている。額には脂汗がベットリと張りつき、拭いてもふいても流れ出してくる。
ふたりは率先して治療室に運ばれた。治療室、と言っても大型のテントを張って、なかに台を運び込み、グラグラと煮えたぎった熱湯をぶっかけて消毒しただけの粗末極まりないものだったが。
「おい、軍医!」
「は、はい……!」
担架を運んできた騎士が叫ぶと、まだ一〇代とおぼしき軍服姿の少年が姿を現わした。この『軍医』というのは正式な役職ではない。
単なるあだ名である。
正式な軍医が派遣されないので、義勇兵として参加した医学生が軍医がわりに治療に当たっている。そのために『軍医』と呼ばれているのだ。
軍に所属する正式な軍医は、その全員が熊猛紅蓮隊と王都を守護する親衛騎士団に配属されており、最前線の町エンカウンにはただのひとりたりと派遣されることはない。
その理由は例によって例のごとく、
『最も強い軍に、最も強い支援を行い、最も強い敵を倒す』
である。
支給される装備品と言えば魔力ひとつ付与されていない単なる鉄の塊。軍医すら派遣されず、急ごしらえの治療室で半人前とさえ言えない医学生が治療に当たる。それが、人の世を鬼部から守る最前線の町エンカウンが置かれている状況だった。
軍医は取り急ぎふたりを診察した。
「ジェイ団長は特に外傷はないようです。でも、とにかく、疲れ切っています。栄養も全然、足りていない。飢餓状態と言ってもいいぐらいです」
「無理もない」と、騎士のひとりが言った。
「ジェイ団長はこの三日間、ほとんど休みなしに戦いつづけていたんだ。まともにものを食う時間もなく、戦いの合間に、ごった煮をすり下ろした汁を飲むのがせいぜいだった。そんなありさまで戦いつづけていたんだ。団長でなければとっくに死んでいる」
「アステス副団長は内臓が傷つき、内出血している恐れがあります。くわしく診察してみないと……」
「わ、私はいい……!」
それと聞いたアステスが苦悶の表情を浮かべたまま診察台の上で身を起こした。痛みと苦しみ、そして、傷から来る高熱に耐える必死の表情だ。
「私のことは放っておけ……! それより、ジェイ団長を……」
「無茶です! 放っておいたら本当に死んでしまいます」
まだ若い軍医が駆けより、アステスの体を支えようとする。その手をアステスは乱暴に振り払った。
「私はいいと言っている! それより、早くジェイ団長を治療して差し上げろ! ジェイ団長を失ったらエンカウンは終わりだぞ」
その程度のことは、言われなくてもまだ一〇代の軍医にもわかっている。しかし、『軍医』などと呼ばれてはいてもその実体はまだまだ医学をかじったばかりの医学生。出来ることなどたかが知れている。まして……。
「おい、薬が足りないぞ! 早く止血剤と消毒薬をもってこい!」
「そんなもんがあるか、あほう! てめえの軍服を切り裂いて傷口に巻き付けて止血しとけ!」
「こんな血と泥にまみれた軍服で傷口を縛ったりできるか! 感染症を起こして死んじまわあっ! せめて、消毒用の熱湯をよこせ!」
「そんな余分な水、あるわけないだろ! 飲み水と傷を洗う分で手一杯だ!」
「くそっ! おれたちは国のために必死に最前線で戦ってるんだぞ。それが何でこんな目に……! おい、補給係! 王都にはちゃんと支給申請してるんだろうな」
「当たり前だ! この半年で三〇回以上、申請したさ! けど、答えはいつも同じ。『最も強い部隊に最も強い支援を行う。お前たちは現地で調達せよ』だ!」
王都からの支給は望めない。町の医師や薬師たちが必死で調合してきた薬もすでに使い切った。包帯もなければ煮沸消毒用の湯を沸かすための水すらない。そんな状況ではたとえ一〇〇年にわたる研鑽を積んだ神医であろうと出来ることは何もなかったろう。まして、まだ一〇代の、医学を学んだ、というよりはかじっただけの医学生では……。
その場を沈黙が支配した。
騎士たちの叫び声が静まると、町の中央を走る大通りから市民たちの歓呼の声が聞こえてくる。『英雄』たちのパレードはまだつづいているのだ。
「チッ、いい気なもんだぜ」
騎士のひとりが腹いっぱいの忌々しさを込めて吐き捨てた。
「すっかり英雄気取りだ。何様のつもりだよ、やつら」
「で、でも、あの人たちが鬼部の軍勢を倒してくれたのは事実だし……」
「あいつらが何をしたってんだ⁉ 三日三晩にわたって鬼部の攻撃を撃退しつづけ、やつらの戦力を削ってきたのはおれたちだぞ! やつらは最後の最後にやってきて、残った敵を蹴散らしただけじゃないか!」
「で、でも、おれたちじゃ、あの鬼部の将軍は倒せなかった。ジェイ団長でさえ敵わなかった……」
「そうだよ。あれはやっぱり、勇者じゃないと……」
「何が勇者だ! あんな贅沢な装備品に身を包んでりゃあ、そりゃあ勝てるさ。おれたちだってあんな装備品さえあればもっと戦える、こんなに大勢の仲間を死なせなくてすむんだ」
「そうとも。勇者と同じ装備さえあればジェイ団長があんな鬼部に後れを取るもんか。ジェイ団長こそ勇者と呼ばれるにふさわしい方なんだ!」
騎士たちの間に激しい怒りと憎悪が渦巻く。このままではついには爆発してこのままパレード会場へと攻め入ってしまいかねない。
そんな空気にさえなっていた。
そのときだ。
「失礼します!」
その場に似つかわしくないほど若々しい、まだ幼ささえ残す女性の声がした。その声と共にひとりの小柄な女性が飛び込んできた。
「ハリエット・ヒーリーと言います! 負傷者の方たちがこちらに運ばれてと聞いてやってきました。負傷者の方は……」
どちらに……と、言おうとしてハリエットは口を閉ざした。
そんなことは聞くまでもなかった。目に付く限り、その場にいる全員が負傷者だったからだ。その光景にハリエットは一瞬だが、自失した。しかし、文字通り一瞬のことで、ハリエットはすぐに自分がここにやってきた理由を思い出した。
「すぐに治療にかかります! 皆さん、順番に……」
「まて……」
ハリエットに劣らないほど若々しい、しかし、ハリエットの声とは比べものにならないぐらいの苦しさを込めた声がした。
アステスだった。
いまだ寝たままのジェイの隣の担架にいるアステスが、ハリエットを睨み付けていた。本来なら『紅顔の美少年』と呼ばれるべき愛らしい顔立ちも、いまでは青黒く染まり、苦悶の表情を浮かべており、その面影はない。それでも、ふたつの目に残された最後の力を振り絞り、ハリエットを睨み付けていた。
「ハリエット・ヒーリー……。勇者ガヴァンの婚約者という男爵令嬢か」
「は、はい……」
そのやりとりに――。
その場の雰囲気がかわった。
騎士たちの間にざわめきが走り、何とも言えない敵意が満ちはじめた。その敵意をアステスが代表して口にした。
「……帰れ」
「えっ……?」
思わぬ一言にハリエットは意表を突かれた。
「あ、あの、わたしは……」
「帰れと言った」
「で、でも、わたしは皆さんの治療に……」
「帰れ! 我々のことをさんざん冷遇しておいて、いまさらなんのつもりだ⁉ 令嬢さまの気まぐれか、慈善ごっこか。それとも、勇者の婚約者としての人気取りか」
「そんなつもりじゃありません! わたしはただ、皆さんの治療に……」
ハリエットはそれ以上、何も言えなかった。騎士たちの視線に気が付いたからだ。
アステス以外の誰も直接、口に出してその思いを放ちはしない。しかし、その視線に込められた思いは見間違いようがない。多かれ少なかれ、その場にいる騎士たち全員がアステスと同じ思いを抱いていた。
――最前線の町の騎士団からこんなにも憎まれているなんて。
その事実にハリエットは両の拳をギュッと握りしめた。
「……よせ」
小さいが力強い、よく通る声がした。
騎士たちの顔がいっせいに喜びに輝き、視線が集中した。
ジェイだった。ジェイがまだ目も開けていないながらも意識を取り戻し、声をあげたのだ。
「団長!」
アステスが担架を飛び降り、側に寄ろうとした。着地の衝撃で腹のなかに痛みが走り、苦悶の表情を浮かべてうずくまる。
「落ち着け、アステス」
ジェイはそんな副団長に静かに声をかけた。
「……団長」
「ヒーリー男爵令嬢は『治療に来た』と言っただろう。我々がいま最も必要とするものをもってきてくださった方に、無礼なことを言うものじゃない」
「し、しかし、団長……」
アステスへの言葉をいったん後回しにしておいて、ジェイはハリエットに尋ねた。
「ヒーリー男爵令嬢」
「は、はい……!」
「私もうかがっておきたい。あなたはなぜ、我々の治療に訪れたのです? 王都のものたちは誰も彼も我々のことなど気にしていないというのに」
その問いに答えるのに迷う必要などなかった。ハリエットは小柄な体で堂々と胸を反らし、断言した。
「戦場に立って戦う方々を支え、手助けする。それこそが、戦場に立つ力をもたないわたしにとっての戦いであり、役割だからです」
その一言に――。
騎士たちも先ほどまでの敵意を忘れ、沈黙した。
ジェイが言った。
「……治療をはじめてください。みんなをよろしく頼みます」
「はい!」
ハリエットは満面の笑顔で答えた。
ハリエットの指示の元、医療班が治療室に入ってきた。湯を沸かし、消毒し、薬を処方する。傷口を縫い合わせ、包帯を巻いていく。
手際よく次々と処置を施していく。そんななか、アステスだけは頑として治療を拒んだ。ジェイの『命令』によって渋々、受け入れることになったものの、服を脱ぐことだけはあくまでも拒んだ。仕方がないので希少な回復術士による魔法を重ね掛けした。一〇回目の魔法をかけてようやく青黒かった顔色が普通に見られる程度にまで回復した。
その間に、場の雰囲気もすっかりかわっていた。当初の敵意は消え、感謝と好意が取ってかわっていた。騎士のなかには医療班のなかに若くて可愛い女性を見つけ、さっそく口説きにかかる『不届きもの』さえいた。王都のものたちに対する敵意は敵意としてやはり、こうして直接、治療してくれる相手には好意をもつ。
実のところ、ハリエットの持ち込んだ医療班と薬品類は怪我人の数からすればまだまだとうてい足りないものだった。それでも、砂漠の迷い人にとっては一滴の水でもありがたいように、ボロボロになったエンカウン騎士団にとってそれは極めて貴重なものだった。
何よりも『自分たちを気に懸け、助けようとしてくれる人間がいる』というその思いは、どんな優れた薬品よりも強力な癒やしの効果を発揮した。騎士たちの間に活力が蘇り、怒声や罵声のかわりに親しみを込めた軽口がかわされるようになった。
そのなかにあってハリエットはジェイの横に尽き、看護していた。
「さすがですね。エンカウンの騎士団長さまは我が国にあっても三本の指に入る使い手と聞いていましたが、三日三晩にわたる戦いを経てもほとんど外傷がないなんて。でも、ひどく衰弱してします。疲れ切っている上にほとんど飢餓状態。この状態では一度に多くの食物を摂取するのは却って危険です。一口サイズのパンとフルーツジュースを用意しておきますから、一時間ごとにひとつずつ食べてください」
「ありがとうございます。あなたはお優しい方だ」
「国を守ってくださる勇者さまのためですもの。当然のことですわ」と、ハリエットはほがらかに微笑む。そんなふたりのやりとりを副団長のアステスが忌々しそう睨み付けていたが、自分の職務に没頭しているハリエットはまったく気が付かない。
「それにしても……」
ジェイが不可解そうに尋ねた。
「これだけの医療物資をどうしたのです? いままで、我々がいくら申請しても王都からは何ひとつ送ってこなかったというのに……」
ハリエットはペロリと舌を出していたずらっぽく答えた。
「チョロまかしてきました」
「チョロ……」
意外な言葉に、さしものジェイが言葉を失った。
「熊猛紅蓮隊には優先的に物資が提供されていますから。そのなかから少しばかりわけていただいたんです」
無断でこっそりと、と、ハリエットはそう付け加えた。
ジェイは呆気に取られた後、小さく笑い出した。
「……参ったな。男爵令嬢ともあろう方がそんな真似をなさるとは」
「男爵令嬢でも、市井の人々でも、子供の頃はかわりませんわ。誰しも、いたずらをして過ごすもの。その頃のことを思い出しただけです」
「なるほど。あなたは愉快な方だ。しかし、そんなことが知られては、あなたの身が危険になるはず」
「ご心配なく。これでも、有力貴族の娘で、勇者さまの婚約者ですから。ちょっとしたこそ泥程度で罪を問うことは出来ませんわ」
「なんとな。なかなかのズルさまで備えておられる」
「そうでなければ貴族令嬢なんて、やっていられませんわ」と、またも舌を出していたずらっぽく笑うハリエットだった。
「団長!」と、『もう耐えられない!』という感じでアステスが声をあげた。
「またいつ、鬼部の軍政が攻めてくるかわかりません。すぐに次の準備に入りましょう」
「……そうだな」
アステスに言われて、ジェイも身を起こそうとする。
ハリエットがあわてて止めに入った。
「行けません! 疲れ切っているんですよ。いまはとにかく休んでください」
「我々にそんな暇はないんだ! どこかの誰かが物資も装備品も独占しているおかげでな」
「で、でも……」
アステスの叫びに一言もなくハリエットは言い淀んだ。
ジェイが静かに口を開いた。
「ヒーリー男爵令嬢。あなたのお心遣いはありがたいですが、かの人の言うとおりです。我々はエンカウンの騎士として、このエンカウンの町を守る義務がある。いつまでも寝てはいられないのです」
「……はい」
そう言われてはハリエットにも止めようがない。何と言ってもハリエットは所詮、部外者なのだ。
ジェイとアステス、それに、主立った何人かの騎士が会議を開くためにその場を去ったあと、ハリエットは片隅にうずたかく積まれた鎧兜の山に気が付いた。ズシリとした金属の塊を手にとる。まだ幼さの残る愛らしい表情に衝撃が走り、それが怒りへとかわる。
「そんな……。魔力ひとつ付与されていない単なる金属の塊。我が国の最前線を守るエンカウンの騎士団にこんなものしか支給されていないなんて……」
ギリッ、と、ハリエットは歯を食いしばった。
ヒーリー男爵令嬢ハリエットはこのとき、ひとつの決意を固めていた。
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