第六話 兄の迷い・母の試練

三一章 兄たちの焦り

 レオンハルト王国国王レオナルドは数えることも出来ない量の苦虫をまとめて噛み潰していた。

 エンカウンの領主館、そのなかの執務室でのことである。

 レオナルドは戦に関しては弟たちに任せ切りで素人同然だったが、内政においてはまちがいなく有能で精力的な辣腕家らつわんかだった。その手腕のほどは若くして王位を継いだあと、短期間で飛躍的に治安を高め、産業を振興させたことで証明されている。

 ただし、厳格げんかくさの裏返しか猜疑心さいぎしんが強く、『他人に任せる』と言うことを好まない。国の制度上、一応、宰相職を置いてはいるが、その扱いは『よく言って雑用係』と陰口をたたかれるほどのもので、政務を分かち合う、などと言うことはまったくなかった。

 自然、必要以上に多くの懸案けんあんを自分自身で審査し、決済することになり、膨大な仕事に追われるのが常だった。それだけの仕事量をこなせる人物であることはまちがいなかったが、すべての業務がレオナルド個人の進捗振りによって左右されてしまうため、官僚たちの存在を活かせず、安定性と効率性に欠けるのは否めなかった。

 この日もレオナルドは周囲を埋め尽くす膨大な量の書類と格闘しているところだった。

 とは言え、その表情が苦いのは書類の量の多さが問題ではない。

 問題なのは中身である。

 送られてくる報告書すべてが同じことを言っていた。

 人が足りない。

 人が足りない。

 人が足りない!

 およそ、報告書という報告書すべてが、同じその悲鳴をあげているのである。

 それこそ、王都をはじめとする大都市から、僻地へきちにある寒村かんそんに至るまで、レオンハルト中の都市や町、村々から同じように『人が足りない!』という悲鳴が届いているのである。

 人手不足の原因ははっきりしている。

 二〇年に及ぶ対鬼部たいおにべ戦役せんえきによって人がとられ、しかも、その多くが戦死して帰らぬ人となっているからだ。

 そう。

 原因ははっきりしている。

 しかし、原因ははっきりしていても取り除きようがない。

 人手不足の原因を取り除くためには鬼部おにべ相手の戦いを終わらせるしかないわけだが、

 「それができれば苦労はせん」

 ばさり、と、音高く書類の束を脇に追いやりながらレオナルドはボヤいた。

 この二〇年、人類は鬼部の侵攻に対してよく防衛してきたと言っていい。ときとして拠点となる城を奪われたり、領土を制圧されたりと言うことはあったが、そのほとんどは奪還してきた。二〇年たったいまでも鬼部の勢力範囲はほぼ広がっておらず、人類は自分たちの世界への鬼部の侵攻を防ぎつづけている。しかし――。

 にもかかわらず、鬼部の勢力はいささかも衰えたようには見えない。

 城も奪えず、勢力範囲も広げられず、まったくの徒労としか思えない戦いを繰り返しておきながら、その戦意は衰えることを知らず、それどころか、ますます激しさを増しているようにさえ思える。そのことは被害の拡大を伝える報告の多さからも証明されている。

 鬼部を相手に人間の常識を適用しようというのがまちがいなのではないか。

 近頃では、軍の参謀たちを中心にそんな声もあがるようになってきている。

 「我々は鬼部も人間同様、城を奪い、勢力を広げることを目的としていると思い込んできた。その点がちがうのではないか?」

 「どういう意味だ?」

 「鬼部の目的は人間を食うことだ。人間を襲い、食らう。それが鬼部の目的。ならば、戦場で我々の兵を食らい、食糧として連れ去るだけで充分なのではないか? 最初から拠点の制圧や領土の拡張など興味がないのではないか?」

 もし、その通りだとすれば人類側はわざわざ鬼部の前に豊富な『餌』を投げ出してやっていることになる。

 鬼部の士気が落ちないのも当然だろう。

 狩りの獲物が向こうから大挙たいきょしてやってくるとなれば『狩人』としては、喜びこそすれ士気を落とすはずがない。となると、これからもますます戦死者は増えるわけであり、当然、それに応じて人手不足は深刻なものになっていく。

 自他共に認める辣腕家のレオナルドではあるが、法整備や罰則強化でどうにかなる問題ではないだけに頭が痛いところである。

 「……だから、女どもを家に閉じ込めて子を産ませることに専念させておればよかったのだ。ひとりの女が一〇人、二〇人と子を産んでいれば人口ははるかに多くなっていた。そうなっていれば鬼部との戦いで人が足りなくなることもなかった。それを『女性の権利』だの『社会進出」だのとほざいて仕事なぞさせるからこの様だ。まったく、先の見えん馬鹿どもが」

 レオナルドは自分の理想とはほど遠い現状に毒づいてみせた。

 「入るぞ、兄者」

 執務室の扉の向こうから野太い声がした。

 本人はごく普通に呼びかけただけのつもりだが、周りにとっては大気を揺るがす雷鳴のような大声である。

 扉が開き、『人の皮を被った熊』と言った印象の髭面の大男が姿を現わした。

 レオナルドの弟、熊猛ゆうもう紅蓮隊ぐれんたい総帥そうすい熊猛ゆうもう将軍しょうぐんウォルターである。

 『弟』とは言え、ひげだらけのゴツい顔立ちといい、熊のような分厚い巨体といい、こちらの方がずっと年長に見える。

 「急に呼び出して何の用じゃい。注文しておいた兵の補充でも決まったか?」

 呑気な弟の言葉にレオナルドは思いきり顔をしかめさせた。

 「それどころではない。これを見ろ」」

 レオナルドは膨大な書類の束を投げ渡した。

 尋常な量ではない。その厚みたるや、それだけでベッドが作れそうなほどだった。

 ウォルターは兄以上に露骨ろこつにしかめっ面をしてみせた。

 「なんじゃい、この紙切れの束は」

 戦場では豪勇ごうゆう無双むそうだが書類仕事などはまったく適正のないウォルターである。

 およそ、いままでウォルターが読んだ『本』と言えば、子供向けの絵本ぐらい。びっしりと文字が書かれた紙切れなどを見ると、すぐに頭痛を起こすのだ。兵法書すら読まずに『人類最強の猛将』の名をほしいままにしているのは、むしろ、あっぱれかも知れない。まあ、先頭に立って『進め、進め!』と叫ぶだけなのだから、兵法書など読む必要がないのももっともなのだが。

 「各地からの報告書だ」

 レオナルドは簡潔に答えた。

 「王都から僻地の寒村に至るまで、すべての場所から同じ苦情が届いている。人が足りない、人が足りない、人が足りない! そればかりだ。そして、だ」

 「なんじゃい?」

 「とくに農村からだが、働き手となる男たちを返してほしいと言ってきている。このままでは人手不足で食糧の生産に支障が出るそうだ」

 そう言われてウォルターはまたしても顔をしかめてみせた。

 よく言えば純粋、悪く言えば子供っぽい性格であるウォルターは感情を隠すということができない。声にも、表情にも、すぐに出してしまうのだ。

 「無茶を言うな、兄者。農村から徴発した兵どもを返したりしたら軍は瓦解がかいしてしまうぞ」

 「そうは言うが、農村の人手不足が広まれば深刻な飢餓きがに見舞われかねない。そうなれば戦いどころではなくなるぞ」

 「ええい、兄者まであの女と同じようなことを言うな! そんなことになる前に鬼部どもを打ち負かせばすむむことじゃろう」

 「どうやって打ち倒す? おれたちはいまだにやつらの本拠地に攻め込むことすら出来ていないのだぞ」

 「ガヴァンのやつはどうしておるのだ? やつが鬼王の首を取ってくれば、すべて解決じゃろう」

 弟に言われて今度はレオナルドが顔をしかめる番だった。

 「……何の連絡もないままだ」

 そう言われてはウォルターとしてもどう答えようもない。むっつりと黙り込むしかなかった。

 その場をどうにも暑苦しい沈黙が支配した。

 コンコン、と、扉がノックされた。妙に遠慮がちなのは執務中のレオナルドが他人に邪魔されることをきらうのを知っているからだ。

 「なんだ?」

 レオナルドは不機嫌丸出しの声と口調で言った。

 チヤホヤされることに慣れている貴婦人ででもあれば、その一声だけで卒倒してしまいそうな声だった。

 扉が開き、おずおずと年配の文官が顔を覗かせた。

 「あの……陛下」

 「だから、なんだと言っている」

 相手の妙にコソコソした態度に腹を立てたのだろう。レオナルドはさらに不機嫌な様子で言った。文官はますます扉に隠れるようにしながらそれでも言うべきことを言った。

 「その……ゴーレムマスターを名乗るものがやってきております」

 「ゴーレムマスターだと?」

 「は、はい。なんでも、星詠みの王国からやってきたとか……」

 「星詠ほしよみ? ああ、オウランか」

 「あの腰抜けぞろいの青びょうたん国が何の用じゃい」

 ウォルターが怒鳴るように、しかし、本人としてはいたって静かに尋ねたつもりで言った

 星詠みの王国オウラン。

 それは、レオンハルト王国の東方に位置する国であり、代々、予言の能力をもつ巫女みこ女王じょうおうによって治められている。そのためか、女性的な穏やかな気風の国であり、戦を好まず、武を誇らず、優美な文化を愛する国である。

 とくに、星詠みの予言に関わって発展した歌舞かぶ音曲おんぎょく秀逸しゅういつであり、大陸随一との呼び声も高い。しかし、そんな文化国家もウォルターにかかれば『腰抜けの青びょうたん』に過ぎない。軍事力という点では弱小と言った方が近く、対鬼部戦役でもほとんど功績をあげていないのは事実であったが。

 ウォルターの声に文官は『ヒッ』と小さく叫んで首をすくめた。

 ウォルターとしては別に怖がらせるつもりなどない。普通に声をかけただけのつもりである。しかし、何しろ熊と見まごうばかりの強面こわもてである上に無駄に地声が大きいので、すぐに他人を怯えさせる結果になる。

 この文官はなかなかに勇気のある人物だったと言えるだろう。勇猛だが傍若ぼうじゃく無人ぶじんで知られる熊猛将軍と、有能だが厳格で猜疑心の強い国王を相手に怯えながらも報告すべきことは報告したのだから。

 「こ、国土の防衛について献策したい義かあるとのことで。なんでも、ゴーレムを使った画期的な防衛法とか……」

 「ゴーレムだと?」

 レオナルドが猜疑心の強い性格らしく疑いの眼差しを向けると、ウォルターが一声で斬り捨てた。

 「ゴーレムなんぞ、頑丈なだけが取り柄の鈍くさい石人形じゃろうが。あんなもん、鬼部ども相手の役には立たんわい」

 「そ、それが、従来のゴーレムとはまったくとちがうとか……」

 「くどい」

 レオナルドは面倒くそうに言った。

 「ゴーレムなどに用はない。とっとと追い返せ」

 レオナルドは片手を振ってそう告げた。

 危険信号だった。これ以上、かかずらわっていれば王の怒りが爆発するのは目に見えていた。文官は跳びあがってうなずき、星詠みの王国のゴーレムマスター(注一)を追い返すべく飛んでいった。

 後世から見ればこのときはまさに歴史の転換点と言ってよかっただろう。

 もし、このとき、レオナルドがこのゴーレムマスターと会っていれば、その献策を用いていれば、あるいは、レオナルドとレオンハルト王国にもちがう未来があったのかも知れないのだが……。

 レオナルドは固定観念に縛られ、自ら未来を閉ざしたのだった。


※注一『星詠みの王国のゴーレムマスター』に関しては『自分は戦士じゃないけれど』第三話『ゴーレムが人型って誰が決めた?』を参照。

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