一八章 新しい国を

 どれだけの間、野ざらしにされてきたのだろう。

 風雨によって削られ、浸食しんしょくされ、廃墟と言うよりももはや、廃墟の跡地と言った方がいい風景が広がっている。

 それは、かつての城塞都市。

 レオンハルトを含むいくつかの国が国境を接していた町の跡地。

 三〇年以上前、周辺諸国ことごとくを巻き込んだ人間同士の大戦争が勃発した。この町は複数の国境線が入り乱れる場所にあったため、否応なく戦争に巻き込まれた。幾度となく戦場とされ、住人が虐殺され、ついには滅び去った。

 それは口に出すのもはばかれるような凄惨な事態であったらしい。そのために、戦争が終わってからも様々な伝説が生まれ、語り草となった。

 いわく、大地が無数の住人の血を吸ったため、それまで白い花しか付けなかったトチの木が真っ赤な花を付けるようになった。

 曰く、夜な夜な幽霊が現れ、自分たちを殺した兵士たちを探してさまよい歩く。

 ……等々。それらの不気味な噂から戦争が終わっても人が寄りつかず、また、幾つもの国と接する場所にあることから自然と緩衝地帯として使われるようになり、無人のままにおかれていた。そのせいで残された建物が風雨に削られつづけ、この廃墟の跡地が出来上がったというわけだ。

 その町にいま、ハリエットはひとり、やってきていた。

 「……想像以上にひどい有り様ですね」

 顔を叩きつける残骸混じりの風。風雨に削られつづけ、目にも見えないほど細かい塵となった家屋の残骸が含まれる粉っぽい風に吹かれながら、ハリエットは呟いた。

 この粉っぽい風のなかにはきっと、当時、虐殺され、生命を落とした人々の骨のかけらも含まれているのだろう。ハリエットはそう思うといたたまれなくなり、自然と祈りの言葉を捧げていた。

 町にまつわる数々の伝説。

 それが事実なのかどうかはハリエットにはわからない。ここで虐殺が起きたのはハリエットが生まれる一〇年以上も前のことだ。

 しかし、なるほど。廃墟の跡を風が吹き抜ける光景はなんとも言えない不気味な印象を漂わせている。町のあちこちに残るトチの木も、どれも蝋燭の炎のようにさかあがる真っ赤な花を咲かせている。

 ――血を吸った大地に咲いたが故の色。

 そう言われれば納得できる光景ではある。もっとも、トチの木には赤花の品種も普通にあるわけだが。

 「さすがに数々の不気味な噂が立てられる場所だけのことはありますね。でも……」

 ハリエットは目の前の風景に怯むことなく、まっすぐに辺りを見据えた。

 「元々、幾つもの国と国境を接する交通の要所。近くを大きな川が流れていて水の便もいい。ここなら『人目に触れることなく己の役割を忠実に実行する、そんな人たちこそが報われる場所』を作れるはず」

 もちろん、本来であればそんな真似が出来るはずがない。

 無人のまま、再建されることなく放置されていたのは各国がこの地を緩衝地帯として利用してきたからこそ。そこに人が住み着いたとなれば、国境を接するすべての国が『他の国が勝手に自分の領土にしようとしてる!』と勘ぐり、たちまち争いが勃発することだろう。しかし、いまは鬼部との戦争中。どの国もその戦いに全力を費やさなければならず、、こんな廃墟がどうなろうと気にかけている余裕などない。だったら――。

 ――わたしが自分の国を作ってもいいはずです。

 ハリエットはそう思う。

 なぜなら、自分は自分の居場所を必要としているのだから。

 誰からも忘れられた、打ち捨てられた町ならば、自分のものにして再建しても構わないはず。

 それがハリエットの理屈。幼い少女を思わせる愛らしい風貌とは裏腹に、実はけっこう図太い神経をもつハリエットだった。

 「さあ、まずは最低限の住み処を確保しないといけませんね」

 ハリエットは威勢良くそう言うと腕まくりした。

 細いことは細いが、よく見ると以外と筋肉が発達している二の腕が現れた。

 あたりに散らばっている残骸を片付け、まだしも原形をとどめている家を選び、改修をはじめる。辺りから使えそうな石やら木材やらを運び込み、天井の穴をふさぎ、壁を補修し、テキパキと改修を進めていく。小柄で華奢な令嬢とは思えないたくましさであり、手際の良さだった。

 もちろん、生まれた頃からこうだったわけではない。

 レオンハルトでも有数の有力貴族の娘として蝶よ、花よと育てられ、成人するまで食器よりも重いものなどもったこともなかった。

 そんな育ちではあるのだが、勇者パーティーに参加するようになってからもっぱら荷物持ちをしていたせいで、いつの間にかすっかり鍛えられてしまっていた。いまでは小柄で華奢な見た目からは想像も出来ないほどの力持ちになっている。

 単純な筋力だけで言えばフィオナやスヴェトラーナよりずっと上。魔法抜きに腕力だけで殴り合えば確実にハリエットが勝つ。もっとも――。

 反射神経が鈍すぎて相手の攻撃にまったく反応できないので、いくら稽古しても戦士としては物の役に立たなかったのだけど。

 「……いつも稽古相手から言われていましたからね。『どんな攻撃でもまともに入るから怪我させてしまいそうで、危なくて相手できない』って」

 でも、それも戦闘の場での話。家の改修という仕事には関係ない。荷物持ちで鍛えられた腕っ節を生かして改修を進める。

 「あっ……」

 ハリエットが声をあげた。

 壁に立てかけておいた板が自分目がけて落ちてくる。

 「きゃん!」

 倒れてきた板にしたたかに頭を打たれてハリエットはうずくまった。

 痛みのあまり、涙をにじませ、頭を抱えながら呻いた。

 「うう~、板が倒れてくるのは見えていたのに避けられない……。わたしってやっぱり、鈍い」

 それでも、とにかく、何とか、家の改修を終えた。

 もちろん、完全な家にはほど遠い。廃墟の跡地ができたての廃墟になったぐらいだ。それでも、最低限の家としての役割は保てる。風雨を凌ぎ、体が冷えるのを防ぎ、煮炊きをする程度の役には立つ。

 「うん。はじまりとしては充分でしょう。あとは少しずつ直していけばいいことです」

 貴族の令嬢とは言え、勇者パーティーの一員として荒野に砂漠、森のなか……。ありとあらゆる過酷な環境のなかを旅してきたハリエットである。野宿の経験も豊富。すきま風や雨漏り程度は何でもない。

 一応の寝床の準備が整ったら、今度は水と食糧を確保しなくてはならない。近くに大きな川が流れているが、さすがに毎日の水汲みに使うには遠すぎる。そもそも、水汲みに使うには大仰すぎる川だ。何しろ、内陸と海を結ぶ交通の要衝として使われている川なのだから。

 町に残されていた井戸を調べてみると、まだちゃんと水が溜まっていた。水のなかには魚たちも悠々と泳いでいる。どうやら、地下水を汲み上げる型の井戸ではなく、地下水路を使って川水を引いてくる型の井戸らしい。

 「そんな井戸が三〇年以上も機能しつづけているなんて。よほどしっかりと作られた町だったんですね」

 おそらくは幾つもの国境が接する場所にあると言うことで、戦乱に巻き込まれることが多かったのだろう。そのために、戦火に耐えられるように丈夫に作られた結果なのだ。そうなると、そんな町が全滅させられた出来事のすさまじさか忍ばれる。

 ともかく、水は問題なくなった。次は食料だ。もともとが防壁で囲まれた城塞都市である。畑も家畜小屋もすべて防壁の内側の敷地内に存在し、防壁のなかだけで生活していけるように出来ている。食料の生産地は確保できるはずだ。

 家畜小屋はまだかろうじて残っていたが、さすがに家畜は一頭もいなかった。でも、畑の跡地には見たこともないような大きな葉がいっぱいに茂っていた。小柄なハリエットなど、なかに一歩、踏み込めば、たちまち葉に囲まれて見えなくなってしまうだろう。

 「これは……キャベツの一種ですね」

 ハリエットは見つけた葉を一枚ちぎり、口に運んだ。

 うん。瑞々しくておいしい。

 大きくて少しばかり固いけど、筋張っていると言うほどでもない。エグミもなくて食べやすい。これなら、このままで立派な食料になる。

 見てみればあちこちに見慣れた野菜や果樹が生えている。ただ、どれもこれも都会で売っている品よりもずっと葉が大きく、厚みがある。一言で言って『野性的』な風貌をしている。

 「町が廃墟となったあとも、畑に残された野菜や果樹はそのまま野生化して生き抜いてきたわけですね。植物はたくましいですね。これなら立派に畑として使えます」

 野生化した野菜たちはあちこちに食べられた跡があった。幾重にも重なった大きな葉をかき分けると、すぐに幾つもの足跡と糞が見つかった。

 「この足跡と糞。野兎ですね。野兎がレストランとして使っているわけですか。それに、こちらは狐。少しだけど狼の足跡もありますね。それに……これは熊。熊までやってくるんですか。これだけの規模の町なら養蜂もしていたはずですし、その蜜を求めてやってきていたのかも知れませんね」

 辺りに残されている足跡と糞から次々と動物種を特定し、その数や訪れる頻度ひんどまで推察していく。やはり、野兎が一番多く、訪れる頻度も高い。ほぼ毎日だ。野菜を食べる動物なのだから当たり前だろう。

 次に多いのが狐。野菜を食べにやってくる兎たちを狙ってやってくるのだろう。こちらもなかなかの数だ。

 そして、狼。

 これは兎だけではなく狐も狙ってやってくるのだろう。

 そして、熊。

 さすがに熊の足跡は少なかった。古い跡ばかりだったので、やってくる頻度もそう多くはないのだろう。

 「これなら、罠を仕掛けておけば兎を捕るのは難しくないでしょう。ずっと人間のいなかった場所ですから警戒心もないでしょうし。これはありがたいですね。兎は『一匹食い』と言って全身あますところなく食べられますし、毛皮は優れた防寒具になります。狐も肉は固くてまずいけど毛皮は利用価値が高いです。狼や熊の存在は脅威にもなり得るけど、でも、うまく手懐けることさえ出来れば、鬼部が各地に放している小鬼たちを追い払う役に立ってくれますね。熊や狼なら小鬼程度は充分、駆除できますから」

 ハリエットはテキパキと情報を集め、処理していく。

 プロのレンジャーが見れば、その知識の豊富さと判断の速さに舌を巻いたことだろう。

 実はハリエットはレンジャーとしては一流の技術をもっていた。

 ガヴァンたち勇者パーティーと共に旅をした日々。そのなかで荷物持ちはもちろん、食べられる木の実や野草の採集、罠を仕掛けての狩り、周囲に生息する動植物の調査、テントの設営から料理、偵察に至るまで、およそ戦闘以外のありとあらゆる役目を一手に担ってきたのだ。

 勇者パーティーがどんなに奥深い森のなかを行こうが、乾燥しきった砂漠を進もうが、新鮮な野草や木の実にありつけ、危険な水を飲んで腹を壊すこともなく、その場その場で狩った新鮮な肉を使った料理を楽しめていたのも、すべてハリエットがいたからこそなのだ。

 ――自分は戦闘の役には立てない。だったら、せめてそれ以外のことで役に立とう。

 そう思い、必死に学び、観察眼を養い、技術を身につけた。そのうちに、すっかりプロのレンジャーとなっていたのだ。

 ――でも、それがまちがいだった。

 ハリエットは苦みを込めて頃に呟く。

 ――あの頃のわたしは戦闘で役に立てないことに引け目を感じていた。だから、言わば罪滅ぼしとして戦い以外の役割をこなしていた。自分のしていることにどんな意味があるか、誰にも説明することなく。そのためにガヴァン様やフィオナ、スヴェトラーナたちは戦い以外のすべての役割を下に見るようになってしまった。ガヴァンさまたちが『勇者至上主義』に染まってしまったのはわたしが原因……。

 もし、あのときもっと、自分のしていることの重要性を示していたら。自分がどんなにパーティーに貢献しているか、そのことを説明し、認めさせていたら……。

 ――ガヴァンさまもあんなにも勇者至上主義には染まらなかったかも知れない。一般兵の苦労を理解し、共に戦える本物の勇者になっていたかも知れない。

 ――同じ失敗は繰り返さない。

 今度は引け目など感じない。戦いと同じか、それ以上に重要な役目として堂々と行う。

 ハリエットはそう決意した。

 その夜。

 ハリエットは修繕したばかりの家で眠りに就いた。

 さすがに一日中、働きづめで疲れていたのだろう。急ごしらえの固くて粗末なベッドに入ると、すぐに健やかな寝息を立てて寝入ってしまった。

 そして、朝。

 朝の日差しを浴びるハリエットを起こしたのは小鳥の声……などではなく、もっと騒がしい声、幾つもの人の声だった。

 ――人の声? どうして? まさか、噂の幽霊でも現れたと言うの? 朝の光のなかなのに?

 そう思い、家の外に出てみると――。

 そこにいたのは幽霊ならぬ生身の人間の群れだった。

 何百人もの人間が廃墟の跡地となった町に集まり、瓦礫をのけ、家を直し、野生化した野菜や果実を収穫している。

 「なっ……」

 あまりのことに唖然とするハリエットに声をかけたものがいる。

 「お目覚めですか、ヒーリー男爵令嬢」

 「あ、あなたは……」

 ハリエットは目を丸くして涼やかに微笑む長身の美丈夫を見つめた。

 一緒に過ごした時間はごく短い。それでも、その男のことははっきりと覚えていた。

 最前線の町エンカウンを守る領主兼騎士団長。

 その名をジェイ。

 そして、ジェイの横には痛々しいほど初々しい印象の美少年……副団長アステスも当然のように控えていた。

 「ジェ、ジェイさま、アステスさま……これはいったい」

 ハリエットが戸惑っていると、

 「おお、ハリエットさまがお目覚めだぞ!」

 「本当だ、いい朝ですねえ」

 それまであちこちで自分の仕事をこなしていた人々が自然と集まり、ハリエットの前に列を成した。ジェイがハリエットにひざまずいた。アステスはじめ、その場にいる全員がそれにならった。ジェイが一同を代表して宣誓した。

 「我ら一同、ヒーリー男爵令嬢ハリエットの民となるべく、参上いたしました」

 「わ、わたしの民……?」

 「御意。我らが仕えるべきは、勇者のみで世界を救えると思い上がる独善者に非ず。万人に手を差し伸べるハリエットさまでございます」

 ジェイはそう宣言してからさらにつづけた。

 「お咎めになっても無駄でございます。我ら一同、エンカウンを見捨てるという罪を承知のうえでハリエットさまのもとへと参上した身なれば、たとえお手討ちになろうともこの場をはなれはいたしません」

 ジェイははっきりとそう宣言した。

 それは、この場にいる全員の意思を代弁したものだった。

 いや、ただひとり、例外がいる。

 アステス。

 かの人が忠誠を誓うのはあくまでもジェイであって他の何物でもない。

 それでも、そのジェイがハリエットに忠誠を誓う以上、アステスにとってもハリエットが主君となる。その場にいる全員がハリエットを主君として仰ぎ、ひざまずいているのだ。

 ハリエットしばらくの間、なお呆然としていたが、やがて顔中に理解の色が広がった。それは、たちまち喜びへとかわり、顔中が歓喜に満ちあふれた。

 「よく来てくれました。誰があなた方を咎めたりするものですか。そのようなことをすればそれこそ傲慢の罪として神々の怒りを買いましょう。ただし、ひとつだけ条件があります」

 「はっ?」

 不思議そうに声をあげるジェイに対し、ハリエットはいたずらっぽく微笑んで見せた。幼い顔立ちによく似合うとても魅力的な笑みだった。

 「わたしはもう男爵令嬢などではありません。家を取りつぶされ、追放された、ただの娘です。敬称も不要。どうか『ハリエット』とお呼びください。主従ではなく、同じ立場の仲間として、この地に人目に付かない地味な働きをする者こそが報われる国を作りましょう」

 「はい。ハリエットさま」

 律儀に『さま』付けで答えるジェイに対し、ハリエットは微笑んで見せた。

 「ほら、さっそく。『さま』付けで呼んでいますよ」

 「自分は騎士なれば、ご婦人に対して礼を尽くすのは当然。こればかりは譲れませぬ」

 「まあ。困った方ですね」

 ハリエットは笑った。

 その笑みがさざ波のように伝わり、その場にいる全員が笑い出した。

 防壁ひとつない廃墟の跡地。

 各国の思惑に左右される地政学上の重要な位置にあり、鬼部との戦いもある。

 かの人たちの行く末には多くの苦難がまっているはず。それでも――。

 その場にいる全員が明日への希望に燃えていた。

 自分たちの明日を信じていた。

 ただ一人――。

 アステスだけがその愛らしい顔に複雑そうな表情を浮かべていたけれど――。


               第三話完

               第四話につづく

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