一六賞 いざ、女勇者への道を
「うおおりゃああっ!」
掛け声とともに振りおろされた長剣が小鬼の体を真っ二つに両断する。
キイキイと鳴きながら逃げようとする残りの小鬼たち。しかし、そうはいかない。逃げようとするそのあとを長剣が追いすがり、追いつき、両断する。
煌めく刃が大気を裂き、小鬼たちの体を斬り捨てる。
肉と骨がまとめて断ち切られる音がして、大量の血が飛び散る。
都市から遠く離れた田舎の農地。様々な作物が植えられたその大地の上に、五体の小鬼の死体が積み重なる。
「……ふう」
農地に現れた小鬼たちをことごとく両断し、アンドレアは一息ついた。汗の浮いた額を手で拭う。
手にはべっとりと返り血がついている。そんな手で額を拭ったのだから当然、額は血まみれ。汗と一緒になった血が顔面を伝わり、アンドレアの顔を血に染める。
『アンドレア。血まみれでも君は美しい』
思わずそう言いたくなるその姿。それはもちろん、貴族の令嬢と言う名から想像されるような美しさではない。それは、獣の美しさ。獲物を屠り、食らう、その目的のためだけに洗練された機能美としての美しさ。それこそが、アンドレアの美しさだった。
アンドレアの後ろで甲高い歓声が響いた。まだ一〇代はじめとおぼしき少年たちが何人も飛び出し、アンドレアのまわりに群がった。
「すげえや、姉ちゃん! 強いんだなあ」
「あんな数を一瞬で倒しちゃうなんて……カッコよかった!」
「そうだろう、そうだろう、もっと言え」と、アンドレアは少年たちに褒められて鼻高々。すっかり、天狗になっている。
いや、『天狗になっている』と言うのはまちがいだろう。『天狗』と言うのは、あくまでも実力もないのに得意になっている勘違い人間のことを差す言葉。アンドレアには自慢するだけの力がたしかにある。実際に強いのだからいくら自慢してもいいのだ。
アンドレアは少年たちに尋ねた。
「君たちが確認した小鬼の数はこれですべてか?」
アンドレアの問いに一番、年長と思える――と言っても、まだせいぜい一二、三だが――少年が答えた。
「ああ。こいつら、いつも五匹一組で畑を襲うんだ。そのせいで作物はメチャクチャだし、牛はちっとも乳を出さなくなるし……でも、姉ちゃんが退治してくれたからもうだいじょうぶ。これからはまた作物も育つし、牛たちも乳を出してくれるさ」
「……ふむ。いつも五体一組でやってくると言うことを観察していたのは立派だが。それでは、そいつらだけとは限るまい。何組もいるかも知れないぞ」
「だいじょうぶ!」と、そう叫んだのは一〇歳ぐらいの男の子だった。
「おれたちもそう思ったから、染料を集めて作った球を投げ付けて印を付けてやったんだ。何度、現れても絶対、印を付けているやつらしか現れなかった。つまり、この辺りにいる小鬼はこの五匹だけってこと」
男の子の言葉に、他の少年たちも『うんうん』とうなずく。
そんな少年たちに対し、アンドレアは素直に感心した。
「ほう。それは素晴らしい。よくぞ、そんなことを思いついたな」
アンドレアに褒められると年長の少年は得意そうに鼻などこすって見せた。
「当たり前だろ。父ちゃんたちが帰ってくるまではこの村はおれたちが守るんだ。小鬼なんかにビビってられねえよ」
その少年の言葉に――。
アンドレアはうんうんとうなずいた。
「その意気だ。人類の未来は君たち若者に懸かっている。決して、
「任せときなって。おれたちももう少し大きくなったら絶対、姉ちゃんみたいな強い騎士になって鬼どもをぶった切ってやるさ」
「おお、その意気だ。そのためには訓練を欠かさないことだぞ」
「わかってるって」
少年は胸を張って答えた。アンドレアを見上げる目がキラキラと輝いている。
この年頃の少年にとってはただ単純に強いと言うだけで無双の英雄。五匹の小鬼を一瞬で両断してのけたアンドレアは憧れの対象。その憧れの対象と身近に話すことができて嬉しくてたまらないのだ。
その気持ちはアンドレアにもよくわかった。
――まだ剣の修行をはじめて間もない頃は、名のある騎士がみんなまぶしいぐらい格好良く見えたものだ。いつか絶対、あんな騎士になる! そう思って鍛錬に励んだっけ。この少年たちはいま、わたしを見て、あの頃のわたしと同じ思いを感じているのだな。
そう思うとたまらなく誇らしく感じる。
少年たちの憧れになれるほど強くなった自分自身を褒めたい。
「騎士さま」
少年たちに比べてやや年かさの女性の声がした。
年かさと言ってもまだせいぜい一六、七ぐらい。『少女』と言っていい年齢だ。都会の道を歩いている少女たちのような華やかさこそないものの、農村の娘らしくがっしりした体格とよく日に焼けた肌。いかにも『たくましい農夫の娘』という感じで健康的な魅力に満ちている。
農村の少女――確か、名前はモリー――は、ホッとしたように胸をなで下ろした。
「ああ、よかった。ご無事だったんですね」
「なに、あの程度、軽いものだ」
アンドレアは胸を張って答えた。
騎士たるもの、ご婦人の前では常に誇り高く、自信に満ちていなければならない。
「でも、もしものことがあったら……」
心配そうにそう言うモリーに対し、アンドレアは胸を張って答える。
「なんの。騎士たるもの、人のために生命を懸けるのは当然。いや、人を守るために死ぬことこそ、騎士の本懐」
そう言って笑って見せる。
それは、なんとも男前な態度であって、モリーが思わず頬を赤く染めてうつむくのも納得の姿だった。
そんなモリーを少年たちが囃し立てる。
「何赤くなってんだよ、モリー姉ちゃん。似合わねえぞ!」
「う、うるさいわね……!」
モリーはますます顔を赤くして子供たちを追い払った。
「いつまで騒いでるの! あんたたちは仕事があるでしょ。早くやることやりなさい!」
「チェ~、わかったよ。姉ちゃん、明日まではこの村にいるんだろ? あとで剣を教えてくれよな」
「ああ、もちろんだ。ただし、仕事をきちんとしてからだぞ。自分の責任も果たせないようでは騎士になる資格などないからな」
「わかってるって!」
少年たちは口々に言うと、畑仕事に戻っていった。
ここしばらくの間、小鬼の群れに脅かされて満足に作物や家畜の世話ができなかった。それが、安心してできるようになって嬉しいのだろう。声をあげながら、まるで遊びにでも行くかのように畑に向かう。
少年たちの年齢は一番の年長者でもまだせいぜい一二、三歳。一〇歳にもなっていないだろう幼い男の子までいる。そんな少年たちが畑で作物の世話をし、家畜の相手をしているのだ。アンドレアの表情が悲しげに曇った。
「……あんな子供たちまで働かなくてはならないとはな」
その言葉に――。
モリーも表情を曇らせた。
「……はい。父や兄たち――村の男たちはみんな、鬼部との戦争に取られてしまいましたから。残っている男手と言えばあんな子供たちだけ。でも、あの子たちもわかってくれているんです。父さんや兄さんたちは人の世を守るための大切な戦いに出かけたって。だから、この村は自分たちが守るって、毎日まいにち文句ひとつ言わずに働いてくれるんです。まだまだ遊びたい年頃なのに。立派だと思います」
「それはあなたも同じだろう。その歳でヤンチャ盛りの少年たちの世話をし、村の仕事もこなしている。立派なものだ」
「そ、そんな、あたしなんて……」
男前女子に褒められてモリーはすっかり乙女になってしまった。頬を赤く染め、モジモジしている。
「そ、それより、お礼の席を設けてありますから! どうぞ、こちらへ……」
「ああ、ありがたく受けるとしよう」
レオンハルトに隣接する小国ウンベルト。その国境沿いにある小さな村。
レオンハルトとの国境沿いの地域と言うことで昔から戦場になることが多く、そのために発展から取り残された田舎の村だ。
――人間同士の争い、か。
アンドレアは何か不思議な気分がして心に呟いた。
いまでこそ、鬼部の侵攻にあって人間たちは団結し、協力しあっている。しかし、それ以前は、人と人が争っていた。大陸全土に戦争が広まり、人が人を殺すことが当たり前の状況だったのだ。
皮肉な見方をすれば、鬼部とは『人間同士の争いを止めてくれた恩人』と言うことになる。もちろん、鬼部との戦争は人間同士の争い以上の被害をもたらしているのだが。
――それでも、人と人が殺し合うよりはましなのかも知れないな。
アンドレアはそう思ったが、おいそれと答えの出る問題でもなかった。
アンドレアは数日前からこの村に滞在していた。
反逆者扱いを受けて婚約破棄され、あげくに追放されたわけだが、アンドレアにとってはむしろ好都合だった。
「これで柄でもない王妃役なんてやらなくてすむ! 鍛えあげた剣の腕を思う存分、振るえるぞ!」
そう思った。
そして、誓った。
「これからはこの剣で人々を守っていく!」
その誓いのままにすぐにフリーの傭兵としての仕事をはじめた。
エンカウンからウンベルトへと至る道中、魔物退治や野盗の討伐といった仕事を請け負いながら路銀を稼ぎ、ここまでやってきた。そして、腕の立つ戦士を探している少年たちに会ったのだ。
「おれたちの村が小鬼どもに襲われてるんだ! やっつけてくれ!」
少年たちは必死の形相でそう訴えてきたものだ。
『小鬼』という言葉ですぐにわかった。人類側の動きを探るために各地に派遣されている鬼部の手下だと言うことは。
本来、その役目はあくまでも斥候。人類の動向をうかがい、補給路を探り出し、襲撃を手配する。それが役目。しかし、なにぶんにも知能の低い小鬼たち。本来の使命を忘れ、欲望のままに農村なとを襲うこともある。
今回もその例にちがいない。
そう思ったアンドレアは二つ返事で小鬼退治を引き受けた。
本来であれば農村がよそ者に助けを求めるなどありえない。農民は決して無力な被害者などではない。常に厳しい自然に立ち向かう挑戦者だ。大切な作物や家畜が荒らされているとなれば自ら斧や鍬をもってたち向かい、退治するのが農民。よそ者に向かって『助けてくれ!』などと叫んだりはしない。
本物の鬼部であればいざ知らず、獣に毛の生えた程度の存在である小鬼なら並の人間でも充分、渡り合える。まして、日々、自然相手の力仕事に精を出している屈強な農夫が武器を持って立ち向かうとなれば。
小鬼の群れなど物の数ではない。
しかし、いまは場合が場合だ。
どの国も鬼部との戦いに備えて男たちを徴兵しており、残されたのは女子供ばかり。それではさすがに太刀打ちできない。
そこで、アンドレアのようなフリーの傭兵の出番となるわけだ。報酬は一晩分の酒と食事。それに、少々の路銀。生命を懸けての傭兵稼業の報酬としては少ないかも知れないが、貧しい農村としてはそれでも精一杯の誠意なのだ。
『感謝の席』と言ったが、目の前に並べられた料理はいたって質素なものだった。野菜の切れ端が浮いたスープと古いパン、それに、チーズ。
それがすべて。
肉片ひとつない。酒も麦をかもしただけの粗末なもので、レオンハルトで飲まれているような芳醇な香り漂う葡萄酒とは比べものにならない。
「……申し訳ありません。なにぶん、田舎の村なのでこんなものしかご用意できなくて」
モリーがすまなそうに、恥ずかしそうに言った。
「以前ならもう少しまともなものをご用意できたんですけど……」
そう言う口調が悔しそうだ。
その辺りの事情はもちろんアンドレアも承知している。
鬼部との戦いに男手をとられ、ただでさえ農作業は進まない。さらに、食料の多くが軍用に挑発される。そこに加えて小鬼たちの襲撃。
ろくな食べ物がないのが当然だった。
それを思えばこんな質素な食事でも用意できただけ上出来と言えるだろう。それに何より、量だけはたっぷりある。いまの状況では、たったひとりのためにこれだけの量を用意するのは大変なはずなのに……。
貧しい農村としては最大級の誠意をもって、報酬を支払っているわけだ。
アンドレアはモリーに言った。
「何を謝る必要がある。君たちが手をマメだらけにして用意してくれた食事ではないか。ありがたく頂く」
その日はめったにない賑やかな夜となった。
アンドレアは言葉通りよく食べ、よく飲み、人々と会話をかわし、大声で歌った。
正直、声が大きいばかりでお世辞にも『うまい』とは言えない歌なのだが、田舎の農村にはむしろ、その方が似つかわしい。宮廷風の雅な歌など唄っていては、逆に浮いていただろう。最初はアンドレアばかりが唄っていたのだが、村の人たちも徐々につられ、一緒になって唄いはじめた。
村中が大きな歌声に包まれ、最近ではちょっと見ない陽気な宴会と相成った。
やがて、畑仕事を終えた少年たちも帰ってきて、参加した。
アンドレアは約束通り、その場で少年たちに剣の稽古を付けてやった。酒が入っているのと、気分が高揚しているのとでついついやり過ぎてしまうこともあったが、まあ、まずまずの講師振りを披露することができた。
そして、夜。
『宴会』もさすがにお開きとなり、アンドレアはあてがわれた家で風呂に入っていた。
湯船にみたされた熱い湯につかりながら息をつく。
「ふう。良い仕事して、酒を飲んで、風呂に入って寝る。これぞ、人生の幸福だな」
いかにも満足そうにそう呟く。
「うん。やはり、わたしには堅苦しい宮廷暮らしなどよりこっちの方が性に合う。これぞ、わたしの人生だ」
そう言ったところでふと小首をかしげた。
自分は果たして生まれたときからこうだったろうか?
そんなはずはない。これでも、幼い頃は伯爵令嬢として礼儀作法やら、ダンスやらをみっちり仕込まれていた身なのだ。あの頃は食器よりも重いものをもったことなどなく、たおやかな雰囲気に包まれて、おしとやかで、澄まし返った暮らしをしていたはずだ。
それが、幼くして父がレオナルドをかばって戦死したとき、すべてがかわった。
自分がシュヴァリエ家を継ぐ。
その思いのままに騎士を志し、一心不乱に剣の修行に励んだ。
そのなかでおしとやかな貴族令嬢や、たおやかな貴婦人たちにかこまれる暮らしから、年長の男たちにかこまれる暮らしへとかわった。その関わりのなかで男臭い暮らしに感化され、気が付けば男前女子が出来上がっていたというわけだ。
「それを思うと少々、苦笑してしまうな……」
さすがにアンドレアも苦笑いを浮かべた。
とは言え、後悔などはしていない。感化されたのは事実だとしても、そもそも感化されたと言うこと自体、自分にそんな暮らしが向いていたという証拠だろう。合わない暮らしならすぐに逃げ出していたはずだ。
「そう。それが当たり前だ。わたしはアンドレア・シュヴァリエ。代々レオンハルト王家の剣として仕えてきた騎士の血族。生まれついての騎士なのだから」
誇りを込めてアンドレアは呟く。
「見ているがいい、レオナルド。わたしは必ずお前のまちがいを証明してみせる。わたしを追放したことを後悔させてやるぞ」
アンドレアは風呂をあがり、寝室に入った。『寝室』と言っても藁を積んだ上にシートをかけたベッドがあるだけの、粗末な部屋だ。
レオンハルトの宮廷にあった、天蓋付きのベッドに豪奢な椅子とテーブルが置かれた部屋と比べれば、人間用の部屋とも思えない。
それでも、根っから騎士気質のアンドレアにとってはむしろ、この方が落ち着く。今夜一晩この部屋で休み、明日の朝一番で再び旅立つ。
「レオンハルトでは、レオナルドの法令によって女たちは家庭に閉じ込められている。だが、他の国まで同じというわけではない。腕の立つ女たちは必ずいる。そんな女たちを見つけ、女だけのパーティーを作る。そして、鬼王を倒す。このわたしがだ。そして、証明する。女を家庭に閉じ込めるなど、とんだまちがいなのだと。レオナルドのやつに土下座して謝らせてやる」
アンドレアの心のなかでふつふつと闘志が沸き起こる。そのとき――。
ふいに胃袋の奥から吐き気が込み上げてきた。思わず戻しそうになり口元を押さえた。
「な、なんだ、いきなり……? 酒のせいか? まさか、このわたしがあの程度の酒で……」
感謝の席で出された酒は量も少なく、純度も低かった。いくら飲んでも酔っ払う前に腹がふくれてしまう。そんな代物だったのだ。そんな酒をいくら飲んだところで、吐き気など覚えるはずがない。となると――。
ひとつだけ、吐き気の原因に心当たりがあった。
そのことに気が付いたとき、アンドレアの顔から血の気が引いた。
「……まさか」
アンドレアは自分の腹を押さえ、ゾッとするような呟きを漏らした。
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