最終話 勇者死す

四九章 無力なる勇者

 「なんだと、ウォルター兄貴が死んだだと⁉」

 すっかりとさびれてしまったエンカウンの町に、勇者ガヴァンの叫びが響いた。もはや、人の歩く足音さえめったに聞こえなくなった領主館でのことだった。

 ばかな!

 あり得ない!

 信じられない!

 あのウォルター兄貴が死ぬなんで!

 戦いに負けて戦死するだなんて!

 そんなことがあるはずない!

 なにかのまちがいだ!

 まちがいだと言え!

 ウォルター死す。

 その報を聞いた途端、頭のなかにはじけた無数の思い。

 そのすべての思いが凝縮され、押し込められた叫びだった。

 「嘘だろう、嘘だと言え! あのウォルター兄貴が戦いに負けて死ぬなんてあり得ない!」

 ガヴァンはいまや数えるほどしかいない警護騎士の生き残りに詰め寄った。顔色は血の気を感じさせないほどに白くなり、端正たんせいであった顔に浮かぶ表情は必死さと不安とが合わさり、恐怖へとかわったもので、『表情』と言うより『形相ぎょうそう』と呼んだ方がぴったりくるものだった。

 ガヴァンは必死の形相のまま、『嘘』の一言が発せられることを祈った。しかし、神託の勇者がどれほど祈ったところでこの世の事実はかわらない。報告をもたらした警護騎士は冷徹に事実を告げた。

 「国王陛下直々の使者からの報告です。疑う余地はありません。熊猛ゆうもう将軍しょうぐんウォルターさまはまちがいなくお亡くなりになったのです」

 「う、うそだ、嘘だ、嘘だ、嘘だ! あのウォルター兄貴が死んだりするはずがない!どうして、そんなことになったんだ⁉」

 「報告によれば熊猛将軍閣下は鬼界きかいとうに乗り込んだあと連戦連勝の快進撃をつづけ……」

 「当然だ! ウォルター兄貴がいくさで負けるはずがない。それがなぜ、死ぬ羽目になったりしたんだ⁉」

 「……それが実はすべて鬼部おにべの罠であったそうです。鬼部は敗走すると見せかけて熊猛将軍閣下と熊猛ゆうもう紅蓮隊ぐれんたいを崖へと誘導。後方から襲いかかり、崖に追い落としたそうです。熊猛将軍閣下は重傷を負いながらも鬼部を蹴散けちらす奮闘ふんとうをしたそうですが、多勢に無勢。戦況を覆すには至らず、協力を求められた民間の冒険者一行によって助け出され、王都までお戻りになったそうです」

 「冒険者だと?」

 「はい。なんでも、銅熊どうゆうちょうのひとりが事前に手配していたとのことです。王都についたときにはすでに手のほどこしようがない状態で、どんな治療も、回復魔法も効果なく、自宅でお亡くなりになられたそうです」

 「くそっ!」

 ガヴァンは思い切り床を蹴りつけた。

 腐っても勇者の蹴り。それも、怒りのあまり力の加減ができていない蹴りだ。床はたちまち崩れ、大穴が空いてしまった。もちろん、いまのガヴァンにそんなことを気にする心の余裕はない。

 「事前に手配だと⁉ つまりは、戦いに負けるつもりだったと言うことか。そんなやつがいるから負けるんだ! そいつは誰だ、どこにいる! おれがこの手で斬り捨ててやる!」

 「それは、不可能です」

 「なんだと⁉」

 「その銅熊長は仲間を逃がすためにしんがりとなり、鬼界島に残られたそうです。おそらくは、すでに食われていることでしょう。もし、戻ってきていたら国王陛下から勇者さまと同じ怒りをぶつけられ、処刑されていたことでしょう。それを思えば仲間のために死んだ方が戦士のほまれ、と言うものでしょうな」

 その言葉に込められたレオナルドと自分自身への非難。そんなものに気が付くほどガヴァンは繊細せんさいではなかった。

 「くそっ!」

 ガヴァンは駆け出した。あまりの勢いに足元の床にヒビが入利、いまにも崩れそうになっていく。その背中に警護騎士が鋭い一言をかけた。

 「どこに行かれるのです、勇者さま!」

 「決まってる! 王都に帰る。ウォルター兄貴の死をこの目で確かめなけりゃ……」

 「エンカウンの守りはどうするのです? すっかり人気ひとけがなくなったとは言え、いまだいくらかの人が残っているのですよ。そのほとんどはろくに身動きのとれない病人や重傷者、あるいは老人、そして、その人たちの世話をする家族や看護士たちです。勇者でありながらその人たちを見捨てるおつもりか⁉」

 「ぐっ……」

 正論をぶつけられてガヴァンは言葉に詰まった。

 すでに一敗地にまみれた落日の勇者とは言え、勇者としての誇りや矜持きょうじを捨てたわけではない。『勇者の役割は人々を守り、世界を救うことだ』という使命感は残っている。『人々を見捨てるのか⁉』と問われれば、ためらわざるを得ない。

 「勇者さま!」

 扉が開き、斥候せっこうへいが飛び込んできた。

 「鬼部の襲撃です! 間もなくやってきます」

 「くそっ、こんなときに!」

 『こんなとき』もなにも、鬼部の襲撃は連日、休むことなくつづいているのだが。

 「フィオナとスヴェトラーナはどうしている⁉」

 ガヴァンの叫びに警護騎士は無慈悲なほど落ち着いた口調で答えた。

 「おふたりとも相変わらず。部屋に閉じこもったまま出てこようとしません」

 「なんとかしろ! どうにかしてあのふたりを連れてこい!」

 「失礼ながら、それは勇者さまのなさることでは?」

 「ぐっ……」

 言われてガヴァンは――。

 明らかに怯んだ。

 実はこのところずっと、ガヴァンはフィオナにもスヴェトラーナにも会っていない。とち狂った勢いで求婚し、顔面を爪でズタズタにされたあの日から、どうしてもふたりのもとに足が向かわない。おかげで、ふたりがいまどうしているのか、どんなつもりでいるのか、ガヴァンにはまったくわからない。

 「くそっ……!」

 ガヴァンは叫んだ。

 覚悟を決めて飛び出した。

 フィオナとスヴェトラーナのもとではない。

 町の外、鬼部の群れが待ち受ける戦場へと。


 そこには、数百を数える鬼部の群れがいた。力も弱く、知性も低い。しかし、敏捷性に優れた小鬼ばかり。そのなかにただひとり、人間よりも魁偉かいい風貌ふうぼうと体格の鬼がいた。

 「……エイプヘッド!」

 その鬼を見たガヴァンはギリッ! と、歯ぎしりしつつその鬼の名を呼んだ。

 エイプヘッド。

 鬼部おにべ討伐とうばつ長官ちょうかん知殺ちさつ将軍しょうぐんエイプヘッド。

 それが、その鬼の名。昼夜を問わず、連日に渡って攻め込んでくる鬼部たちの首魁しゅかいだった。

 「エイプヘッド! 今日もまた取り巻きどもに囲まれての登場か。手下どもに守られていないで自分で戦ったらどうだ⁉」

 「おろかだな、人間」

 「なんだと⁉」

 「そんな安っぽい挑発に乗るおれだと思うか? 『知殺将軍』の名は伊達ではないぞ」

 「ぐっ……」

 「ひとりで戦うことしか知らぬ愚かな勇者に戦術というものを教えてやろう。かかれいっ!」

 エイプヘッドの指示を受けて、配下の小鬼たちがガヴァンに襲いかかった。ガヴァンの宝剣が鞘走る。

 「この雑魚どもがあっ!」

 怒りの叫びと共に宝剣が振るわれる。しかし――。

 当たらない。

 かすりもしない。

 振るわれる剣は空しく宙を裂くばかり。ただ一匹の小鬼すらその刃にかけることはできなかった。

 小鬼たちが強い……わけではまったくない。『鬼』と付くとは言え、本来の鬼とはまったくの別物。本物の鬼に使役されるだけの下級の存在。力も弱く、知性も低く、鬼はもちろん、人間と比べてさえか弱い存在。まともにぶつかり合えば例え百体、いや、千体いようとも勇者の一撃で粉砕できる。その程度の相手。

 しかし、このときの小鬼たちにはガヴァンを殺そうとの意思などなかった。

 傷つけようとさえしていない。ガヴァンを攻める小鬼たち目的は休ませないこと。

 飲ませないこと。

 食わせないこと。

 眠らせないこと。

 間断かんだんなく攻めつづけ、一時の休息さえ許さずに戦いをつづけさせる。それ自体が目的。だから、無理はしない。ガヴァンの間合いに入ったりはしない。遠くからつぶてを投げる。投げればすぐに逃げる。ガヴァンが追えば別方向から他の小鬼がやってきて同じようにつぶてを投げる。振り向いたときにはその小鬼はすでに逃げている。そしてまた別方向から……。

 まともに戦う気がないからさっさと逃げてしまうし、そもそも、剣の届く範囲に入ってこないのだからいくら神に選ばれた剣技の持ち主であっても、ただの一体さえ倒せるはずがない。さしもの勇者も翻弄ほんろうされるばかりだった。

 ガヴァンは知らなかったが、それは冒険者たちが自分たちよりもはるかに強い魔物を相手にするときと同じ戦法だった。戦法と言うよりも、相手を疲れさせ、自滅させるための『狩り』。狩りであればこそ鬼部たちとこの上なく相性が良い。そう言う戦術だった。

 ――愚かな勇者よ。

 小鬼たちを追い回し、無意味に剣を振りまわすガヴァンを見ながら知殺将軍エイプヘッドはほくそ笑んだ。

 ――勇者はたしかに強い。攻めに回れば無双の存在。しかし、守りにおいては数の差がものを言う。たったひとりで町の防衛についた時点で、すでにきさまは負けているのだ。

 ハリエットやモーゼズが聞けば心から同意のうなずきをしたにちがいない。自分の強さにおぼれるガヴァンなどよりもずっと、エイプヘッドはそのことを知っていた。

 ――このままじゃまずい!

 いくら、自惚れ家うぬぼ やのガヴァンでもその程度のことはわかっていた。

 神託の勇者と言えど無限の体力を持ち合わせているわけではない。このまま小鬼の群れを相手に剣を振るいつづけていればいずれは疲れはて、動けなくなる。そこを襲われればひとたまりもない。

 ――おれが! このおれが負けると言うのか 神託の勇者であるこのおれが。それも、鬼王相手ではなく、本物の鬼ですらない小鬼ども相手に……⁉

 それは、ガヴァンにとってとうてい耐えられない屈辱だった。

 どうする?

 どうすればいい?

 どうすれば、この状況を打開できる?

 ――やつだ!

 ガヴァンはエイプヘッドをにらみ付けた。

 ――やつを殺すことだ。この小鬼どもにはまともな知性はない。指示を出しているやつさえ殺せば引き返していくはずだ。

 ガヴァンはそのことに一縷いちるの望みを託した。あたりを跳ね回る小鬼たちを無視し、エイプヘッドに向かって突進した。しかし――。

 エイプヘッドに勇者とまともに戦う気などなかった。

 戦えば負ける。

 その程度のことはわかっている。戦えば負ける以上、負けない方法はただひとつ。戦わないこと。

 その当たり前の結論にエイプヘッドは忠実だった。ガヴァンが突き進んでくればその分を後退し、距離を保つ。戦って勝つことはできなくても、逃げ回ることで間合いに入らないようにすることはできる。この際はそれで充分だった。

 ニヤリ、と、エイプヘッドの口元が曲がった。

 「いいのか? おれを追いかけていて」

 「なに⁉」

 「見てみろ。お前が離れたおかげで小鬼どもが町に侵入していくぞ。町の人間たちが片端から食われるぞ。勇者ともあろうものがそれを見捨て、鬼ごっこにきょうじている気か?」

 「くっ……」

 ガヴァンは立ち止まった。振り返った。たしかに、何体もの小鬼たちが町を囲む防壁を跳び越え、町中へと侵入している。ろくに身動きのとれない病人や重傷者、老人、その人々の世話をするごくわずかな人間しかいない町のなかへと。

 「くそっ……!」

 ガヴァンは吐き捨てた。

 町に向かって駆け出した。


 ……襲撃しゅうげきのときは終わった。

 鬼たちは去って行った。残ったものは人もまばらな町と疲労ひろう困憊こんぱいした警護騎士たち。そして、疲れはて、剣を杖がわりにしてなければ立っていることもできないほどに消耗しょうもうした神託の勇者だった。

 「……被害は?」

 「……残っていた病人、重傷者、老人、その人々の世話をしていた人たち。およそ三分の一が連れ去られましたよ、勇者さま」

 勇者さま。

 そう呼びかける口調にもはや敬意けいいも、あこがれもない。そこにあるものは無力な勇者に対する恨みとさげすみだけだった。

 吹きすさぶ風に乗り、知殺将軍エイプヘッドの笑声しょうせいが鳴り響いた。

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