五〇章 会議は踊らず。そして、進まず

 「いったい、どうなさるのです、陛下⁉」

 「熊猛ゆうもう将軍しょうぐんが亡くなられたいま、どなたが将軍にかわって軍の指揮をとるのです⁉」

 「熊猛ゆうもう紅蓮隊ぐれんたいは事実上の壊滅かいめつ状態じょうたい。他国出身者は自分の国に逃げ帰ってしまいましたし、我が国の出身者もほとんどが重傷。残った兵士だけではとても熊猛紅蓮隊を建て直すことなどできませんぞ⁉」

 どうするのです、

 どうするのです、

 どうするのです⁉

 居並ぶ閣僚たちの無数の口からたったひとつの同じ言葉が休むことなく放たれる。レオンハルト国王レオナルドは苦虫を噛み潰しながらその叫びを聞いていた。閣僚たちの言葉は表面的にはなんとか礼儀を保っていたが、その底には隠しきれない非難と不信の響きが込められている。それは、その声を聞いた誰もがわかることだった。

 こんなことはいままでにないことだった。閣僚たちが国王レオナルドに非難の声を向けるなどあってはならないことだったし、実際になかったのだ。いままでは。

 レオンハルトの王宮。その会議室。全閣僚をそろえての会議のさなかのことだった。

 会議と言っても一般に想像されるような丁々ちょうちょう発止はっしの議論などこの場では起こらない。少なくとも、レオナルドが即位してからのレオンハルト王宮ではそうだった。自分の能力に絶対の自信をもつ一方、猜疑さいぎしんの強い、独裁どくさいがた君主くんしゅのレオナルドである。閣僚と言えど他人の能力を当てにしたことなどない。

 すべてを自分ひとりで判断した方がうまく行く。

 そう信じてきたし、いまもうたぐっていない。

 閣僚たちの方でも国王になにかの意見をしようなどと言う殊勝しゅしょうな心構えはとうの昔になくなっている。意見したものがことごとく煙たがられ、左遷させんされ、ひどいときには投獄されるのを見てきたとあっては無理もない。

 意見もなく、議論もせず、すべてをレオナルドひとりで判断し、決定し、閣僚たちに指示を下す。閣僚は異議を申し立てることなくなんでも『はいはい』とうなずき、命令されたことを命令されたとおりにこなす。それ以外のことは何もやらない。

 それが、レオナルドが即位してからのレオンハルト王宮での会議の普通の姿。ずっとそうやってきたし、それでなにも問題はなかったのだ。いままでは。

 しかし、いまではすっかり事態がかわっていた。問題は山積さんせきしており、何ひとつ手が付けられないままだというのに問題は次からつぎへと増えていく。

 ――なぜ、こんなことになったのだ? いままではすべてがうまく行っていたというのに。

 レオナルドは閣僚たちの報告――と言うよりも悲鳴――を聞きながら、内心の不機嫌さを隠そうともしなかった。

 実のところ、いままでレオナルド流で問題なくやってこれたのはかのの知らないところで、かの人の足りないところを補ってくれている人物がいたからこそだ。

 ハリエットやアーデルハイド、アンドレア。

 レオナルド自らが追放したかの人たちこそが、レオナルドの知らないところ、いや、レオナルドが目を向けようとしないところで国を支えていた。各国との連携れんけいを強化し、各種の情報を集め、閣僚たちの関係を調整し、軍の補給と治療の体制を整え……レオナルドやウォルター、ガヴァンたちが日の当たる場所で華々はなばなしい活躍を見せている間、日の当たらない陰道かげみち黙々もくもくと自分の役割を果たし、国を支えていたのがハリエットたち。そのハリエットたちを追放してしまったのだ。うまく行かなくなるのが当然だった。もちろん、そんなことに気が付くレオナルドではないのだが。

 「陛下。いったい、どうなさるのですか⁉」

 その叫びがレオナルドの意識を現実に引き戻した。

 「軍を再編しないことには明日にも鬼部おにべの群れがこの王都まで押し寄せてきますぞ。兵の補充をどうするのです⁉」

 「物価の上昇はとどまるところを知りません。いえ、いくら高くなっても金を払えば買えるうちはまだいいのです。しかし、すでに一部の食料品は枯渇こかつ状態じょうたいであり、いくら金を積んでも買えないありさまです。このままでは国中に飢えが広がり、暴動にもつながりかねませんぞ。一体、どうなさるのです⁉」

 「各国は相変わらず、こちらからの呼びかけを黙殺もくさつしており、我が国はいまや孤立状態です。関係改善をどうなさるのです⁉」

 閣僚たちは口々に叫ぶ。叫び、問うだけで、自分で知恵を絞り、解決策を提示しようなどと言う気はこれっぽっちもない。ただただ国王レオナルドにたずね、指示をまっていればいいと思っている。しかし、それも無理はない。なにしろ、それこそが国王レオナルドから求められていた役割なのだから。

 ――お前たちに自分の意見だの、見識だのは必要ない。おれの言うことを『はいはい』と受け入れ、実行すればそれでいいのだ。

 そんな風潮ふうちょうのなかで閣僚としての仕事をこなしてきたし、その風潮に従わないものはことごとく地位を追われた。残ったものはレオナルドの従順じゅうじゅんな『イヌ』だけ。ひたすら『主人』であるレオナルドに頼り、指示してくれるのをまち、指示通りに行動する。ただそれだけ。自分の責任において発言し、行動しようなどと言うものがただのひとりもいるはずがなかった。だから――。

 その人物がその発言をしたとき、その場にいる全員が驚愕きょうがくした。

 「ど、どどどどうでしょう。ハリエットどのに協力をあおいでは……」

 声の主に視線が集中した。一様いちように驚きのあまり、目を見開いている。発言者は視線の集中攻撃を受けて汗をダラダラ流しながら身をちぢこませた。と言っても、視線が集中したからそうなったのではない。汗をダラダラ流しているのも、すぐに身を縮める気の弱そうな態度も、前々からのものだ。

 国王レオナルドと閣僚たち、どちらがより驚いたかは簡単には判別できないだろう。もちろん、発言自体も驚愕ものだった。会議の場でレオナルドに求められてもいないのに自ら発言する。それだけでも驚天きょうてん動地どうちものなのに、その発言の内容が『反逆者として追放した』ハリエットに協力を求めようというものなのだ。

 『ハリエットを追放したのはまちがいだった』と、正面切って非難しているのも同じことであり、レオナルドの性格からして反逆者扱いされても無理のないところである。

 そんな発言がいま、この場でなされた。

 それだけでも充分に驚きなのはまちがいない。しかし、一同を本当に驚かせたのは発言そのものよりも、その発言をした人物だった。

 その人物の名はラッセル。下級の閣僚のひとりであり、この場に並ぶ閣僚たちのなかではもっともくらいの低いひとりである。『小柄な赤毛の人』を意味するその名前を裏切るかのように黒髪に大柄な人物だった。

 背はとくに高い方ではない。むしろ、男としては低い方だろう。しかし、とにかく、肉体の幅と厚みがすごい。どこから見ても、どの角度から見てもまりのように見える、などという体格の持ち主は世界広しと言えど他にいないだろう。坂道でちょっと背中を押してやればどこまでも転がっていきそうであり事実、子供の頃は近所の悪ガキたちにこっそり背中を押され、坂道を転がり落ちてはわらいものになっていた。

 その異常に分厚い肉のせいか極度の暑がりで、他の人なら寒がるような気候でさえ、汗をダラダラ流している。まして、他の人間たちでも汗だくとなる夏場となれば……。

 女たちが絶対に近づきたくないありさまとなる。

 おまけに気の弱い性格で、いつもオドオドと人のご機嫌をうかがうような表情を浮かべている。

 絶対、女にモテたことない!

 と、一目見て誰もが確信するような人物であり、事実、レオンハルトでも最も女性関係に不自由している男のひとりだった。

 そんな男であるから女のひとりもあてがわれればどんな破廉恥はれんちな真似も嬉々ききとしてこなす。まわりから見れば汚れ仕事を押しつけるのになんとも都合のいい男であり、他人の尻ぬぐいをしておこぼれにあずかることで生きてきた。衆目しゅうもくの一致するところ『単なる小悪党』であり、誰からもさげすまれる存在だった。

 他人のおこぼれをガツガツとむさぼる態度とその体型から『白豚』とあだ名されており、かの人を利用して尻ぬぐいをさせている当人が自分の子供に向かって『あんな人間にだけはなるなよ』と嘲りながら注意するという、そんな人物だった。本人もむしろ、積極的にその役割に徹することでいまの地位を手に入れた。

 そんな人物がよりによって国王批判ととられる発言をしてのけたのだ。驚くのが当然だった。

 「ハリエットに協力だと?」

 ジロリ、と、レオナルドはラッセルを睨み付けた。

 最近では相次ぐ問題にすっかり凄みを失い、見る影もなくなったと言われていたが『単なる小悪党』相手ならばまだ牙を向けることが出来るらしい。ラッセルを見るレオナルドの視線はまさしく『獅子王』と呼ぶにふさわしいものだった。

 「きさま……本気で言っているのか?」

 「は、はい……」

 ラッセルは傍目はためにも怯えているのがはっきりわかる態度で、それでも、たしかにうなずいた。震えていただけかも知れないが。

 「我が国がうまく行かなくなったのはハリエットどの、アーデルハイドどの、アンドレアどのが追放されてからです。とくに外交に関してはすべての国が『ハリエットどのを追放するような国は信用できない』と言ってきています。また、食糧に関してはアーデルハイドどのが気を配っておいででした。あの方たちは我々の知らないところで国を支える役目を果たしてくれていたのです」

 ラッセルを見る閣僚たちの目がますます大きく見開かれ、丸くなる。

 『白豚』と呼び、蔑んできた小悪党。その小悪党がこんなにも見識に満ちた発言をすることがあるなどとは誰も思ってもいなかったのである。

 ラッセルは他の参加者たちの驚きを尻目に発言をつづけた。すでに何度となく汗を拭き、それ自体、汗を垂れ流しているハンカチで額や頬を拭いながら話すその姿はたしかに、気色悪いものではあったが。

 「き、聞いたところによりますと、ハリエットどののおこした国は急速な発展を遂げているそうです。各地からの避難民が流れ込み、急速に人口が増えたうえ、スミクトル、オグル、ポリエバトルと言った列強との関係も良好。強固な陣を築き、エンカウンにかわる防衛拠点としての機能をもちつつあるとか。なによりも、ハリエットどののもとには元エンカウン警護騎士団長のジェイどのがおります。相次ぐ鬼部の襲撃からエンカウンを守り抜いてきたジェイ団長であれば熊猛紅蓮隊を建て直すことも可能でしょう。

 さ、さらに、アーデルハイドさまは各地の商人と連携れんけいし、食糧の増産と輸送の体制を整えているとか。食糧不足に見まわれている我が国にとって最も必要なお方のはず。

 こ、ここここはどうかひとつ、おふたりのもとを訪れて謝罪され……」

 「謝罪だと⁉ 余に反逆者相手に頭をさげろと言うのか!」

 「ヒ、ヒイッ! で、ででですが、我が国が生き延びるためにはあの方たちの力が必要であり、そのためには陛下に謝罪していただくしか……」

 パアン!

 激しい音が響いた。怒りに駆られた国王レオナルドが力任せに卓を叩いたのだ。衛兵たちがドカドカと足音高く乱入してきて命じられるままにラッセルを捕えた。

 「とりあえず、地下牢に放り込んでおけ。どうするかはあとで決める」

 レオナルドのその一言でラッセルは衛兵たちに引きずられていった。汗と涙が顔をグシャグシャにしながら。

 「……つづけるぞ」

 レオナルドは深々と息を吸い込むと、そう告げた。

 そして、会議は再開された。自分以外誰も信用しない国王と、ひたすらに指示されるのを待つだけの閣僚たちという会議が。


 「失礼します、陛下」

 国王レオナルドの執務しつむしつ。相変わらず膨大ぼうだいな量の書類に埋もれ、人の通る道すらないような部屋にデボラがやってきた。五〇を過ぎたいまでもなお『気高い貴婦人』の外見を保っているかの人にしてはめずらしく、不安げな表情になっている。

 「……デボラか。なんのようだ?」

 執務を邪魔されたにしては穏やかな声だった。

 普段のレオナルドであれば仕事を邪魔されたとなればカンカンに怒って怒鳴るものだが。案外、さしもの精力的なレオナルドも多すぎる仕事量にうんざりし、良い気分転換だと思ったのかも知れない。だが、あいにく、デボラの言い出したことはレオナルドがいま一番、ふれて欲しくないことだった。

 「熊猛将軍閣下が戦死されたとか。今後の戦いはどうなるのですか?」

 人類最強の軍の敗北。エンカウンの町がちれば次はこの王都が狙われる。それを思えばいかに『貴婦人』でも優美な仮面を被ってはいられないというわけだ。これがアンドレアであれば騎士きし装束しょうぞくに剣をたずさえた姿で参上し『今後は自分が熊猛紅蓮隊を指揮いたします!』と宣言するところだ。しかし、『ただの貴婦人』であるデボラにそんなことの出来るはずもない。不安におののきながら頼みの国王陛下にすがるしかない。

 聞かれたくないことを聞かれてレオナルドは露骨ろこつに顔をしかめた。

 「……お前が気にすることではない」

 「ですが、もし、エンカウンの町が陥ちればこの王都に向かってやってくるのでしょう? 恐ろしい鬼部の群れが。それを思うと夜も眠れませんわ」

 「そうさせないために苦労しているのだろうが! それより、デボラ。言っておくことがある」

 「なんでしょうか?」

 「白鳥宮のことだ」

 「は、白鳥宮がなにか?」

 レオナルドに気付かれないよう、心の奥底だけで『ギクリ』としながらデボラは答えた。内心はどうあれ表面は平静を装っているあたりさすが、百鬼夜行の貴族社会を生き抜いてきただけのことはある。

 「白鳥宮の予算が大きすぎる。廃止か、せめて規模を縮小して……」

 「とんでもない!」

 デボラの声が途端に裏返った。大事なだいじな白鳥宮の危機を前にして、さしものデボラも優美な貴婦人を演じてはいられなかった。

 「白鳥宮はいざというとき、王都の人々を避難させるための大事な設備。それを廃止するなど……」

 「しかし、現状は白鳥ばかりで人はひとりもいないのだろう?」

 「そ、それは……」

 「食糧価格が高騰こうとうして輸入もままならん状況だ。白鳥しかおらん設備のために大金をかけてはおれん」

 「お、おまちください! 白鳥宮はいよいよとなったとき、王都の人々の生命を守る最後の砦です。そのためには日頃から運営し、環境を整えておかなくてはなりません。陛下は大切な宝民ほうみんを毛布ひとつないむき出しの床に寝かせるおつもりなのですか?」

 「そう言われればそうかも知れんがな……」

 「そうです! 白鳥宮を廃止なさるなんてとんでもないことです! 白鳥宮には例えばこんな役割も……」

 大事なだいじな白鳥宮の危機。デボラにしてみれば一世一代の演技の見せ所。あくまでも王都の民を思う『国母』の役を演じきり、必死に説得した。その言葉の数々にレオナルドも完全にではないが、一応は納得した。

 「……ふん。まあよかろう。お前の言うことも一理ある。とりあえずは今のままとしよう。だが、忘れるな。これ以上、事態が緊迫きんぱくするようならそのときは白鳥宮は取りつぶす」

 「……はい」

 デボラは短く答えると執務室を出て行った。


 執務室をあとにしたデボラはわざわざレオナルドを訪ねて行った理由など忘れていた。頭はカッカと燃えあがり、はらわたは煮えくり返っている。

 「冗談ではないわ。わたしの大切な白鳥宮を廃止するなんて。そんなことさせるものですか。下賤げせんな民衆どもがどうなろうとわたしの白鳥たちだけは守ってみせる」

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