三三章 そして、鼠は船を見捨てた

 大地を揺るがす大音響を立てて鎧兜に身を包んだ軍勢が突進する。

 ひとつは赤、ひとつは白の旗を掲げたふたつの軍勢。互いに相手に向かって突進し、真っ向からぶつかり合う。

 剣と剣、剣と盾がぶつかり合い、槍が鎧を突き破り、鎧が斧を跳ね返す。

 鼓膜こまくも破れよとばかりに甲高い剣戟けんげきの音が連鎖し、大地は鎧兜の戦闘者たちの足踏みに応じてグラグラ揺れる。まるで、その場にだけ地震が来たかのよう。その剣戟も、地響きの音さえ呑み込むような大声がその場に響き渡った。

 「よおし、良いぞ! このたびの作戦は我ら熊猛ゆうもう紅蓮隊ぐれんたいの晴れ舞台! 気合いを入れてぶつかり合えっ!」

 熊猛ゆうもう将軍しょうぐんウォルターの発破はっぱであった。

 熊猛紅蓮隊の全軍をあげて鬼界島きかいとうに乗り込み、鬼王の首を取る。

 そのことを目的とした演習である。演習であるからには使う武器は模造品。剣も斧も刃はついていない。とは言え、刃がついていなくても分厚い金属の塊であることにはちがいない。こんなもので手足を殴られれば簡単に骨折するし、頭を殴られれば即死する。

 演習とは言え紛れもなく命懸けの行いなのだ。事実、ここ数日の演習ですでに数百人からの怪我人が出ているし、死者も何人か出ている。

 『ただの演習』で貴重な兵士を死なせる。

 きわめてもったいないその行為をあえて行わせる。ウォルターが今回の作戦にかける気合いの現れだった。

 勇者ガヴァンが敗北したいま、鬼王を倒し、人類を救えるものはおれしかおらん!

 その自負が苛烈極まりない演習へとつながっていた。

 一日がかりの演習がようやく終わった。

 そのときには皆、疲れはて、地面に座り込んでいた。喉の渇きに声を出すことも出来ない有り様だ。そんな兵士たちの上にウォルターの上機嫌な声が響いた。

 「よおし、よくやったぞ、皆の衆! 仕上がりは順調だ。これなら鬼界島に乗り込んでの鬼王退治など屁のかっぱだ!」

 少々、下品な表現を使いつつ、『ガハハハハッ!』と大笑いする。

 豪放ごうほう磊落らいらくな性格で、下級の兵士たちからも好かれているウォルターだが、気品とか節度と言ったものをこの人物に求める人間はいない。

 それでも、へたりきった兵たちの間を渡り、ねぎらいの言葉をかけていくあたりは将としての器と言えるだろう。ただ、疲れ切ったところにウォルターの怪力でバンバン肩やら背中やらを叩かれるのはありがた迷惑以外の何物でもないのだが。

 「今夜は宴会だ! 肉も酒もいくらでもあるぞ。好きなだけ食って英気を養えいっ!」

 そう言って豪快に笑い飛ばす。

 傍目には『話のわかる、気前の良い上官』に思えるだろう。しかし、ことはそう単純でもなかった。

 「熊猛将軍閣下。お話があります」

 疲れ切った体に鞭打って、ウォルターの前に現れた銅熊長どうゆうちょうがいた。喉の渇きに声はしわがれ、聞き取るのもむずかしいほど。それでも、瞳に宿る意志の強さは並々ならぬ覚悟を感じさせた。

 「ん? なんじゃい、メイズか。何の用じゃい、言ってみろ」

 ウォルターは迷いもせずに相手の名を呼んだ。

 銅熊長は熊猛紅蓮隊にあって決して高い地位ではない。一〇〇人前後の兵を指揮する下級士官であり、熊猛紅蓮隊全体で一〇〇〇人以上いる。しかも、それは『いま現在いる数』であって、これまでに戦死した銅熊長も含めれば三倍にはなる。それだけの数の銅熊長を即座に判別できたところは将軍として褒められてよかっただろう。戦場以外のことに目が行かないなど、欠点も多いウォルターだが、自分の部下の顔は忘れない将軍だった。

 メイズと呼ばれた銅熊長は、自分の三倍は肉量のありそうな大柄な将軍に向かって申し述べた。

 「お許しを得て申しあげます。今回の遠征はあまりにも無謀です。中止なさるべきです」

 「中止じゃと?」

 ウォルターは眉をひそめた。

 本人としては別に相手を怖がらせるつもりなどないのだが、ゴツい顔立ちをしているだけにこんな表情をされると、とにかく怖い。女子供など肝を潰して死んでしまう。大の男だって思わず縮みあがるだろう。しかし、メイズは臆するすることなく答えてのけた。

 「そうです。我々は鬼界島のことについてなにも知りません。どこに何があり、鬼王がどこにいるのかも。そんな状況で兵を動かすなど自殺行為。まして、鬼界島に乗り込んだあとは補給とて満足に行えるとは思えず……」

 補給。

 その一言に――。

 ウォルターはたちまち怒りを露わにした。

 「なんじゃい、補給、補給と! 補給がどうした、そんなもんなくとも戦えるわい!」

 「無茶を言わないでください! 水も食糧もなしに戦えと言うのですか⁉」

 「やかましい! どこぞの気取った女みたいなことを言いおって! 腹が減ったら鬼の肉を食え、喉が渇いたら鬼の血を飲め、それで戦えるわい!」

 ウォルターはそう言い捨てると、ドスドスと腹立ちを紛らわせるためにわざと足音高く歩き去ろうとした。メイズはその背に食いさがった。

 「お待ちください、将軍閣下! ならば、せめて連日連夜の宴会だけはおやめください! 我が軍の兵糧にはそんなことをしている余裕などないはず! せめて、その分を遠征に持ち込み……」

 「やかましい! 一介の銅熊長ごときが気にすることではないわ!」

 その言葉自体は正しい。

 たしかに、補給など一介の銅熊長が気にすることではない。それは、将軍たる身が気に懸けることだ。その将軍が気に懸けようとしないから、自分が心配しているのではないか。

 メイズは腹が立って仕方がない。しかし、これ以上、食いさがれば怒りの拳で吹き飛ばされているのは目に見えている。鬼部の首すら引きちぎるその握力。本気で殴られれば人間など一撃で死んでしまう。

 メイズは拳を握りしめてじっと耐えた。

 銅熊長メイズ。

 アーデルハイドが追放された際、アーデルハイドとの間に誓いを交わした人物である。

 まだ三〇代の若さであり、地位は低いが兵士たちの人望は厚い。熊猛紅蓮隊にあって補給の大切さをもっとも理解している士官であったろう。そして、おそらくはただひとり、自分たちをギリギリのところで救ってくれた補給がアーデルハイドの配慮によるものであることを見抜いている人物でもあった。

 「……〝歌う鯨〟と言えば、おれでも知っている有名な野盗集団。そんな連中を手懐け、補給部隊として使うなど、どれほどの苦労があったことか。あの将軍は、アーデルハイドさまのそのご苦労を無にする気なのか……」

 メイズはいたって常識人であったのでまさか、伯爵令嬢ともあろうお方が〝歌う鯨〟を使うために自分の身を代償にしたなどとは想像できなかった。もし、その事実を知れば怒りのあまり、〝歌う鯨〟の首領エイハブに斬りかかっていたかも知れない。『世界一の美女』にそんな真似をさせるまで追い込んだウォルターに対しても同様だが。

 「……アーデルハイドさまは誓いを守ってくださった。ならば、今度はおれが報いる番。何としても、熊猛将軍に補給の大切さを理解させなければ……」


 一日、ウォルターは兄である国王レオナルドに呼ばれ、執務室を訪れた。

 レオナルドは相変わらず苦虫を噛み潰したような表情で、部屋中を埋め尽くす書類とにらみ合っている。ウォルターは部屋を揺るがす豪放な声を兄に向けた。

 「なんじゃい、兄者。何の用じゃい」

 「今回の遠征の件だが……」

 言われてウォルターは破顔はがんした。

 「おう! 喜べ、兄者。演習は順調だ。この分ならいつでも出立できるぞ」

 「……そうか」

 レオナルドの口調も、表情も、『喜ぶ』などと言う表現からはほど遠いものだった。さしもの単純なウォルターも眉をひそめた。

 「どうした、兄者? 何か気にかかることでもあるのか?」

 「……うむ。実は、今回の遠征について反対意見が多くあがっていてな」

 「反対意見じゃと?」

 「うむ。鬼界島についてなにも知らないうちから大規模な遠征など無謀すぎる。偵察隊を派遣してからにすべきだとな」

 「なんじゃい。そんなことを気にするな。どこに何があるかなど実際に行ってみればわかることじゃわい」

 「各国との連携も取れん」

 レオナルドはさらに苦虫を噛み潰した。

 「ハリエットやアーデルハイドがいなくなって以来、やつらめ、すっかり手のひらを返しおって。今回の遠征にも協力は出来んと言ってきおった。盟主相手に楯突くとはまったく、身の程を知らんやつらめ」

 レオンハルト王国とその他の国々とは、あくまでも対鬼部のために手を組んだ対等の同盟。決して、主従関係ではない。それを一方的に属国扱いするところがレオナルドの傲慢ごうまんさなのだった。

 ウォルターはそんな兄の不満を笑い飛ばした。

 「気にするな、そんなこと! あんな腰抜けどもの協力なぞいらん。我ら、熊猛紅蓮隊だけで片付けてみせるわ」

 「……その熊猛紅蓮隊の人員を返すよう、矢のような催促さいそくが来ておる。『随一の功労者を追放するような無能国家に大切な兵を預けてはおれん』そうだ」

 熊猛紅蓮隊は各国からの精鋭の寄せ集め。国ごとの数で言えばレオンハルト兵が一番、多いが、レオンハルト出身か、それ以外の出身かでわければ、レオンハルト兵の方が少なくなる。

 「なんじゃと? 兵を返せじゃと? まさか、兄者。そんな話を飲んだのではあるまいな?」

 「むろんだ。属国風情の要求を受け入れて弱みを見せるわけにはいかん」

 「うむ。それで良い。それでこそ兄者」

 ウォルターは満足そうにうなずいた。

 同盟国を『属国』と呼ぶ兄に対してたしなめもしない。そのあたり、ウォルターも充分に傲慢なのだった。

 「あとは、補給の問題なのだが……」

 「なんじゃい。兄者までそんなことを気にしておるのか」

 「そうは言っても、水も食糧もなしでは戦えまい」

 「食い物なぞいくらでも転がっておるわ。鬼部おにべの死体という食い物がな」

 そう言い放ち、『ガハハハハッ!』と大声で笑うウォルターである。

 「……たしかに、お前なら鬼どもの死体を食って戦うことも出来るだろうが」

 他の兵士たちはそうはいくまい。

 レオナルドは口には出さずにそう思った。

 戦には縁遠い身とは言え、経験がないわけではない。即位前には父王に連れられて実際に戦場に出たこともある。兵士としても、将軍としても水準以下でしかなかったが、だからこそ、わかることもある。

 ウォルターのような豪傑ごうけつは一万人にひとりもおらず、ほとんどの兵士はもっとずっとひ弱なのだと言うことを。

 「ともかくだ。兄者の仕事は国内をまとめあげることじゃろう。戦はおれに任せておけ。なあに、心配はいらん。すぐに鬼王どもの首を手土産に戻ってくるわい」

 そう言って豪快に笑うウォルターである。

 レオナルドは渋々という感じでうなずいた。国王としては不安な点は山脈ひとつ分もあるのだが、冷徹れいてつ辣腕家らつわんかであるかの人にしても、弟相手となると兄の情が勝る。あるいは、その点こそが為政者いせいしゃとしてのレオナルドの最大の欠点であったのかも知れないのだが――。

 ともかく、レオナルドはこのずさんすぎる遠征を許可したのだった。


 エンカウン領主館の一室。

 そこに、ウォルターに勝るとも劣らない巨漢の男がいた。

 単なる肉体の大きさだけではない。肉体からあふれ出す猛気、いわおのような迫力に至るまでがウォルターと五分かそれ以上。陸の熊に対する海の鯨。〝歌う鯨〟の首領、エイハブである。

 そのエイハブはいま、何人もの情婦と肌を合わせながら、密偵の報告を聞いているところだった。

 「なるほど。それはまたなんとも無謀な計画だな」

 いや、計画とすら言えない。子供の特攻だ。

 「ええ、その通り。とても、一国の将軍の言い出すこととは思えないわ」

 そう言ったのはエイハブの一番のお気に入りの情婦、言ってみれば正妻の地位にあるエムロウドである。ウォルターがぞっこんのイーディスによくにた型の妖艶ようえんな美女で、酒場で荒くれ男たちの相手をするのがよく似合う。ウォルターが見かければ、イーディス一筋のかのも興味を示していたかも知れない。

 エムロウドの言葉にエイハブはうなずいた。

 「アーデルハイドから聞いてはいたがなるほど、戦場以外のことには目の向かない単細胞らしいな。まわりの助力さえあれば強力なのはまちがいあるまいが……」

 ガヴァンにせよ、ウォルターにせよ、強いことはたしかなのだ。条件さえ整えば紛れもなく人類最強の存在。しかし、逆に言えば、他人によってお膳立てしてもらわなければその力を発揮できない、と言うことでもある。そのことさえ理解していればたしかに人類を救う英雄になれたのだろうが……。

 「退くぞ、エムロウド。全員に準備させろ」

 「退く?」

 「ああ。沈没船にいつまでも乗っているわけにゃあ行かねえからな。船のねずみは嵐が来る前に逃げださにゃあよ」

 エイハブはそう言ってニタリと笑う。

 ウォルターの無謀な計画は――。

 レオンハルト王国から貴重な協力者を奪う結果になったのだった。

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