三四章 愚劣なる誇り
「危ない!」
その声と共に振りおろされたスタックの剣が、アンドレアに襲いかかろうとした小鬼を両断した。鋼の剣が肉を切り裂く音が響き渡り、膨大な血しぶきが噴き出した。滝のような鮮血が膝をついたアンドレアの身に降りかかる。
スタック。
デューイ。
ダリル。
ヴェチャスラフ。
四人の戦士がアンドレアの周りに壁を作るように立ち並び、襲ってくる小鬼の群れからアンドレアを守ろうとする。
――くっ。このわたしが守られる身になるとは。
アンドレアは心のなかで呻いた。
まさか、『レオンハルト王国で五本の指に入る』とまで言われた戦士である自分が無様に
あまりの屈辱に脳のなかの血管という血管がぶち切れそうだった。
アンドレアがスタックたちと共に町を出立してから三日が過ぎていた。
討伐依頼の内容は手近の森に巣を作った小鬼の群れの
居を構えず、常に移動を繰り返し、人や家畜を襲う。
それが小鬼たちの基本行動。その小鬼の群れが巣を作るのはめずらしいことではあるが、ある特定の条件下で起きることが知られている。
特定の条件下。
すなわち『
小鬼たちは年に数回、繁殖期を迎えるらしく、その時期だけは巣を作り、子供を産む。当然、その時期は食糧もいつも以上に必要になり、近隣への襲撃も激しくなる。
なにより、放置しておけばどんどん子供が生まれ、増えていってしまう。小鬼たちの繁殖力は兎並に高い。放っておけば、たちまち大陸中が小鬼で埋まってしまう。
そんなことになったらたまらない。鬼部との戦いどころではなくなる。だからこそ、巣を見つけた場合は繁殖される前に即座に潰さなくてはならない。とは言え――。
巣を作るとなれば小鬼たちの群れもそれなりの規模となるし、警戒も厳しい。真の鬼のような高い知性はないとは言え、そこいらの獣とはわけがちがうのだ。堀を巡らし、土壁を作り、
その程度のことはする。
その巣を襲い、殲滅させるとなれば相応の実力が必要になる。そこで、スタックが依頼されたのだ。
スタックは四〇代。脂ののりきった壮年の戦士であり、この辺りではもっとも名の知れたひとりだった。地域の冒険者の顔役だと言ってもいい。報酬もよかったし、小鬼の巣を潰すとなればスタックに否やはなかった。
ただひとつ、問題があった。
パーティーに欠員が出来ていたのだ。
ずっと五人一組でやってきたのにそのうちのひとり、最年少だったチャップがパーティーを抜けたのだ。
「いつまでもこんな田舎でくすぶっていられるか! おれはレオンハルト王国に行く。
そう言って。
もちろん、それも大切な仕事である。その役割を果たすものがいなければ、地方の町や村を守るものがいなくなり、襲われ放題になってしまう。とは言え、対鬼部戦役の最前線に立って戦うことに比べればどうしても地味だし、評価もされにくい。まわりから賞賛され、若い女の子たちからキャアキャア言われるのはやはり、対鬼部戦役に参加した『英雄』なのだ。
若いチャップがそんな未来を夢見て、熊猛紅蓮隊を目指したのは理解出来る。その可能性がないわけでもない。チャップの戦士としての力量はまだまだ微妙と言ったところだが、筋は良い。鍛錬に励めばかなりの線まで行くことだろう。
なにより、熊猛紅蓮隊も初期の頃とはちがう。結成当初の熊猛紅蓮隊は紛れもなく精鋭中の精鋭ぞろいだった。大陸全土から最強の使い手だけを集め、編成された『雲の上の』戦士団だったのだ。
しかし、それも、今は昔。
相次ぐ戦いによって多くの戦死者を出しており、そのたびに補充をしてきた。最初に最強の部分を取り込んでいるのだから、かわりはそれより落ちることになる。自然、熊猛紅蓮隊も結成当初に比べれば全体の質はかなり落ちている。それを思えばチャップにも熊猛紅蓮隊に入る機会がないわけではない。
それらを考え合わせてスタックはチャップを送り出した。
栄達を願って、自らの愛剣を手渡して。
それはそれで良いのだが、スタックたちは困ったことになる。ずっと五人一組でやってきたのだ。ひとりでも欠ければ連携の仕方もかわる。戦術の基本から組み直さなければならず、再編成には時間がかかる。かと言って、そう都合良く腕の立つ戦士を補充できるわけもない。なにしろ、長い鬼部との戦いで腕に覚えのあるものはたいてい、対鬼部戦役に出向いてしまっているのだから。
アンドレアが町を訪れたのはちょうどそんなときだった。
「わたしが行くぞ!」
アンドレアは話を聞くと、迷うことなくスタックのもとに飛び込んだ。
小鬼が巣を作っている。
そんな事態となれば、アンドレアの正義感と使命感が黙っていられない。それに――。
正直、懐具合もさびしくなっていた。ある事情から最近、冒険者としての活動もなかなか出来なくなっており、手持ちの金が尽きかけていたのだ。少しでも稼いでおかなければならないところだったし、そのためには手頃な依頼に思えたのだ。
――わたしは騎士アンドレアだ! この体でも小鬼程度なら遅れはとらん!
そう思い、スタックのもとに向かった。
一方のスタックはと言えば最初からアンドレアをパーティーに加えることに懐疑的だった。理由はアンドレア自身ではなく、アンドレアの抱えている事情にあった。
アンドレアの腹。
ぷっくらと膨らみ、丸みを帯びたその腹を見れば妊娠していることは一目でわかる。
しかも、腹のふくらみ具合からして三ヶ月にはなっている。つわりもひどくなってくる頃だし、下手に動けば流産の危険もある。
スタックは二児の父であり、妻が妊娠中、いかに神経質になり、動作も鈍く、また、つわりに苦しんでいたかをよく知っている。そのスタックにしてみれば妊娠中の女性を戦いに連れて行くなどとうてい出来るはずもない。
「君にどんな事情があって女性ひとりで旅をしているのかは知らない。しかし、妊娠している女性を戦いに連れて行くなど出来ない」
まさか、アンドレアがレオンハルト王国国王の元婚約者であり、追放された身だなどとは想像できるはずもない。アンドレアももちろん、そんなことは言わなかった。
スタックの言い分は至極まっとうなものだったが、アンドレアは譲らなかった。
「そんなことを言っている場合か? 小鬼どもの繁殖は早い。放っておけばたちまちこの辺り一帯、小鬼どもに埋め尽くされてしまうぞ。そうなれば食い尽くされるのはお前たちの家族や友人たちだ。それでも良いと言うのか? わたし以外、補充の当てもないのだろう?」
たたみかけるようにそう言われてはスタックとしても渋面を作りつつ、主張を認めしかなかった。時間に余裕がなく、補充の当てがないのは事実なのだ。
アンドレアは追い打ちとばかりに妊娠の影響か、膨らみをました感のある胸を叩いて見せた。
「なあに、心配するな。わたしは腕には覚えがあるのだ。子鬼ごとき、敵ではない」
結局、これ以上、時間をかけて小鬼たちに繁殖の機会を与えるわけにはいかない、と言うことでアンドレアの加入を認めることになった。領主や町長から盛んに急かされていたという事情もある。
そこで、アンドレアをくわえた五人で出発した。アンドレアは
スタックの危惧したとおり、無理はすぐに現れた。
つわり。
疲労。
妊娠による運動能力の低下。
精神の不安定化。
それらが一気に襲いかかった。
頻繁に休まなくてはならす、足取りは一向に進まなかった。精神の不安定化によってスタックたちに当たりっぱなしだった。控えめに言って『足手まとい』以外の何物でもなかった。
スタックは何度もアンドレアの身を案じて引き返すことを提案したのだが、そのたびにアンドレアが叫び散らして抵抗した。金切り声で叫び散らすその姿にうんざりしたのだろう。結局、ここまでずるずるとやってきてしまった。そして――。
よりによって小鬼の群れに遭遇したところでつわりに襲われ、片膝をついた。そこを襲われ、スタックたちにかばわれることになったのだ。
恥辱であり、屈辱。
アンドレアは悔しさに目も眩む思いだった。
なにしろ、スタックたちが自分をかばって必死に戦う間、自分ときたらひどい気持ちの悪さと吐き気に襲われ、その場にへたり込んだまま一歩も動けなかったのだから。
スタックたちの奮闘で小鬼の群れを撃退したあとも、しばらくの間は身動きひとつ取れなかった。スタックたち自身、怪我をして手当が必要だと言うのに、自分たちを後回してにして世話をされる始末。まるで、無力な赤ん坊に戻ったような気分だった。
幼い頃から騎士たらんと志し、騎士としての鍛練を積んできた。
その自分がこんな無様な姿をさらすとは。
スタックがいかに近隣で名の知れた冒険者だとは言っても所詮、辺境。弱いわけではないが、豪勇と言うほどでもない。アンドレアが万全の状態なら四人まとめてかかってきても余裕で倒せる。その程度の相手なのだ。
その程度の相手に守られ、頼り切りにならなくてはならないとは……。
アンドレアの騎士としての誇りをズタズタにするには充分な出来事だった。
「引き返そう」
アンドレアがようやく落ち着いたあと、スタックはついにそう言った。
「これ以上は無理だ。討伐依頼はあきらめて帰還しよう」
デューイ、ダリル、ヴャチェスラフの三人もそろってうなずいた。
むしろ、スタックがそう言い出すことをまっていたのだろう。異議がないどころか、ホッとした表情を見せていた。ただひとり、とうのアンドレアだけが猛反対した。
「馬鹿な! なにを言う。ここまで来て引き返すだと? 報告にあった小鬼どもの巣までもう少しなのだろう? このまま直行すべきだ」
「アンドレア……」
「先ほどの群れの規模を見ただろう。想像以上の数だった。あれだけの小鬼が一斉に繁殖してみろ。この辺り一帯、たちまち小鬼だらけだ。いますぐ討伐しなければ……」
「アンドレア」
スタックはかぶりを振りながら窘めるように、それでも、断固たる厳しさを込めて言った。
「わかっているはずだ。引き返さなくてはならないのは君がいるからだ。君が足手まといになっているから、引き返さざるを得ないんだ」
「グッ……」
そう言われてはアンドレアとしても反論のしようがない。
そんなことはアンドレア自身、いやと言うほど思い知っている。
そう。頭ではわかっているのだ。自分が単なる足手まといとなっていることも。引き返すべきだと言うことも。しかし――。
騎士の魂。
アンドレアが幼い頃から培ってきた騎士の魂がそれを認めることを拒否していた。
アンドレアは立ちあがった。ありったけの力をかき集めて叫んだ。
「勝手にしろ! わたしがいなければいいんだろう。だったら、わたしはひとりで行く。ひとりで小鬼どもの巣を潰してみせる。腰抜けどもはさっさと帰るがいい」
そう言って――。
アンドレアはひとり、森の奥に進もうとした。
ただの一度も足を踏み入れたことのない森だというのに。
その奥の、どこにあるかも正確には知らない小鬼たちの巣を求めて。
ノロノロと這うように進もうとするアンドレアの背中を見て、スタックはダリルに目配せをした。パーティーいち大柄で力の強いダリルがアンドレアの後ろにそっと近づいた。そして――。
分厚い手による手刀の一撃をアンドレアの首筋に叩きつけた。
その一撃でアンドレアは気絶していた。
こんなにも『敵』の接近に気が付かないことも、一撃で眠らされることも、本来のアンドレアであればあり得ないことだった。ダリルは気絶したアンドレアの体を肩に担ぎあげた。スタックが言った。
「よし、帰還するぞ。何としてもアンドレアは守り抜け。腹のなかの子供を死なせるわけにはいかん」
アンドレアは町の食堂でひとり、食事をしていた。
いや、それを『食事』と言っていいものかどうか。なにしろ、つわりによって食欲と絶縁しているような胃袋に無理やり食物を詰め込んでいるのだから。
一目で『普通ではない』とわかる姿であり、周りの人間からしたらそんな姿を見せられるのは迷惑以外の何物でもない。
――そんなに気分が悪いならさっさと医者にかかれよ、もう。
誰もがそんな非難がましい視線を向けてきているのだが、アンドレアにはそんなことに気が付く余裕もない。
スタックたちとはすでに別れた。
追い出された……わけではない。アンドレアが勝手に飛び出したのだ。
「いまは休め。休んでとにかく、丈夫な子を産むことだけを考えるんだ」
スタックはそう諭したものだ。
「母親が健康でなければ丈夫な子供は望めない。ちゃんと休んで、栄養を
スタックは誠心誠意、そう諭したのだが――。
アンドレアは頑として拒否した。
自分をいらないと言うならパーティーを抜ける。
自分はひとりで立派に戦ってみせる。
そう言い張って。
――男に養われて家に引っ込んでいるなどできるか! そんなことではレオナルドの政策を正しいと認めるようなものではないか。
アンドレアの頭のなかには常にそのことがあった。
腹のなかの子供がレオナルドの子供であることはまちがいない。レオナルド以外の男と性行為をしたことなど一度もないのだから。
国王の子を身ごもっているとなれば追放も解かれるかも知れない。少なくとも、子を産むまでの間、王宮に滞在する程度のことは許される。そして、最上級の扱いを受けるにちがいない。
強くて丈夫な子を産ませるために。
レオナルドは女自体にはさしたる興味はなかったが、強い我が子に対する欲求は人一倍強いのだから。しかし――。
そんな真似が出来るか!
子供を身ごもったから冒険者家業をつづけられなくなった。助けてくれ。
そんなことを言って泣きつく?
冗談じゃない!
そんなことをして見ろ。レオナルドのことだ。せせら笑うに決まっている。
「ほれ、みたことか。出産と仕事を両立することなど出来はしないのだ。女の役目は子を産み、育てること。家に引っ込んで、それだけをしておればよいのだ」
そう言われるに決まっている。
そんな態度を取られるぐらいなら死んだ方がマシだ!
「そうとも。わたしは負けない。絶対にレオナルドの政策が間違っていることを証明してみせる。わたしひとりの力で立派にこの子を産み、育ててみせるぞ」
食欲の欠片もない胃に無理やり食物を押し込みながら――。
まるで、呪いの言葉のようにそう呟きつづけるアンドレアだった。
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