二〇章 見捨てられる勇者たち

 「……というわけでだ、モーゼズ。お前たちスミクトルの弱兵にも貴重な機会をくれてやろう。おれたち勇者一行の手伝いをするという名誉を得る機会をだ」

 レオンハルト王国の同盟国――国王三兄弟に言わせれば『我々が従えている』と言うことになるが――スミクトル公国。その軍の中枢である統帥本部。勇者ガヴァンはそのなかの一室、最も重要な場所であり、本来ならば他国のものは容易には入れない場所である将軍の執務室にいた。

 勇者の特権を振りかざし、主不在の間に強引に入り込んだのだ。年若い従者に無理やり命じて秘蔵のワインまで運ばせて。連絡を受けて部屋に戻ってきたモーゼズ将軍の見たもの。それは床に転がるワインのビンと、床にたたきつけられて砕け散った三つのグラスだった。

 ガヴァンは脚を組んでソファに座り、まさにふんぞり返っていた。その左右にはいつも通り聖女フィオナと魔女スヴェトラーナ。これもまたいつも通り、勇者ガヴァンはふたりの美女の肩に手を回していた。

 部屋の主が客を迎えるにしても失礼に過ぎる態度。まして、ガヴァンは客の側なのだ。礼を失するにも程がある態度だった。それは、『神託によって選ばれた勇者』と言うにはあまりにも軽薄すぎる姿勢、人々が勇者と聞いて『こうあって欲しい』と願う印象とは裏腹な姿だった。

 そのガヴァンの眼前に立っているのはスミクトル随一の宿将たるモーゼズ。ガヴァンが生まれるよりも前から戦場にあり、鬼部おにべの侵攻前に行われていた人間同士の戦争には一兵卒としていくつも参加、鬼部の侵攻がはじまってからはスミクトルの将として、常に前線に立ってきた叩き上げの将である。

 その古参こさん宿将しゅくしょう相手にガヴァンは助力を要請――本人の主観では――しているところだった。

 「いま言ったとおり、おれたちは鬼界島きかいとうに乗り込み、鬼王の首を取る。そのために、スミクトルからも兵を派遣しろ。ああ、いや、心配するな。スミクトルの弱兵なんぞ戦力として当てにしてるわけじゃない。ただ、荷物持ちとしてついてくればそれでいいんだ。鬼王を退治するのはあくまでもおれたち勇者一行だからな」

 一〇〇人中二〇〇人が傲慢ごうまんと思い、不愉快に感じるにちがいない態度でガヴァンはそう言い放つ。その一方で、

 ――こいつ、本当におれの知るモーゼズか?

 そんな思いを抱いていた。

 違和感は最初からあった。モーゼズはすでに五〇代。ガヴァンの父親の年代であり、ガヴァンが生まれる前から戦場で戦ってきた古参の軍人。ガヴァンから見れば偉大なる先輩であり、師父と言ってもいい存在……と言うことになる。しかし、その実体はと言えば、戦士としての実力はガヴァンの足元にも及ばず、将としての勇猛さではウォルターにはるかに劣る。鬼部相手の戦闘ではかの人たちに頼り切り。ヘコヘコ頭をさげてお世辞を言うしか能のない太鼓持ち。

 そのはずだった。

 ところが、いま目の前にいる男はまるでちがう。髪は灰色に染まっているが、年老いているという印象はまるでない。むしろ、風雪のなかを生き抜く灰色狼のよう。厳しく引き締まった表情は精悍そのもの。腕を組み、仁王立ちとなったその姿はまるで石の彫像のような重みと風格を持ち合わせ、まさに『武人』と呼ぶにふさわしい姿だった。

 こんなモーゼズはいままでに見たことがなかった。

 ――こいつ、本当にあのモーゼズなのか? 双子のきょうだいか何かじゃないのか?

 ガヴァンが思わずそんな疑いを抱くほど、ガヴァンの知るモーゼズとはちがう姿だった。

 ――まあいい。どうせ、格好付けてるだけさ。すぐにいつもの調子に戻る。

 ガヴァンはそう思った。

 神託の勇者。その肩書きと、人類最強の戦士という事実から生まれる傲慢さが、ガヴァンにそう思わせたのだ。だから、ガヴァンはいままで通りの調子でつづけた。

 「と言うわけでだ。さっそく、手頃な兵の二~三人を用意しろ。それから、必要な物資も……」

 「お断りですな」

 「出発は早い方がいい。準備ができ次第……なに?」

 お断りですな。

 モーゼズの口からその言葉が出たことに、たっぷり数秒もたってからガヴァンはようやく気付いた。父親ほどの年齢の宿将を見る目にいぶかしげな光が宿った。

 「なんだと? いま、何と言った?」

 「断ると言ったのですよ。勇者どの」

 態度や表情だけではない。口調もまったくちがう。ガヴァンはようやくそのことに気が付いた。

 「きさま! この勇者の言うことが聞けないってのか⁉」

 ガヴァンは立ちあがって叫んだ。

 『ふん』と、モーゼズは鼻を鳴らして見せた。それはまさに、礼儀知らずの若造をいなすおとなの態度だった。

 「まるで、酒の席で『自分の酒が飲めないのか⁉』と、他人に絡む無頼漢ですな。恥ずかしいとは思わんのですかな?」

 「なに⁉」

 ガヴァンはたちまち気色ばんだ。

 フィオナとスヴェトラーナもさすがに異変に気が付いていた。目の前にいる男は、かの人たちの知る太鼓持ちとはちがう、堂々たる風格をもつ武人であった。

 灰色の髪の武人は若き勇者一行に向かい、若者をたしなめるおとなの態度で言った。

 「ヒーリー男爵令嬢を追放されたそうですな」

 思いがけずその名が出たことにガヴァンは怒りを覚え、苦々しい表情を浮かべた。

 「あいつはもう男爵令嬢なんかじゃない。家を取りつぶされ、追放された平民だ」

 「では、ハリエットどのとお呼びしましょう」

 ガヴァンたちは気が付かなかった。『ハリエットどの』と呼ぶモーゼズの口調に、ガヴァンたちには向けられていない深い敬愛の念が含まれていることを。

 「まったく、愚かなことだ。ハリエットどのがあなた方のためにどれほど尽力しておられたと思っておるのですかな? ハリエットどのあってこそのあなた方だったと言うのに」

 「なんだと⁉」

 「なんですって?」

 「聞き捨てならんぞ、将軍どの」

 ガヴァンは気色ばんで、フィオナはあくまでも優雅に、スヴェトラーナは妖艶ようえんに、それぞれに怒りを露わにした。その怒りの奔流をしかし、太鼓持ちに過ぎなかったはずのスミクトルの宿将はいわおのような風格ではね除けていた。

 「その様子だと、どうやら本当に気が付いていなかったようですな。まったく、なげかわしい。神託の勇者がこのような浅はかな若造だったとは」

 「なんだと⁉」

 「モーゼズさま! 勇者さまを侮辱なさるおつもりですか。神託の勇者を侮辱することは神を侮辱するのも同じ。すぐに撤回なさってください」

 「その通りだ。勇者の支えとして、いまの発言を聞き逃すことは出来ない。謝罪を要求する」

 フィオナとスヴェトラーナ、勇者の側近ふたりの声を、モーゼズはあっさりと跳ね返した。

 「事実を言ったまで。それを侮辱ととられるのは心外ですな、お嬢さま方」

 お嬢さま方。

 露骨ろこつに子供扱いしたその表現に、聖女と魔女の表情がこわばった。

 ガヴァンはいっそう気色ばんで叫んだ。

 「事実だと⁉ おれのことを浅はかな若造と言っておいて、それが事実だと言うのか⁉」

 「事実以外のなんだと言うのですかな? そのように怒鳴り散らす態度、まさに若造、いや、小僧と言うのがふさわしいでしょう」

 「きさま……!」

 ガヴァンの瞳に怒りの稲妻か走った。もし、ガヴァンが怒りに駆られて剣を抜けば、モーゼズは一瞬で斬り倒される。ふたりの間にはそれだけの戦士としての力量の差があった。それを承知でしかし、モーゼズは平然たる様子でつづけた。

 「思い返してみるのですな。あなた方はいままで一度でも道中で野生の獣や魔物の襲撃に遭ったことがおありかな? はじめての土地で道に迷ったことは? 食料や薬品に不足したことは? 水の補給ができずに困ったことは? 野宿に適した場所を見つけ出すことができずに一晩中、歩きまわる羽目になったことは? 目前の敵以外の何者かと戦う羽目になり、苦戦させられたことは? そんなことがいままでに一度でもありましたかな?」

 「い、いや、それは確かにないが……」

 ガヴァンはたちまち守勢に追い込まれた。

 モーゼズの言うことがいちいち確かなことに気が付いたからだ。たしかに、いままでモーゼズの言ったような目に遭ったことは一度もなかった。

 それ見たことか。

 モーゼズはそう言いたげな視線を息子の世代の勇者に向けた。

 「あなた方がそのような雑事に煩わされず、鬼部退治に専念できていたのはすべてハリエットどののおかげ。ハリエットどのはあなた方が鬼部退治に専念できるよう、我々をはじめ、諸国と交渉し、協力関係を取り付けていたのですよ。道中の地図の作成、獣や魔物たちの討伐、物資の調達、補給地点の確保、鬼部の主力以外を引きつける陽動作戦……それらすべてを手配していたのがハリエットどのなのですよ。ハリエットどのの働きがあればこそ、あなた方は鬼部退治に専念できた。勇者としての力を,目的とするただ一体の鬼に対して向けることができた。だからこそ、いままで勇者として無敵の存在でいられた。だと言うのに、そのハリエットどのを追放するとは。まさに、己の足を食べるたこ同然。愚かすぎて言葉もありませんな」

 「なんだと⁉ おれたちがハルのおかげで勝ってきたと言うのか⁉」

 「言っているのではありません。事実を告げておるのです」

 「なんたる侮辱! 即刻、取り消すがいい!」

 魔女スヴェトラーナが音を立てて立ちあがり、妖艶な美貌にガヴァンに劣らない怒りを浮かべて叫んだ。

 「その通りです」と、聖女らしく、あくまでも静かに、そして優雅に立ちあがったフィオナが言った。

 あくまでも高貴で上品。しかし、その瞳に浮かぶ怒りは静かだからこそ、他のふたりよりもいっそう深かったかも知れない。

 「神託の勇者さまとその支えたるわたくしを侮辱するなど許されざる行為。すぐに撤回して、謝罪していただきます。でなければ、あなたを神への中傷者として、そして、人類の裏切り者として告発いたします」

 『ふん』と、モーゼズは鼻でわらった。

 「好きになさるがよい。ともかく、援軍の件はお断りする。いままでは人類の希望を背負った勇者と思えばこそ、下手したてにも出た。しかし、最大の功労者を自ら追放するような愚か者と知ったいま、従ういわれはない。まして、大切な兵を付けるわけにはいかぬ」

 「きさま……!」

 ガヴァンの瞳に剣呑けんのんな光が宿った。知らず知らず剣の束に手をかけていた。

 モーゼズは剛胆ごうたんにも笑い飛ばした。

 「ほう。勇者どのともあろう方が一介の人間風情に剣を抜かれるか。なるほど。勇者どのがその気になれば、私が一〇人いようとたちまちのうちに斬り捨てることができるでしょうな。ですが、神託の勇者ともあろうものが同胞たる人間を斬り殺すなど恥辱の極み。さぞかし、悪評が飛び交うことでしょうな。人殺しの勇者として末代まで悪名を残されるおつもりか?」

 「グッ……」

 ガヴァンは呻いた。

 たしかに、モーゼズの言うとおりだった。人類の希望を担う神託の勇者。栄光と賞賛に包まれ、完璧な人生を送るべく選ばれた身として『人殺し』などという汚名を受けるわけには行かなかった。

 かと言って一度、生まれた怒りを発散させずに消すことができるわけでもない。ガヴァンは剣の束に手をかけたまま、やり場のない怒りに身もだえしていた。

 そんな勇者をモーゼズは見下すような視線で見た。

 「お帰りいただこう。重ねて言うが、あなた方に付ける兵は一兵たりとおらぬ。自分たちだけで鬼王を倒せると思うなら実現してみせるがいい」

 神託の勇者どのならばな。

 モーゼズは皮肉たっぷりにそう付け加えた。


 ガヴァンたちは音高く統帥本部を後にした。

 ガヴァンはあからさまに、フィオナは優雅に、スヴェトラーナは妖艶に、それぞれの表情で怒り心頭に発している。

 「なんたる侮辱。かような侮辱をそのままにはしてはおけん」

 スヴェトラーナが言うと、フィオナもうなずいた。

 「その通りですわ、ガヴァンさま。わたくしたちの功績があの役立たず女のおかげなどと。あのような謂れのない侮辱を受けてそのままにしておくわけには参りません。なんとしてもわたくしたちの手で鬼王を打ち倒し、わたくしたちの力を見せつけてやりましょう」

 「ああ、その通りだ」

 ガヴァンは力強くうなずいた。

 「なあに、スミクトルの弱兵なんぞ最初から戦力として当てにしていたわけじゃない。荷物持ちとして連れて行ってやろうと思っていただけだ。考えてみればこの方が都合がいいしな。せっかく、あの足手まといが消えて最強パーティーとなったんだ。わざわざ新しい足手まといを入れる必要もない。おれたちの手で鬼王の首を取り、勇者の真髄を見せつけてやろう」

 「はい」

 「承知」

 ガヴァンの言葉にフィオナとスヴェトラーナがうなずく。

 勇者ガヴァン。

 聖女フィオナ。

 魔女スヴェトラーナ。

 このときまでは、かの人たちはたしかに人類の希望を背負う勇者一行であったのだ。

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