第五話 食の三女神

二五章 熊猛紅蓮隊に迫る陰

 「将軍! 熊猛ゆうもう将軍しょうぐん、早く出てください!」

 ガン!

 ガン!

 ガン!

 と、風呂場のドアを叩きながら年かさの警護騎士ががなり立てる。

 「鬼部おにべどもの襲撃です! 早く指揮をってください!」

 ドアが開き、ムワッとするような湯気と共に見上げるばかりの巨漢が姿を現わした。

 「なんじゃい、そうぞうしい」

 ごわごわの髪に顔中を覆うひげ。獣染みた体毛。人間と言うより人の姿をした熊。そうとしか言えない巨漢の主。人類最強の猛将、熊猛将軍ウォルター。かの人はいま、全身を湯に濡らしたままの姿で風呂場の戸口に立っていた。

 タオル一枚まとっていない素っ裸の姿。その外見にふさわしい巨大な一物もさらけ出したままだ。ウォルターにとってそれは隠したりするような恥ずかしいものではなく、堂々と見せびらかして誇るべきものだった。

 小脇にはお気に入りの大きなアヒルの玩具を抱えている。風呂に入るときはいつもこのアヒルの玩具と一緒に入るのがウォルターの趣味だった。

 アヒル片手のその姿に、

 ――なんと呑気な!

 と、怒りを覚えつつ、警護騎士は必死に訴えた。

 「早く、指揮を執ってください! 夜警の守備隊が応戦してはいますが、かの人たちだけではすぐに突破されてしまいます! 早く、熊猛ゆうもう紅蓮隊ぐれんたいを出撃させて……」

 「ふわああ」

 警護騎士が呆気あっけにとられたことに――。

 ウォルターは警護騎士の必死さとは裏腹に呑気に大あくびなどして見せた。呆気にとられる警護騎士の前でウォルターは首をゴキゴキ言わせながら答えた。

 「まったく、またか。何度負けてもりずにきおって。ゆっくり風呂にも入れんではないか」

 「何を呑気なことを言っているのですか⁉」

 警護騎士はついに怒りを露わにした。

 「鬼部どもが時を構わず襲いかかってくるなどわかりきっていること。常に臨戦態勢にあるべきだと何度も申しあげましたぞ! それなのに、そのように呑気にアヒル連れで風呂に入っているなど……!」

 「なんじゃい。そんなことをいちいち気にするな。風呂にもゆっくり入れんようで何の人生じゃい」

 「そんなことは平和を取り戻してから言ってください! いまは鬼部との戦争中なのですぞ。ジェイ団長はいつ、なんどき、襲来があっても対応出来るよう常に軍装姿で、風呂に入るときも剣を傍らに置き……」

 「ああ、もう、その話は何度も聞いたわい。同じことばかり言うな」

 「しかし……!」

 「いいからどけい。一刻も早く指揮を執らなければならんのじゃろう」

 警護騎士としては言いたいことはまだまだ山のようにあったのだが、まさにウォルターの言うとおりの事態であったので何も言えなかった。言いたいことをグッと呑み込み、道を空ける。

 のそり、と、そう音が聞こえるような動作でウォルターは一歩を踏み出した。

 「どうれ、無粋ぶすいな鬼ども。わしの楽しみを邪魔した報いは受けてもらうとするか」

 舌なめずりしたながら呟くその姿。その迫力には警護騎士も認めざるを得なかった。この男は人の姿をした猛獣なのだと。


 防壁の外では守備に当たっていた少数の部隊が必死に防戦を行っていた。

 それは実のところ『戦い』などと言えるものではなかった。自分自身を食わせることで熊猛紅蓮隊が出撃してくるまでの時間を稼ぐ『引き延ばし』に過ぎなかった。

 実際、そこかしこですでに鬼たちの晩餐会が開かれていた。

 何十という鬼が口の周りを兵士たちの血で真っ赤にし、肉の塊をむさぼっていた。それを見る人間がいれば、あまりのおぞましさに胃の中身をすっかり吐いてしまうような光景だった。しかし――。

 それによって、鬼部たちの町中への侵入が防げていたのは事実だった。

 重々しい音を立てて防壁の門が開いた。きらびやかな甲冑に身を包んだ騎士の一団が現れた。その先頭に立つのは一際、重厚な鎧を身にまとい、人の身長ほどもある大剣を担いだ髭面の大男。

 熊猛将軍ウォルター。

 ニヤリ、と、獰猛な笑みを浮かべると、巨大な剣を片手で軽々と操り、叫んだ。

 「突撃いっ!」

 ウォルターの命令は常に簡潔で部下たちは間違えようがない。

 声と共に熊猛紅蓮隊が鬼部目がけて突撃する。もちろん、先頭に立つのは熊猛将軍ウォルターその人である。

 「わははははっ! 勝った、勝った、勝ったぞおっ!」

 いつも通りの雄叫びをあげて、鬼の群れに突撃する。

 自分の身を鬼部に食わせ、必死に時間稼ぎをした兵士たちは報われたろうか。それとも、『どうしてもっと早く……』と恨みに思っただろうか。ウォルターは人の背丈ほどもある大剣を軽々と振りまわしては食事中に鬼の群れに突入し、その一撃であるいは粉砕し、あるいはぶちのめした。ウォルターにとって剣とは両断用の刃物ではなく、ぶん殴るための金属の板だった。

 「わははははっ! 勝った、勝った、勝ったぞおっ!」

 ウォルターの叫びが響き、熊猛紅蓮隊の唱和する声がつづく。

 ウォルターはその声に気分をよくしたのか手近にいた鬼部の腕をむんずとつかむとそのまま力任せに振りまわしはじめた。鬼部の体そのものを武器としてあたりにいる鬼たちをぶちのめす。

 人の背丈ほどもある、並の人間では両手でも持ちあげられないような大剣を片手て軽々と振りまわすだけでも化け物染みていると言うのに、その上、鬼部の体を武器として振りまわす。まったく、常識外の怪物、人の姿の熊の王だった。

 「よし、いまだ! 弓兵、射ていっ!」

 ウォルターの叫びに応じて後方に位置していた弓兵隊が一斉に矢を放つ。

 鬼部たちの上に雨のごとく矢が降り注ぐ。さしもの獰猛どうもうな鬼部たちが一瞬、怯んだ。

 「両翼、突撃いっ! 袋の口を縛るように取り囲み、鬼部どもを一掃せい!」

 右手で大剣、左手で鬼部の体を振りまわし、当たるをさいわい鬼たちをなぎ倒しつつウォルターは叫ぶ。他にどのような問題があるにせよ、戦場に出ればさすが人類最強の猛将。戦術は効果的であり、指示は的確だった。

 熊猛紅蓮隊の陣形はウォルター得意の弓形陣。重装備の前衛と軽装備の左右両翼。それに、後方の弓兵部隊からなる。

 まず、重装備の前衛が相手に突撃し(もちろん、その先頭に立つのは常にウォルター自身である)、相手の萎縮させ、密集させる。そこにすかさず弓兵が矢を射掛け、中央部を混乱に陥れる。そこへ、軽装備故に防御力は低いが機動性に秀でた左右両翼が襲いかかり、袋の口を閉じるように相手を閉じ込め、殲滅せんめつする。

 それが熊猛紅蓮隊必勝の戦術。

 それまでのほとんどの戦いをこの戦術で勝利してきた。そして、いまも。

 「わははははっ、勝った、勝った、勝ったぞおっ!」

 熊猛紅蓮隊の騎士たちにはあまりにもおなじみとなったウォルターの声と共に鬼部の群れを一気に殲滅した。それはまさに、熊猛紅蓮隊こそが人類最強の軍勢であることを示す光景だった。


 「わっはっはっはっ! いやあ、今日も酔える勝利だった。どうれ、風呂に入り直してさっぱりするとするかあ」

 右手には人の背丈ほどの大剣、左手には振りまわしすぎてもはや、腕だけになってしまった鬼部の体。そのふたつをもったまま高笑いする。鬼部の血にまみれた鎧姿のままノッシノッシとのし歩く。まったく、その姿こそ人間とは思えないものだった。

 鬼部たちによるエンカウン襲撃は昼夜を問わずつづいていた。

 早朝。

 昼。

 深夜。

 鬼部たちはいつでもやってきた。

 飯を食っているときも、

 風呂に入っているときも、

 寝ているときも、

 くそをたれているときも。

 いつ何時でもやってきてはエンカウンの町を襲った。

 しかし、いま、エンカウンの町に駐留しているのは貧弱で数の少ない警護騎士団などではない。人類全体から選抜された最強の精鋭軍である熊猛紅蓮隊。数もちがえば、練度もちがう。何よりも、装備品の質が桁違い。しかも、指揮するのは人類最強の猛将である熊猛将軍ウォルター。その威勢の前に、ほとんど被害を出すことなく鬼部を撃退しつづけていた。

 それは確かだ。どんなにウォルターの態度が気に入られない人間であろうともウォルターの強さは認めざるを得ない。しかし――。

 「熊猛将軍! 少しは兵の疲労も考えてください!」

 たまりかねた古参兵のひとりが声をかけた。

 ジェイがハリエットについて町を出て行ったとき、町に残った数少ない警護騎士のひとりである。

 「将軍は毎度、毎度、鬼部の侵攻があるたびに全軍を率いて出撃される。それはあまりにも……」

 「それがなんじゃい。鬼部どもはちゃんと退治しておろうが。それの何が不満じゃ」

 「それはそうです。ですが、その代償として兵の疲労はすでに限界に来ております。休息をとらせることを考えなければ長くはもちませんぞ」

 「なんじゃい、そんなことか。気にするな。おれは疲れてなぞおらん」

 「あなたのような怪物ばかりではないのです! 他の兵たちはもう、度重なる出撃に疲れはてているのですぞ!」

 まったく、この古参兵の言うとおりだった。

 ウォルターは毎回まいかい必ず全軍を率いて出撃する。朝も、昼も、夜も、寝ているときも、食事中も、とにかく、すべての兵士を動員して鬼退治に当たるのだ。そのおかげでこれまでさしたる被害もなく鬼部を撃退してきた。それは確かだ。しかし――。

 その代償として兵士たちは疲れはてていた。

 いくら熊猛紅蓮隊が全人類から選抜された精鋭たちとは言え、ウォルターのような化け物ではない。昼夜を問わず出撃を繰り返し、休憩もろくにはさまず戦いつづける、となれば体は疲労するし、何より神経がもたない。ほとんどの兵はもはや疲れはて、食事もろくに喉を通らない。疲れすぎていて逆に眠ることさえ出来ないほどなのだ。

 そんな状況をしかし、ウォルターはまったく気に懸けていなかった。

 「疲れがなんじゃい。そんなもの、気合いで吹き飛ばせるわ」

 「そのような……! ジェイ団長は常に兵士たちの疲労を気に懸け、細かく体調を管理しておりましたぞ。騎士団を幾つにもわけ、部隊ごとに休憩を与え、疲労しきっている兵士がいれば一時、除隊させて疲れをとらせ……。ジェイ団長であれば、このように常に全軍を率いて出撃しつづけるような真似は……」

 ジェイ団長なら。

 その一言にウォルターは露骨に顔をしかめた。

 「ええい、いちいちジェイ、ジェイ、言うな。そんなにジェイとやらがいいならそやつのもとに行けばよかろうが」

 「それは……」

 「ともかくだ。おれにはおれの戦い方がある。ゴチャゴチャ言うならとっとと辞めることだ」

 その無神経な一言が古参兵の怒りに火を注いだ。

 ――常に全軍を動員して疲れさせ、一気に破滅に追いやるのがあなたの戦い方か!

 そう怒鳴ってやりたいところだった。

 しかし、非難の声はまた別方向からあがってきた。

 「将軍。より切実な問題がありますぞ」

 「なんじゃい、今度は」

 ウォルターは露骨に面倒くさそうな顔で振り向いた。そこにいたのは物資の補給を担当する文官だった。

 「熊猛紅蓮隊の物資が尽きつつあります。食料も、医薬品も、その他の日常品も何もかもが足りません。このままでは遠からず戦いどころではなくなります」

 「なんじゃい、そんなことか」と、ウォルターは吐き捨てた。

 「そんなことですと⁉」

 古参兵と文官が同時に声をあげた。

 「必要なものは敵から奪う。それが戦というもんじゃ。食い物が足りないなら鬼部どもを倒して奪えばよい。それだけのことじゃ」

 「鬼部は人を食っているのですぞ! 人肉を食えと仰るか⁉」

 「補給をないがしろにしていては勝てる戦も勝てませんぞ」

 古参兵が悲鳴にも似た叫びをあげ、文官が諭すように言う。

 ウォルターが露骨に顔をしかめたのは『補給』の一言に、ある人物の顔を思い出したからだ。かつてのかの人の婚約者、いまでは追放され、単なる平民、いや、それ以下の反逆者となっている人物。

 『人類一の美貌』と讃えられる女性の顔を。

 「補給、補給と七面倒なことを言うでないわ。そんなことを言うやつはあの女ひとりでたくさんだ。補給なんぞ気にせんでも、足りなくなる前に勝てばよい。それだけのことじゃわい」

 「将軍!」

 「くどい! ギャアギャアいわんでも、明日にでもガヴァンのやつが鬼王の首を取ってくるわ。それでこの戦も終わりじゃ。補給なんぞいらんわい。それより、祝いじゃ! 戦勝記念の宴を開けい! 肉も、酒も、ありったけ用意しろ!」」

 ウォルターはそう言い残すとノッシノッシと音を立てて歩き去る。

 「将軍、そのような……!」

 古参兵は食いさがったが、ウォルターはもはや聞いていない。足音高く去って行く。

 古参兵はすべてを諦め、その場にとどまった。

 文官は深いため息を漏らした。

 「……ジェイ団長さえいてくれれば」

 まったく、ジェイやアステスの緻密な采配振りを知る残留組にとっては、ウォルターのおおざっぱさは信じられないものだった。何しろ、兵の疲労も考えずに毎回、全力出撃を繰り返し、食料の備蓄も気に懸けずに毎度まいど飲めや歌えの戦勝祝いをするのだから。

 もとより、熊猛紅蓮隊は『攻め』の軍団だった。

 自分たちから相手のもとに出向き、一気呵成に攻撃を仕掛け、短時間で制圧する。

 それが、熊猛紅蓮隊の本来の役割。

 そんな役割であったから食事も休息も充分に取れたし、常に万全な状態で戦端を開けた。いつどこから襲われるかわからない防衛戦となるとまったく勝手がちがった。ウォルター自身、突撃を繰り返して相手の首を取ることにかけてはたしかに人類最強の猛将だったが、何よりも辛抱強さを必要とする、いつ終わるとも知れない防衛戦の指揮を執るにはまったく向いていなかった。あくまで短期決戦用の戦い方しか出来ないのだ。

 ――これが熊猛紅蓮隊の正体か。

 苦い思いと共にそう呟かずにはいられなかった。

 熊猛紅蓮隊。

 全人類から選抜された最強の軍勢。

 対鬼部戦役の切り札。

 そう言われ、その存在にこそ希望を託していた。しかし――。

 その実体は所詮、他の大勢にお膳立てを整えてもらい、最終決戦だけを行うお嬢さま部隊。他の苦労すべてを他の部隊に押しつけていられたからこそ、無敵でいられたのだ。

 すべてを自分たちだけで行わなくてはならないとなったら、ただただ突撃を繰り返すだけの猪の群れに過ぎなかった。

 「……文官どの。熊猛紅蓮隊の物資はあとどれだけもつのです?」

 「切り詰めて二週間と言ったところでしょうな。いまの調子ではそう……三日がせいぜいかと」

 「補給の当ては?」

 「将軍も国王陛下も補給のことなど考えておりませぬゆえ」

 兵の疲労は?

 逆にそう問われ、古参兵は答えた。

 「この調子で戦いつづけていれば一週間しないうちに限界を迎えるでしょうな。そのあとは……」

 一方的になぶり殺しにされる、いや、文字通りの食い物にされるだけ。

 その明快な、しかし、不吉すぎる言葉を口にする勇気はふたりともになかった。

 「……こんなことなら我々もジェイ団長と共にこの町を出ていた方がよかったかも知れませんな」

 「しかし、それでは、この町に残った人たちはどうなるます? 見捨てるわけにもいかんでしょう」

 「ならばいっそ、町人全員で出て行ってしまえばよいのでは? ジェイ団長はハリエット嬢と共に新しい町作りに励んでいるとか。我々の居場所もありましょう。この町の防衛は目先のことしか見えていない国王兄弟に任せておけばよい」

 「………」

 勝利を重なる陰で迫りつつある破局。

 その破局の存在に――。

 ウォルターはまったく気が付いていなかった。

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