婚約破棄からはじまる追放された令嬢たちが新しい世界を作り、人類を救う物語1 〜勇者の敗北篇〜

藍条森也

第一話 はじまりの令嬢と最前線の騎士

一章 三人の令嬢と国王三兄弟

 「ヒーリー男爵家令嬢ハリエット!

 エドウィン伯爵家令嬢アーデルハイド!

 シュヴァリエ伯爵家令嬢アンドレア!

 いまこの場をもってその方たちとの婚約を破棄し、追放を申しつける!」

 鬼部おにべとの戦いの勝利を祝う祝賀会会場。贅を凝らした美酒美食が振る舞われ、無数の名士が豪壮な音楽に乗って舞い踊る。そのきらびやかな場に国王の無慈悲な宣告が響き渡る。 晴れやかなその場にてさらし者にされた三人の令嬢、

 ハリエット・ヒーリー、

 アーデルハイド・エドウィン、

 アンドレア・シュヴァリエ、

 は、それぞれに唇を噛みしめ、両手を握りしめ、その宣告に耐えていた。そんなかの人たちを見下すのはつい先ほどまでその婚約者であった三人の男、人類最強最大の国家たるレオンハルト王国を支配するきょうだいたち。

 三男にして『白き鷹の勇者』の異名を持つ人類ただひとりの勇者ガヴァン。

 次男にして人類最強の軍勢を率いる大将軍こと『熊猛ゆうもう将軍しょうぐん』ウォルター。

 長男にして国王、人類最大の国家レオンハルトを支配する『獅子王』レオナルド。

 その側にはそれぞれ、婚約者であった令嬢たちとは別の女がはべり、きょうだいに劣らない露骨な蔑みの視線で令嬢たちを見下している。

 「その方たちの家系はそれぞれに我が王家と親密な関わりを持ち、多大な貢献を成してきた。その忠誠と献身に応えるべく、余はその方たちを我らきょうだいの妃として迎えることを決定した。にもかかわらず! その方たちは余の決定に感謝の意を示すことすらなく、その立場に奢り、高ぶり、不敬の数々! 本来ならばこの場で死罪とするところなれど、これまでの貢献を鑑み、家系の取りつぶしと領地の没収、そして、その方たち自身の永久追放にとどめてやろう。せいぜい、祖先の献身と余の寛大さに感謝するがいい。何をしている? 勅命はすでに下った。即刻、この国を出て行くがいい!」

 会場の空気を振るわせ、参加者という参加者の顔色をなからしめ、国王レオナルドの叫びが響き渡る。

 このときはまだ誰も知らなかった。

 この件をきっかけに三人の令嬢の本当の人生がはじまること、そして、人類最強最大国家たるレオンハルトが滅び去り、三人の令嬢の生み出した新しい世界が取って代わると言うことを。

 これは、婚約破棄からはじまる三人の令嬢の物語。


  《婚約破棄からはじまる

     棘付きハッピーエンドの物語》


 レオンハルト。

 それは、人類最強最大の国家であり、鬼部の侵攻にさらされる人類にとって最大の、そして、唯一の希望と目される王国。その王国を支配するのはそれぞれに圧倒的な力を持つ三人のきょうだい。

 人類唯一の勇者にして最強の戦士、三きょうだいの三男たる『白き鷹の勇者』ガヴァン。

 人類最強の精鋭軍を率い、常に鬼部との戦いの最前線に立つ大将軍、三きょうだいの次男たる『熊猛将軍』ウォルター。

 人類最大国家の国王として人類世界そのものを先導する鋼の意思の支配者、三きょうだいの長男たる『獅子王』レオナルド。

 奇跡とも言えるほどに圧倒的な才能に恵まれた三人のきょうだい。このきょうだいこそは人類の希望であり、鬼部との戦いにおいて人類を勝利に導いてくれる切り札。

 人々はそう信じ、三人のきょうだいを神のごとく崇めていた。だが――。

 広大にして豪壮、建築技術の粋を集めて建設されたレオンハルトの王宮。その一室、三きょうだいの三男にして人類唯一の勇者たるガヴァンの部屋を、ヒーリー男爵家令嬢ハリエットは訪れていた。小柄で華奢な体つき。いまだ『少女』と呼ぶのが似合う愛らしい顔立ちとそれにふさわしい清楚な雰囲気。剣をもって戦うなど見るからに出来そうもないかの人はしかし、このときはたしかにガヴァン率いる勇者パーティーの一員だった。

 「勇者さま」と、ハリエットは自分の婚約者である男を名前ではなく、肩書きで呼んだ。ハリエットの意思ではない。そう呼ぶように言われている。他ならぬ婚約者のガヴァンから。敬称を省くことはおろか、名前で呼ぶことすら許されない。それが、ハリエットの実際の立場だった。

 そのことをハリエットに思い知らせるかのように、ソファの上にふんぞり返るガヴァンの左右にはふたりの女性が並んで座っていた。

 聖女フィオナと魔女スヴェトラーナ。

 ともに、レオンハルト、いや、人類世界全体でも最高の魔力を誇る聖女と魔女であり、ガヴァンとともに戦う勇者パーティーの一員である。

 ガヴァンはそんなふたりの肩に手を回し、マハラジャ気取りである。ガヴァンは決して醜悪というわけではない。それどころか、若々しく引き締まった顔立ちはそうは見ないほどに端正であり、ちょっと目を合わせて微笑めば上は貴族の貴婦人から、下は街角の少女にいたるまで、女性という女性すべてが歓声をあげる、そんな人物だった。しかし、せっかくのその資源を人を見下してやまない態度が台無しにしていることに本人は気付いていない。

 いま、このときも、婚約者がいる身でとるべきではない態度を、当の婚約者自身にあえて見せつけている。それは無礼とか、失礼とか、そんな域を遙かに超えて、相手を侮辱し、傷つけることそれ自体を目的としている、そうとしか思えない態度だった。

 ハリエットの方はと言えばいまさらそんなことは気にしていない。ガヴァンの傲慢な態度にはもう慣れた。そもそも、王族の身であればひとりでも多くの子供を持つ必要がある。そのために、幾人もの側室、愛妾を持つのは普通のこと。ハリエットも貴族の令嬢としてその辺りの事情は充分に承知していたし、王族に嫁ぐことが決まった以上、数多くの側室・愛妾を取りまとめる立場になることは覚悟していた。

 だから、ガヴァンが何人の女に手を出そうとそれ自体はかまわない。まして、フィオナとスヴェトラーナはそれぞれに聖女と魔女として勇者とともに戦い、幾多の死地をくぐり抜けてきている身。情を通じ合わせない方がむしろ、不自然だろう。この三人の関係に口出しする気などハリエットにはなかった。しかし――。

 ――わざわざ、わたしの前で見せつける必要はないでしょう。

 形式上、ガヴァンの正妻となるのはあくまでもハリエットなのだ。ならば、形の上だけでもその立場を尊重し、敬意をもって接するのが筋というもの。その程度の配慮すらせず、意識して傷つけるように振る舞うとは……。

 ハリエットは誰にも気付かれない程度に小さく首を振って、その思いを振り払った。いまはあくまでも勇者パーティーの一員として職務上の報告に来ているのだ。そんなことを気にしている場合ではない。そう思い直し、報告をつづけた。

 「勇者さま。次の遠征地であるウィスラー城についての調査報告がまとまりました。当該地域を制圧した鬼部の首魁は千鬼長クラス。配下の軍勢はおよそ二〇〇〇。地域一帯の野生モンスターの生息密度は中程度。また、ウィスラー城の元々の所有者であるスミクトル公国との交渉もまとまりました。スミクトル公国からも一軍が出撃し、合流する手はずとなっております」

 「ふん、そうか」

 ハリエットの報告にガヴァンは組んでいる脚をブラブラさせながら言った。いかにも人を小馬鹿にしたような傲慢な口調がかの人の性格をよく表している。

 「そんな連中なぞいなくても、おれたちだけで充分だがな。なあ、フィオナ、スヴェトラーナ」

 「ええ、ガヴァンさま」

 「その通りだ、ガヴァンさま」

 婚約者であるハリエットが名前で呼ぶことを許されていないガヴァンを、このふたりは名前で呼ぶことが許されている。その立場のちがいを思い知らせるようにふたりはなまめかしい声を出した。

 「まあいい。せっかく参加すると言うんだ。同行だけは許してやろう。せいぜい、おれたちの足手まといにならないよう伝えておけ」

 「勇者さま、またそのような……」

 あまりと言えばあまりなガヴァンの言い草にハリエットは眉をひそめた。

 「いままでにも何度も申し上げております。そのように他人を見下すような言い方は……」

 「ふん。見下して何が悪い。おれは勇者。おれは人類最強の戦士。選ばれた存在。鬼部の王を倒し、人類と世界を守る人間だ。そのおれから見たらそこらの雑兵など盾代わりにもならない雑魚に過ぎない。見下したって当然だろう。それがいやなら勇者になってみろと言っておけ」

 「勇者さま。これも何度も申し上げております。鬼部の王を倒し、人類を救うためには一般兵との連携が不可欠であり……」

 「黙れ!」

 あろうことかガヴァンは、怒声とともに手にしたワイングラスの中身を婚約者目がけてぶちまけた。たちまちハリエットの全身が朱色に染まる。そんなハリエットに追い打ちをかけるようにフィオナとスヴェトラーナが冷ややかな笑声を立てた。

 「いつもいつも同じことを! 雑兵どもがどうした⁉ 鬼部の王を倒すのは雑兵どもなんかじゃない、おれだ! 勇者であるこのおれなんだ! 役にも立たない雑兵どものことなどかまっていられるか!」

 ハリエットは全身を濡らしながら婚約者の罵声に黙って耐えている。ガヴァンはそんなハリエットに突然、興味をなくしたように鼻を鳴らした。

 「どうした? 何を突っ立っている? 用が済んだならさっさと帰れ。それとも、また何かあるのか?」

 「……開発局からの連絡です。皆さま用の新しい装備が出来上がったと」

 「おう、そうか!」

 その報告にガヴァンは態度を一変させた。表情は喜びに輝き、聖女と魔女から腕を放して立ちあがる。そんな表情をしているとガヴァンはたしかに少年のような初々しさを持つ美男子なのだった。

 「待ちかねたぞ。すぐに開発局に向かって試し斬りを……」

 「お待ちください!」

 ハリエットの叫びにガヴァンは面倒くさそうに振り向いた。

 「何だ、その表情は。不満でもあるのか? 剣も魔法も使えない役立たずのお前をわざわざ勇者パーティーに入れてやっているんだ。せいぜい下働きをしておれたちを支えるのがお前の役目だろう。いやなら、いつでも出て行っていいんだぞ。お前のかわりなど誰にでも出来るんだからな」

 「ええ。まさに、ガヴァンさまの仰るとおり」

 「我々が命がけで鬼部と戦っている間、お前はいつも安全な後方で指をくわえて見ているだけ。そんな能なしが不満などおこがましい」

 ガヴァンにつづいてフィオナとスヴェトラーナもそう責め立てた。

 フィオナは聖女らしく高貴な光彩に包まれた美女であり、スヴェトラーナもまた魔女の名にふさわしく妖艶な雰囲気をたたえた絶世の美女。ハリエットも充分に清楚で愛らしい貴族令嬢なのだが、このふたりの前ではバラにはさまれたタンポポのように色褪せてしまう。

 ハリエットはギュッと唇を噛みしめた。その表情を見られないようにうつむきながら、言葉をつづけた。

 「わたしのことではございません。一般兵の扱いについてです」

 「また、その話か」と、ガヴァンは露骨にうんざりした様子になった。『シッシッ』とばかりに手を振ってみせるが、ハリエットは話を続けた。ことは王国の兵士たちの、ひいては人類世界全体の運命に関わることなのだ。こんなことで引き下がるわけには行かない。

 「皆さま方の装備品の開発にはあまりにも多額の資金が費やされております。そのほんの一部を振り分けるだけで、一般兵の装備をずっと充実したものにできるのですよ。そうなれば戦力は増強され、戦死者の数も……」

 「もういい! その件については何度も言ったとおりだ。持ちうる資金と人材のすべてを注ぎ込み、最強の武器と防具を開発し、最強の勇者が使う。そして、最強の敵を倒す! それでこそ、鬼部を討ち果たし、人類に勝利をもたらすことが出来るのだろうが。それを、雑兵どものために資金を使ったりしては鬼部の王を討ち果たすことはできず、人類は敗北することになる。その程度のことがどうしてわからない⁉」

 「勇者さま。いくら、勇者さまがお強くても、ひとりで戦に勝つことはできないのですよ!」

 ハリエットのその一言に――。

 白き鷹の勇者の眉間に稲妻が走った。

 「きさま! このおれでは世界を救う勇者として不足だと言うのか⁉」

 「何と言う傲慢! 何の役にも立たない無能者の分際でガヴァンさまを非難するなど……分をわきまえなさい!」

 「利いた風な口を叩くならそれだけの実力を身につけてからにするがいい! きさまごとき無能者が例え一〇〇年の修行を積もうとも火球ひとつ使えるようにはならないだろうがな」

 フィオナとスヴェトラーナもソファから立ちあがって怒りの言葉をハリエットに叩きつけた。三人の勇者パーティーに対し、ハリエットはたったひとり、小柄な体を背いっぱいに伸ばして抗戦した。

 「力不足などと申しているのではありません! ただ、鬼部には無数とも言える軍勢がおり、それをひとりで討ち果たすことなど……」

 「もういい! これ以上、貴様の顔を見ていては堪忍袋の緒も切れる。叩き斬られないうちにいますぐ出て行け!」

 そう叫ぶガヴァンの顔には本物の怒りの表情が浮いていた。フィオナとスヴェトラーナもそれぞれに聖なる杖と魔力の爪をハリエットに向けている。これ以上、食い下がれば本当にふたりの魔法が放たれかねない。さすがに生命の危険を感じ、ハリエットは引き下がった。ワインに濡れて朱色に染まったドレスの裾を両手でつまみ、貴族の令嬢らしい優雅な仕種で一礼すると、部屋を出た。その背中に、

 「ふん。能なしのくせに態度だけは一人前だな」

 という、ガヴァンの吐き捨てる声が届いた。

 ――まさか、あそこまで疎まれていたなんて。

 王宮の廊下を歩きながらハリエットはギュッと唇を噛みしめた。ほのかに血の味がした。思わず唇を食い破ってしまったらしい。

 ――たしかにわたしは剣も魔法も使えない。戦いの場においては役立たずにちがいない。でも、だからこそ、戦い以外では、情報や補給、各地への連絡、交渉などで役に立とうとしてきた。それなのに……。

 ハリエットは首を左右に振った。胸の内にわき起こる思いを押しとどめた。

 「いえ。そんなことはどうでもいい。誰にどう思われようと、わたしはわたしの果たすべき役割を果たす。ただ、それだけ。でも――」

 ハリエットは拳を握りしめながら呟いた。

 「一般兵に対する扱い。あれだけは……」

△    ▽

 「熊猛将軍」と、エドウィン伯爵家令嬢アーデルハイドは自身の婚約者である大将軍ウォルターに呼びかけた。

 「熊猛将軍。どうか、これだけはお聞き入れください」

 「またか。どうせ、またいつもの話だろう」

 ウォルターはうんざりした様子で答えた。王国随一の美貌。人類の至宝。そう唄われるアーデルハイドの美貌を前にしてもこの戦場の申し子は感銘を受けている様子もない。ただ退屈そうに手をヒラヒラさせているだけだ。その隣にはアーデルハイドとは対称的に肉感的な肢体の女が寄り添っている。

 アーデルハイドはその女、イーディスには目もくれず、ウォルターに相対した。

 「お聞き入れくださるまで何度でも申し上げます。熊猛将軍。どうか一刻も早く警備兵を増強し、補給路の警備を強化してくださいますよう」

 「くどい!」

 ウォルターは思い切り怒鳴った。『豪熊ごうゆう』とも呼ばれる獣染みた巨体にふさわしいすさまじい声だった。この声で怒鳴られるとどんな戦場の猛者であれ、魂の底から縮みあがり、従順な犬と化すという。それほどの怒声を受けてアーデルハイドはしかし、平然と佇んでいた。貴族令嬢らしいその気品ある美しさはいささかも揺らいでいない。

 その落ち着きが気に入らないのか、ウォルターはさらに声を張りあげた。

 「補給がどうしたと? そんなことは問題外だ。戦に勝つために必要なのは武器だ! この剣さえあればことは足りる!」

 「熊猛将軍。いくら優れた剣があっても、その剣を使うのは人間です。そして、人間が戦うためには水と食料、その他、多くの物資が必要なのです。それらの物資を生産し、運ばないことには戦に勝つことはおろか、つづけていくことさえできません。鬼部は決して知能を持たない怪物の群れではありません。高度な意思によって統制された強力な軍団です。現に、鬼部の軍は現在、我々の補給路に集中的な攻撃を仕掛けてきています。このままでは補給路は分断され、すべての物資の搬入が滞ることになります。そうなれば、どれほど優れた剣があっても戦えません。いますぐ、補給路の警備のために兵を割き……」

 「たわけ! そのような真似をすれば前線で剣を振るう兵士がいなくなるではないか! そんなことをすれば勝てる戦も勝てなくなるわ」

 「水も食料もなしに戦える兵士などいないのですよ!」

 「食い物は敵から奪う、それだけだ!」

 ウォルターはそう叫んでから、忌々しそうに唾を吐き捨てた。

 「まったく、口の減らん女だ。これだから貴族の女など気に食わんと言うのだ。気位ばかり高くて口うるさい。女とは、このイーディスのように控えめで従順であるべきだと言うのに」

 ウォルターはそう言って傍らにはべる愛人を両腕で抱きかかえた。その表情がアーデルハイドに向けるものとはまったくちがい、すっかりにやけ切ったものだった。同一人物とは思えないぐらいの表情の変わり振りだ。

 「ええ、その通りですわ。ウォルターさま」と、その愛人、イーディスはチラリと横目で勝ち誇った視線をアーデルハイドに向けてから答えた。男心をとろけさすような甘えを含んだその声と口調とは、たしかに演技としてなら一級品だった。

 「わたくしは決してあの女のように出しゃばることはいたしません。陰ながらウォルターさまのお力となり、一生涯、支えることを誓いますわ」

 「おうおう、いやつよ。女はやはり、そうでなくてはいかん」

 「ああ、ウォルターさま」

 と、ふたりはアーデルハイドの存在など忘れたかのようにふたりの世界に浸りはじめた。

 イーディスは貴族の娘ではない。平民の娘、それも、貧民街の出である。日銭を稼ぐために場末の酒場で働いていたところにたまたまウォルターが訪れた。アーデルハイドのような『絶世の美女』と言うわけではないが、男好きのする豊満な肉体とやはり、男心をくすぐる機知とが気に入られ、そのまま愛人の座に納まった。ちなみに、酒場の主はたっぷりの金を支払われてホクホク顔だったが、ほどなくしてその金を目当てに押し入った盗賊によって惨殺された……。

 もともと『貴族の女は気に入らん。気位ばかり高くて口うるさい』と公言し、愛人にするのも平民の女ばかりというウォルターである。正妻となるアーデルハイドのことなど放ったらかしで、堂々とイーディスを溺愛していた。

 「まったく、王族などと言うものは不自由なものだ。家同士のしがらみやら何やらで女房ひとり、自由には選べん。兄上の命で仕方なくこの貴族の娘を娶ることになったが、イーディス、おれの心はお前のもの、お前ひとりだけのものだ」

 「嬉しゅうございますわ、ウォルターさま。あなた様の愛に応えるために力の限り、尽くさせていただきます」

 「うむ。そなたの助力さえあればおれは誰にも負けん。鬼部などこの一剣をもって蹴散らしてくれる。支えを頼むぞ」

 「はい。ウォルターさま」

 もはや、ふたりともアーデルハイドのことなど完全に忘れている。正確に言うと、実際に忘れているのはウォルターだけで、イーディスのほうは忘れたふりをすることで自分の優位を見せつけている。同じ女であるアーデルハイドから見ればそんな演技など見え見えだったが、豪放だが単純なウォルターはまるで気が付かない。

 アーデルハイドは溜め息をついた。これではもう何を言っても無駄だ。そう悟るしかなかった。どうせ、ウォルターが気が付くはずはないが一応、挨拶だけは残してアーデルハイドはウォルターの部屋を辞した。予想通り、チラリと視線を送って勝ち誇った笑みを見せたのはイーディスだけであって、ウォルターは気付きもしなかった。

 アーデルハイドは王宮の廊下を歩きながら思った。

 ――あの方は紛れもなく古今の猛将。戦場においてはたしかに無双。でも、それだけに戦場以外のことには興味を持たず、すべてを戦場だけで解決しようとなされる。兵が戦場で戦うためには、なによりも補給が必要だと言うのに……。

△    ▽

 「女だてらに騎士装束に長剣か。相変わらず、色気の欠片もない格好だな。アンドレア」

 そう言って自身の婚約者に露骨な蔑みの視線を向けたのはレオンハルト王国国王『獅子王』レオナルドであった。

 シュヴァリエ伯爵家令嬢アンドレアは王の私室においてただひとり、国王レオナルドと相対していた。

 「わたしはいずれ陛下の妻となる身。いざとなれば身命にかえて陛下をお守りする盾となる。それが役目と心得ております」

 その確固たる決意表明にもレオナルドはいささかの感銘も受けなかった。面倒くさそうに『わかった、わかった』と答えただけだった。それは充分に『侮辱的』と言っていい態度だった。

 ――相手が国王でさえなければ、名誉をかけた決闘を申し込んでやれるものを。

 アンドレアは悔しくて仕方がない。

 「それで何の用だ? まさか、またいつもの用件ではあるまいな?」

 だったら、許さんぞ。

 言外にはっきりとその意思が込められていた。

 アンドレアは負けじと目に力を込め、言い放った。

 「陛下。謹んで申し上げます。いますぐ国法をかえ、女たちも戦場に出られるようにすべきです!」

 「また、それか。くだらぬことを」

 「陛下! わたしは、家庭に閉じ込められている女たちを解放して戦力とするよう、進言しているのです。それのどこがくだらないことだと仰るのですか⁉」

 「そんなこともわからぬか、愚か者め! 鬼部との戦いが長引き、戦死者が増え、人口は減る一方。女たちにはひとりでも多くの子を産み、新たな国民を育ててもらわなければならぬ。その女たちを家庭から引き離し、男同様に戦場に引き出せだと? それでは、誰が新しい子を産む? 誰が新しい国民を育む? そんなことになれば人口はさらに減り、鬼部に対する戦力を維持出来なくなる。そうなれば我が国は敗れ、人類は根絶される。自明のことではないか」

 「陛下! わたしとて鬼部との戦いが長引くなかで人口が減り続けていることは承知しております。だからこそ、女たちを家庭から解放するよう進言しているのです。人口の半分を占める女たちが戦いに出られるようになれば戦力は一気に倍になります。それなのに、男たちだけに任せるなど愚の骨頂! 必要なのは女たちが子を産み、育みながらも戦えるよう、支援体制を整えることであり……」

 「黙れ! きさまは子育てをなんと心得る⁉ 子育てとはまさに戦争。他のことをしながら果たすことができるほど生温いことではないぞ。だからこそ、女たちは家庭にあって子育てに専念しなくてはならんのだ」

 「陛下、それでは……」

 「もういい! アンドレア! きさまの父、アントニオは二〇年前、まだ若く、未熟であった余をかばって戦場に倒れた。その功に報いるためにわざわざお前を我が妻に迎えることに決めてやったというのに、感謝のひとつも示さず、小言、小言。もうよい! 下がれ! 口さがない出しゃばり女など余には必要ない。余が必要とするのは黙って子を産み、育てる、従順で貞淑な女だけだ!」

 そう一喝されて、アンドレアは屈辱のあまり顔を真っ赤にした。これが他の何者かであったなら、騎士の名誉にかけて斬りかかっているところだ。しかし、国王その人が相手ではさすがに剣を抜くわけには行かない。

 アンドレアは一礼して引き下がった。納得したからでもなければ、恐れ入ったからでもない。これ以上、この場にいたら剣を抜くことを押さえる自信がなかったからだ。

 ――なぜ、このわたしがこんな扱いを受けなければいけないのか。

 アンドレアは屈辱に目もくらむ思いだった。

 かの人の家系であるシュヴァリエ家は代々、騎士として王家に仕え、剣となり、盾となり、王家を支えてきた。その献身ぶりは代々の当主のほとんどが王をかばって戦死してきたという歴史によって証明されている。アンドレアの父アントニオもまた、二〇年前の戦でまだ若かったレオをかばって戦死したのだ。

 そのとき、アンドレアはまだわずか六歳。アントニオにはアンドレアを筆頭に正妻との間にできた三人の子供と愛人に産ませた五人の子供がいたが、どういうものかいずれも娘だった。

 『何とふがいない。シュヴァリエ家の騎士の歴史もおれの代で絶えるのか』

 そう嘆く父の背中を見ながらアンドレアは育ったのだ。

 だからこそ、父が戦死したと知ったとき、わずか六歳の身でありながら自分が騎士となって一族の使命を果たすことに決めた。

 例え、最後のひとりとなろうとも王家のために。

 その信条を守るために。

 その日から貴族令嬢としてのドレスを脱ぎ捨て、騎士装束に身を包み、剣を手にした。鍛錬に鍛練を重ね、一五歳になる頃にはすでに王国内でも名の知れた剣士となっていた。一六歳の初陣以来、幾度となく戦場に出、実戦でも功績を立ててきた。

 レオナルドから自分の妻となるよう言われたときも本当はいやだった。断りたかった。妻ではなく、あくまでも騎士として王家のために剣を振るい、戦いたかったのだ。しかし――。

 国王の要望を断り、その顔に泥を塗るなどできるはずもない。そんなことをすれば自分は不敬罪で処刑され、家はお取りつぶし。シュヴァリエ家の騎士の歴史は自分の代で途絶えることになる。そんなことになれば自分は一体、何のために剣を振るってきたのか。

 それだけはできない。

 だからこそ、家名を守るために仕方なく承諾したのだ。将来の妃として戦場から離れ、王宮勤めをするようになってからも、騎士装束と剣だけは最後の意地として手放すことはなかったけれど。

 『獅子王』レオナルドは一三歳にして一〇以上も年上の貴族の貴婦人――それも、人妻――を愛人として抱え、一五歳で庶子を設けたという強者だ。子供の数はすでに十人を超える。いずれも庶出子と言うことで正規の王族として認められてはいないが、王の血を引く子供たちであることに違いはない。

 表面だけを見れば大変な女好き、と言うことになる。しかし、レオナルドの本質はそこにはない。レオナルドは実は女には興味がなく、強い子供を設けることだけが目的なのだ。そのことを証明するかのようにレオナルドは『たおやか』とか『可憐』とか称されるような令嬢たちには一切、興味を示さず、とにかく、頑健で力強い女を好んだ。子供が庶出子ばかりなのも、町中で肉体労働にいそしんでいるような女たちを好んで召し抱えたからだ。

 アンドレアを妻にと決めたのもそのためだろう。『父親の功に報いるため』と言うのも嘘ではないだろう。その点ではたしかに義理堅い男であったから。しかし、それ以上に『王国で五本の指に入る』とまで言われたアンドレアの剣士としての評判が気に入ったのにちがいない。何しろ、その『五本の指』のなかで子供を産めるのはアンドレアひとりであったから。だが――。

 「わたしは子を産む道具ではない!」

 アンドレアは思い切り叫び、王宮の壁を殴りつけた。突然の剣幕に通りすがりの侍女たちが怯えた表情になって逃げ出した。怒り心頭のアンドレアはそんなことにも気が付かない。

 「わたしだけではない。女たちのなかにも戦場に出て戦えるもの、国を守るために戦おうという気概を持つものはたくさんいる。その女たちを家庭に閉じ込め、子を産む道具にしようなどとは」

△    ▽

 ヒーリー男爵家令嬢ハリエット

 エドウィン伯爵家令嬢アーデルハイド。

 シュヴァリエ伯爵家令嬢アンドレア。

 やがて、歴史をかえることになる三人の令嬢は期せずして同じ言葉を呟いた。

 「このままにしてはおけない。何とかしなければ……」

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