女神官ミア=タカミア=リシャール

 西方世界中部の神話の主神カドルト——創造と慈悲と復活を司る神——の孤児院にミア=タカミアは物心付く前から暮らしていた。


 回復魔法に高い適性を示し、知性も高かった彼女は彼女の住んでいたエセルナート王国首都トレボグラード城塞都市の神学校に進むことになった。


 至高神カドルトを祀る万神殿カント寺院に配属された彼女は、このまま寺院付の神官になるか、冒険者達の手助けをしてこの世の不正をただすか悩んだ末に冒険者となる道を選んだ。


 ——しかしトレボグラード城塞都市の真下にある〝狂王の試練場〟と呼ばれる地下迷宮の第十層で、ミアはその決断を心の底から悔いていた。


「……俺を捨てて逃げろ」腕の中に居る男性冒険者は命の火を燃やし尽くそうとしていた。


「馬鹿言わないで。どうやっても連れて帰るんだから」


 ミア達は仲間に捨てられたのだ。


 冒険者の一団に加わっていたミアに劣情を抱いたパーティリーダーは仲間と共に迷宮の奥で彼女を強姦しようとした。


 その時の欲望に歪んだ仲間達の顔をミアは思い出す——最初からそうするつもりだったという事に。


「誰も来やしねえよ——キース、お前だって本当はこの女を犯したいと思ってたんだろ。騎士気取りは止めてお前も極楽を味わえよ。純潔を誓った女神官なんてそうそう抱けるもんじゃねえぞ」


「ふざけるな!」キースと呼ばれた魔術師は怒鳴った。


 地下九層——早く実力を付けたいと思ったミアはトレボグラード城塞都市でも一、二を争う実力者のパーティに加わって腕を磨こうとした。


 九層はそのパーティが主な修行の場にしていた階層だ。


 地下深くまで潜って助けも呼べない——迷宮の奥で何が起こったのか知る者は居ない——リーダーはそう思っていた。


 パーティリーダーがミアの服を破った所でキースは割って入った——リーダーを殴りつけたのだ。


 我慢の限界だった。


 魔法が使えたらキースの勝ちだったろう——しかしキースは魔力の殆どを使い果たしていた。


 ミアは後じさった。


 キースはミアとリーダーの間に立ちふさがる。


 他の三人の仲間もリーダーの味方だった——ミアを慰み者にしようとしていたのだ。


「どけよ。今なら見逃してやる——この迷宮に立て篭もってるワードナを斃せば俺達はエセルナート王国の近衛だぞ。女一人の為にその名誉と金を捨てるつもりか」低い声でリーダーはキースを脅す。


「ミア——逃げろ!」それだけ言うとキースは無言で魔術杖スタッフを構える。


 ミアは目の前で起きている事が信じられない——尻もちをついたまま動くことが出来なかった。


「——初心者なんだって?」そう言って人好きのする笑顔を浮かべていたリーダーがこんな残酷な人間だったなんて。


 キースの魔術杖の先に揺らめく炎が現れる——最後に残った魔法だった。


 ミアはキースの背中から何かが生えたかのような光景を見た——法衣ローブが盛り上がったのだ。


 それがキースの身体を長剣が突き刺したのだと気付くまで数拍の時間が必要だった。


 キースが倒れ込む——キースを刺した戦士は喚きながら逃げ出した——リーダー達が慌てて後を追う。


 事の成り行きに呆然としていたミアはキースの腕が動いたのに気付いた——まだ命は有る。


 慌てて回復魔法を掛ける——しかし、キースの傷は深かった。


 身体を透視する魔法で傷を見る——傷口は塞がったが内臓からの出血が止まらない——ミアの魔力も切れた。


 リーダーたちの逃げた先の扉を引っ掻く様な音がした——魔物だ。


 逃げなくては——しかし何処へ?


 部屋の隅に穴が有る——灯りを消して隠れこもうとした——突然落下する感覚が二人を包んだ——落とし穴だ。


 床にぶつけられる衝撃に身を固くしていたが、クッションに落下したかのように衝撃は遮られた。


 下の階層——噂では最下層の第十層に落下したのだ。


 救いのない状況にミアは絶望した。


 血の匂いに魔物たちが気付くのも時間の問題だろう。


 キースを引きずって遠くまで行けるとは思わない——上に上る階段が何処かに有ればまだましだろう——地下十層は殆ど探検されていない——無暗に動くのは危険だが、動かなければキースは死ぬ。


 八方塞がりだった。


 ——慈悲の神カドルトよ——どうぞ私達をお救い下さい——ミアは懸命に祈る。


 迷宮第十層は冷たい沈黙でそれに応えた。


 魔物が近づいてくる気配がする——ミアは護符よろしく槌鉾メイスを握りしめた。


 *   *   *


 ホークウィンド達はマキの初陣の後、地下九層迄一気に降りれる昇降機エレベータの使用許可証——通称ブルーリボンを手に入れた。


 此処で一旦城塞都市に帰ろう——そう思った時通路の向こう側から走ってくる冒険者の一団に気付いた——昨夜の内に迷宮に潜ったパーティの筈だ。


「どうしたの? 随分急いでるみたいだけど」ホークウィンドが怪訝な顔をする。


「迷宮で魔物にやられた——二人だ——」その語調にホークウィンド達は違和感を覚えた。


 危機から脱したはずなのに焦って走って城に戻ろうとするのもおかしい。


 確かこのパーティにはホークウィンドが勧誘していた女神官ミア=タカミアがいた筈だ。


「死体は持ってこなかったのかい?」ホークウィンドは重ねて尋ねる。


「その余裕は無かった——」しどろもどろになりながら戦士の一人が答える。


「ボク達が助けに行くよ」


「その必要は無い——二人は魔物に食われた——」リーダーが白を切る。


「証拠は?」ホークウィンド達は流石にその話の不自然さに気付いた。


「嘘をついてないという証明は出来ない——悪魔の証明だ」


 押し問答になりそうな状態を打破したのは勇者の末裔マキ=ライアンだった。


「ホークウィンドさん。この冒険者達、嘘をついてます。読心の魔法で分かります」マキの声にリーダーは目を剝いた。


「何だと、このアマ——証拠でも有るのか」リーダーは激昂した。


「〝キースの野郎が邪魔さえしなければ万々歳だったのに。畜生、折角の生娘——カドルトの女神官を犯す機会を棒に振っちまった〟」マキの言葉にリーダーの顔が青ざめる。


「案内してもらおうか——ミアを何処に置き去りにしたのか詳しく聞かせてもらわないとね」ホークウィンドが冷酷に宣告する。


「魔法使いの居ないパーティでボク達とやり合おうというなら話は別だけど」


 リーダー達は隙を見せずに戦闘隊形を取った。


 しかしそよ風が吹き抜けるかのような感覚に冒険者達は全身が総毛立つのを感じた。


 ホークウィンドの苦無がリーダーの喉元に突き付けられていた——リーダーが人質に取られた事でパーティの残りも戦意を失う。


「おかしな真似をしたら只ではおかない。一刻も早く現場に行こうか」


 リーダーのパーティとホークウィンド達は今来た道を逆戻りして地下四層から九層への直通昇降機へと歩き出した。


 リーダーにはホークウィンドが何時でも首を掻き切れる様苦無を突き付けている。


 キョーカ、マキ、シーラの三人は何時でも相手を攻撃できる間合いに入った。


 リーダー達は連行される格好でミアとキースを置き去りにした地下九層に着いた。


 金属造りの扉を開けて事を起こした部屋に入る。


「ミア——何処だい」ホークウィンドが呼ばわった。


 部屋を探す——人影は無かった。


「居ないじゃない——また嘘でもついたの?」キョーカが不信がる。


「嘘はついてない。——信じてくれ、本当だ」戦士風の男が焦りを露わにした。


「キョーカ、早まらないで。隅に——」ホークウィンドは隠された下への入り口——落とし穴を見つけた。


「ここから下に落ちたんだ——血の跡が消えてる」


「地下十層に降りる——勘弁してくれ」リーダーが怯えた声を張り上げる。


「駄目だね。一緒に来てもらう——ミアに何かあったらその時は——」


 ホークウィンドはリーダーを突き飛ばす——その姿は消えた。


 ホークウィンド達が後に続く。


 一行は一瞬平衡感覚を失った——転移魔法を掛けられたのと同じ様な感じだ。


 地下十層は今迄のレンガ様の建材で無く、陶磁器の様に光を反射する特殊な石でできていた。


 魔法で出来た光る文字が宙に浮かんでいる——ワードナの脅し文句だ。


 奥に血の跡が続いている——ミアがキースを引き摺っていったのだろう。


「ミアを見つけたらすぐに帰る——この階層は危険だからね」


 一見行き止まりに見える右側に行けば強制的に城へ転移させられる罠——迷宮を水攻めにされた時の為に造られた物だろうとホークウィンドは見当を付けていた——が有るのだが、血の跡はそちらに続いてはいなかった。


 第一の玄室の方へと向かって行ってしまったらしい。


「急ごう——玄室に配備された魔物達が相手なら命は無い」


 ホークウィンド達はミアを見捨てた犯人一行を急き立てて奥に進む。


 果たして玄室の前にミアとキースはいた。


 酷い有様だった——魔物かワードナ配下の人間にやられたのかは分からないがミアもキースも腹を掻っ捌かれていた。


 見ただけで絶命しているのが分かる程だ。


「遺体を回収して帰ろう、元来た道を戻れば敵に遭う可能性は——」ホークウィンドは最後まで言葉に出来なかった。


 帰り道の方に不自然な風が巻き起こった。


「転移魔法——?」風が止む。


 そこに立っていたのは赤紫の法衣に長い白髭、長い白髪の老人だった——辺りを圧する雰囲気の持ち主だ。


「ワードナ……!」ホークウィンドの言葉に一行は絶句した。


「ホークウィンドか。久しいな」


「忘れるものか。エルフ魔法の秘術を学びながら悪に転落した裏切り者——」


「世界征服の事か。それを企んでいるのは〝狂王〟トレボーも同じ事だろう」ワードナは全く悪びれる様子が無かった。


「何しにここに来た?」


「余興を楽しみにな」ワードナはニヤリと笑う。


「お前たち同士で戦ってもらう——そこの女神官を助けに来たものと見捨てた者でな。勝った方は無事地上に返してやる。負けた方は儂の実験材料になってもらおうか——そう、それも良いな。実力が有るなら配下に加えてやっても良い」


 その言葉にリーダーは反応した。


「頼む——ワードナ、いや、ワードナ様。俺達を仲間にしてくれ」


「その前に戦ってみろ——実力も見せずに雇えとは無理というものだ」


 その言葉が終わる前にリーダー達は短距離転移させられた——第一の玄室側だ。


「未来が欲しければ戦って勝ち取ってみせろ——リウ、カーラム、アレトゥーサ、バルガス、エンセルム、結界を」何時の間にかワードナの近習、吸血鬼君主ヴァンパイアロード古吸血鬼エルダーヴァンパイア達が集結していた。


 ワードナと吸血鬼君主が冒険者達の逃げ道を塞ぐ。


 リーダーは虚をついて弱いと見たキョーカに斬りかかってくる。


 ——戦いが始まった。


 リーダーの剣戟は地下九層を主戦場にしていただけあって凄まじい勢いだった。


 手にしているのも上級と言っていい魔法剣だ。


 キョーカの細身剣では受けれまい——リーダーはそう確信した。


 確かに受け止める事は出来なかった——キョーカは細身剣に傾斜をつけてリーダーの剣を受け止めるのでなく受け流した。


 リーダーの身体が泳ぐ。


 キョーカは容赦無く鎧の隙間に細身剣を突き立てた。


 リーダーは床に倒れ伏す。


 残りの冒険者達は戦意を失った——しかし状況は彼らに降伏を許さなかった。


「何をしておる——戦え」ワードナが冷酷に宣告した。


「許してくれ——俺達は——」言葉は遮られた——男の首に魔法の力場で作られた縄が掛けられ宙吊りにされたのだ。


 ごぼごぼという音が男の口から洩れた——もう少しで意識を失うという所で力場が解かれた。


 床に落ちた男を見て喚きながら残った二人が突進してくる。


 一人がマキに、一人がシーラに必死の形相で向かってきた。


 マキは突きかかってくる男の一撃を大盾で受け止め片手半剣バスタードソードで長剣を弾き飛ばした。


 男に片手半剣を突き付ける。


 男は両手を上げて降伏した。


 シーラに向かってきた男は彼女と同じ戦斧バトルアクス使いだった。


 逆上して乱打を浴びせて来る——シーラはたちまち防戦一方になった——必死に耐えているようにしか見えない。


 しかしシーラは攻撃を受け流しながら決定的な好機チャンスを狙っていたのだ。


 男が真上から戦斧を振り下ろしてきた——シーラは真正面からその攻撃を迎え撃つ。


 男の戦斧が砕け散った。


 戦斧に入っていた僅かな亀裂をシーラは見逃さなかった——武器を失った男は流石に勝機を失った事に気付く。


「まだやるかい」シーラが勝ちを宣言した。


 ホークウィンドはワードナを見た——いきなり爆裂魔法を掛けてくるかもしれない——それを警戒したのだ。


「楽しませてもらったぞ。儂とて勝者に敬意を表するくらいの事はわきまえておる。暫しの別れだ、不老不死ハイエルフ」言いしなにワードナは魔法を唱えた。


 攻撃魔法では無かった——次の瞬間ホークウィンド達は地上に居た。


 城壁が遠くに見える。


 ホークウィンドは全員無事かどうかを反射的に確かめる。


 ワードナはミアとキースも含めてまとめて転移させていた。


「もう駄目かと——」マキが息をついた——ワードナが自分達を助けた事が意外だったのだ。


 飛ばされたのは街道に近い湖の広がる開けた空き地だった。


 馬に水をやっている隊商が驚いた表情でこちらを見ていた。


 ホークウィンド達は馬を借り受けると急いで死者蘇生を行っているカント寺院へと向かった。


 ミアは冒険者になって日が浅い——蘇生魔法で復活できるかは五分五分だと言われた。


 運命か、神の思し召しか、それとも自身の意思の力か、果たしてミアは生き返った。


 ミアは事実を知るとホークウィンド達に深謝した。


 それだけでなく四人に自らの真名、至高神カドルトに与えられた名前、リシャールを明かした——自らの命を預けるという証明だった。


 こうしてホークウィンドのパーティに五人目の仲間が加わったのだった。

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