憎悪の戦方士と呼ばれた魔法使いの物語――コールドゥ・サーガ――

ダイ大佐

憎しみ

 実祖父あいつだけは――何が有ろうと――殺す!


 裸にされ、床に転がり、左手に移植された鋼血の鬼神の肉が身体をむしばんでいく最中――少年は憎悪と憤怒で何とか意識を保っていた。


 周りには同じ様に鬼神の肉を移植され、人間の姿と精神を失った多数の犠牲者が居た。


 人体実験――魔法を使えない人間に悪魔の肉体を植え付ける事で魔法使いを人工的に造り出す人体実験だ。


 コールドゥ、それが今年で16歳になったばかりの赤毛の少年の名だった。


 激痛が全身を走る。


 既に半数以上の人間だったモノが溶けて消えていった。


 恐怖、怒り、絶望、諦め、哀しみ、それぞれに叫ぶものは違うが、実権の被験者達の断末魔が広間に響き渡る。


 その様子を祖父達は笑いながら見ていた。


 激痛を憎悪で相殺するのも限界が来た。


“これで俺も死ぬのか――”意識を失う直前、「こいつは稀だ――」そんな声が聞こえた気がした。


 *   *   *


 それから十年が過ぎた――


 コールドゥはラグザエル、“<憎悪>の神ラグズの息子”という意味の新たな苗字を付けられた。


 コールドゥの憎悪が悪魔の肉体組織の浸食力を上回ったのだ。


 一週間に一度、人間か亜人間デミヒューマンの心臓を左手――そこを起点に心臓や脳の一部迄達していた悪魔の増殖を防ぐため――に食べさせなければならないという副作用が出たが。


 並の魔法使いでは到底及ばない程の膨大な魔力と強大な魔法を使えるようになった。


 しかしコールドゥは祖父の言いなりになるしかなかった。


 最愛の母と姉を人質に取られたのだ。


 実の父は自分と同じ人体実験の犠牲となった。


 母は祖父が奴隷に産ませた子だった。


 祖父に慰み者にされていた母は魔都マギスパイトの実家に出入りしていた商家の奴隷の父と出会い、夜逃げ同然に逃げ出し魔都の最下層で貧しいながらも幸せな家庭を築いていた。


 しかし、幸せは突然絶たれた。


 十年前――夕食を囲んでいたコールドゥ達を祖父がさらった。


 夕暮れに魔都の黒色の塔が反射する――美しい風景の中、突然踏み込んできた警察戦方士バトリジックポリスと祖父の姿をありありと思い出すことが出来た。


 秩序機構オーダーオーガナイゼーション、それが祖父が指揮する謀略組織の名だった。


 その名を知った時、コールドゥは祖父が魔導専制君主国フェングラースの支配者、三十六魔道士の一人だという事も初めて知ったのだ。


 祖父は母ならず姉までも欲望のはけ口にした。


 五人家族の内、父と兄は殺された。


 運良く生き延びたコールドゥは徹底的なスパルタ教育で魔法を仕込まれた。


 身体に埋め込まれた悪魔デーモンを触媒として魔法を行使できるようになったコールドゥは組織の汚れ役を引き受けざるを得なくなった。


 敵対組織の長の殺害や煽動、家族を人質に取っての脅迫など――拒否は出来なかった。


 コールドゥは憎悪した――祖父を、世界を、神を、人々を、そして無力な自分自身を――。


 褒美として与えられたエルフの心臓を左手の悪魔に食わせながら、次の指令を受け取った。


 それは最近中部に勃興した軍事国家エセルナートの支配者、“狂王”トレボーの娘アナスタシアをマギスパイトに傷一つつけずさらってこいというものだった。


 さらに今回の任務に向け<憎悪>の神ラグズの造り出した神器アーティファクト魔剣イェルブレード――別名“パイア(火葬用の薪)”と呼ばれる――を渡された。


 手にする者の憎悪が強ければ強いほど力を増す、最高級の魔法の鎧さえ貫通する最強の魔剣の一本だった。


 祖父あいつは一体何を考えているのか――戦方士バトリザードの訓練を受け、制服だけは同じ物を着せられながら表に出る事は無い。


 コールドゥは表向き特務を専門とする戦方士とされていた――実際は秩序機構の手駒に過ぎなかったが。


 王女アナスタシアの顔は覚えた。


 トレボグラード城塞の地図も頭に叩き込んだ。


 準備を整えたコールドゥはエセルナート王国首都トレボグラード城塞都市に向かった――これが最後の任務になるとも知らずに。


 *   *   *


「そう言えば君はボクと愛を交わしたいと言ってたね」長身瘦躯の人影――一目でエルフと分かる――が背負った人間、女の魔法使いだ――に語り掛けていた。


「――そうね――私――貴女と――ホークウィンド……」声がだんだん弱くなっていく。


 エセルナート王国首都トレボグラード城塞都市直下に造られた邪悪な魔術師ワードナの迷宮、通称“狂王の試練場”の昇降機エレベータで地上に戻る――不老不死ハイエルフの女忍者ホークウィンドと女魔術師はのろのろと上昇する昇降機に苛立ちながら早く終点に着けと毒づいていた。


 炎で身体をあぶられているかの様な焦燥感の中、遂に地下一層についた昇降機から降りたホークウィンドは彼女を背負ったまま暗闇の中に進み出す。


 先はランタンの明かりも通らない――エルフの暗視能力さえ通じない暗黒地帯ダークゾーンと呼ばれるトラップ地帯だ。


 慣れた様子で小走りに出口へと目指して駆け出す――途中にある小部屋に住む老人が街までの転移魔法を掛けてくれるはずだった。


 小部屋の扉を乱暴と言って良いほどの勢いで開けると、ホークウィンドは部屋の奥に腰掛ける老人に話しかけた。


「おじいさん、すまない――至急町まで転移をお願いできるかい」


「ホークウィンドか。仲間はどうした」


魔物モンスターにやられたよ。助け出せたのはこの娘だけ」


「……ホークウィンド……」女魔術師はかすれ声で話しかける。


「喋っては駄目だよ」


 いきなり女魔術師はホークウィンドに口付けした。


 それきり息を吐くと、目を閉じた――死んだのだ。


「おじいさん。行き先は――」ホークウィンドは息をついた。


「カント寺院じゃろ。蘇生魔法を掛けて貰わんとな」


 邪悪な魔術師が国宝の護符――手にする者を無敵にするというそれを奪取して王都の地下に迷宮を造って立て篭もったのは四年前の事だ。


 ――今まで迷宮に挑んだ数知れぬ冒険者がその犠牲となってきた。


 老人が詠唱を始めた。


 ホークウィンドの思考は中断される。


 呪文が終わった瞬間ホークウィンド達は荘厳な大聖堂の前に立っていた――西方世界中部で信仰される創造と復活の神カドルトの万神殿だ。


 真昼の日差しに暗闇の中に居た瞳は一瞬眩んだ。


 ホークウィンドは女魔術師を抱き抱えると、近くにいた下男に蘇生魔法を掛けてくれる司祭のいる部屋への案内を頼む。


 下男についてホークウィンドは高い天井の廊下を歩く。


 司祭の待つ部屋で祈祷料を払う。


 カント寺院の蘇生魔法の成功率は西方世界でも有数のものだ。


 施術者の邪魔にならない様――呪文の成功率を上げる為、部屋の外に出た。


 ホークウィンドは必死に魔法が成功するよう神に祈った。


 半刻ほど待たされた――出てきた司祭は首を横に振った。


「そう――」彼女は死んだ――永遠に。


 ホークウィンドは知らない内に涙が流れているのを感じた。


 自分は悲しんでいる――それを冷静に見ている自分がいた。


 無表情に泣いていた。


 泣いている自分に驚いていた。


 大いなる時の輪がめぐれば、また彼女と巡り会う事も有るだろう――そう教えられてきたホークウィンドだが心に空白が生じるのは避けられなかった。


 ボクは彼女の望みを叶えてあげるべきだった――のこされた彼女の法衣ローブを見つめながらホークウィンドはぼんやりと思った。


 彼女は家出同然に実家を飛び出し冒険者になった――そう聞かされていた。


 家族の連絡先を教えてくれた者の家に今回の件を伝えたら、また新たな仲間を募って迷宮に挑もう――ホークウィンドにはそれしか残されていなかった。


 迷宮の主ワードナを斃して仲間の仇を討つ。


 それだけがホークウィンドの望みになっていた。


 しかし、現実はそうは進まなかったのだ。


 宿屋に戻った時、ホークウィンドに用が有るという客が来ていると主人が言った。


 宿屋――一階は食堂を兼ねた酒場になっていた――の遮音された小部屋で二人連れの訪問客は頭巾フードを取った。


 滅多な事では驚かないホークウィンドだったが、流石に今回はそうはいかなかった。


 訪れてきたのはエセルナート王国王女アナスタシアとその護衛女騎士カレン=ファルカンソスだったのだ。


「王女様――それに王女付き近衛騎士カレン――どうしてここに」


 王女は長い金髪に碧眼――対照的にカレンは肩口で直毛の黒髪を切り揃えたエメラルドグリーンの瞳の女性だった。


「単刀直入に言います――貴女に私の護衛になって頂きたいのです」王女が言った。


 王女は今年で16歳、カレンは18の筈だった。


 二人は恋仲なのだ――そんな噂をホークウィンドは耳に挟んだ事が有った。


「王女様にはカレン様がいらっしゃるではありませんか。どうして急に」


「貴女のパーティは今回で五度目の全滅でしょう」カレンが穏やかに言う。


「少し迷宮から離れて、別の任務について欲しいのです――貴女自身の為にも」


 ホークウィンドは二人の顔を見た。


「せっかくのお心遣いですが――受けれません。ボクは何としてもワードナを討たないと」


「秩序機構」カレンがホークウィンドの瞳を見つめて言った。


「聞いた事は有ります――魔導専制君主国の国際謀略組織だと」


「それが王女を狙っていると情報が入ったのです」


「王国には適任者が沢山いる筈です。何もボクに頼まなくても――それにボクは今回の件を家族たちに伝えないと。王女としての命令なら従いますが」


 アナスタシア王女は他人を力ずくで動かす事を好まない――それを知ってそう言った自分に嫌悪感を感じながらも、ホークウィンドは自分の言葉を曲げるつもりは無かった。


 暫らくの間沈黙が落ちた。


「ではどうしても――」王女が無念さをにじませた。


「申し訳ありません」ホークウィンドは目を伏せた。


 だがこの決断を後で後悔する事になるとは、その時のホークウィンドには想像もつかない事だった。


 結局王女は――誘拐されたのだ。


 公歴――この世界<ディーヴェルト>で共通して使われる最古の文明国リルガミンの暦で3217年初夏の事だった。

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