魔術神オーディンと<憎悪>の神ラグズ
〝――獲ったぞ〟邪神チャウグナル=ファウグンは何とか<憎悪>の神ラグズの目を盗んで
首の下についている巨大な口に遺骸を放り込む。
〝これ以上我を攻撃すればお前の使徒を消化する――〟これで<憎悪>も手を出せないだろう、邪神はそう踏んだ。
案の定<憎悪>は攻撃の手を緩めた――邪神は立ち上がると転移の魔法で<憎悪>の神を振り切ろうとした。
直径百メートルほどの半球状の空間諸共、街の別の一角に取り敢えず逃れる。
狭い路地に身体と同時に転移に巻き込んだ建物が転移先に有った建物――と人間や動物を粉砕した。
邪神は迷った末に<憎悪>の使徒を飲み込んだ――普段の吸血では無く使徒コールドゥを骨一つ残さず完全に消化する。
どのみち殆ど蘇生させることは出来ない――それを〝完全〟にする事で<憎悪>を更に苦しめておきたかった。
邪神は触腕と一緒に連れて来た人間と転移先の人間を喰らい始めた。
力を――力を――邪神は急き立てられる様に吸血を行った。
<憎悪>と直接戦ったのでは勝ち目は殆ど無い――兄弟達を呼び寄せるか?
この世界<ディーヴェルト>のあちこちに――異世界にも自分の兄弟がいる。
彼らの元に行くか呼び寄せられれば――邪神は
どの兄弟も深い眠りについている――自分が寝ている間に滅された者もいるのかも知れない。
だが応えは有った――。
海上都市ガランダルは良い獲物だ――<憎悪>さえいなければ。
兄弟達にも良い狩場になってくれるだろう。
もう一度転移で巻いて<憎悪>が自分の世界に帰る頃に戻るか――神は
自分もそうだが、より生物的な肉体を持つ方が長く地上に留まれる――自分の方が恐らくは留まれる時間は長い筈だ。
邪神は兄弟を呼んで<憎悪>に立ち向かうか、待つか、どちらが良いかを天秤にかけた。
転生者、無口蓮が敵をさらっていった事――それが失敗に終わった事が邪神の頭に蘇った――奴を何とか使えないか。
奴は幼女神エリシャに力を与えられている筈だ。
奴も<憎悪>の使徒と組んでいた人間たちと敵対していた――戦力にならなくとも囮くらいには使えるかもしれない。
事と次第によってはエリシャを味方に付ける事も不可能ではない――邪神は自分を操っていたのが当のエリシャだと気付いていなかった。
邪神は仲間を呼ぶ咆哮――異界にも響く甲高い金切り声を発した。
鼓膜が破れそうな不快な音だった。
転生者の足取りは追えた――さっそく念話で接触を図る。
〝誰だ――何者だ、貴様〟傲岸不遜な声が返ってきた。
〝お前を救う者だ。我に加勢すればお前の望みを叶えてやろう〟
〝チャウグナル=ファウグンか――本当に王女と女騎士を生け捕れるのか〟
〝我の兄弟達を呼んだ――お前が来ないなら王女と騎士は我らが喰らう〟
少しの沈黙が有った。
〝良いだろう。だが負けそうになったら貴様を斬るぞ〟
それきり念話は切れた。
<憎悪>が来るのが先か――それとも仲間が来るのが先か。
海からの強風が邪神に吹き付けた。
その風に邪神は只一人この世界に残された様な感覚を覚えた。
〝どうか思し召しを――万物の王アザトースよ〟神と呼ばれる身でありながら邪神は思わず自分よりも強い何者かに祈る事を禁じえなかった――。
* * *
「コールドゥ……」エセルナート王国王女アナスタシア達は邪神が逃げた後にコールドゥの遺骸が無いのを見て改めて絶句した。
誰も居ない――私達だけだ。
それだけでは無い――周囲の建物も削り磨いたかの様に一面まっさらになっていた。
王女達とエセルナート王国軍偵忍者ライオー達が合流しここに戻って来るのに多少時間が掛かった――その間に何が有ったのか――。
「邪神はコールドゥの遺体を持ち去ったな――念入りな事だ」隻眼の老魔術師ガーザーが分析した。
「<憎悪>の魔剣イェルブレードは? コールドゥ諸共持っていかれたの?」女護衛騎士カレンが尋ねる。
「いいえ――あの魔剣は<憎悪>に選ばれた者しか持てませんわ。カレン様の鎧と同じ様に、自らの意思を持っています。邪神が持っていくのは不可能ですわ」背の低い女魔術師マーヤ――彼女は十三になったばかりだ――が答えた。
「じゃ、魔剣がここに無いのはどうしてだい?」ドワーフの女戦士シーラが憮然とした声で言った。
皆コールドゥの事を心配していたのだ――遺体が残っていれば――万一の望みが絶たれる事は誰も想像したくなかった。
「とにかく、邪神を追おう――そうしないとコールドゥもガランダルも終わりだ」ライオーは皆を引き締める。
女神官ミアが邪神の位置を把握し、マーヤが転移の魔法を唱えようとした。
「待って――」
「風の流れが少し変だよ――近くに何かいる」呼吸を整えてホークウィンドは苦無を投げた――一見何もない空間に苦無が突き立つ。
「見事だ――」空間が揺らいだ――伸ばした指先で苦無を止めている長身の男の姿が現れた。
右手には見間違いようも無い特徴的なシルエットの二支剣、イェルブレードを持っている。
男は深青色の
男は王女達を見回すとガーザーに興味深げな目を向けた。
「人間と共に旅をするとは随分落ちぶれたな――アスガルドの王、智恵の神オーディン」
「こそこそと陰から人を操る事しかできぬお前に言われたくは無いな、<憎悪>の神ラグズよ」ガーザーは続ける。
「それに儂が神と呼ばれたのは遥か昔の話だ――今の儂は只のラルフ=ガレル=ガーザー――一人の人間だ」
「そう思わないとやっていけないというだけだろう。神になったものが人間に戻る等不可能よ――それはお前が一番よく理解している筈だ」
オーディン――王女とカレンはその名に覚えが有った――北辺の地で神々の王として崇められ、原住民族を服従させた魔導専制君主国フェングラースでも崇められている魔術神。
君主国では魔法使いの守護神とされ同時に国家守護神であり主神とされている。
君主国の首都、魔都マギスパイトでは壮大な神殿に祀られていた。
「ガーザー――貴方がオーディンなら邪神チャウグナル=ファウグン如き相手にもならない筈――何故そうしなかったのです」エルフの
「神といえども運命のくびきからは逃れられぬ――儂は神々の
「家族も大勢の友も部下も仲間も奴隷も失った――神であったが故に。儂にとって神の力は呪いでしかない。我妻フリッグも愛馬スレイプニルも使い魔フギンとムニンの二羽の烏も二匹の狼たちも今は死の国だ」
「だから神としての責任をも放棄したのか」<憎悪>が追い打ちをかけた。
「果たすべき責任など人にも神にも無い」
「強弁だな――何者も自らの行いからは逃れられぬ」
ガーザーは押し黙った。
周りの者は皆一様に驚いた顔だった――底無しに強い魔術師だと思ってはいたが、まさか神だったとは思いも寄らなかった。
「ライオー、貴方はこの事を知っていたの?」王女が疑問を口にする。
「かも知れないとは思っておりました。王女殿下」軍偵忍者の答えは率直なものだった。
「――魔都マギスパイトの民がこの事を知ればゲルグの首などあっさり飛ぶわ」王女は興奮気味に言った。
「お願い出来る――ラルフ=ガレル=ガーザー? いや、出来ますか魔術神オーディン」
「すまぬが、それは断りたい」帰ってきた言葉は期待を裏切るものだった。
「どうして――」
「儂は神としての力も権勢も振るいたくない――勝つにしても負けるにしても一介の人間として全力を尽くしたい。絶対確実に勝つことが分かっている勝負などするのは御免だ」
「――ですが」更に迫る王女を押しとどめたのはカレンだった
「姫様、察してあげて下さい――苦労せずに得られる勝利など虚しいものです。ガーザー様のオーディン神としての生は全く手に入らないか、或いは労せずして得られるかの二つしかなかった。まして大切なものを失った果てに辿り着いた結論です。納得できないのは分かります――ですが彼の人生観は尊重されなければ」
しばらく言葉を反芻した後、王女は息をついた。
「分かったわ」
「それで、貴方はコールドゥの守護神として何をしてくれるの<憎悪>の神ラグズ」王女は挑戦的に尋ねた。
<憎悪>はただ笑みを浮かべるだけだった。
「<憎悪>の名にふさわしく人間界に争いの種でも蒔く心算でしょう」創世と復活の神カドルトを信じる女神官ミアが珍しく棘の有る言葉を口にした――カドルトは慈悲の神でもある――悪魔と言えども一方的に断罪する事は許されない。
ミアの台詞には明らかに個人的な心情が入っていた。
「お前達が来てくれたならば私は後方から援護するだけだ――長い時間は現身を持って顕現していられないからな」
「コールドゥは無事なの?」
「いや」<憎悪>は間を置いた。
「完全に死んだ――遺体は邪神に喰われた」
「復活させることは出来る?」
「私にもカドルトにもこの世のいかなる魔術にも出来ない――だが、手が無い訳でも無い」
「持って回った言い方は止めて」王女と<憎悪>の間に勇者の末裔マキが割り込んだ。
「我が予言は成就する――
「だからどうやってコールドゥを復活させるんだい?」シーラも無謀にも詰め寄った。
「お前達は既に鍵となる人間に会っている」
「白エルフのガーファルコンの事? 彼は秩序機構に軟禁されているんじゃ――」救世主の存在に思い至ったキョーカだが納得はしなかった。
「彼の助けで予言は達成される。だが、その為には先ず邪神チャウグナル=ファウグンを斃さねばならない」<憎悪>は言葉を一旦切ると再び話し始めた。
「私とお前達の力を合わせれば邪神に勝てる――邪神を斃す事では私達は共闘出来る筈だ。違うか」
邪神を倒す――それはこの場の全員が賛同していた。
「決まりだな――」<憎悪>は満足そうに言った。
一方の人間達は複雑な表情を浮かべていた――邪神を斃す為とはいえ、人間の負の側面の筆頭格といえる神と共闘するとは。
「他の選択肢は無いわね――勝てる可能性は少しでも上げないと」王女が観念した。
「私達は<憎悪>の神ラグズと共に邪神を討ち果たします――良いわね、みんな」
王女の言葉に一行はそれぞれ覚悟を固めた。
「はい」「分かりましたわ」「御意」「承った」「了解だよ」
「では邪神を追おうか――」
<憎悪>の言葉が終わらない内に王女達は全員が邪神の元へと転移した――。
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