恐怖する邪神、怒りの転生者

 邪神の左腕が眼帯に黒い法衣ローブの男――老魔術師ラルフ=ガレル=ガーザーを襲う。


 鈍い音が辺りに響いた――信じ難い事に法衣の男は右手一本でその攻撃を止めていた――魔法の力場だ。


「マーヤ、コールドゥの遺体も一緒に魔法で飛ぶ――出来るか?」軍偵忍者ライオーが緊迫した声で言う。


「駄目です――私達だけで精一杯です!そんなに遠くへも行けません!」マーヤは必死に呪文を紡ぎ出す。


「仕方が無いよ――ここは一旦退こう」不老不死ハイエルフの女忍者ホークウィンドが呻く。


 コールドゥの遺体を持っていければまだ復活させられるかも知れない――それが出来ないという事は――コールドゥの絶対死だ。


 全滅を避ける為には仕方が無い――断腸の思いで皆が腹をくくった。


 王女達もさらわれ、コールドゥを殺され――大惨敗だ――ライオーは自らの不甲斐なさを罵った。


 *   *   *


 南方の木々に囲まれた森の中に王女アナスタシアと直属護衛女騎士カレンはいた。


 転移の魔法が働いたと同時に王女が対抗呪文を唱えていたのだ。


「飛竜で直接逃げられたら危なかったかも知れませんね――姫様」


「その時は普通に転移魔法で逃げたわ。私だって幾らかは成長したのよ」


「早くコールドゥ達と合流した方が良いのでは?」


「場所を掴むまで少し時間を頂戴」王女は呪文を唱えだす。


 邪神と戦っている最中なのだ――流石に退却したとは思うが――それに転生者達がこちらの居場所を嗅ぎ付けないとも限らない。


 王女達はコールドゥが殺されたところを見ていなかった。


“ミア、アナスタシアよ。今どこに居るの?”王女は女神官に魔法で呼び掛けた。


“王女様――無事だったのですか?”ミアが安堵した声色で返事をした。


“何とかね――そちらは?”


“戦方士コールドゥが……”ミアは言い淀んだ。


“何かあったの”王女は心臓が不吉な音を立てるのを感じた。


“死んだんです――心臓を潰されて。遺体も回収できずに撤退しました。今は邪神から南東に三キロほど離れた所に居ます”


“私達が合流すれば邪神を止められると思う?”


“分かりません――でも危険は大きいです。一旦ガランダリシャ王国連合の騎士団と合流した方が良いかと”


“先に私達で合流しましょう。騎士団はそのあとでいいわ。私達の位置は分かるわね”


“大丈夫です。マーヤ、転移魔法で私の指示する場所に飛んで”王女の言葉にミアはマーヤを促す。


 数分も経たずにマーヤ、ミア、シーラ、マキ、キョーカ、ホークウィンド、ライオー、そしてガーザーが現れた。


 ミアが蘇生させた少女は邪神との二戦目の前に海上都市のカント寺院に預けてきていた。


「王女殿下、申し訳ございません――コールドゥが」ライオーがひざまずいて謝罪する。


「今は邪神を止めるのが先よ――コールドゥが絶対死したとは限らない。諦めるのはまだ早いわ」


 王女達は作戦を立て始めた――。


 *   *   *


 吸血邪神チャウグナル=ファウグンは目の前の戦方士コールドゥの死体を見て思案した。


 少し前から身体がいう事を効き始めた――自分を操った謎の存在は居なくなった様だ。


 証拠を残さない様に巨大な二支剣イェルブレード諸共食べてしまおうか。


 <憎悪>の神ラグズの使徒を殺したとバレれば只では済まない。


 触腕でコールドゥの肉体と魔剣を持ち上げようとした。


 しかし死体はにかわで貼り付いたかの様に地面から離れない――数度試したが微動だにしなかった。


 魔剣に触れた触腕は先端が灰になった――邪神は思わず触腕を引っ込める。


 自分を操ったものは力も増幅させていた――超再生力が無くなったのがその証拠だ。


 コールドゥは無視して他の人間を襲おう――少しでも多くの血を吸えばその分自分は強くなる――近くの建物にまだ逃げきれていない人間が多数残っている建物が幾つも有った。


 一番手近な建物を複眼で覗き込む――恐怖の声が上がった。


 両腕で屋根瓦を落とし触腕を伸ばそうとしたその時――。


「それ以上の狼藉は許さんよ。邪神チャウグナル=ファウグン」場違いな程のんびりとした声が邪神の耳に響いた。


「それに我が使徒を殺した責任は取ってもらわねばな」邪神の目の前に唐突に<憎悪>が姿を現した。


 青色の肌に長めの深赤色の髪が美しい男だった。


 瞳は血の様に真っ赤だ――不釣合いな、しかし美しい印象を与える。


 前からそこにいたかの様な余りにも自然な様子が却って不気味だった。


“私はお前の使徒を殺していない”邪神は吠えた。


「操られただけで責任は無いと逃れる気かね」口元に皮肉な笑みが浮かんでいる。


 邪神は答えずに右腕で<憎悪>を襲う――手についた鉤爪が法衣を貫き、<憎悪>の肉体を貫く感触を確かに味わった。


 だが<憎悪>の表情はそのままだった。


 爪を引き抜こうとしてそれが出来ないのを悟る。


「本来、真の神は現世に干渉する事は最低限しか許されないのだが」<憎悪>は楽しそうに言う。


「亜神の類が暴れ回るなら話は別だ」身体を貫く腕に手を乗せると軽く捻った――途端に三〇メートルを超える身体が回転して地面に叩き付けられた。


 街路の石畳という石畳がめくれ上がり邪神は地面にめり込む――途轍もない音が辺りに響いた。


 肺から空気が全部吐き出されたようだ――激痛が襲い呼吸も出来ない――指先はおろか視線を移す事さえ不可能だった。


 邪神は周囲三百六十度の視野を持っていたが頭上と足下は死角だった。


「ここで滅されるか、元の石像に戻って生き永らえるか、どちらが望みかね」<憎悪>の声がその死角から聞こえてくる。


“――どちらも御免被る”必死に声を絞り出した。


「そうか」<憎悪>が魔剣を拾って邪神の触腕に斬りつけた。


 触腕は呆気ないほど簡単に切断される――激痛に邪神は再び吠えた。


 切断面が焼かれ、再生できない――焼けた触腕から心臓の鼓動に合わせるかの様な痛みが繰り返し襲ってくる。


「死ぬか、石像と化して命を繋ぐか、どちらか選ぶといい」<憎悪>が先程とまるで変わらない優しい声で言う。


 こいつの方がよほど邪神と呼ぶに相応しい――チャウグナル=ファウグンはそう思った。


 視界の隅に歪んだ笑みを浮かべた<憎悪>の姿が逆さまに映った。


 *   *   *


「どういう事だ――」転生者、無口蓮むぐちれんは怒鳴った。


 ガランダルの郊外に転移した転生者とその性奴隷の情婦達は拉致したはずの王女と女護衛騎士が居ない事に動揺していた。


「対抗呪文で抜け出したのではないかと思われます。蓮様」暗褐色の髪のエルフが淡々と答えた。


「そんなことは分かっている!何故防げなかった」増々怒気をつのらせる。


 あの二人がそんな高度な魔法を使う事を予想もしていなかった。


 コールドゥの母と姉は女の一人に見張らせている――剣も魔法も使えない、美しさだけが取り柄の取るに足らない女共だ。


 せめてこいつらを手元に残しておかなければ――無口蓮は苦虫を嚙み潰した様な顔だった。


「ゲルグに連絡を取れ――人質を返さなくても構わんという言質を取るんだ」


「恐らく無理だと思いますわ」


「理屈をぬかすな――無理かどうかを決めるのは俺だ。思う、じゃない。やれ。言質を取れ。それ以外の結果は許さん。あの阿婆擦れ女神エリシャも使え」無口蓮はいらいらとした口調で言う。


「屑王女と屑女護衛騎士の居場所を探れ――急げ。そう遠くには居ない筈だ」別の情婦に檄を飛ばした。


「火傷野郎とスパイ野郎はどうなった――」状況が分からない事に苛立ちを抑えきれない。


「とっとと探れ――無能が過ぎれば斬って捨てるぞ」腰の日本刀を抜いて怒鳴った。


「秩序機構総帥ゲルグと繋がります」金髪の人間の情婦が報告した。


「無口蓮か――どうした」ゲルグ=アッカムの声が響いた。


「王女と護衛騎士に逃げられた。火傷野郎の母と姉を当分こちらに貸してほしい」


「駄目だ。こちらの指定した期日に返して貰う――あんな女でも儂の身内だ。儂のもので有ってお前のものでは無い」


「どうしても、か――」


「議論の余地は無い。返さないならお前の身の破滅を招くぞ」ゲルグは冷たかった。


「一週間後までなら二人を使って良い。それが限度だ。傷をつける事は許さぬ」返事を待たずに魔法は切られた。


「クソッ。耄碌爺もうろくじじいが」無口蓮は忌々し気に吐き捨てた。


「エリシャはどうだ――」


「繋がりません。休息しているのでは」


「どいつもこいつも――全く、どいつもこいつも!」王女と護衛騎士を手に入れる為にここ迄手間取らされるとは――。


 無口蓮は怒りと欲望にぎらついた獰猛な目をコールドゥの母と姉に向けた――二人を汚すなとは言われてない。


 二人は諦めを宿した目で無口蓮を睨む――母が姉を後ろに庇った。


 近くに居た情婦を押しのけると大股に二人に近寄る。


「せいぜい俺を楽しませろ――クソ異世界人」無口蓮は母を殴りつけた。


 母が倒れる――情婦達がきゃあきゃあと笑った。


 姉か母のどちらを先に犯そうかと考えて敢えて母からに決めた――絶望する姉を後で犯す。


 二人を散々嬲った後で無口蓮は更に激怒した――ライオーと王女達が合流したと知ったのだ――元の木阿弥だ。


 何の為に邪神を蘇らせたのか――情婦の一人を犠牲にしたというのに。


 自分から捨てた女にもかかわらずいざ失うと大きな損失に思える。


 正面から挑んで勝てない――人質を使っても埋めきれない実力差が有る事を認める事も出来ず、かと言って何か良い策略が有る訳でも無い。


 ――無口蓮は八方塞がりに陥った事を思い知らされた。

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