<憎悪>の神
〝――際どい所だった〟秘密結社、
右眼球は破裂し、顔面の骨も折れていたが、痛みはまるで無い――悪魔に身体を浸食された結果だった。
コールドゥは回復魔法は不得手だった。
その代わりその身体には吸血鬼並みの再生力が有る。
アナスタシア王女はコールドゥの右目が見る間に復元していくのを見て恐怖を覚えた。
この男は人間では無い――。
「アナスタシア王女」コールドゥの声には思いの他人間らしさが有った。
「お前に危害を加えるつもりは無い――念の為、
アナスタシアは知るよしも無かったが、二人が居るのは王女が拉致された場所から少し――徒歩30分ほど離れた所だった。
首環を手渡される――いざそれを付けようとして、王女は反発心を覚えた――この男は自分の護衛を物の様に斬って殺したのだ――更にその心臓を喰らい――これを付ければ自分は屈服したも同然だ――
王女は戦方士を睨み付けた。
「付けなければ――言わなくとも分かるな」戦方士はまるで臆した様子は無かった。
長い――といっても五分も経っていなかったろう――王女はようやく息を吐くと首環を嵌めた。
かちりと音がして首環はぴたりと締まる。
「逃げようとは思わない事だ――俺からある程度離れるとその首環が締まる。俺を殺す事も考えない方が良い――」
「先ずは当面の行き先だ――」続けて告げられた言葉は王女には信じられないものだった。
* * *
――〝狂王の試練場〟地下三層――
「私達が王女様を救うなんて出来るの――?」人間族の女神官、ミアが言った。
「お前達だからこそ出来る。向こうがノーマークのパーティだからな」軍偵忍者ライオーが答えた。
「王宮からも極秘裏に捜索隊を出すが、保険が欲しい――動かせる範囲で出来るだけ多くの人数を捜索に割きたい――アナスタシア王女はただ一人の王家の跡継ぎだ」
「魔導専制君主国が王女をさらって何の得が――」ドワーフの女戦士シーラが疑問を口にする。
「正確には違うよ――
「先ずはカレン様の回復を待つ。王宮から魔術師が転移魔法で彼女を救出した」
「カレン様が私達のパーティに加わるの? ホークウィンド姉様が居るだけでもマークされそうなのに」魔法使いマーヤも疑義を呈した。
「隠蔽はするさ――秩序機構は我が王国にも手先を浸透させているが、当面の間隠しておく位は造作も無い」ライオーが自信をにじませた。
「囮として動く冒険者たちも居る――お前達自身も囮を演じる事も有るが」
「トリックとダブルトリックって事ね」龍の王国ヴェンタドールの勇者の一族のマキが後を引き取る。
〝狂王〟と呼ばれる王トレボーが最愛の妻を亡くしてから再婚もせず、妾を作る事も無かったのはホークウィンド達だけでなく王国民にも他の国にも良く知られていた――その行いも〝狂っている〟と捉えられていた。
結果跡取りが娘一人だけという非常に危うい状態になったが、トレボーはそれで滅ぶならそれも運命だとうそぶいていた。
そこを突かれて今回の様な緊急事態を招いたのだが。
「今回の誘拐に邪悪な魔術師ワードナは一枚噛んでいるの?」エルフの魔法戦士キョーカが尋ねた。
「今の所は分からない――王女様をさらった魔法使いがこの迷宮を拠点にしていた可能性も有るが、手掛かりなしだ」ライオーは肩をすくめた。
ホークウィンド達が挑んでいる迷宮を造り、深奥に立て篭もっているのが魔術師ワードナだ。
ワードナがトレボーに敵対している以上、秩序機構に手を貸す事も十分考えられる事だった。
迷宮の最深奥に辿り着いた者が居ない以上事実の把握のしようがない。
「取り敢えず王宮に来てくれ――カレン様とお前たちを引き合わせる」
こうしてホークウィンド達は王宮に向かうことになった。
* * *
話は十年前に遡る。
秩序機構の人体実験でただ一人生き残ったコールドゥの話だ。
「やめろ――やめてくれ!」コールドゥの隣にひざまずかされた男がわめく。
先に身体に悪魔を植え付けられた男が断末魔の絶叫と共に身体が溶けて消えていくのを見せられ、この場に連れてこられた全員が恐怖に襲われた。
数十名ほどが実験の対象にされていた。
全員男性だが、種族は様々だった。
後にコールドゥは女性を対象とした実験に立ち会わされ、この実験を企図した実の祖父への憎悪を更につのらせることになった。
首から下は魔法で麻痺させられていた。
コールドゥは自分の番が回ってくるまでずっと祖父を睨んでいた。
父親が悪魔の肉体を心臓に植え付けられる。
悲鳴すら上げずに父は泡立つ肉塊と化した。
悪魔の肉に飲まれていなかった父の目がコールドゥを見て涙を流した。
「父さん!」
「そう喚くな、次はお前だ。すぐに親父のもとに送ってやる」秩序機構の魔術師が嘲笑いながらコールドゥの左手をナイフで切り裂いた――激痛が掌を走る。
鉗子にはさまれた悪魔の肉体が傷口に当てられた。
傷口にあっという間に侵入した悪魔は増殖を始めた。
〝赦さん――!〟暫くの間はまるで痛みがなかった――しかし、じきに金槌で連打される様な衝撃と共に一気に痛みが左半身を襲った。
全身に痛みが来るまでそう間は無かった。
コールドゥは憤怒の感情でその痛みに耐えようとしたが、余りの痛みに気を失った。
全員が消えて無くなると思われた実験でただ一人コールドゥの肉体が消えなかった。
コールドゥの祖父、ゲルグは驚きと共にその様子を見ていた。
組織の最年少メンバー、同じく君主国の三十六魔導士の家系に連なるディスティ=ティールも信じられないという顔だった。
ゲルグはティールと共にコールドゥに近づく――その時、見慣れない人影が背後にいるのに気付いた。
「何奴――」ゲルグは火焔の魔法を唱えた。
炎は人影の手前で掻き消えた――ティールが慌ててひざまずく。
「御君――突然の無礼何卒ご容赦を」
この時ゲルグは自分の前に居るのがとんでもない相手だという事をようやく悟った。
〝こいつは神だ――〟ティールと並んでひざまずく――相手は<憎悪>の神ラグズだった。
神の前に人間の力など無に等しい。
黒みを帯びた深赤色の衣に長めの同じ色の髪をなびかせた青い肌の美しい男だった。
自分に放たれたのが炎では無くまるでそよ風だったかの様に微笑んでいる。
「そうかしこまるな」深く朗々と響く声だった。
<憎悪>を司る神であるのに、その風貌には憎しみを滲ませるものは一切無かった。
「この少年は我が力の神髄を理解した――私は彼を祝福する。これから彼がこの世を去るまでだ」
ラグズは手のひらを上に向ける――光が輝き、奇妙に湾曲した二支剣が出現した。
両手持ちの巨大な剣だ。
「この剣をコールドゥに渡せ――秩序機構総帥ゲルグよ、お前はちょうど十年後のこの日この場所でこの魔剣〝パイア〟でこの少年に殺される事になろう――これは予言だ」
ゲルグは戦慄した――パイア――火葬用の薪という意味だ。
実験材料にした何の魔法も使えなかったゴミの様なこの実の孫が最高位の魔法を極めた自分を殺すというのか。
未来に何一つ確定したもの等無い。世界も人間も偶然の産物だ――そう信じていたゲルグだが、<憎悪>の言葉には奇妙な現実味が有った。
コールドゥの体は左上半身を中心にまるで大火傷を負ったかの様なケロイドが出来た。
左目付近にも酷い跡が出来ていた。
薄赤かった金髪も血の様な赤黒い――それでいて金属光沢を帯びた髪に変わり、緑だった左目は髪と同じ深赤色に変化していた。
「この少年は寿命が来るまでは不死身だ――何をしようと殺す事は出来ない」
「お待ちを――私とて世界や神々に並々ならぬ憎悪の念を抱いております。何故私でなくこの不肖の孫を選ばれるのですか。<憎悪>よ」
「それが分からぬ限りお前には何も分かるまい」<憎悪>は微笑むばかりだった。
「この少年の姓はこれから我が名を取ってラグザエルとするが良い――お前が実の孫に殺されるまで良き憎悪に恵まれんことを」言うなり<憎悪>は姿を消した。
ゲルグは血の気の無い顔をしていたが気は確かだった。
気を失って倒れているコールドゥの心臓に短剣を突き立てる――刃が数ミリも沈まない内に鋼鉄の様な固い筋肉にはじかれた。
猛毒を塗った
殺せないというのは本当らしい――ゲルグはそう結論せざるを得なかった。
しかしコールドゥを殺さないと自分が殺される羽目になる。
将来の禍根を絶つためにゲルグは策謀を巡らせた――故意に何度も非常に危険な任務にコールドゥを就かせたのだ――しかしその策謀が功を奏する事は無かった。
一週間に一度人間の心臓を左手の悪魔に食べさせないと悪魔が増殖するというコールドゥの唯一の弱点――限界を超えれば悪魔の肉体に身体が引き裂かれる筈だった――を逆手に取ろうとした事も有った。
体内の悪魔を増殖させて絶命させようと対転移魔法の掛かった部屋に閉じ込めたのだがコールドゥはその魔法を打ち破って増殖を防ぐ為の人間の心臓を手に入れた。
最後の賭けになったのがエセルナート王国王女アナスタシアの誘拐だった。
だが、賭けは失敗したのだ――。
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