虚無の達人
船長の海エルフ――潮焼けした髪と肌の、エルフにしてはがっしりとした体格の男だった――に交易の品降ろしと新たな商品の仕入れに半日程かかると言われ、船を追い出されたのだ。
コールドゥは左手の悪魔の力を一定の強さで解放する。
索敵と防御の為だ。
王女は無防備に辺りの露店をのぞき込む。
盛夏の日差しはきつく、南に下っていく旅程で更に強くなっていく。
「美味しそう――良いでしょ、“お兄様”」露店で冷えたレモン水を見つけた王女は買ってくれる様コールドゥにねだった。
「二つくれ」コールドゥは溜息をつくと露天商に銅貨二枚を払った。
王女とコールドゥは素焼きのカップに入ったレモン水を受け取ると飲みながら歩きだした――まずは朝食だ。
日の出から一刻程――まだ早朝と言っていい時間だが燃えるような暑さだ。
「“お兄様”は
「生憎俺は戦闘系と戦闘補助以外の魔法は殆ど使えない」温くなったレモン水のカップをぶらぶらさせてコールドゥが答えた。
「使えないのね――暑いわ」王女は持っていた扇で顔を扇ぐ。
「庶民はこれに慣れなきゃいけないんだ」
「私は楽な人生を歩んできたって言いたいの――?私は私なりの――」王女は最後まで言葉を口にすることが出来なかった。
後ろで爆発の様な音が響いたからだった。
悲鳴と怒号が上がる――距離はかなり有った――王女は遠見の魔法を使う。
「カレン!」王女は叫ぶ。
王女の愛しい女性が魔法で見た場所に居た――遠い。
カレン達の上に翼を広げた竜の姿が有った――
飛竜は人を乗せていた――先頭の飛竜に跨った男の右手には日本刀が握られている。
微かに男の者と思われる声が聞こえてくる。
「エセルナート王国王女付き護衛騎士カレン――お前と王女アナスタシアは俺が貰い受けるぞ――大人しく従わないなら街は焼き払う」
「あの男――!」王女はドワーフの洞窟都市で見た魔法映像を思い出した――コールドゥの姉と母を嬲り者にした東方人。
「コールドゥ――力を貸して!カレンが危ない――」
「なりませぬ――王女殿下」突然現れた長身瘦躯の男が王女を引き留めた。
コールドゥは驚いた――最低限度にしていたとはいえ索敵に引っかからず、自分にも気配を悟らせないとは――。
「ライオー……ライオー=クルーシェ=フーマか」コールドゥは二の句が継げなかった。
「私と仲間がカレン卿を守ります――殿下迄出ていかれては敵の思う壺。何卒ここは私にお任せを――」
「あの男は俺の
「お前は王女殿下に傷をつけずに守り切る自信が有るのか、戦方士――殿下はお前から離れられない首環を着けさせられている――違うか」ライオーは鋭い視線をコールドゥに向けた。
「殺すなというなら止めはお前に刺させてやる。それで文句はあるまい」ライオーの言葉にコールドゥは沈黙した。
「勝てないと見たら、俺は構わず割って入るぞ」一拍置いて言葉を絞り出す。
「任せろ。コールドゥ“坊や”」コールドゥは言葉を返そうとしたが、ライオーは人込みに溶け込む様に姿を消した。
「“マスターヴォイド”ライオーの流派よ。もう一つの流派“サマー”もマスターの称号を得てるわ――飛竜四匹如き彼の敵では無い。“マスターウェストウィンド”ホークウィンドでさえもライオーには勝てないかも知れない」王女は周りを逃げていく人々を見渡した。
「悔しいけどここは退きましょう――突っ立ってたら格好の餌食よ。周りに溶け込まないと。様子を見たいなら近くの建物から見張れば良いわ」
二人は近くの店――避難民で一杯だった――三階建ての商人ギルドの会館に入って戦いを見守る事にした――。
* * *
「ホークウィンド!」女護衛騎士カレンが叫ぶ。
炎が掻き消える――ホークウィンドは火傷一つ負っていなかった。
風の気を身体にまとわせ、炎の直撃を防いだのだ。
カレンは既に“深緋の稲妻”――スカーレットライトニングの鎧をまとっていた。
深緋の稲妻に兜は無い――代りに防御の魔力の籠った
カレンは女性にしては長身――現実世界の単位で言えば170センチを3センチ程上回っていて顔立ちは――美しかった。
斬り揃えた黒髪に深いエメラルドグリーンの瞳の持ち主だ。
カレンの主な得物は槍だったが空中の敵を攻撃するには弓しかなかった。
“あの東方人――訛りがこちらの人間とは若干違う――もしかして転移者?”カレンは矢継ぎ早に矢を放ちながら敵を分析していた。
敵の狙いは自分と王女だと言っていた――姫様もこの街に居るという事だろう。
ミアもこの街の方向に姫様の痕跡が感じられると言っていた。
飛竜は日に一、二回しか炎を吐けない――そうなったら相手は地上に降りてくる筈だ、そこまで粘れば勝機は出て来る。
ミアの張った結界が飛竜の炎を防ぐ。
敵の飛竜には一体に二人が乗っている――八人パーティ。
男は一人だけだ――そこでカレンは最悪の想像をしてしまった――多分女を囲っているのだ。
男は二十歳前後に見えた――鎧すらつけていない。
「名乗りなさい――礼儀知らずの襲撃者!」カレンは怒鳴る。
「俺のモノになる女に名乗れと――?」男は下卑た笑い声を上げた。
「俺は大日本帝国陸軍特務中佐、
既に周りのあちこちが燃えていた――炎に焼かれた死体が転がる――敵は街の人間がどうなろうと構わないのだ――カレンは奥歯を食いしばった。
それだけではない――敵が王女がさらわれた事を触れ回ったら――王国の失態が明るみに出てしまう。
街の衛兵が駆け寄ってくるのが見えた。
飛竜の炎が衛兵達を焼く――悲鳴を上げて衛兵達は転げ回った。
「建物を盾にして――あと四、五回は炎が来るわ!」カレンは後続の衛兵に告げる。衛兵では歯が立たない――。
遮蔽物から弩の第一射を放った衛兵達は慌ただしく次の矢の発射準備をする。
敵も防御の結界を張っているのだろう――飛び道具では致命の一撃は与えられなかった。
上空から飛竜達が舞い降りて来る――カレン達も弓をしまうと武器を白兵戦の得物に持ち替えた。
カレンは魔槍、ホークウィンドは苦無、キョーカが
敵は飛竜から降りずに攻撃してきた――自身を危険に晒すつもりは無いらしい――合理的だが忌々しい戦法だった。
飛竜の噛み付きが襲ってくる――ホークウィンドが一体、シーラとキョーカが一体、ミアとマーヤが一体、カレンとマキが最後の一体――転生者無口蓮の乗った一体を相手にする。
カレンの一撃は飛竜の硬いウロコと頭蓋骨に阻まれた。
マキが火焔の魔法を使う――二人乗りで飛竜に跨る無口蓮とその後ろに居る金髪の人間族の女を炎が舐め尽くした。
炎が消える――敵にはまるで傷を負わせられなかった。
「小賢しい――異世界人如きが生意気なんだよ」無口蓮は日本刀を抜きざまに気合を発した――刀身から発した赤い気がカレンとマキを襲った。
同時に後ろの女も凍気の魔法を唱えた。
飛んできた刀気は辛うじて躱したが凍気魔法が容赦なく体力を奪う。
「カレン!マキ!大丈夫――?」ホークウィンドが飛竜の攻撃を捌きながらカレン達を案ずる。
「気の強い女の心を折るのは楽しいぜ――そう簡単に堕ちるなよ」
「そこよ――!」カレンはナイフに魔力を込めて無口蓮に投げた。
身を乗り出していた無口蓮の左肩に見事にナイフは突き刺さった。
最初、無口蓮は何が起こったのか分かりかねている様だった――少し経って痛み出したのだろう――憤怒の形相でカレンを睨む。
「このあばずれが――女共、我が元へ来い!」無口蓮は激情を迸らせて叫んだ。
飛竜四体がカレンとマキを囲もうとする。
そうはさせじとホークウィンド達も動く。
「カレンとか抜かしたな――お前は俺が直々に教育してやる――女如きが男に逆らうとどうなるかという事をな」
カレンは無口蓮の意図を察した――一騎打ちをするつもりなのだ――飛竜と仲間は二人に手出しさせない様に檻の役を果たさせるのだろう。
無口蓮はナイフを引き抜かずに後ろの女に治癒魔法を掛けさせた――傷口が塞がり、ナイフがまるで意志を持ったかの様に抜け落ちた。
「待っていろ――今すぐに仲間の前でお前を辱めて――」無口蓮は最後まで口にすることは出来なかった。
「それは無理だな」無口蓮の後ろから声がした――それがおかしい事にも気付かなかった。
いつの間にか金髪の女の身体がくずおれていた――首筋に一撃を受けて失神していたのだ。
「貴様――何者だ!?」振り返った無口蓮は己を軽蔑の眼差しで見やる長い金髪に黒い瞳を真っ向から覗き込む事になった。
「“マスターヴォイド(虚無の達人)”ライオー=クルーシェ=フーマ。エセルナート王国軍偵忍者」
「とったぞ――」その言葉が終わる前に無口蓮はライオーに愛刀で斬り付けていた。
飛竜の背中という足場の悪い中、ライオーは軽く踏み込んでその一撃を躱しつつ鳩尾に一撃をくらわした――くぐもった怒声を上げて無口蓮は気絶する。
ライオーは無口蓮の襟口を掴むと地面へと舞い降りた。
反対に主を失った飛竜は舞い上がった。
残りの女達も糸の切れた操り人形の様な微笑みを浮かべるだけでライオーを攻撃しようともしない。
「どうしたの――」マキが戸惑う――仲間が危機に陥っているのに助けようとしない――それがマキには信じられなかった。
「連中は文字通りの操り人形だ――この転生者、無口蓮の都合だけを聞く性奴隷さ」
「余計な事をしてくれて――そいつは私が倒す筈だったのに」カレンがライオーを睨む「男の方が女より優れているなんて妄言吐きは許せない――」カレンは現在進行形で言った。
「それに姫様を汚そうなんて冗談にも程が有る――打ち首ものだわ」
「同意はするが、こいつに止めを刺すのは先約が居るんだ」
「ガーザー、この転生者を坊やの所に連れて行く――魔法を頼む」
突然現れた二メートル近い隻眼の老魔術師にカレン達はまたも驚かされた。
ガーザーと呼ばれた魔術師は呪文を唱え始める――見る間に三人はチカチカと光る球体に囲まれ、姿が薄まっていった。
「今回の騒ぎは俺が事情を当局に説明しておく――お前達はコールドゥを追え、良いな――」ライオーの台詞はカレン達だけでなくホークウィンド達にも届いた。
「完敗――だね」カレンの元に来たホークウィンドが溜息をつく。
「信じられないわ――あれが王国一の軍偵忍者の力なの?」長い年月を生きてきたエルフのキョーカも驚きを隠せない。
「さて、どうするの――カレン」ホークウィンドが尋ねた。
「姫様を取り戻す――コールドゥの生死は問わずに。恐らくライオーの言ってた“坊や”ってコールドゥだわ」
残りの飛竜達も空に舞い上がった――カレン達を嘲るかの様に。
「もう少し情報を集めないと。コールドゥを倒さずに姫様を奪還するのが良いのかもしれない――状況を見極めないと駄目ね」
「ライオーを追いますか?カレン様」ミアが指示を仰ぐ。
「お願いできる、ミア?――姫様もライオーも同じ所に行く筈――準備出来次第後を追うわ」
七人はそれぞれに息をつくと、上空に消えていく飛竜を見送った――。
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