両すくみ――恐怖の均衡

“俺の指示する倉庫に来い――転生者――無口蓮むぐちれんを引き渡す”秩序機構オーダーオーガナイゼーション戦方士バトリザードコールドゥ=ラグザエルは脳内に響いた軍偵忍者ライオーの念話テレパスの声をさらったエセルナート王国王女アナスタシアと共に聞いた。


 遠見の魔法で見てはいたが――ライオーがここまでの強さを持っているとは思っていなかった。


 不老不死ハイエルフの女忍者ホークウィンドの冒険者パーティとライオーが手を組んだら俺でも敵わないかも知れない――コールドゥは焦燥に似た思いに囚われた。


「行きましょう――“兄様”」王女がコールドゥを促す。


「言ったでしょう――転生者如き敵では無いと」当然と言わんばかりの態度だった。


 避難者たちの流れも落ち着き始めていた。


“お前達の居る建物を出て右へ行け、突き当りの三叉路を右に、そこから俺が良いと言う迄真っすぐ進め――”指示に従ってコールドゥと王女は歩き始めた――。


 *   *   *


 一方、ホークウィンドと王女付き護衛騎士カレン達七人は転生者を撃退した“英雄”扱いされていた。


 周りを囲む群衆を衛兵達が押しのけてカレン達七人を市庁舎迄案内しようとする。


「この街にずっと留まって――」


「有難う御座います――」切れ切れに七人への感謝と称賛の声が響く。


「大変な事になったわね――」カレンが思わず溜息をついた。


「これもライオーの狙いかも」ホークウィンドも同調する。


「あの転生者は――」女勇者マキが問う。


「多分殺されるだろうね――この街の衛兵に捕まったとしても死刑だろうけど」ホークウィンドが推測した。


「自ら表に出てきてすぐ自爆ですか――単なる間抜けか、それとも――何か裏が有りそうな気もしますわ」女魔術師マーヤが疑問を口にする。


「それにあの転生者がどうやってカレン様達の情報を得たのか――背後に誰が居るのか、そこまで調べた方が良いと思います」女神官ミアもマーヤの話に同意した。


「アタイには難しい話は分からないけど――ミアがそう言うんならアタイもそう思うよ」ドワーフの女戦士シーラも賛意を示した。


「私達ももっと強くならないと――ガランダルには地下迷宮ダンジョンが有った筈――時間が許すならそこで修行を積んだ方が」キョーカが提案する。


「敵戦方士を取り逃がす恐れが無くなったらね――」ホークウィンドが応じた。


「先ずはこの事態を上手くやり過ごさないといけないわね――」カレンが結論付けた。


 七人はリルティスの市庁舎に辿り着くと絶対秘密を条件に市当局に協力を求める事にした――ライオーが隠していると思われる情報を得る為だった。


 *   *   *


 転生者無口蓮は自分が何処かの建物の柱に後ろ手に縛りつけられている事に気付いた――灯りは一切無い――真っ暗だ。


“ゲルグ――ゲルグ=アッカム――応答しろ”念話で秩序機構総帥に呼び掛ける。


 返答は無かった――しかし自分の声が届いている事は分かった。


「お目覚めかな――転生者」聞き覚えのある忌々しい声がした――確かライオーとかいう忍者の声だ。


「不意打ちとは卑怯な真似を――次が有ればお前など一刀のもとに切り捨ててくれる」無口蓮はふてぶてしく応えた。


「そんな恰好で言っても迫力は無いな――それに次など無い」暗闇から声だけが聞こえてくる。


「それはどうかな」無口蓮は這い寄ってくる恐怖心を抑えながら精一杯の虚勢を張ろうとした。


「女共はどうした、俺の女共は」


「お前が気絶している間に逃げた――魔法で囲った女等所詮そんなものだ」ライオーは軽蔑を隠さなかった。


“ゲルグ――女共は俺の元に戻せるか”


“捕まえて後から送る事は出来る――だが当面は間に合わない”ゲルグの声が脳内に響いた。


“そうか――それならそれで良い――俺の“スキル”ならこいつらに一泡吹かせる事は出来るからな”


 こいつらは神に与えられた俺の“固有スキル”を知らない――後で吠え面を搔くのは貴様らだ――無口蓮はニヤリと嗤った。


 暫くの沈黙が有った。


「坊や、あとはお前に任せる。煮るなり焼くなり好きな様にするといいさ」ライオーが下がった。


「楽に死ねると思うな――無口蓮」コールドゥは月明り程度の明るさの光の魔法を唱えた。


 無口蓮は血のような赤毛の魔術師――コールドゥの姿と少し離れた所に血の気のひいた顔で立つ王女アナスタシア、それに自分に一撃をくらわせたライオー=クルーシェ=フーマが居るのを見た。


 コールドゥの左手が蠢き出す――人外の魔物だ――無口蓮は自分に与えられた痛覚無視の“スキル”を発動させた。


 コールドゥは影撃シャドウボルト――暗黒のエネルギー波で物体にダメージを与える魔法――を無口蓮の左手にぶつける――手は粉微塵に潰れた。


「――痛覚が無いのか――」コールドゥは悲鳴一つ上げないその様子が流石におかしいと気付いた。


「どうした――もっとやってみせろ」無口蓮は挑発し、哄笑した。


 コールドゥはそれには乗らなかった――こいつにもう用は無い。


 コールドゥの左手がゴムの様に伸びた――胸を貫くと心臓を貪り食う――無口蓮は一言も発せずに即死した。


 血の気を失って土気色と化した無口蓮の残された身体は筋肉が引き攣れ、身体がびくびくと痙攣した。


「俺たちの方で後始末をするか?坊や」


「結構だ。<憎悪>の魔剣イェルブレードで燃やす。あとは灰しか残らん」コールドゥの手に巨大な二支剣が出現した。


 コールドゥは巨大な魔剣を片手で振った――イェルブレードが無口蓮の身体に突き刺さる――身体のあちこちからぶすぶすと煙が吹き出し、内側から燃え上がる――一分も経たずに全身は細かな灰と化した。


 骨さえも形を留めずに灰の山だけが残った。


“次は貴様の番だぞ――我が祖父ゲルグ=アッカム”灰の山を散らしながらコールドゥは念話の魔法でゲルグに告げた。


 応答は無いが聞いているのは間違いない――無口蓮には蘇生魔法すら掛けられぬよう灰を吹き飛ばした。


「ライオー、命令です。コールドゥとカレン達を引き合わせて」王女が声を掛けた。


「私としても聞ける命令であればそうしたい所です――王女殿下」ライオーは言葉を続けた「私に命令できるのはトレボー王陛下だけです。陛下からの許しが無い限りそうする事は出来ません」


「では今すぐ父様に連絡を取って」断固とした口調だった。


 ライオーは王女の顔を見た――こういう時の王女は何を言っても無駄だ――ライオーは経験でそれを知っていた。


「分かりました。その代わり、陛下から許しが下りなかったらこの話は無かった事にさせてもらいます。それで良いですね。アナスタシア王女殿下」ライオーは王女の名前を強調して言った。


 ライオーは王直通の遠距離通話のペンダントを取り出すと手短に状況を説明した。


 応対したのは王でなく近習だった。


 四分の一刻ほど待たされた後、“狂王”とあだ名されるトレボー王が自ら通話に出た。


「我が娘アナスタシアは無事なのだな――ライオー」堂々とした声が聞こえた。


「は。陛下の貴見を聞かせて頂きたく――」ライオーは最後まで言えなかった――王女がペンダントを掴むとこう怒鳴ったのだ。


「父様――どうして私をさらったとはいえ事情の有る者を見捨てる様な真似をなさるの!――秩序機構総帥ゲルグを倒したいなら戦方士コールドゥとカレン達を共闘させて――私は傷一つ負わされてないわ!」耳をつんざくような金切声だった。


「落ち着け――我が娘アナスタシアよ――」トレボー王は気圧された様だった。


「王女殿下――落ち着いて下さい。王陛下は悪意が有った訳では無いのです」ライオーが必死にとりなす。


「これが落ち着いていられて――父様は筋だけは通す御方だと思っていたのに!」王女は感情を爆発させた。


「カレン達も無駄な危険に晒して!――何の権利が有って――コールドゥとカレン達が争う必要など欠片も無いのに!――」王女はいつの間にか涙を流していた。


 暫くの間王女は泣き喚くという以外に表現しようのない声でトレボー王を糾弾した。


 “狂王”トレボーは感情などに動かされない――世間ではそう専らの評判だったが流石に今回はそうはいかない様だった。


「だが、神託では――」


「神託が何なの――父様は神託が世界を滅ぼせと告げたらそうするの!?」


「そうは言わぬ――」


「姫様――私なら大丈夫です」更に喚こうとする王女を止めたのはライオーでもコールドゥでも無かった。


 王女は涙に濡れた目で声の主を見る。


「――カレン――!?」王女の顔が信じられないものを見たそれに変わった。


 王女付き専任護衛騎士カレン=ファルカンソスの姿が有った――後ろにはホークウィンド達も居る。


「何故ここが――お前か、ガーザー?」ライオーは一瞬苦い顔をした。


 相方の魔術師――姿を隠していた――に問い掛ける。


「そうだ。その方がゲルグを倒すのに都合がいいと思ったのでな」長身のライオーより更に10センチ以上背が高く、左目に眼帯を掛けた老魔術師だ。


「それで大丈夫なのか――ガーザー殿」ペンダントからトレボー王の声がした。


「問題無い――トレボー王よ。カレン卿と戦方士コールドゥを引き合わせても“神託”に反する事にはならない」


 事態は急速に展開していた。


「しかし、ゲルグがこれを知ればただでは済まないだろう――俺はどうすればいい」コールドゥが疑問を口にする。


「コールドゥは母親と姉を人質に取られているの。私達と手を組んでゲルグを倒すとなれば――」王女が補足する。


「ゲルグは母と姉を殺す事は出来まい――殺せば今すぐゲルグの首級を取りに我らが殺到する」ガーザーが指摘する。


「ゲルグに出来るのは自分を殺せばコールドゥの母と姉を殺す――そうやって自分の命を担保する事と、命令を聞かねば殺すという脅しだけだ」


「ややこしいね――もっとすっきり説明できないのかい?」シーラがたまりかねた様に言う。


「要するに――人質を取られているからと言ってゲルグの意に反する事を全く出来なくなる訳じゃない――俺達と手を結べば人質を殺すと先に脅していたのならそれを恐れてそうしなかったかもしれない――今から殺すと抑止力が無くなる――手遅れだ」ライオーが答えた。


「これからでも脅せば良いじゃないか」シーラは食い下がる。


「手を結んでも殺せないという既成事実が作られてしまった――これから殺せばコールドゥへのくびきが外れる――別れなければ殺すという脅しも、別れないと突っぱねられれば終わりだ。人質を殺してしまったらそれまでだからな。俺達にしても手を組まなければゲルグを殺せる確率が著しく落ちる――組まないデメリットの方が大きい」


「じゃあ向こうの脅しは一切効かないって事ですか?」ミアも尋ねる。


「ゲルグも自分の命や権力に直接関わる事なら人質を殺す事も厭わないだろう――殺した上で自らが出ると覚悟を固めたら全面戦争さ――」


「アタイにはまだ良く分からないよ」シーラがむくれる。


「分けて考えれば良い。ゲルグが人質を殺せば俺達全員と戦わなければならない――そうすればゲルグは恐らく負ける戦いを強いられる――だから人質を殺せるのはそうしなければ自分が確実に死ぬか、又は既に奴の死が確定して死なば諸共で巻き添えを喰らわせる時だけだ――」


「ゲルグが確実に死ぬとなった時にしか使えない切り札って事?」マキが核心を突いた。


「そうだ――使えばゲルグの死がほぼ確定する切り札だ――俺達が手を組んだ事でそうなった」


「じゃあゲルグを今すぐ倒しに行けるって事かい?」


「いや。人質を直接解放出来るならともかく生殺与奪の権を向うに握られてる事には変わりない――両すくみだ」


「つまり、共闘は出来てもゲルグが譲れない一線だと思っている事は聞かないと人質がどうなるかは分からないって事ですわね」マーヤが話を纏める。


「コールドゥの余命は短い。ギリギリのせめぎ合いだ――均衡が崩れるまでそう間は無い。コールドゥが死ぬ前にゲルグを斃し人質を解放しなければならない――だが今正面切って斃しに行けば人質は殺される。ゲルグが狙っているのは時間切れでコールドゥが死ぬ事だ――それまで出来るだけ人質を害そうとはしない筈だ」


「じゃあ、いつ斃しに行けばいいんだい?」


「人質を殺害されない様ゲルグに接近する――余りやりたくはないが王女殿下をゲルグの元に連れて行き隙を見て奴を斃す――それしか無いだろう」


「そもそもゲルグはどうして王女を誘拐する様命令したの――?」マキが尋ねた。


「ゲルグは<憎悪>の神ラグズに死を予言された――王女殿下を捧げればその命を救ってやると混沌の女神アリオーシュに吹き込まれたんだ」


「そうだったのか――それでゲルグはあんなに王女を生かして連れて来る事に固執していたのか――」コールドゥが驚きの表情を見せた。


「俺の母と姉をすぐ殺せない事は分かった――だがゲルグを斃すのに王女を連れて行くのは――流石に少し心苦しい」


「今更それを言うの――散々私を引きずり回したのに」王女が呆れる。


「それに、私は貴方を助けると誓った――王族の名誉に掛けてよ。それを反故にされたら王族の体面を汚される――」


「姫様――姫様は彼の境遇を知って助けると決められた訳ですか」カレンが確認する。


「そうよ――貴女には誤解を招く様な物言いになってしまったけど」


「良いんです――姫様が心変わりされた訳じゃ無かった――本当に良かった――」カレンは思わず涙ぐんだ。


「カレン――私ってそんなに信用されていなかったの?」王女はむくれた。


「だって――姫様と私では身分が違い過ぎる――それに直属護衛騎士なのに姫様を守り通せなかった」


「そんな事で私が貴女を嫌いになる筈無いでしょう!」王女は思わず叫んでしまった。


「姫様――申し訳ありません――」叱る様な王女の声にカレンは増々涙を止められなくなった。


 見つめ合う二人を無粋な声が現実に引き戻す。


「再会を喜び合うのは後にしてもらって構わないですかな。王女殿下。カレン卿」ライオーが咳払いした。


 それを聞いた皆は思わず笑いをこぼした。


 王女とカレンもつられて微笑む――カレンは泣き笑いだったが――和やかな空気が漂った。


 ――束の間の平和が皆の間に訪れたのだった――。

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