王女の決断、そして復活

 救世主ガーファルコンの捨て身の一撃によって砕けた邪黒龍グレーニウスの身体が集まり元の形を取り戻していく。


 全員がこれは悪夢だと思い込もうとした。


「奥へ――」我を取り戻した王女付護衛騎士カレンが叫んだ。


 その声に王女達はグレーニウスが現われた玄室へと走り出す。


 邪黒龍が姿を取り戻す前に逃げ込んで玄室の扉を魔法で施錠する。


 扉に巨大な質量がぶち当たる音が何度も響く。


 王女達は暫らく扉から目を離せなかった。


 音が止んだ。


 奥からぼんやりと光が見える。


 光っているのがカビ悪魔に取り付かれた人間だという事に気付いたのは数拍以上経ってからの事だった。


 その光景を見て王女アナスタシアは息を吞んだ。


「イルマ王女!?」


 部屋の中央に柱が有り、その柱にカビ悪魔に取りつかれた大陸南端のガランダリシャ王国連合王女イルマ=ディーダリシャの姿が有った。


 柱に取り込まれるように、イルマの身体は石材と一体化し、そこから菌糸が伸びていた。


「……アナスタシア様……?」イルマが王女の声に反応する。


「マーヤ。急いで解呪ディスペル浄化ピュリフィケーションを」アナスタシアが素早く指示を出す。


「待って下さい。イルマ様は柱と完全に一体化しています――解呪ではイルマ様は――」女神官ミアが叫んだ。


「でも、このままにしては置けない。何か方法は――」アナスタシアは必死に頭を回転させる。


「何をしても無駄。イルマ王女は助からない――貴女には助けられない。自分の無力さを思い知りなさい。エセルナート王国王女アナスタシア」部屋に声が響いた。


「私はレハーラ。貴女がもっと強ければコールドゥは死なずに済んだ。これは天罰よ」声には怒りと憎しみが籠っていた。


「貴女――ガーファルコンが言っていた秩序機構オーダーオーガナイゼーションの? 私を殺す事が望みなんでしょう、何故無関係のイルマ王女を巻き込むの――卑怯よ」


「貴女が苦しむ事なら何だってする――彼の憎しみと哀しみ、苦しみを一番よく知っているのは私――アナスタシア、貴女じゃない」


「コールドゥの死は私達に責任が有るっていうの――逆恨みも大概にしなさい」カレンがレハーラを咎めた。


「カレンちゃん、アナスタシアちゃん、これはそういう問題じゃないよ――」事情を察したホークウィンドが二人をたしなめる。


「どういう事――」アナスタシアが怪訝な顔をする。


「レハーラはコールドゥを愛してたんだ。いや、今も愛してる。だからコールドゥの心を振り向かせたキミに嫉妬してるんだよ。やってる事は最悪だけど。違うかい? 秩序機構の魔術師レハーラ」


「歯に衣着せずに物言うのは流石に傲慢なエルフらしいわね――そう、私はコールドゥを愛している。だから、秩序機構総帥ゲルグも貴女達も赦せない」レハーラは言葉を区切った。


「せいぜい苦しんで。この場を切り抜けるには苦渋の決断が必要になる。出来たら魔都でゲルグもろとも決着を付けてあげる」


 それきり声は止んだ。


 部屋の天井が揺らめき、青黒い光を放つ巨大な黒メノウが現われた。


 宝石の前に半透明の老人の姿――恐らくこの塔を造った魔術師だろう――が映し出される。


「よくぞ、深奥に辿り着いた――勇気ある冒険者達よ。そなたらの偉業を称えて一つだけ如何なるものでも願いを叶えてやろう」


 アナスタシアは顔をぱっと輝かせた。


「では、王女イルマを元の姿に――」


「いけません――アナスタシア様」イルマがアナスタシアをさえぎった。


「コールドゥ様を蘇らせて下さい――邪黒龍に対抗するにはそれしかありません」


「だけど――」


「私は良いんです。愛した女性ひとを取り憑かれていたとはいえ――」イルマは

悲しそうな顔をした。


「それ以上言わないで、何としても貴女を助けるわ」


「最期にアナスタシア様とカレン様に会えた――それだけで十分です。この塔を造りし偉大なる魔術師よ――〝憎悪の戦方士〟コールドゥ=ラグザエルを蘇らせて――!」


 イルマは責任をアナスタシアに負わせない様、自らの死を願った。


「承知した。黒の塔を造りし魔術師は戦方士コールドゥを蘇らせる」


「待って!」アナスタシアの声は届かなかった。


 イルマと一体化した柱の前に金色の光が集まり始めた――馬車に置いていた筈の巨大な二支剣、<憎悪>の神の造った魔剣イェルブレードを握った戦方士が実体化する。


 扉の隙間からジメジメした煙が侵入してくる――徐々に形を取り始めたそれは紛れもなく邪黒龍グレーニウスのものだった。


「コールドゥ様――戦って!」イルマが叫ぶ。


 アナスタシアは未だ状況を認められずにいた。


「姫様――しっかり! 先ずは邪黒龍を倒さないと!」カレンがアナスタシアを揺さ振る。


 邪黒龍が完全に形を取り戻す前に王女達は戦闘隊形を取った――コールドゥは半ば虚ろな目で邪黒龍を見つめる――その目に憎悪が宿った。


 戦方士の装束に身を包み、<憎悪>の魔剣イェルブレードを構えると邪黒龍目掛けて人間離れした速度で疾走する。


 邪黒龍は真正面からコールドゥを迎え撃った。


 酸の息を吹き掛ける時間は無かった。


 邪黒龍の左腕がコールドゥを襲う。


 コールドゥはイェルブレードを切り上げた――邪黒龍の硬いウロコが切り裂かれる。


 真っ赤な血が飛び散った。


 邪黒龍は唸りながらも攻撃を止めない――無事な右手でコールドゥを掴んだ。


「お前達はよくやった。だがそれもここ迄だ」そのまま握り潰そうとする。


 コールドゥは逆手に握ったイェルブレードを邪黒龍の掌に突き立てた。


 魔剣は掌を貫通し、邪黒龍は痛みに咆哮した。


 コールドゥを地面に叩き付ける。


 戦方士は衝突する直前に両足で床を踏みしめた――ゴムの塊を叩いた様な衝撃が邪黒龍の手を痺れさせた。


 出血が止まらない――魔剣の力か?


 邪黒龍は戦慄した――コールドゥが蘇る可能性は想定内だったが、蘇った後の強さは想定外だった。


 コールドゥと戦っている間にホークウィンドとカレン、そしてドワーフの女戦士シーラが肉薄していた。


「しゃらくさい――」邪黒龍は一気にケリをつけるべく一旦間を取ろうとした。


 女魔術師マーヤが凍気の魔法を唱えた。


 凍気自体は邪黒龍の魔法結界に阻まれた――しかし吹き付けた凍気に視界が遮られる。


 右脚に激痛が走った――シーラの戦斧がウロコを貫通して腱を切断したのだ。


 身体の内側は人間と同じく表皮――龍はウロコだが――は薄く柔らかい。


 倒れるのを防ぐべく邪黒龍は羽ばたいて宙に舞い上がった。


 天井は低いがこれで近接攻撃は避けられる――邪黒龍はそう読んだ。


 しかし当ては外れた。


 コールドゥの背中に血のように紅い翼が生えていた。


 それに気づいた時はもう目の前にコールドゥがいた。


 邪黒龍は長い首を振って頭部の角をコールドゥに突き刺そうとする。


 まともにぶつかれば衝撃だけでも致命傷だ。


 果たしてコールドゥはその攻撃を喰らった――しかし角は身体を貫通しなかった。


 魔剣イェルブレードに角が絡まる様に止められていた。


 攻撃を受けてもなおコールドゥの目には攻撃の意思――憎悪が有った。


 真っ向から視線を受け止めながらも邪黒龍は恐怖が身をさいなむのを禁じえなかった。


 自らの外傷を癒すべく邪黒龍は回復魔法を唱え始める。


 女神官ミアが麻痺の魔法を、魔術師マーヤが沈黙の場の魔法を掛けてきた。


 麻痺は左腕を襲い、沈黙は回復魔法を唱える事を阻害した。


 更に心臓を蹴られたような痛みが襲った。


 心臓破裂の魔法だ――目の前のコールドゥが無詠唱で唱えたのだ。


 魔法は効かなかったが、邪黒龍は一瞬怯んだ――その隙をコールドゥは見逃さなかった。


 左目に煌めく光が映る――邪黒龍の目をイェルブレードが貫いた。


 目の前が真っ白な閃光に包まれる。


 今度こそ邪黒龍グレーニウスは恐怖の咆哮を上げた。


 転移の魔法で外に逃げる。


 塔の外へ出た邪黒龍は一散に空を駆けた――回復魔法を何とか唱え、まっしぐらに自分のねぐらへ飛んだ――恐怖から立ち直るのにどれくらい時間が掛かるかは全く見当もつかない事だった。


 *   *   *


 邪黒龍グレーニウスを退けた王女達だったが、問題は残っていた。


 コールドゥは一見落ち着いているように見えたが、宿った眼光は鋭かった。


 正常に蘇ったのか――誰もが話し掛けるのをためらう様な気を張っていた。


 沈黙を破ったのはイルマ王女だった。


「コールドゥ様――改めて、お目にかかるのは初めてですわね」


 コールドゥは厳しい目つきでイルマを睨む。


「お願いが有ります」次のイルマの言葉にアナスタシア王女達は息を吞んだ。


「私を<憎悪>の魔剣で殺して下さい」


「いけません。イルマ王女――」アナスタシアがイルマを見つめる。


「私をこの塔から解放するにはそれしかありませんわ――分かってとは言いません。このままこんな姿で生き永らえたいとは思いません。心臓破裂の魔法でも私を殺す事は出来ない。一番苦しまないのは魔剣に斬られる事です」


「ですが――」


「言った筈ですわ――如何なる魔法も私を元に戻す事は出来ません。この塔を造った魔術師にもです。レハーラを恨んでいないと言えば噓になります。でも彼女が狂った訳も私にはわかるんです」


 イルマはアナスタシアの目を覗き込んだ――そしてアナスタシアは全てを理解した。


 恐怖、怒り、絶望、諦め、――そして受容と同情と愛。


「イルマ王女、貴女は最初からそのつもりで――」アナスタシアは絶句した。


 コールドゥがイルマに近づくとイェルブレードを構える。


「待って。コールドゥ」アナスタシアがコールドゥを制止した。


「私がやる。カレン、貴女も手伝って」アナスタシアはイェルブレードをコールドゥから受け取る。


 イェルブレードの重さに王女は耐える――カレンが右側に立って共に魔剣を持った。


「イルマ王女――一時でも貴女を愛した者として、我が従者カレンと共に最期を看取らせてもらいます。貴女を救えなかったのは私の罪。でも貴女を愛した事実は神にも消せません。ミア、感覚共有の魔法を私達とイルマ王女に」


「イルマ王女一人に苦しみを背負わせることはしません――せめてもの償いです」カレンが後を引き取った。


 イルマが頷くのを見たアナスタシア達はイェルブレードを構える――一瞬のためらいの後、囚われの王女の心臓に魔剣を突き刺した。


 ゼリーにナイフが突き刺さるかのように滑らかに魔剣は優しく心臓を貫いた。


 身も凍るような感触がイルマ――と感覚を共有するアナスタシアとカレンに襲い掛かった。


 続いて熱が心臓から身体中に広がる――アナスタシア達が見守る中みるみるうちにイルマは灰と化していった。


「アナスタシア様、カレン様――愛しています」イルマの最期の言葉は感謝のそれだった。


 魔剣が音を立てて落ちた。


 アナスタシアは両手で顔を覆う――カレンがアナスタシアを抱き締めた。


「カレン――」直属護衛騎士の腕の中でアナスタシアは泣きじゃくった。


「長居は無用だ――引き上げよう」コールドゥが冷徹に告げる。


 コールドゥの第一声はミアにさえぎられた。


「駄目です――強大な魔力が近くで発生しました。ウツロの街を取り囲む様に結界が――脱出できません」


「閉じ込められた? 誰が何の為に?」ホークウィンドが緊張した声で言った。


「魔導専制君主国の魔道兵器か――ゲルグは人体実験の痕跡を街ごと消し去る気だ」


「魔道兵器? 消し去るって――まさか」エルフの女魔法戦士サムライキョーカには思い当たった事が有った。


「〝サリシャガンの虎〟――魔道戦略兵器。目標の内部に直接破壊の魔力を発生させて塵と化す君主国の最終兵器だ――」コールドゥの声には焦りが滲んでいた――。

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