吸血邪神 チャウグナル=ファウグン

 邪神の攻撃手段は口吻以外にも有った。


 獲物を捕縛しておくための触腕――それにも口がついており血を吸う事が可能だった。


 触腕で絡め捕り、動けなくした上で吸血するのだ。


 吸血を邪魔されない様攻撃する為の腕まで有った。


 10メートルを超える身長に、その巨体に相応しい重量――押し進むだけで建物が倒壊する程だ。


 巨大な口吻に八本の触腕、さらに巨大な牙の生えた口が首元に有り、捕まえた獲物を身体ごと粉砕して吸血する――その様子にコールドゥ達でさえも恐怖の念が起きるのを禁じえなかった。


〝神に対抗するには神器アーティファクトしかない〟コールドゥは老魔術師ガーザーの言葉を思い出していた。


〝智恵と戦いの女神ラエレナの鎧を着用したカレン、そして<憎悪>の神ラグズの魔剣イェルブレードを持ったコールドゥ、お前達が主戦力だ〟


〝ホークウィンドとライオーは攻撃補助、儂と残りは防御を固める〟


 コールドゥはウィングドブーツで地面すれすれを疾走しながら攻撃しつつ致命傷を与えられる隙をうかがう。


 カレンは前衛に立って敵の触腕を出来るだけ使えなくする。


 ホークウィンドとライオーは囮となって敵を引き付ける。


 キョーカ、マキ、シーラ、ミア、マーヤは王女アナスタシアと蘇生したばかりで満足に動けない少女を護りつつ遠距離から攻撃を仕掛ける――これがコールドゥ達の作戦だった。


 逃げ惑う人々も居なくなりコールドゥ達は海上都市の広場で邪神と向かい合う。


〝邪魔をするな――〟邪神の声が脳裏に響く――金属が擦れ合うような不快な声だった。


 対するコールドゥ達は無言だった。


 邪神を囲む様にコールドゥ、カレン、ホークウィンド、ライオーが位置を取る。


 ガーザーは王女達を護る様に結界を張った。


 マーヤが相手の動きを鈍くする魔法を強い魔力で放った――通った。


 重力魔法だ――重ければ重い程効果も大きい。


 ミアは自分達の周囲に結界を重ね掛けする――物理攻撃を防ぐものだ。


「今ですわ――攻撃を」邪神の動きが鈍っている内にとマーヤが叫んだ。


 コールドゥが地面を滑る様に高速移動しながらイェルブレードを振るう――触腕の

一本が見事に切断された。


 断面が焼かれ、地に落ちた先の部分は灰となって散った。


 邪神は驚く――触腕が再生しない――あの魔剣は神器か。


 邪神の視界は全周三百六十度有った――真正面の女も神器を纏っている。


 既に数十人を超える人間を喰らい、自らの力はかなり戻ってきていた。


 目の前の人間共はかなりの使い手だ――まともに相手をするのは不利かもしれない。


 もっと血を吸えば力はより増す――邪神は安全策を取る事にした。


 転移を行うべく意識を集中する。


 神器の深緋の鎧を纏った女が魔槍で突きかかってきた。


 左に位置していた黒装束の女エルフが同時に動く。


 もう一人、胸甲を付けた長い金髪の男は動かなかった。


 魔槍を腕で受け止める――しかし相手の突きは予想を上回る威力だった。


 貫通こそしなかったものの腕に幾つもの穴が開いた。


 激痛に邪神は怒りの咆哮を上げた。


 黒装束の女エルフは苦無を持っていた――二本の触腕が挟み撃ちで女を襲う。


 女は攻撃を身をしならせて躱しながら両手に持った苦無を触腕に突き立てると、左右それぞれに刺さったその柄を回転しながら同時に蹴り付けた――苦無が深く突き刺さりたちまち触腕は麻痺して動かなくなる。


 邪神は残り五本の触腕の内三本を深緋の鎧の女に、二本を動いていない長髪の胸甲の男に向ける。


 口吻で神器の二支剣を持った男――触腕の一本を焼いた男だ――を攻撃し、腕は治癒魔法で回復させようとした。


 長髪の男は目を閉じていた――目を見開く――その姿を見た途端邪神は太陽に全身を焼かれたかの様な闘気に圧倒された。


 烈夏の達人〝マスターサマー〟ライオーの力だ。


 ほんの一瞬だったが邪神は動きを封じられた。


 気付いた時には女二人に反撃不可能の距離――がら空きの懐に入られていた。


 ――まずい――邪神は転移魔法を使う――巨体が魔法の風と共に消えた。


「逃げたか――」ライオーが辺りを見回す。


「跡は追えますわ――」委細を承知していたマーヤが魔法を唱え始めた――


 *   *   *


 邪神は避難する人でいっぱいの通りに出現した――見境なく人間共を食いまくる――傷を癒し、追ってくるであろうあの忌々しい冒険者共を迎え撃てる態勢を整えねば。


 身体に付けられていた悪魔族の体組織――これを目掛けて転移してきたのだ――を引き剝がす。


 身体に深く浸食していた組織を剝がそうと指先を深く食い込ませる――鋭い痛みが邪神を襲った。


 無理やり引き剝がす――大量の血が噴き出した――しかしほんの少し体組織が残る――これでは追跡を完全に遮断する事は出来ない。


 無事な触腕と口吻、それに首元の口でまとめて逃げ惑う人間を襲う――血を吸った量に比例して邪神の身体が大きくなり始めた。


 身体が膨張する――表皮が破れ中から膨れ上がる様に筋肉が盛り上がった。


 脱皮だ――邪神は二回りも大きくなった身体で更に辺りを蹂躙した。


 まとめて捕らえた人間を貪り食う様に吸血する。


 駆けつけてきた衛兵達が鉾槍ハルバードで邪神を食い止めようと向かってきた。


 隊列を組んで押し包む様に攻撃してくる。


 邪神が腕を振ると隊列はもろくも崩れた。


 捕まった衛兵達が悲鳴を上げる――躊躇なく邪神は獲物を口に放り込んだ。


「騎士団に連絡を――我々では太刀打ちできない――!」衛兵隊長が指示を飛ばす。


「防御の陣を引け――精霊使役士エレメンタリストも呼ぶんだ――市民が避難する迄何とか食い止めろ!」


 指示を出す隊長を口吻が襲った――こいつを潰せば後は烏合の衆だ、邪神はそう確信した――口吻は鎧を食い破って身体の中で止まる。


 そのまま一気に血を吸いつくした――隊長は悲鳴すら上げずに干からびて絶命した。


 衛兵達に動揺が走った――指示を下すべき副長は前に出る事が出来なかった。


 出れば確実に死が待っている――衛兵の後列が崩れる様に逃げ出した。


 駄目押しの攻撃が衛兵達に襲い掛かった――まともに受け止めるには目の前で起きた事は凄惨過ぎた。


 衛兵達は一気に崩れた――武器を放り出して逃げ出そうとする。


 逃げ切れたものは一握りに過ぎなかった――殆どが邪神の餌食となった。


 建物の中に逃げ込んだ市民も襲われた――恐怖の声が辺りに響き渡る。


 ここまでくればあの冒険者共も圧する事が出来る――邪神は確信した。


 それでもまだ足りないと言わんばかりに辺りの建物を破壊しては中に居る人間を襲った。


〝我はここに居るぞ――〟人間達の断末魔の叫びに満ちた街中で邪神は禍々しい歓喜に満ちた声で吠えた。


 *   *   *


 元大日本帝国特務特務少尉、無口蓮むぐちれん――中佐を僭称していたが――は邪神にコールドゥ達が叩きのめされることを期待していたが、空振りに終わるかもしれないと危惧し始めていた。


 コールドゥ達が予想以上に善戦した――それどころか邪神は負ける一歩手前だった――その事が楽観的な見方をひっくり返した。


 邪神に気付かれれば自分達も襲われるかもしれない――しかし手を貸さなければあっさりと邪神が倒されて終わる可能性も有った。


 そうなれば王女アナスタシアと女護衛騎士カレンをさらうチャンスは無くなる。


 それだけは避けたい――飛竜ワイバーンに跨って空高くから海上都市ガランダルを見渡しながら、戦場では致命的になりかねない欲望に身を焦がしていた。


 他の何を犠牲にしてもあの二人を我が物にする――それだけは譲れない一線だった。


 最悪、復讐は諦め女二人をさらう事で満足すべきか――コールドゥとライオーは――いや、まだ早い、邪神とコールドゥ達の次戦を見ながら介入すべきか決める。


 飛竜の飛行速度なら一撃離脱で王女達をさらって逃げる事も可能だ――手綱捌きさえ誤らなければ。


「あのクソったれのグレーニウスめが――」邪黒龍グレーニウスが騎乗を許していればこんなに悩まずとも襲撃を仕掛けられたのだ――無口蓮はここには居ない、自分の願いを無下に蹴った黒龍を罵った。


 この世界に転生して初めての挫折がコールドゥとライオーに敗北した事だった。


 次の挫折が黒龍が自分を拒んだ事。


 そして予想もしなかった挫折が女共が敗北後の自分を助けなかった事だ。


 死んだ事は何度か有ったがその時にはまだ魔法で洗脳した女達は居なかった。


 それ以前の女達は自分が死んだら逃げていた――後を追って殺す事で溜飲を下げてきたのだ――責任が自分に有るとは一欠けらも思わなかった。


 周囲に透明化の魔法を掛けた〝仲間〟――性奴隷の女達――の乗る三体の飛竜がいる。


 女共が言う事を聞くのは自分が生きている時だけだ――幼女神エリシャの魔法は不完全だ――女というものはどいつもこいつも――偏見に満ちた考えを弄びながら無口蓮は眼下を行く邪神チャウグナル=ファウグンを睨んだ――。


「死ぬにしてもせめて俺の面子を立てて死ね――似非神が――」無口蓮は毒づく。


 ――邪神の足が干からびた死体を粉砕した――。

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