女海賊アザレル=リードと魔道船エリス

 ガランダリシャ王国連合首都ガランダルから聖都リルガミンに向けて出発した三日後の晩——エセルナート王国王女アナスタシア達一行は海賊の襲撃を受けた。


 普通の海賊相手なら遅れなど取る事は無い——しかし今回の敵は勝手が違った。


 元魔術神ガーザーですら相手を察知できなかったのだ。


 真夜中、月明りも無い中で聖都に向かって帆を上げていた海エルフ、ベレシルオンの船は突然何かに衝突したかの様に船足を止めた。


 船は帆を膨らませたまま——嵐という程ではないが強風だった——静止した。


 エルフ船にはちょうど良い風だった。


 壁にぶち当たったかの様な衝撃に王女達も目を覚ます。


 既に船長ベレシルオンは甲板に上がっていた。


「どうしたの? ベレシルオン」船室から上がってきた王女が尋ねる。


 王女付護衛女騎士カレンも一緒だった。


 王女は軽い船酔いになって足元がおぼつかない。


「姫様——無理をなさらず部屋にお戻り下さい」カレンが心配そうに言う。


「王女殿下——全員を起こして下さい」ベレシルオンが前方を見据えたまま大声で言った。


「どうして——?」


「早く!」ベレシルオンが怒鳴った。


「その必要は無い」いつの間にかエセルナート王国軍偵忍者ライオーとその相棒ラルフ=ガレル=ガーザー、それに不老不死ハイエルフの女忍者ホークウィンドと彼女率いる女冒険者達も甲板に来ていた。


「敵か?」ライオーがベレシルオンに聞く。


「間違いない——索敵に引っかからず懐に——」


 突然ベレシルオンの声が聞こえなくなった——それだけでは無く吹きすさぶ風の音も風に唸りを上げる帆の音も全くしなくなった。


 音を遮断する魔法だ——大半の呪文を封じられ、言葉による意思伝達も出来なくなった。


 ベレシルオンの部下を含め戦えるものは戦闘態勢に入った。


 念話テレパシーの呪文を唱える事も出来なかった——完全に不意打ちを喰らった格好だ。


 無詠唱で使える呪文はそう多くない。


 次の瞬間光がエルフ船を包んだ——目を開けると鈍く光る信じられない程大きな部屋に船ごと転移していた。


「これは――」ホークウィンドが驚きをあらわにする——音魔法は解かれていた。


「太古魔法文明の魔道船だな」ガーザーが答えた。


〝その通り。流石は魔術神〟女性の声がした。


〝私は魔道船エリス——大海賊アザレル=リードの乗艦〟


「アザレル=リード」海エルフの船長ベレシルオンが呟く。


「知っているの? それにエリスって古代の争いの女神じゃない」王女が訊いた。


「伝説の海賊です——裏から世界を支配しているとの噂も有る程の」


「我々に何の用だ」ベレシルオンが尋ねた。


「獲物が欲しいなら積み荷は差し出す——人間は渡せない」


 ベレシルオンの部下は全周を警戒していた。


「獲物は頂く——私は海賊だからな」女の声がした——船の左舷側の壁が割れて通路が現れた。


 そこに立っていたのは細身の褐色の肌の美女だった。


 瞳は深紫色、長い直毛の黒髪に、顔真正面に斜めに刃物で切られた様な傷跡が走っている。


 一人だった——肩に白ネコを乗せていた。


 左腰にサーベルを吊ってズボンに白いドレスシャツ、高い襟の赤いサテンで裏打ちされた群青の外套マントを羽織っていた。


 膝まで有るブーツを履き、こちらを見つめている。


 部下は連れてきていない——考えにくいが或いはいないのか。


 ベレシルオンの部下は弓に矢をつがえて女海賊アザレルに狙いを定めた。


「なぜ我々をさらった。こちらの事を知ってか」ベレシルオンが問い質す。


「そちらを襲ったのは半分以上偶然だ。ベレシルオン」


 女海賊がベレシルオンを知っている事に王女達は驚いた。


「じゃ、私達の事も——」王女がまさかという顔をした。


「知っている——私にとってはどうでも良い事だったが、今はそうでは無い」


「私達を人質にするつもり——?」王女の直属護衛騎士カレンが警戒心を露わにする。


「ある意味では——」アザレルは底の知れない暗さをたたえた声でそう答えた。


「転移魔法で逃げれるか、ガーザー」後ろを見張っていた軍偵忍者ライオーが低い声で訊く。


「船ごとか——出来なくはないがまた捕まる可能性も有る。今は力を温存すべきだ。それに船が傾いていない——魔法の力場で固定されている。ここまでの魔力を魔道船エリスが持っているなら太刀打ちは出来ないと考えた方が良い」


「アタイ達には邪神も斃すほどの力が有ったのに惨めだ」真ん中に陣取っていたドワーフの女戦士シーラがぼやく。


「<憎悪>の加護が無くなったからね。仕方ないわね」エルフの女魔法戦士サムライキョーカが相槌を打つ。


「我が魔道船を案内しよう——来るがいい」アザレルが言うと船の横に階段が出現した。


 転移魔法か、それとも実体化か——。


 どうするのか——全員が王女を見た。


「その招待、受けるわ。武器は置いていった方が良いのでしょう」


「好きにしろ」アザレルの言葉に全員が顔を見合わせた。


「この中なら如何なる攻撃も貴女には通じない——そう考えて良いって事ね」


「答える必要は無い」


 王女を中心に先頭がベレシルオン、最後尾にライオーがついて階段を下りる。


 コールドゥの母と姉も一緒だった。


 十名ほどの船員たちも全員下り、アザレルの後ろに続く。


 迷路の様な船内だった。


 幅2メートル高さ3メートル程の通路を二列になって進む。


 見渡す通路は全て金属でできている様だった。


 辺りは静かで揺れも全く無かった——海を進んでいるとは思えない。


 暫く進むと行き止まりになった。


「エリス、展望室への扉を開けてくれ。客人をもてなす」アザレルがそう言うと行き止まりに見えた壁が開いた——奥には王宮の貴賓室もかくやと思われる光景が広がっていた。


 窓の外は真っ暗だ——真夜中の海だから当然だと思ったが魔道船エリスの言葉を全員が信じられない思いで聞いた。


〝アザレル、現在深度百三十。海底に着座するまで潜りますか?〟


「海中に居るって事——? 海に潜れるの、この船——」


「エリス、リルガミン沖に転移。客と夜酒を楽しんだらトルトゥーガの母港に帰る」


〝了解〟


「窓の外はすぐ海なの? 周り一面が暗い—―天守閣みたいに突き出しているの?」王女が立て続けにアザレルに尋ねた。


「いや、外の風景を魔法で転送して映しているだけだ。部屋自体は船の中に有る。リルガミンの夜景は美しいぞ。酒が飲めないなら他の飲み物も有る」


〝転移先に危険物体確認されず。転移魔法詠唱開始。後三分で転移します。良いですね、アザレル〟


「結構だ、エリス」歩きながらアザレルは頷いた。


「さて、そこのテーブルについてくれ。王女には質素かも知れないが」


「そんな事無いわ——最も私は父王トレボーの方針で豪華な料理とかは余り多くなかったけど」


 全員がテーブルについてもまだ座席には余裕が有った。


「先ずは食前酒といこう。エリス、全員にアニス酒を」空中に酒樽が現れると棚に有ったグラスが空中に浮かぶ。


 人数分のグラスはそのまま注ぎ口に向かうと順に酒が注がれて各人の前に降りてきた。


 魔法の力だろう——王女は驚き半分呆れ半分に酒を見つめた。


「で、私達を人質に取ってどうしようというの。これだけのことが出来る船に乗って足りないものが有るの?」一番冷静だったカレンが静かに尋ねた。


「正直、考えてはいない。自分の襲った船に王女一行が乗っているとは思わなかった」アザレルは思案顔だった。


「だがせっかく要人を捕まえたんだ。何か海賊らしいことをしてみたい気分ではあるな」アザレルは不敵に笑ってグラスをあおった。


「そうされない為には貴女に提供できる何かが必要って事ね」王女がカレンを抑えて言った。


「貴女に必要なものなんて無さそうだけど」王女の言葉にアザレルの口元は歪んだ。


「そんな事も無いさ——私に出来る事などそうでない事に比べればアリと巨人程の差が有る」


「気の利いた会話をする位じゃ解放はされなさそうね」


「先ずは酒を飲んでくれ」


 その一言に全員がグラスに口を付けた——最上級の酒だ。


 沈黙を破ったのは魔道船エリスの言葉だった。


〝転移魔法詠唱完了。リルガミンの沖合に転移します〟一瞬辺りが輝いたかと思うと部屋全体が真っ暗になる——前方に煌びやかな星の様な夜景が映った。


「エリス。料理も用意してくれ——すぐ用意できるものは何が有る?」


〝ハーブと胡椒で味付けした鮫肉のステーキ、キャベツとキジバトのサラダ、サフランライス、エスカルゴのバター焼き、ウミガメとカブの煮込みスープ、海獣肉のロースト、同じ海獣肉のハンバーグ、干しナツメヤシです。もう少し時間を頂ければ他の物も出来ますが〟


「取り敢えずはそれでいい——他に何か所望するものは有るか」アザレルは皆を見ながら聞いた。


「無いわ」王女が皆を代表して答えた。


〝当艦に接近するものが有れば回避します。別命なければ警戒監視態勢に移行〟


「さて――解放の条件を話し合うとするか」アザレルは薄笑みを浮かべた。


 アザレルと王女達は先ず世間話から始めた——吸血邪神チャウグナル=ファウグンと戦った事、〝憎悪の戦方士〟コールドゥ=ラグザエルとの出会いとその死、転生者無口蓮の暴虐ぶり、<憎悪>の神ラグズの助力、秩序機構オーダーオーガナイゼーションとの因縁、その首魁ゲルグ=アッカムが人体実験で実の孫コールドゥに悪魔を植え付け魔術師にした事、そして話が白エルフのガーファルコンに及んだ時、アザレルの表情が変わった。


「白エルフの巫術師シャーマン——救世主にして不老不死エルフ。通名はガーファルコンと言ったか」


 王女達はアザレルにとってガーファルコンが特別な存在なのを悟った。


「彼がどうかしたの?」


「生きていたんだな——名前は知らなかった。真っ白の衣装に白銀の髪、白隼と白狼を連れていたと」


 王女達は頷いた。


「私と私の母は彼に救われた。娼婦だった母が梅毒に冒されて娼館から捨てられた時に治癒してもらった——追われていた私も母共々匿ってもらった」


「彼は邪黒龍グレーニウスにさらわれたわ」


「ガーファルコンを私の元に連れてきてくれ。それを約束してくれるならお前達を解放する」


「全力は尽くす——でも絶対とは言えないわ。邪黒龍が何を仕掛けてくるか分からない。私達が全滅する可能性だってあるわ」


「援護はする——金を払っても良い。だから頼む」アザレルは真剣な表情だった。


「貴女程の人でも知らないことが有ったのね」


「私が物心ついてすぐの事だ——白エルフなのは分かっていたが。手は尽くしたんだ——だが杳として足取りは掴めなかった」


「彼を連れてきたらどうするの——礼を言って終わりって訳じゃないんでしょう」カレンが口を挟んだ。


「私のものになってもらう」


「如何にも海賊らしいわね。好いた人間を力尽くで手に入れたいなんて」カレンは鼻を鳴らした。


「何がいけない? 私は彼を愛している」アザレルは妖艶に微笑んだ。


「貴女はまだ子供だったんでしょう。記憶が美化されてるとは考えないの? それに彼の都合はお構いなし?」


「カレン、言い過ぎよ——」王女がたしなめる。


「構わないよ、王女様。率直に物申す人間は嫌いじゃない」


「じゃあ——」王女はアザレルの目を見た。


「取引成立だ。一年と一月以内に白エルフの巫術師ガーファルコンを私、アザレル=リードの元に連れて来い。それが解放の条件だ。王家の名誉に掛けて誓ってもらう」


「良いわ。皆も異存は無い?」王女は配下全員を見渡した——不服そうな者は居ない。


「私、エセルナート王国王女アナスタシアは一年と一月以内にガーファルコンを見つけ、アザレル=リードに引き合わせる——創造と慈悲と復活の神カドルトにかけて誓うわ」王女は女海賊の深紫色の瞳を見つめて言った。


 アザレルは深く頷いた。


「エセルナート王国首都トレボグラード城塞都市は転移の魔法では入れなかったな。すぐ傍までエリスに送らせる。先ずは食事だ。それが済んだら今晩はこの船で休んでくれ」


 食事の合間に王女達と女海賊は魔法による連絡方法を取り交わし、アザレルと魔道船エリスの事を他言しない事を確認した。


 その他の細々とした詰めの交渉を行い、王女達は眠りについた。


 *   *   *


 ——翌朝朝食を摂った後、酒の成分を解毒する魔法をエリスが掛け、ベレシルオンの船に王女達は戻った。


 船体を浮上させずに上下左右全てを見渡せる潜望鏡から送られる映像が格納庫に転送される。


 左手側に遠くリルガミンの灰白色の建物が見えた。


「エリス、転移先はユーコン河のトレボグラード城塞都市。安全を確認しながら転移魔法の詠唱を開始しろ」アザレルが指示を出す。


〝了解です。転移魔法詠唱開始。転移まであと三分。転移先に障害物無し〟エリスの声が響く。


 白猫を抱えたアザレルがエルフ船を離れて下がる。


 きっかり三分後に白い光がエルフ船を包んだ——一瞬後王女達は海水とは違う雨の様に降り注ぐ真水の水飛沫を浴びた。


 エルフ船が少し沈んで河水を弾いたのだ。


 帰ってきたとの実感よりも、驚きの方が強かった。


 トレボグラードの中心にそびえるトレボー城の天守閣とカドルト神を祀る万神殿カント寺院の大聖堂が見えた。


 カント寺院は創造神カドルトの神殿ではあるが他の神も祀られ、人に仇なすものでない限りどんな神——邪神や悪魔に祈る事さえ許される変わった寺院だった。


 周りで航行していた船も突如現れたエルフ船に驚いた。


「帆を下ろせ、航行開始」落ち着いていたベレシルオンが命令を下す。


 帆に風をはらんで船はトレボグラード城塞の河川港に入っていく。


 トレボグラードの河川港は大型船も入港可能な規模だった。


「もやい綱投げろ。エルフ達の居住区から王宮に使いを出してもらう。アナスタシア王女殿下と直属護衛女騎士カレン殿が帰還したとな」海エルフ達の水夫がもやい綱を止め木に縛り付ける。


 こうして王女達は予想よりも早く城塞都市に帰り着いたのだった。


「カレン、これから忙しくなるわよ——ベレシルオン、ここまで有難う。貴重な経験を積ませてもらったわ」


「私は何もしてませんよ——運の巡りが良かったのは貴女の心がけでしょう」


 その言葉に王女は首を横に振った。


「海賊に捕まった時はどうなるかと思ったけど雨降って地固まるね。後はお父様の説得——一筋縄では行かないでしょうけど。コールドゥの復活も行わないといけないし。ここトレボグラードで次の冒険の準備を整える、皆良いわね」


「はい」全員が唱和した。


 秩序機構征伐の旅が始まったのだった。

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