狂王

 エセルナート王国首都のトレボー城から王女アナスタシア達への迎えが来たのはエルフ船が着いてから一刻半も過ぎてからだった。


 一般の乗合馬車三台に分乗して王城に向かう。


 船員も全員連れていかれる様子に港湾労働者達はひそひそと噂し合った。


 いつもより多くの軍警察の警備兵が辺りを見張る。


 その様子に王女は頭を抱えた——これでは何の隠蔽にもならない。


 認識阻害の魔法は掛けたが限界が有る。


 自分達の安全をおもんばかるのと、生の情報を出来るだけ集めたいという事だろうが——父王に釘を刺さないといけないと王女は決心した。


 追跡を避ける為、直接王城に向かわず下町などを周った後、門から少し離れた所で王女達は馬車を下りた。


「張り番ご苦労様です。王女アナスタシア、只今帰還したわ」門の衛兵に頭巾フードの陰から顔を見せる。


 衛兵達は一瞬驚いたがすぐに平静さを取り戻した。


 一行は裏手に回って王城の裏口から入る。 


王女付直属護衛騎士カレンを先頭に広間に入ると側近や重臣達が駆け寄ってきた。


「王女殿下、生きておられたと先程報告が有りましたが——真だったのですな」


 王女付の侍女達の姿も有った。


「アナスタシア!」一際大きな声が広間に響いた。


 身の丈2メートルは有ろうかという偉丈夫——“狂王”トレボーその人だった。


 かつては白かったであろう肌は日に焼け、長髪を後ろに撫でつけた無骨そうな戦士だ。


 がっしりとした体格にしわが出始めた——四十代半ばの壮年の顔だ。


 王は王女にずかずかと近づいて来ると手を振り上げた——。


 ——殴られる?一瞬、不老不死ハイエルフの女忍者ホークウィンドとその一行パーティはそう思った。


“狂王”トレボーは王女を力一杯抱き締めた。


「少しは生き生きとした顔になったな——成長したと見える」


「お父様は私がいつまでも籠の鳥では無い事を望んでらっしゃる——それ位は分かります」王女は力尽くの抱擁から何とか身をもぎ離す。


「カレン、我が愚女を良く助けてくれた——礼を言うぞ」


「とんでもありません。王女殿下をさらわれたのは私の責任です」恐縮したカレンがひざまずく。


 軍偵忍者ライオー、隻眼の老魔術師ガーザー、ホークウィンド、エルフの女魔法戦士サムライキョーカ、勇者の末裔マキ、女神官ミア、ドワーフの女戦士シーラ、女魔術師マーヤ、海エルフの船長ベレシルオンとその部下、そしてコールドゥの母と姉も並んでひざまずいた。


「いや、皆かしこまらないでくれ——」トレボーが鷹揚に腕を広げる。


「予定よりも早い帰還——転移魔法で船ごと飛ばされてきたとの事だったな。女海賊アザレル=リードと出会ったな?」


「陛下、その事は——」カレンが驚きながらも女海賊との約束を守ろうとした。


「隠さずともよい。あれは魔都マギスパイトと並んで儂の手の及ばぬものだ——奴について知る事は少ないが全くの無知ではない」


「女海賊アザレル=リードについて話す事は許されていないのです。お父様。とある高貴な方を彼女の元に連れていく約束で解放された——これ以上は言えませんわ」


「リルガミンのエリスティア女帝の元に全権大使として出向いて大した土産を持ってきたわ」トレボーは大笑した。


「王国連合首都ガランダルでの邪神との戦いといい、憎悪の戦方士コールドゥの事といい、これは神に感謝しなくてはならんな」


「陛下——コールドゥに殺された者は」カレンは思い切って尋ねた。


「大半は復活できなかった——特に心臓を食われた者は」トレボーは神妙な顔になった。


「だが復活出来た者もいる——アンドレアス!」


「は、陛下」後ろに控えていた騎士の一人が兜を脱いだ。


「良かった——」王女とカレンの顔が明るくなった——コールドゥに真っ二つにされ灰になった騎士が以前と変わらない笑顔でそこにいた。


「ごめんなさい、私が不甲斐ないばかりに——」カレンが謝った。


「貴女の責任ではありません、カレン卿」アンドレアスが遮る。


「我々騎士団の練度と知識の不足です。近衛ともあろう者が敵の強さを見誤った。今後は二度と同じ事を繰り返さぬ様鍛錬せねば」


 近衛騎士アンドレアスは今年で十八になったばかりの、カレンや王女と幼い頃から一緒だった、二人にとって家族と言っても差し支えない存在だ。


「私達はコールドゥを助けると誓ったわ——その事は怒ってないの?」王女が心配そうに訊いた。


「騎士は王命に従う者——王女殿下が助けると言ったのには訳が有るのでしょう。私は王女殿下を信じます」アンドレアスは断言した。


「後は茶でも飲みながら話そうではないか——」トレボーが場を仕切った。


 王女達は天守閣最上層に有るトレボーの私室でこれまでの経緯とこれからの計画を話し合う事にした。


 王女達は三週間トレボグラード城塞都市に留まり休息と今後の準備をする事を決めた。


 秩序機構オーダーオーガナイゼーション総帥ゲルグを討ち、戦方士コールドゥを復活させ、白エルフの巫術師にして救世主ガーファルコンを救い出す。


 王女が出向くことにカレンとアンドレアスは反対したが王女自身の強い望みとトレボー王がそれを許した事で認めざるを得なかった。


 何より女海賊アザレル=リードと誓いを交わしたのは王女自身だった。


 ガーファルコンを連れ去った邪黒龍グレーニウスはゲルグの元にガーファルコンを届けると言っていた。


 ライオーが潜り込ませた密偵スパイとの最後の連絡でも秩序機構がガーファルコンを軟禁しているとの情報が有った。


 魔導専制君主国フェングラース首都魔都マギスパイトに潜入しなければならない。


 転生者無口蓮も復活している筈だ。


 ガランダリシャ王国連合に保護を頼んだ、無口蓮の情婦達から情報をその都度報告してもらう事になっていた。


 コールドゥの母と姉は王女達が戻る迄トレボー城でフェングラース語の講師と侍女の仕事をする事になった。


 エセルナート語は話せないが、共通語コモン——最古の帝国リルガミンの言葉だ——と意思疎通のペンダントで何とかなりそうだった。


 王女とカレンは自らを鍛え直すべくホークウィンド達のパーティに加わって、国宝の護符アミュレットを強奪しトレボグラード城塞都市の真下に地下迷宮を掘って立て篭もった邪悪な魔術師ワードナの迷宮に挑むことにした。


 ワードナはともかく、最低でも地下八層から九層の敵と戦えるだけの力が無いと秩序機構や邪黒龍に挑むのは難しい——ホークウィンドがそう言上したのだ。


 コールドゥは復活の神カドルトを奉ずる万神殿カント寺院でも復活は不可能だと告げられた。


 本当に<憎悪>の神の預言は当たるのか——ガーファルコンを救い出さなければコールドゥの復活は無い。


 預言ではコールドゥがゲルグを斃すと言われたが、当たるかどうか王女達には疑わしいと思われた。


 ライオーとガーザーは一足先にマギスパイトへと向かう。


 ベレシルオン達は褒美を受け取ったら普通の仕事に戻る予定だ。


 キョーカ、マキ、シーラ、ミア、マーヤ、ホークウィンドには魔法の品物が下賜された。


 キョーカには魔法戦士サムライ用の日本刀、天叢雲獅子堂あまのむらくもししどう、マキには気鋭の魔鍛冶師マジックスミスブラックドワーフのウル=ガレス=グレフが鎧を打ち直して防御力を高める事を、シーラには最高級の魔法の掛かった両刃両手持戦斧、ミアには回復魔法と蘇生魔法を使える回数を増やす護符、マーヤには魔力の消耗を減らして魔法を唱えられるペンダント、ホークウィンドには収納魔法の掛かった指輪だった。


 ホークウィンドは遠距離の敵にはエルフ弓を使っていたのだが、今迄の収納魔法では弓矢以外のものをしまえず不満を感じていた。


 今回下賜された指輪は今迄使っていた物の遙かに上回る収納量が有った——武器以外のものを入れても尚余裕が有る。


 一通り褒美を受け取ると、模擬戦闘を行うとトレボーが下命した。


 最初はホークウィンドとライオーが対戦する事になった。


 練武場に向かった一行は二人を囲んで周りに散らばった。


「始め!」審判役の騎士の声が響く。


 ホークウィンドは八字立ちに自然体で構え無し。


 対するライオーは左半身を前に出し右手を後ろに引いた、空手で言えば猫足立ちの構えを取った。


 数拍の間が有った——ライオーが仕掛ける。


 見守っていた王女達は一瞬太陽を覗き込んだかの様な感覚に襲われた。


 ライオーは九夏の達人“マスターサマー”の闘気を全開にして目潰しを掛け、一気に間を詰めて左貫手でホークウィンドの喉を狙う。


“殺すつもり——!?”キョーカ達がそう思う程鋭い攻撃だった。


 貫手が当たる直前ホークウィンドの姿がぶれた。


 ライオーの貫手は空振りに終わった——躱したホークウィンドは右回りに身体を回転させると右足でライオーの足を踏み裏拳で頭部を狙う。


 ライオーは踏まれていない左足を滑らせ身体全体を下げた。


 ホークウィンドは空振りしかけた裏拳を強引に下に振り下ろす。


 肘を落とされない様ライオーはホークウィンドの上腕を下から掴み頭突きを当てようとした。


 その瞬間ライオーは足に衝撃を感じた——膝の裏を蹴り込まれたのだ。


 ライオーは転がって受け身を取ろうとしたが先に審判役が宣言した。


「勝者、ホークウィンド!」


「やった」「流石お姉様」キョーカ達は抱き合って喜ぶ。


“勝ちではない——”ホークウィンドは思った。


 実戦では転がりながら戦う事も有る——特に一対多数なら尚の事だ。


 東方の武術にはほぼ全ての攻防を地を這いながら行うものも有る。


 ホークウィンドは転がったライオーに手を貸した。


「流石だな——西風の達人“マスターウェストウィンド”」起き上がりながらライオーが感謝する。


「今回は偶々運が良かっただけだよ——ボクもキミもお互い精進の余地は有る」


「次の試合は——」


「私達?」勇者の末裔マキが自分と仲間を見渡した。


 審判役が頷く。


「相手は?」


「儂が務めよう」返事をしたのは“狂王”トレボーその人だった。


「陛下自らとは言え、私達五人全員を相手にするのですか?」女神官ミアが驚きを露わにする。


「そうだ。ワードナを倒すつもりなら儂を倒さないと話にならぬ。儂と奴はほぼ同等の強さだ。それにそなた達一人で儂に勝てると思っているのか」


「その言葉、後悔なさりますよ」挑発にドワーフの女戦士シーラが反応した。


 キョーカ、マキ、シーラ、ミア、マーヤの五人は戦闘隊形を取ってトレボーを囲む。


「手加減はするな。儂を殺すつもりで来い」全身鎧に身を包み、右手に殻竿状武器フレイル、左手に長剣ロングソードを構えたトレボーが低い声で宣言した。


 とても模擬戦とは言えない本気で刃を交える戦いが始まった——。

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