魔都へ

「邪黒龍グレーニウスを倒した時、貴方は正気だったのね」村に唯一の酒場兼宿屋でエセルナート王国王女アナスタシアは〝憎悪の戦方士〟コールドゥに確認した。


「そうだ。自我を失って暴れた訳じゃない」


 王女達は夕食を取ったあと、一番大きい部屋で今後の計画を立てていた。


 秩序機構オーダーオーガナイゼーションに反旗を翻した女魔術師レハーラと総帥ゲルグが襲ってくる可能性は高い。


 邪黒龍も傷が癒えれば復讐してくるかもしれない。


「ライオー達は既に魔都マギスパイトに入ってたわね。ウツロの件を伝えないと」


「余り連絡しない方が安全でしょうけど、今回は特別ですわね」王女付女護衛騎士カレンが相槌を打った。


 王女達が魔都に入る時は普通の旅人を装うか、エセルナート王国軍偵ライオーと相棒の老魔術師ラルフ=ガレル=ガーザーの手引きで潜入するか、どちらかの方法を取る事になっていた。


「秩序機構に居たこちらの間者が全滅したのもカビ悪魔のせいだったのね」王女は得心した。


「召喚魔法を得意とする魔術師だろう――恐らく俺の左手に悪魔を植え付けたのと同じ奴だ」


「レハーラは何が得意なの?」不老不死ハイエルフの女忍者ホークウィンドが尋ねる。


「レハーラは――天才だ。あらゆる魔法に通じている。太古魔道文明の魔法も幾つも習得している。戦方バトリジックしか知らない俺とは格が違う。ウツロでもイルマ王女を塔と一体化させたろう。恐らくはゲルグにも出来ない事だ」


「レハーラとゲルグで潰し合ってくれるか、バラバラにぶつかってきてくれると良いんだけど」カレンが騎士らしからぬことを口にする。


「それを願うばかりね――まとめて相手にするのはきついかも知れない」と王女。


「ミア、マーヤ、私達がウツロから脱出した事はいつ頃気付かれそう?」カレンが女神官と女魔術師に聞く。


「最低でも四、五日は大丈夫だと思います。認識阻害の結界を張り続ければ魔都に潜り込む事も可能かも知れません」ミアが答えた。


「私は見つかる可能性が高いと思いますわ。四、五日は大丈夫という点には同意しますけど」マーヤは悲観的な予想を出した。


「せめて荷馬車で良いから車を手に入れたい所ね」王女が嘆息した。


「道中何処かで手に入るかもしれない――諦めるのは早いです、姫様」


「使える場所で転移魔法を使えば幾らか時間も稼げるだろう。レハーラも接近戦は不得手だし、直接出てこない可能性も有る」


「それで邪黒龍が出張ってきたのね――」


「明日は早いんだろ。そろそろ寝た方が良いとアタイは思うけど」ドワーフの女戦士シーラがこれ以上の議論は堂々巡りになるとみて言上げした。


「そうね。じゃあ隠蔽を最大にしつつライオー達に連絡を取る。路銀もどうにかしないけないし。皆それでいいわね」王女が議論を打ち切る。


 コールドゥだけ男という事で一人部屋に泊まり、王女達は四人部屋に分かれた。


 疲れも有って王女達はすぐ眠りに落ちた――只一人コールドゥを除いては。


 *   *   *


 魔都に黒い煙が上がる。


 無数の尖塔が立ち並び、塔と塔の間に緩い傾斜の橋梁やアーチが架かった街路を暴徒が魔導帝の住居である中央尖塔目掛けて進む。


 中央尖塔をぐるりと囲む三十六魔導士の塔の入口を破って群衆がなだれ込む。


 先頭には魔術師――実力は有っても血筋のせいで政権中央に食い込めなかった者がいた。


 彼等が内紛を引き起こしたのだ。


 暴徒達は辺りを破壊しつくし、塔に住む魔術師の家族郎党を無慈悲に殺していった。


「風の精霊よ、古の契約に基づき――」柱の陰に潜む五、六歳の我が子に結界と落下遅延の魔法を掛けていた女性――まだ三十になって間もないだろう――は乱入者に凌辱されつつ意思の力のみで魔法を完成させた。


 野卑な笑みを浮かべた男共がかわるがわる彼女を蹂躙する。


「精霊よ――」彼女の最期の言葉に答えて子供が外へと運ばれる。


 母の胸に短剣が突き立てられるのを少年は見た――叫び声も届かない。


 一気に塔から遠ざかった精霊は安全な場所――魔都から離れた国軍の居る場所に少年を降ろした。


 少年の着ていた法衣の家紋を見て指揮官は敬礼した――国家の中枢たる三十六魔導士のそれは未だ権力の証だった。


 指揮官は部下を呼んで少年を丁重に扱う様命令する。


 少年――ゲルグ=アッカム、後に国際謀略組織、秩序機構の総帥になる男は魔都に立ち昇る幾つもの黒煙を睨み付けた――。




 *   *   *




 ――また、あの夢だ――魔道兵器サリシャガンの虎を発動させた後、徹夜で指揮を執っていたゲルグは仮眠の合間に見た忌まわしい過去を苦々しく振り返っていた。


 今から六十年以上前――魔導専制君主国フェングラース首都マギスパイトで大規模な反乱が起きた――その際、アッカム家は暴徒の侵入を許し、少なからぬ一族の者が殺された。


 ゲルグはその後、アッカム家の当主となった。


 が、娘は魔法を使えない平民――暴徒と化したものの逮捕を免れた者の子孫だった――と駆け落ちし、子供までもうけていた。


 ゲルグには赦せない事だった――娘だけでなく、家族を破壊せねば気が済まなかった。


 これだけの憎悪を抱えながら、何故<憎悪>の神ラグズは自分ではなく孫コールドゥを選んだのか。


 幼女神エリシャとそのしもべ、白エルフの救世主ガーファルコンは非実体化して現世に留まっていた。


 ガーファルコンの行動に狼狽していたエリシャはゲルグに力を貸す事は約束した。


 ゲルグはコールドゥが蘇る所までは見たが、魔道兵器の攻撃後死亡したかはまだ確認が取れてなかった。


 死んでいないものとして対応しなければなるまい。


 部下を派遣するか、雇われの冒険者に相手をさせるか。


 ゲルグは結局部下にレハーラの行方とコールドゥの生死を探らせる事にした。


 カビ悪魔の研究成果も捨てる訳にはいかない。


 一時の衝撃から立ち直り、ゲルグは部下達に命令する――警察権のトップでもある自分を害せるものなら害してみろ――自信を取り戻したゲルグは自らの野望を全て叶える心算だった。


 *   *   *


 元大日本帝国陸軍特務少尉、無口蓮の頭からはレハーラに合流する前に自殺した元情婦の死が片時も離れる事は無かった。


 魔都マギスパイトの宿屋で横になった時も、情婦が死の間際に見せた表情がこびりついていた。


 あの目――大東亜戦争で斬ってきた捕虜の目と同じだった。


 勝者たる俺を憐れむ様な、背筋を凍らせるような、死を覚悟した目。


 娼婦を抱いて気を紛らわそうとしたが、一時も忘れる事は出来なかった。


「なんだその目は――」苛立ちをぶつける――殴られた女も同じ目をしていた――斬りそうになるのを何とか抑えた。


 魔都でいざこざを起こせば盗賊ギルドが黙っていない。


 警察が出張ってくることも考えられる――ゲルグの管轄だ。


 レハーラが形勢不利になる様ならゲルグに付くことも考えねばならない――が、レハーラはそれを先読みして無口蓮の行動を監視していた。


 転生前に感じていた恐怖と、敗者に掛けられる得体の知れない情けの様な感情が無口蓮の心を揺さぶっていた。


 殺してきた様々な人間――この世界ではエルフやドワーフ、ホビットもいたが――の顔など覚えていない、だが瞳だけは拭い去る事は出来なかった。


 このままでは狂ってしまう――しかし自分がやってきた事が悪だと認められるほど無口蓮の心は強くなかった。


 お国の為に尽くしてきた俺を八百万の神々が見捨てる筈は無い――だが、そうでなかったら?


 幼女神エリシャは俺を見捨てた――〝痛覚無視〟と〝不死身〟さえちゃんと働いてくれるか怪しい。


 愛刀の〝破壊不能〟だけは今も満足に機能していた。


 夜明けと共に起きた無口蓮は裏通りを進む――レハーラと合流する為だ。


「おじさん。何で泣いてるの?」通りすがった子供の一人が無口蓮を見て聞いた。


 そう言われて初めて自分の気持ちに気が付いた。


 情なさと哀しみ――そして自己憐憫が湧き上がる。


 冷徹非情さを教えられて戦ってきた。


 ――だがそれで得たものは只の自己満足に過ぎなかった。


 転生者無口蓮は突き上げて来る哀惜の情にただただうずくまって泣いた。


 国の為に人を斬ってきた――後悔など無い筈だった。


 俺は一体何の為に――鞘に収まった刀を額に付け辺りをはばからずに慟哭する。


 戦いの力は強くなっても人間としての強さはまるで追及してこなかった――そのつけを払わされているのだ。


 自分に斬られてきた者の方が斬った自分よりもはるかに強かった。


 人間の真の強さは勝った時でなく負けた時に分かる、それを思い知らされた。


 俺はどうすれば良い――無口蓮は全ての神々に問い掛ける――答えは無かった。


 *   *   *


 魔都に潜入していた軍偵忍者ライオーと老魔術師ガーザーは王女達が呪われた街ウツロで攻撃された事を知っていた。


 最下層に有る安宿に二人は逗留していた。


「どうする――ライオーよ」ガーザーが思案顔で尋ねる。


「当分はこちらの足場固めが先だ。今回の一件は王女殿下にはいい薬だろう。向こうから連絡してくるだろうが、余程の事態にならない限り助ける事はしない」


「厳しい事だな」


「これから背負う王女としての責務から見れば軽いものさ。ホークウィンド達もいれば、コールドゥもいる。まだ恵まれている方だ。いずれ徒手空拳で戦う事も覚えてもらわないとな」


「レハーラ、邪黒龍、転生者はどうする」


「出来る限り殿下に倒してもらう。路銀も無くなるまでは――或いは無くなっても渡さない。下層民の暮らしも体験してもらわねば良い女王にはなれない」


「エセルナートはダークランドや君主国ほどは貧富の差が無いと思ったが」


「極貧の者はいる。トレボー王陛下の治世とて理想郷ではない――そもそも人と人の間に偉いも劣るも無い。身分の差が有ること自体が人間性に反している」


「身分制度を撤廃したいのか。壮大過ぎる野望だな」


「俺の代でなるとは思ってない――だが、社会が進めば無くなるのは間違いない。事実、エルフ達は王制を廃止した」


「トレボー王家――エリストラトフの一族の影とは思えない言葉だな。そんな思想を知られては危険では無いのか」


「王室を解体しようと動いている訳じゃない。今の俺を調べても潔白の証拠しか出ない。まともに信じる奴は居ないさ、王の居ない社会を創ろうなど」


「儂が証言するとは思わないのか」


「神の座を降りたあんたなら俺の言う事も分かると思ったんだがな」


「違いない」ガーザー、元魔術神オーディンは神妙な顔になった。


「俺は王家に忠誠を誓っている。それを破る事は無い。だが信条として王の居ない社会がやって来るだろうと思っている――それだけだ」


「今の王には良き政治を行って貰いたい。それが叶わなければどうする」


「何もしないさ――忠節を誓った相手を守るだけだ――王が世界を滅ぼすといっても俺は裏切らない。たとえ汚名を着る事になっても」


「その割には王女や王に干渉するな」


「出来る範囲でな。好き好んで悪になりたいとは思わない。見守る事と甘やかす事は違う。王家に最善を望むのは分を越えた野望ではないだろう」


「で、今お前は王家に何を望む」


「あんたと同じだ。秩序機構の野望を打ち砕き、人類を縛るくびきを一つでも減らす事だ」


「おぬし――人間はあらゆるものに縛られるべきではないと考えているな」


「そうだ。神にも国にも王にも法にも人間は縛られてはならない。如何なる集団にも。自分の人生を自分で決められないのは悲劇だ」


「力が全てか」


「そうは言わない――自立した個人同士の連帯による、支配や従属を伴わない新たな集団――それを俺は作りたい。俺の究極の望みはそれだ」


「無政府主義か――余りにも荒唐無稽な考えだな」


「この世界で俺が見てきたものをあんたが見たら、そう考えるのも無理は無いと思うだろうさ」ライオーは一瞬顔を歪ませる。


「与太話はここまでだ。集めておいた情報を整理しておこう」


 ライオーとガーザーは協力者を宿に呼ぶと、魔都での活動の予定を立て始めた――。

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