嵐の前

 魔都マギスパイトの真ん中にいくほど高くなる無数の尖塔、中心は魔導帝の居城だ――を囲む三十六魔導士の塔の一角に秩序機構オーダーオーガナイゼーションの本部が有る――一番北の塔がそれだ。


 北辺の初秋の空気は朝は寒く、日が照ると容赦なく暑くなった。


 高い青空に負けじと摩天楼がそびえ立つ市街地に入る門に番人はいたが検問所は無かった。


 旅人や商人たちと一緒に門を抜け最下層の――地上だった、地下には賤民とされた人々の住む区画も有る――の酒場兼宿屋に入る。


 コボルトやゴブリン等の亜人種も清潔にさえしていれば入れる酒場だ。


 奥のカウンター席に目当ての人物がいた――エセルナート王国軍偵ライオー=クルーシェ=フーマとその相棒ラルフ=ガレル=ガーザーだ。


 いろんな種族でごった返す場末の酒場で、さしもの秩序機構総帥ゲルグと言えども後を追うのは難しい筈だ。


「アナスタシア王女――御無事の喜びを申し上げる」エセルナート語でガーザーが言った。


「先ずは魔都への到着おめでとうございます。王女殿下」ライオーが皮肉に笑う。


 出された食事は豪華とは言えなかったが、王女達は貪るように食べた。


「ゲルグは私達に気付いていると思う――?」


「知っていて泳がせているかもしれません。襲撃は受けなかったとか」


「ゲルグの塔に潜り込むのは――」


「我々が先行します。座標を知らせますので魔法で飛んでもらいます。転移魔法は彼女が――」ライオーがカウンターの奥に居た人影を指した。


「女海賊アザレル――貴女も来ていたの」王女は驚いた。


「魔道船エリスの魔法ならゲルグの塔の結界を破って貴女達を送れる――報酬は要らない。ガーファルコンさえ手に入れば私は文句ない」顔についた傷跡も彼女の美しさを損なう事は無かった。


「潜入は明日の晩行います――ゲルグへの逮捕状が極秘裏に出ている。警察権はゲルグが握っていますが、憲兵が動きます。殿下達は同時に突入して下さい。我々の部下がこの宿にいます。彼女の指示に従って下さい」ライオーはホビット族の少女を呼び寄せた。


「イーニィです」少女は答えた。


「ゲルグは三十六魔導士の一人なんでしょう――無罪になる可能性は無いの?それにコールドゥの復讐は?」


「恐らく無罪になるでしょう――だからこそゲルグは殺されねばならない。表向きは君主国が手を下した事になる――ですが使えるものは全て使うのが当局の意向です。面子さえ保たれれば、誰が斃したかは不問です」


「ゲルグについている勢力は――皇兄は」


「同時に制圧される予定です。この件は君主国の内紛でもある。現魔導帝は失敗は許されない。そこに我々も介入する余地が有る」


「明日の昼まで魔都を見て回れるかしら」


「構いません。但しイーニィを含む全員で行動して下さい。コールドゥ、お前なら危険な場所も分かるだろう、王女殿下を頼む」ライオーは“憎悪の戦方士”コールドゥに話を振った。


「了解した」コールドゥは短く答えた。


 当座の路銀を渡すとライオーとガーザーは店を出た。


「じゃあ、街を案内して、コールドゥ」他意は無いとはいえ王女の親し気な物言いにカレンは複雑な思いを抱く。


「アザレル、貴女はどうするの」


「私は宿で休む――この身体は脆くてな」


「そう。ごゆっくり」脆いという言葉に違和感を覚えながらも王女は返答した。


 王女達は表へ出た――先頭をコールドゥが、最後尾はホークウィンドが務めて、魔都の目抜き通りに出る。


 様々な種族の人の波がごった返し、街は混沌とした熱気に包まれていた。


「すごい人の数ね――」


「まだ少ない方だ。酷い時には人込みを搔き分ける様に歩かないといけない」


 魔都の人口は西方世界の都市で最大だ。


 魔都だけで一つの都市国家と言える。


 馬車が走る車道と人が歩く歩道が分かれているのも特徴だった。


 馬車は左側通行が基本で、屋台等も停まる停止車線と通常車線の片側二車線。


 信号は流石に無かったが、混雑が酷い時には交通警察が整理を行うのだ。


 魔道具や悪魔武具デーモンウェポン等を扱う店も有れば、生鮮食品を扱う店、衣料店、日用雑貨、闘技場で行われる剣闘や競走等の賭けの店等あらゆる種類の商店が有った。


 商業区画だけ見ても他の都市とは桁違いの規模と質を誇っている。


 再開発を行っている区画や、居留地――長屋に近いが高い塔の低層階が主だった――も王女達は見て回った。


 公園も有ったが、摩天楼に阻まれて日光が当たる所は殆ど無い。


 子供が鬼ごっこやチャンバラ、戦方士ごっこで遊んでいる。


「専制政治を謳っているけど、集団統治に近いのね。商業も盛んだし、身分制度が固いのを除けばあとは比較的自由が守られている。古代リルガミンにも奴隷制は有ったけどそれと同じか、もっと緩いかも知れない」


 魔都を首都とする魔導専制君主国フェングラースは魔法の才が有るか無いかで身分が決まる。


 フェングラースの魔法は血統による要素が強く、貴族たちの中には自分の子孫に才能が無くともそのまま保護を与える者も多かった。


 この世界、ディーヴェルトで公然と奴隷制を維持している国はそう多くは無い。


 農奴は居ても、生殺与奪の権を主人が有する様な事は珍しかった。


 特定の種族、オークやゴブリン、コボルト等小鬼族を奴隷にしても良いという国さえ少ない。


 闇で奴隷を扱うものはいるが、表立って奴隷を売り買いしている等と言えば白い目で見られる。


 そんな世界の中でフェングラースは奴隷制度を取る少ない国家だった。


 人口の四分の一から三分の一程が奴隷だとも言われていた。


 流石にそれだけの数ともなると、派手に弾圧するわけにもいかない。


 奴隷は財産でもある――奴隷主も無意味に“財産”を傷つけて価値を毀損する事が得策だとは考えない。


 売る時に出来るだけ高値を付けたいと考えるのは自然な事で、それが必要以上に奴隷を傷つけない事に繋がっていた。


 だからと言って奴隷制が正当化される訳では無い――王女の考えは巡った。


 黒パンを発酵させた飲み物――冷蔵魔法の掛かった貯蔵庫に入っていた――を買って皆で飲みながら視察を進めた。


 ゲルグは私達に気付いているかもしれない――王女は思ったが衆人環視の中で手を出す事は出来ないだろう、そう踏んでいた。


 *   *   *


 果たしてゲルグは王女達を追跡していた――大雑把では有ったが。


 魔都に入った所で細かい位置を見失った。


 兵力を小出しにするより、集中して叩いた方が勝算は高い。


 ゲルグは幼女神エリシャを筆頭に呼べる限りの戦力を集めていた。


 白エルフの巫術師シャーマンにして救世主メシアガーファルコンにも、味方に付かないまでも中立の立場を取らせる様を確約させた。


 コールドゥの母と姉をさらう様トレボグラード城塞都市に部下を送ったが、間に合うかどうかは微妙だった。


 やってやろうじゃないか――ゲルグは久しく眠っていた闘争本能に火が付くのを感じた。


 敵を全滅させ、返す刀で魔導帝を弑逆する。


 カビ悪魔によって下僕と化した魔術師や戦方士もいる。


 最年少幹部ティールには万一自分が負けた時の為の逃走経路と機構の幹部で戦力にならない者達を避難させる役を負わせた。


 家族も逃がした――ゲルグの魔道塔は外見こそ普段と変わらなかったが万全の戦闘態勢を整えて王女達を迎え撃つ準備が出来ていた。


 魔都の軍隊が正面切って攻めてきても互角以上の勝負ができる。


 魔道兵器“サリシャガンの虎”には幼女神エリシャによる結界で対抗する。


 塔を昼夜交代制で警戒する為の警察戦方士の特殊部隊も配置済みだ。


 ゲルグは塔の最上階から魔導帝の中央塔を睨んでニヤリと笑った――。


 *   *   *


 ゲルグ討伐は深夜、警戒が緩む時間を狙って行われた。


 イーニィの指示を受け王女達は根城にしていた宿屋から魔道船エリスの魔法で一気に塔の最上階まで飛ぶ――しかし、結界に阻まれその下の階にしか行けなかった。


 それでも塔の外に弾かれなかったのは魔道船の莫大な魔力故だった。


 王女達は隊列を組むとイーニィの案内でゲルグの元へと向かう。


 王女達以外にも侵入に成功した軍勢は多数いたが、王女達よりさらに下の階層にしか転移できなかった。


 速度が命だ――王女達は速足で上の階へと向かう。


 ライオーとガーザーは既に塔に潜入している筈だ。


 大きな広間が有った――上への階段が奥に有る。


 しかし階段への道を阻む者がいた。


 邪黒龍グレーニウスが居たのだ――その周りには二十人程の人間が居た


 カビ悪魔に汚染され、ゲルグに従っている冒険者達だ。


 王女達は立ち止まらなかった――前衛を務めるコールドゥ、ホークウィンド、シーラ、キョーカ、マキ、カレンが後衛のマーヤ、ミア、イーニィ、そして王女を囲んで突破を図る。


 マーヤが幻覚の魔法を唱えた――辺りが真っ暗闇になった様に敵方には思われた――幻覚魔法でも、相手の心の中にのみ存在する、感覚を欺く魔法だ。


 大半の相手が魔法にかかる――見当違いの方向に魔法の矢が飛んだ。


 相手が混乱している隙に階段へたどり着いた。


 邪黒龍が追ってこない――王女達は不審に思いながらも余計な詮索に時間は使わなかった――そんな余裕は無い。


 五、六階分の階段を上り、終わりに有った大きな扉を開ける。


 対面側、塔の奥は大きな窓になっており、その窓から外を見ている背の高い痩せた人影が有った。


「ゲルグ……!」コールドゥが<憎悪>の魔剣イェルブレードに手を伸ばす。


「来たか。我が愚孫にエセルナートの冒険者と王女」振り返らずにゲルグが言った。


 ゲルグの傍らには薄衣を身に纏った幼女が居る。


「宴もたけなわだ――」ゲルグが見つめる先に塔の各所で戦う魔導帝の軍勢の姿が映っていた。


「ようこそ、<憎悪>の使徒達」幼女が口を開く――目が妖しく紫に輝いていた。


「私に敵うと本気で思って――?」幼女神の声が天井から降る様に聞こえ始めた。


「彼女の目を見ないで――催眠術です」イーニィが叫ぶ――幼女神が残念そうに舌打ちする。


「まあ、そう急ぐな――少し昔語りをしよう」ゲルグが振り返る。


 ゲルグの様子は穏やかに見えた。


 敵だと知っていなければまるでただの老人だ。


「儂は今でこそ警察権を管轄しているが親は君主国の財務を担当していた。その長男として儂は生を受けた――」ゲルグは語った――親がいかに優しかったか、魔都での性活がいかに穏やかだったかを――だがそれが一瞬にして破壊された事を伝える時ゲルグは顔を歪めた。


「六十年前、魔都で暴動が起きた――血筋のせいで高い地位につけない事を逆恨みした魔術師が愚民共を扇動したのだ――馬鹿げた反乱騒ぎなど起きねば儂が魔導帝になる事も夢ではなかった。――あの騒動のせいで血筋に頼らず能力の有るものに政治を任せよ等と言う戯言が通り魔導帝の地位を襲い損ねた。それだけでは無い――」ゲルグの声に僅かに怒色が滲む。


「儂の母は暴徒に殺された――蹂躙された挙句にな。その暴徒の血を引くのがお前――コールドゥ=ラグザエルだ」


 王女達は息を呑んだ――コールドゥを除いては。


「だから俺の家族を破壊して構わなかった――と?」コールドゥは無表情に言った。


「お前を斃さなければ母さんと姉さんは今後も傷つけられ続ける――それだけじゃない、魔道の進歩の為とやらで無実の人間が際限なく殺される――それを赦すつもりは無い」


「決着を付ける時だ。我が祖父、秩序機構総帥ゲルグ=アッカム」コールドゥはイェルブレードの切っ先をゲルグに向けた。


「いいだろう。かかってこい、愚孫よ」ゲルグは魔法を唱え始める――。

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