アメルガート王女争奪戦

 国際謀略組織、秩序機構オーダーオーガナイゼーション戦方士バトリザードコールドゥ=ラグザエルは誘拐したエセルナート王国王女アナスタシアを伴って、エセルナートとリルガミン神聖帝国の暫定的国境都市、商都アメルガートの貧民窟スラムで二人組の侠客ラキティアと対峙していた。


「兄さん、女連れだと威勢がいいなぁ。有り金全部置いてけば命は助けてやるよ、その女にも危害は加えねぇ」中年と言っていい――侠客では中堅どころと言った男だ。


 コールドゥは薄笑いを浮かべるだけだった。


「何余裕こいてるんだ!このガキが!」体格のいいもう一人が詰め寄ってくる。


「お前ら二人では大して役に立たんが食わないよりましだ――」


「何訳の分かんねえことを言ってやがる――」詰め寄ってきた男はコールドゥの胸倉を掴もうとして逆に胸を叩かれる様な衝撃を感じた。


 男は煮固めた皮鎧を来ていたのだが顔に血が付いたのを不思議に思った――若造の左手から黒い棒のようなものが伸びて自分の胸に届いている――それがコールドゥの左手だと知った時は遅かった。


 男の肋骨を切断――折るというよりそう言う方が相応しかった――した左手にぱっくりと開いた口は男の心臓を貪り食った。


 悲鳴すら上げずに男は昏倒する。


「なっ――なんだァ!?」もう一人の中年男は目の前で起きたことが信じられずに咄嗟に短剣を抜く。


 男から引き抜かれた左手の口から、未だ脈打つ心臓が半分食べられてぶら下がっているのを見た――あまりに現実離れした光景に目を見開いたままだった。


 王女も手を口に当てて同様に目を見開いていた。


 中年男は辛うじて正気を取り戻した――慌てて逃げ出そうとする。


「くそっ――だ」助けを呼ぶ悲鳴は途中で掻き消えた。


 中年男は自らの身体を貫いて悪魔の左手が自分の心臓をえぐり出したのを見た。


「止めてくれ――」涙を流しながら後ろを振り返った――悪魔の男がまるで無表情に腕を捻る――大動脈と大静脈を引き千切りながら左手は心臓を一飲みにした。


 中年男は絶命した。


 コールドゥは空間収納の魔法でしまってあった憎悪の魔剣イェルブレードで二人の死体に切りつけた――二つの死体から白い煙が吹きあがり見る間に炎に包まれる――数分後には灰だけが残った。


その灰も風に吹かれて消えていく――イェルブレードが別名パイア(火葬用の薪)と呼ばれる所以だった。


「どうしてこんなことを――?」王女は気丈に目の前の光景を見ていたが顔面は蒼白だった。


「答える必要は無い」コールドゥは冷徹に言った。


 コールドゥは王女が目の届かないところに行くことを許さなかった。


 王女が多少の魔法と剣技を習得している事は知っていた――それ以外の思いも寄らない手段で連絡する可能性も有った。


 目の前から死体が消えた――以前は死体を処分する際は手間が掛かっていたが、イェルブレードを手に入れてからは頭を悩ます事は無くなった。


 犠牲者も貧民窟なら気にする者は少ない――流石に十人単位にもなればそうもいかなかったが。


 一週間に一度――状況によっては十日近く大丈夫な事も有ったが――人間の心臓を左手の悪魔に食べさせてやらないと悪魔の浸食が進んでしまうのだ。


 コールドゥの力の最大の源にして最大の弱点だった。


 途中の村などで長居すれば一気に疑いを持たれるからだ。


 人の多い街ならともかく、村では一人の人間が居なくなるだけで大騒ぎになる――その時に真っ先に疑われるのは余所者だ。


 小鬼ゴブリン不死怪物アンデッドモンスター等が都合よく活動しているとは限らない。


 左手の悪魔を先行して偵察させることも多かった。


 証拠を消すために村を全滅させる等という事になれば元の木阿弥だ。


 幸い今までそうなった事は無かったが、疑われた事は何度も有った。


 今回はここアメルガートまでは順調だったが、今後どうなるかは分からない。


 そしてコールドゥは追手がすぐそこに迫っている事に気付いていなかった。


「昼食を取ったらすぐに出発だ」二人は泊まっていた安宿に戻ると準備――と言っても空間収納の魔法で着替えや食料、水等をしまい王女に認識阻害の魔法を掛けるだけだったが――を済ませた。


 王女はコールドゥを睨む。


 王女は首枷を外さなければ逃げれない――それどころかこの戦方士の意に反すれば殺されかねない事を知っていたが、脱出を諦めてはいなかった――認識阻害の魔法を掛けられる時に、ほんの僅かに穴ができるように無詠唱呪文を唱えていたのだ。


 そしてその試みは成功した。


 *   *   *


「ここだわ――地面が高熱に晒された跡がある――明らかに不自然よ」傍目にはまるで普通の地面と見分けがつかない箇所を指さして人間族の魔術師マーヤが言った。


マーヤ、エルフの魔法戦士キョーカ、ドワーフの女戦士シーラ、神官ミア、勇者の一族のマキ、そして不老不死ハイエルフの女忍者ホークウィンドのパーティだった。追跡部隊に任命された一行は巧みに隠された王女の痕跡を辿ってコールドゥを追っていた。


「どれくらい前か分かるかい?マーヤ」ホークウィンドがマーヤに顔を近づけて聞いた――マーヤが顔を赤くする。


「丁度四分の一刻程です。お姉さま――魔法を使った痕跡は二人、敵戦方士と――王女です!」マーヤは興奮して早口になった。


「少なくともそれまでは無事だったって事か」シーラが言った。


「カレン様に連絡。それと追跡の呪文を――」ホークウィンドの指示にマーヤとミアが呪文を唱え始めた――


 *   *   *


 街中から転移呪文を使って外に跳ぶことは出来ない様に魔法が掛けられていた――最も街中で魔法を使うことは禁じられている。


 コールドゥは預けておいた馬を引き取ろうと駅逓えきていに向かって歩いていた――王女は脇に控えている。


 リルガミンまで一気に跳ぶ事はコールドゥの魔法では出来なかった。


 転移魔法を使うにしても早く移動できる手段は確保しておいた方が良い。


 転移魔法のみに頼るとさすがのコールドゥでも魔力切れを起こしかねなかった。


 人目につかない様路地裏を通る――角を曲がった途端に殺気を感じた。


 亜空間に収納されている魔剣を咄嗟に抜く――魔剣に矢が弾かれた。


“囲まれた”左手の悪魔が伝えてくる。


 敵は七人――前方に四人、後方に三人。


 後方に見知った敵がいる――王女付きの護衛騎士だ。


 敵は巧みに姿を隠していたが、悪魔は敵意を感知していた。


 悪魔の力を全解放するか――あらかじめそうしておかなかった事をコールドゥは悔いた。


 今からでは間に合わない。


 王女をさらった時の様にはいかない――最も普段から全解放等していたら数時間で活動不能になるだろう。


「隠れていないで出てこい――さもなければ――」コールドゥは王女を引き寄せると魔剣イェルブレードを突き付けた。


 少しの沈黙が有った。


「分かったよ」前方に居た背の高い人影が諦めた様な声で言った。


「エルフか――」


「コールドゥ=ラグザエルだね。秩序機構の手先の」挑発しているのが分かる声色だった。


「他にも六人居る筈だ――余り舐められては困る」


 エルフの暗殺者――恐らく女忍者だとコールドゥは見当を付けた。


 後ろから足音を消して走ってくる人影――女護衛騎士だ――が頸椎目掛けて槍を突き出してくるのが分かった。


 ギリギリまで引き付けて躱す――しかし同時に相手は右の蹴りを腹部に飛ばしてきた。


 魔力の籠った攻撃――深緋の稲妻の鎧の魔力だ。


 切断や刺突等に耐性を持つコールドゥの肉体だったが衝撃にはそこまでの耐性は無かった。


 腹部は悪魔の浸食が浅く――従って生身の肉体に近かった。


 一瞬息が詰まった。


 魔剣イェルブレードが槍に弾き飛ばされる。


「こざかしい――」激昂と共に左手で槍を掴む――並の魔法武器なら腕一本で破壊できる。


 しかし槍の柄はびくともしなかった――地面が光っている――魔法陣か。


 悪魔が伝えてくる――“能力低下の陣だ――最初にここに踏み込んだ者の力を抑え込む”


“先に見つけられないとはもうろくしたな、悪魔”コールドゥは舌打ちする。


 エルフの女忍者とドワーフの女戦士、それにエルフの魔法戦士が突っ込んでくる。


 槍を放さなければ――今もろに攻撃を受けるのは危険だ。


 女護衛騎士の二度目の蹴りが腹部に飛んでくる。


 体をさばいて蹴りを躱そうとした――だが膝が左胴に食い込む。


 ドワーフの斧が左肩に、エルフの魔法戦士の細身剣レイピアが右胸に、女忍者の闘気をまとった手刀が右腕にそれぞれ命中した。


 左肩に斧が食い込み、右胸を細身剣が貫き、右腕は肩口から切断された。


 咄嗟に痛覚は遮断したものの並の術者なら戦闘不能の重症だった。


「勝った――」女護衛騎士、カレンが叫ぶ。


「まだだよ――油断しないで!」女忍者ホークウィンドが応じる。


 コールドゥは王女の衣に触れると短距離転移の呪文を唱えた。


 コールドゥと王女の姿が消える――王女奪還部隊の七人はあと一歩の所で相手を取り逃がしたのだ。


 魔法使いマーヤと神官ミア、今回は後衛に入っていた勇者の一族マキが小走りに近づいてくる。


 切断された右腕と敵の魔剣が辛うじて戦利品と呼べるものだった。


「キャッ――」マキは魔剣に触れて余りの冷たさに手を引っ込めた。


 指先が軽い凍傷を負う――慌てて神官ミアが治癒魔法を掛ける。


「魔剣に選ばれた者しか使えないみたいね」キョーカが冷静に言った。


「右腕だけでも持って帰りましょうか」


 その時魔剣が光を発した――慌ててマーヤが防御結界の魔法を掛ける。


 その必要は無かった――魔剣は消えていた。


「あの戦方士の元に戻ったのね。神器アーティファクトだけの事は有る――。最初の奇襲で姫様を救えなかった――今後敵は警戒を強めてくるわね」カレンが嘆息した。


「そう落ち込まないで下さい。カレン様――敵の衣だけでも残っていれば追跡の呪

文は効果を増します――また追いつけます」ミアが言った。


「残った腕を収納魔法でしまって――直接触れると危険かもしれないから念動力テレキネシスで――」気を取り直したカレンが指示を出した。


 ミアが魔法で腕をしまおうとした――まるで灰を持ちあげたかの様に腕が崩れる。


 見る間に腕――その残骸は風に飛ばされて消えていった。


「前に奪ったはずの右目も傷跡こそ有ったけど復元していた――あの戦方士は人間じゃないの――」


霊気オーラを見る限り人間です――でも純粋な人間じゃない――悪魔族デーモンの血が混じっているのかも」


 その時、足音が響いた――全員が戦闘態勢を取る。


「その様子だと作戦は失敗だったな」聞き覚えのある声がした。


「軍偵ライオー=クルーシェ=フーマ。今更登場とはいい御身分ね――」カレンが警戒心をむき出しにした。


「おいおい、俺は今朝このアメルガートに着いたばかりだぜ」口元に皮肉な笑みが浮かんでいる。


「それに泊まった宿屋だって連絡が有ったのは昨日じゃないか」


 王室付近衛騎士団と軍偵団の仲は良くない――戦争に備え後方攪乱こうほうかくらんや暗殺、煽動せんどう、誘拐等を任務とする軍偵団を騎士団は卑怯なならず者の集団とみなし、軍偵団は騎士団を現実を知らない甘ちゃんの集団とみなしていた。


 ホークウィンドの様な忍者も大半が軍偵団に属していたがホークウィンドはあくまで地下迷宮“狂王の試練場”に挑む冒険者だった。


 それにしても王女奪還に失敗したカレンやホークウィンド達を叱責するならともかく揶揄する様な口調とは――この男は王女が奪還されなくても問題無いとでも思っているのだろうか――キョーカ達はライオーの真意をはかりそびれていた。


「ともかく、奴が次に行くのは聖都リルガミンだ。それから異界山脈か海路でガランダリシャ王国連合の首都ガランダルに入る――そこまでは掴めた」


「何故すぐに魔都マギスパイトに帰らないか――その理由は分かったの?」


「いいや」ライオーは笑みを崩さずに答えた。


“何か隠してないでしょうね――?”そう言いそうになるのをカレンは辛うじて抑えた。


「それじゃあな。また新しい事が分かったら連絡する――俺は歓迎されざる客の様だしな」含み笑いを漏らすとライオーは物陰に消えた。


“ここに現れた時もそうだけど、明らかにタイミングが良すぎる――それに失態を上に報告されれば私達も危ない――”ホークウィンドもカレンも全員がそう思った。


「一体何を考えてるの――あの男は」嘆息するようにマキが言った。


 ――七人を嘲笑うかのように一陣の風が季節外れの落ち葉を舞い上げた。

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