異界山脈を前に――ドワーフの王国へ

 秩序機構オーダーオーガナイゼーション総帥ゲルグ=アッカムは聖都リルガミンの“救世主”ダバルプスから実孫のコールドゥを殺せなかった旨の報告を受けていた。


 体内の悪魔を活性化させてコールドゥを殺す――予想通りそれは不可能だった。


 もしかしたらに掛けてみたが、うまくはいかなかった。


 あの忌々しい<憎悪>が悪魔の浸食速度に制限リミッターを掛けさえしなければ――ゲルグは苦々しい思いだった。


 <憎悪>にしてみれば目を掛けた人間に出来る限り長生きして自分の名を広めて欲しい――使徒とでも呼ぶべき存在なのだから――そう思うのは当然だった。


 活性化で殺せるのではないかと思い、ゲルグも試したのだ――悪魔に力を与える場を発生させる破壊不能の檻にコールドゥを閉じ込め、人間の心臓も食べれないようにした――計算では二週間も経たずに死ぬはずだった。


 しかし、三カ月が過ぎても軽く衰弱しただけだった――激痛で正気を失うことも無く、しまいには激痛をも無視して動ける様になった――せめて永久に海に沈めよう、そう考えて檻ごと転移させたのだが追い詰められたコールドゥは新たな力に目覚めその檻を破壊した。


 もとよりダバルプスにコールドゥが殺せるとは思っていなかったが――数分動きを止めただけでも奇跡といえた――コールドゥを殺すという目的もリルガミンに侵食する大規模な足掛かりを作る事にも失敗した事実はゲルグを激昂させた。


 ダバルプス本人が秩序機構と良好な関係を築きたいと思っているのが救いだ。


 今までも可能な限り最大の脅威をぶつけてきたのにコールドゥは易々とそれを突破してきた。


 追い詰めた事も有ったがその度コールドゥは限界を超え、更なる力を手にした――それも二度三度ではない。


 時間が迫りつつある――<憎悪>が予言した時間が。


 死ねば今まで習得した魔法も知識も自我も消えて無くなる――死後の世界など信じてはいないゲルグにとって覚悟さえ決まっていてもそれは紛れもない恐怖だった。


 神の実在すら信じていなかった――あの日<憎悪>その人に会うまでは。


 仮に死後の世界が有るとして自分が絶対に天国に行ける確信など無い。


 何もせずに諦めて死ぬ事など出来ない――しかし足搔けば足搔くほど首が閉まるのを実感する羽目に陥った。


 ゲルグ自身は今年で六十一になった――まだまだ余命は残っている。


 研究したい事も山の様に有る――ここで死んだら何のために生きてきたのか。


 自身の信念であるマギスパイト人の他民族への優越性も証明出来ていない。


 ゲルグ自身は魔都マギスパイトに住む者こそが――その中で魔道を極めた者が世界を支配するべきだと信じて疑わなかった。


 神は信じられないが魔術師が培った知識は信じられる。


 精神も魂も神も存在の証明など出来ない――だから存在しない。


 唯物論者のゲルグにとって観測出来ないものは存在しないものだった。


 しかしあの日から自身の価値観は揺さ振られ続けていた。


 神は死んだ――そう叫んでも事実は変わらない。


 コールドゥの体内の悪魔の増殖速度を最大限まで上げる、それがゲルグに出来る精一杯の努力だった――。


 *   *   *


 異界山脈より北東に下る河を途中まで遡り――リルガミンより南西に向かうことになる――街道の終端、異界山脈山中にあるドワーフの王国カル=デ=ラクルグに入る。


 そこまでが旅の第一行程だった。


 エセルナート王国王女アナスタシアを拉致した秩序機構の戦方士コールドゥ=ラグザエルは途中の襲撃を警戒していたのだが予想は外れた。


 途中、襲ってきたオークや野盗の類は居たが河を外れるまでは護衛の傭兵団に戦闘を任せていた。


 隠れて死んだ野盗から心臓を奪い、悪魔に食わせた。


 悪魔の力を解放すればその分浸食が進む――解放したままなら魔都マギスパイトに辿り着けない可能性も有る――予言の事などつゆ知らぬコールドゥは真面目にそう思っていた。


 脅威となる程の怪物モンスターには出くわさなかった。


 ドワーフ王国に入れば一時的に安全地帯になるはずだ――少しは休憩できるだろう。


 王女とは巡礼を装って王国を通過する。


 何事もなく王国連合首都ガランダルに入れれば良いが――分の悪い賭けだろうとコールドゥは思った。


 *   *   *


 ドワーフ王国に入る前の最後の宿場町から離れた街道沿いの平原。


 一本だけ目立つ大きな木の下、夕方、野宿する冒険者の一行が居た。


「どうして異界山脈に入る前に王女様を奪還しようとしなかったんですか?」エセルナート王国の冒険者パーティ、エルフの魔法戦士キョーカが一行のリーダー不老不死ハイエルフの女忍者ホークウィンドに尋ねる。


「なんとなく、かな」


「そんないい加減な理由だったのかい」ドワーフの女戦士シーラが木にもたれかかって呆れた様に言う。


「もう少し情報を集めたいと思ったんだよ。王女様が汚された様子が無い。リルガミンでもダバルプスと敵対した――秩序機構の命令に従ってるだけにしては王女様の扱いが丁重すぎる。機構とあの戦方士は単純な主従関係にはなさそうだ」


「それにしても一刻も早く姫様を取り戻した方が良いに決まってる」王女付き護衛騎士カレン――王女の恋人だった――は不満を隠さなかった。


「異界山脈のドワーフ王国では刃傷沙汰は難しい――余程洞窟都市の端か鉱山の中にでも行かない限り」


「軍偵ライオーがこちらの情報を機構に流している可能性も考えないと――彼もボク達を追いかける形でついてきてるけど、明らかに分かっている事全ては教えてないよ」


「でも――」


「それに最悪、事がまずい方に転びそうならボク達を始末しようとするかもしれない――王女が誘拐された事を知っているものは全て消せ、そうなる可能性も有るよ」


「まさか――とは言えませんわね。お姉さまの分析ならマーヤは信頼します」女魔法使いは真剣な目つきだった。


「でも、どこかで仕掛けないと。指をくわえて敵が魔都マギスパイトに帰るのを見逃せばそれこそライオーは私達を始末しかねないわ」勇者の一族のマキが指摘した。


「分かってるよ」ホークウィンドは顎に手を当てて考え込む。


「まあ、作戦は後で立てるとして、今は食事にしません?――チョウザメが獲れたからそれを料理して。お腹が空いてたらまとまるものもまとまりませんわ」神官ミアが言った。


 一行の中で最も料理上手なのがミアだ。


 魔法で収納してあったまな板と包丁を出すと近くの川から水を汲んでくる。


 手際よくムニエルとトマトのスープを作ると黒パンにサラダ、ワインを並べた。


 七人は行儀よく料理を平らげ、交代で見張りを立てて眠る事にした。


「明日はカル=デ=ラクルグですわね」


「本当ならエルフは入れたくないんだがな」シーラがキョーカを見ながらおちゃらける。


「私だって好き好んでドワーフだらけの洞窟になんか潜りたくないわ」キョーカがまぜっかえした。


「シーラ、それにはボクも含まれるのかい?」ホークウィンドがニヤニヤしながら尋ねる。


「エルフだから全員お断りって訳じゃ……」シーラは顔を赤くした。


 ホークウィンドはここに居る大半のパーティメンバーと肉体関係を持っていた。


「貴女って人は――」カレンがまたかという風に呆れた。


 カレンもホークウィンドに何度も言い寄られたことが有った――何とか断っていたが。


「カル=デ=ラクルグで、仕掛ける機会が有ったらどうする?」ホークウィンドが誤魔化す様にカレンに聞く。


「仕掛けるわ――」躊躇ちゅうちょは一切無かった。


「ミア、マーヤ、敵戦方士の跡はまだ見失ってないわね」


「はい」


「半日遅れですけど、尻尾は捕まえてます」


「敵戦方士よりこちらの方が探知能力は高いわ。ギリギリまで近づいて隙をうかがいましょう。ドワーフ王国で姫様を奪還できれば――」


「言う事は無い――ですね」マキがカレンの言う事を先取りした。


「その通りよ」


夜闇をつく様に高い山脈がそびえる――その山々を見上げながら七人の女冒険者は王女奪還に想いを馳せた。


 *   *   *


 カレン達が夕食を取っていたその頃。


「エセルナート王国軍偵ライオー=クルーシェ=フーマ、その命もらい受ける」


 十数名の黒装束の男達が長身の忍者、ライオーを囲んでいた。


「忍者か――リルガミンかその同盟国の者か」ライオーは薄笑いを浮かべた。


 背中の日本刀――朔光左門清正さくこうさもんきよまさに手を掛けようともしなかった。


 後ろの二人が音もたてずにライオーに襲い掛かった。


 前からも一人、左右からも一人ずつが襲い掛かる。


 五人同時攻撃をライオーは半歩動いただけでいなす。


 躱しざまにライオーの中段の蹴りが一人の敵忍者に当たった――鍛えた肉体だったが蹴りがそれを上回る。


 内臓を破裂させ、敵忍者は大量の血を吐きだした――そのままくずおれて絶命した。


 敵方に動揺が走った。


「まだやるか――?俺は一向に構わん――」笑みを浮かべたままライオーは冷酷に告げる。


 ひるんでいた敵は気を取り直した。


 囲みを少しずつ狭めていく。


 夕日の最後の一片が消えた――辺りが昏くなる。


 その時ライオーの姿が消えた。


 敵は再び動揺した。


「上からの命令は絶対か――無駄死にをするだけだ」ライオーの声だけが響く。


 どさりと何かが落ちるような音がした。


 忍者の一人が首を落とされた――その事に気が付いた時には遅かった。


 必死に気配を探るがライオーは完全に夜闇に溶け込んでいた。


 忍者達は二人一組で背中合わせになりそれぞれの組が互いを監視できる様な防御隊形を取った。


 過酷な訓練を受けただけあって錯乱したりはしない。


 だが、歴戦の勇士という程度ではエセルナート一の軍偵忍者には勝てない――忍者達はそれを思い知らされた。


 一つの組ごと忍者が絶命した――一人は頸動脈、一人は刀を握る右手首を切断されて。


 二人の遺体が地面に倒れ伏す前に次の一組が襲われた。


 七組の忍者が全滅するまで十分と掛からなかった。


 それを離れて監視していた最後の一人は飛んできた刀気に気付かなかった――首から上がすっぱりと切り落とされた。


 清正には刀気を飛ばす攻撃能力も有った――が滅多にライオーが使わないため知る者は少なかった。


 ライオーは清正を振って血を落とす。


 わざと致命傷を与えなかった忍者に近寄ったが、自死していた。


 身元が分かる様な物は誰も身に着けていない――予想通りだった。


 ここまで高度な技術を身につけられる――彼らを寄こしたのは国かそれに準ずる組織だろう。


「さて、面白くなってきたな――」ライオーは一人彼方に見える異界山脈を見てひとりごちた――。

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