第30話

 彼はいつも、大きな空色の瞳を細めて、私を試すように見るのだった。

 似紫色の髪は、太陽の光を受けてキラキラと輝き、幼さの残る顔立ちと相まって、まるで天使のように思えたものだ。


 そんな彼の悩みと言えば、停滞気味の身長と、退屈な毎日をどう過ごすかということ。

 この町には娯楽が少ない。遊びに行くと言っても、いつもショッピングモールになってしまう。

 様々な店舗が軒を連ね、時折、広場でイベントが開かれると言っても、さすがに8年生ともなれば遊びつくしてしまった感はある。

 それでも彼は試行錯誤し、図書館に通って手当たり次第に本を読み漁ってみたりもしたけれど、今更、絶滅した生物に興味は持てず、かと言って、学園の授業以外で何かを学ぶ意欲もなく、すぐに飽きてしまった。


 その内に、彼は走行中の電車の車体に触るという危険な遊びを始め、夜な夜な寮を抜け出しては「散歩の時間だよ」と言って、寮外で暮らす私や、もう1人の友人を暗い町に連れ出した。


 家の2階の窓から抜け出す時、近づく電車に手を伸ばす時、彼はいつも目を細め、私を見ていた。

 私がどこまでやれるのか、どこまで着いて来られるのか、彼の空色の瞳はいつもそう問うているようだった。


 私も彼の退屈を紛らわす、道具の1つでしかなかったのだろう。

 それでも、私は彼が好きだった。彼に嫌われたくなかった。

 だから、試されればどこまでも着いて行こうと決めていた。


 獰猛な獣のような唸りを上げて走る車体に触れ、指の爪が剥がれても。

 夜中に抜け出したことがばれて保護者の2人に怒られても。

 その決心は揺らがなかった。


 だから、彼が学園の裏にある『ヒュラースの丘』に行こうと言い出した時も、強くは止めなかった。いつもの視線を向けられて、私は「君が行きたいのなら」と答えていた。

 もう1人の友人は強く反対したが、彼が「君が来なくても、僕とキルヒナーは行くよ」と囁くと、酷く気分を害した顔をして、それでも決行の日、彼や私よりも早く待ち合わせ場所にやって来たのだった。


 立ち入り禁止になっている『ヒュラースの丘』は、立ち入った人間が消えてしまうという噂があった。柵も塀もロープもなく、一見しただけでは立ち入り禁止だとは思えない。

 学園に入学した際に教師から「あの丘は立ち入り禁止ですので、周辺には立ち入らないように」と教えられただけだ。

 果たしてその言葉にどれほどの効力があるのか。少なくとも、彼にはなかった。


 それは夜に行われた。

 昼間に見る『ヒュラースの丘』は霧に覆われていて、そこに丘があるということも判然としない程なのに、夜のそこはそれほど霧が濃くないのだ。

 毎度の夜の散歩で、学園の前を通って私たちの家へとやってくる彼が、そのことを発見した。

 もちろん、夜は人が出歩かないというのも、夜に決行した大きな理由の1つだったのだけれど。


 校舎の脇に立つと丘の輪郭がぼんやり見えた。

 昼間に見る時には、丘の輪郭の『り』の字も見えないというのに。


 私たちが丘に登った日は月の明るい夜で、ぼんやりと見える学園を丘の上から3人で眺めた。

 学園の木造校舎は見慣れたもののはずなのに、丘から見ると、まるで初めて見るもののように感じた。

 そこから180度回転して反対に目を向けると、高い建物も木々もなく、ただ薄い霧と濃い闇がどこまでも続いているのだった。

 こちらは確かに初めて見る景色だった。


「行けるとこまで行ってみようよ」


 彼の言葉が、視線が、また私を試していた。

「いいですよ」と答えると、彼は先頭に立って歩き出す。

 アンリ、私、ガブリエレの順で夜露に湿った草を踏み歩く。


 それは正しく、私たちの関係を表していた。

 先頭を切って奔放に振舞うアンリに、その彼に追従する私。そして、いつも彼の言いなりになる私を諌め、けれども、最後には結局、彼の後をついて回る私の後に続くことになるガブリエレ。


 この関係が決して良いものではないことを、私は知っていた。

 知っていながら、私は彼と距離を取ることが出来なかった。


「そんな事をしてはいけません」だとか「こうゆう事はもう止めにしましょう」などと言ってしまえば、彼はたちまち私を見捨てるだろう。

 図書室通いをしていた時、どちらがより多く本を読めるか勝負をしていたのに「もう飽きたから」の一言で終えてしまった時の様に、何の躊躇いもなく、いともあっさりと簡単に。


 天使の輪が光る柔らかな髪に、私よりも華奢な細い体。

 彼の背中に白い無垢な翼が生えていても、おかしくないと思う。


 けれども、アンリはその見た目に反し、無慈悲で残酷な少年だった。

 それが酷く人間的で、その性質こそ、彼を人間たらしめているのではないかと思えた。

 彼が、慈愛に満ち、善良だったのなら、本当に天使に生まれついていたことだろう。

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