第28話

 また同じ夢だ。


 霧が立ち込める丘を歩いている。


 もう馴染みと言ってもいい景色だが、いつもとは違うことがあるのに気付く。


 歩いている僕の前に誰もいなかったのだ。


 いつもなら少年の背中が見えるのに。


 辺りを見回してみても、その誰とも知れない背中は見当たらなかった。


 それでも立ち止まることなく、僕は歩き続ける。


 どこまでもどこまでも。


 立ち止まることは出来ない。


 と、何かが聞こえてくる。


 誰かのすすり泣くような声だ。


 夢の最後にはいつも必ず、もう1人の僕が現れる。


 この声もきっと僕のものなんだろう。


 わかっているはずなのに、いつも驚いてしまうから、今日は心の準備をして、声のする方に近付いていく。


 暫く歩いていると、声は段々とはっきりと聞こえ、姿も見えてきた。


 やっぱり、僕だ。


 霧がかかる中、手で顔を覆って泣いているが、似紫色の髪は、僕の髪の色だ。


「どうしたの」と訊こうとしたけど、声が出ない。


 夢の中では、いつも僕は声を失っているのだ。


 声をかける代わりに、そっと肩に手を触れた。


 もう1人の僕が顔を上げる。


 だけど、その顔は僕のものではなかった。


「アントン……」


 さっきは出なかったはずの声が、今は出ていた。


 それまで、僕の姿をしていたそれは、肉が付き、背も縮んで、すっかりアントンの姿にすり替わっていた。


 アントンは鼻をすすり上げてから、次から次に涙が零れる瞳で僕を見上げた。


 口は動いているのに、アントンの声は聞こえなかった。


 今度は僕ではなく、アントンの方が声を失っているようだ。


 それでもアントンは涙を流しながらパクパクと口を動かし続ける。


 なんだか滑稽にも見えるその光景は、しかし僕の胸を締め付けた。


「何? 何て言ってるの? 聞こえないんだ」


 忙しく動く唇の動きを読もうと、ジッと見つめ続けていると、急に視界が暗くなった。


 ちらちらと、隙間から明かりが漏れる。


 誰かの手が僕の目を覆っているのだと気付くのに、そう時間はかからなかった。


 夢の中のはずなのに、嫌にリアルな人の手の感触があった。


 僕よりも低い体温、ひんやりとした氷のような手が僕の目を覆っている。


 これは誰の手なのだろう。


 アントンだろうか。


 だけど、アントンは僕の目の前にいて、そんな素振りは見せていなかった。


 気持ちが悪くなって手を振り解こうとした瞬間、耳元で囁かれた。


「どうして探してくれないの」


 低く低く囁いた声に背筋が凍る。


 それがアントンの声なのかは、わからなかった。


 どこかで聞いたことがある声のような、初めて聞く声のような……だけど、これはアントンの言葉なのだと直感した。


「ア、アントン……」


 震える声で呼ぶと目隠ししていた手が外され、背中を強く押された。


 倒れながら、体を捻って振り返ると、アントンではなく、もう1人の僕が、冷めた目で落ちていく僕を見下ろしていた。

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