第13話

 寮を出ると、玄関脇に自転車が停められていた。パブロは何の躊躇もなく、その自転車のカゴに鞄を入れる。


「どうしたの? この自転車」


「ガブリエレから借りてきた」


 リオたち寮生は自転車を持っていない。寮外から通う生徒には自転車で通学してくる生徒もいるが、ごく少数だ。


 自転車を所持するには役場から許可を得なければいけない。寮は学園の目と鼻の先にあるし、面倒な手続きをしてまで自転車を持つ必要がないのだ。

 この町では、車も仕事で必要な人しか所持してはいけないので、滅多に見かけない。その代わり、町には線路が引かれており、路面電車が市民の足代わりとなっている。

 ガブリエレの農園には荷台がついた車や、畑を耕すトラクターなんかがあるけど、それは仕事で必要だからだ。自転車もそうゆう関係で所持しているのかもしれない。


 スタンドを上げて自転車に跨ると、パブロは後ろを指した。自転車の荷台部分にはクッションが括り付けられている。


「ほら、乗れよ」


「僕、自転車って乗ったことないんだけど……」


「後ろで座ってるだけなんだから、大丈夫さ」


 リオはおそるおそるクッションに跨ってみる。意外と座り心地は悪くない。


「手はここ」


 パブロは言いながら、リオの手を掴んで自分の腰に持っていく。「よし、行くぞ」と言って、パブロはペダルを漕ぎ出した。

 自転車が大きく揺れたので、リオは思わずパブロにしがみ付く。出だしはフラフラしていたけど、スピードが出始めると安定してきた。


 風が心地いいーー


「パブロ、自転車乗れたんだ?」


「何だって?」


 聞こえなかったようなので、リオは耳元に口を近付けて、もう1度訊く。


「パブロは自転車に乗れるんだね」


「ああ、ガブリエレに教えてもらったんだ」


 当然だが、自転車の速度は歩いているのとは全然違う。景色はどんどん流れていくし、風はびゅんびゅん吹き付けてくる。

 自転車は見慣れた学園の前を通過して、ショッピングモールも通り過ぎる。


 2両編成の路面電車が近づき、暫く並走する。臙脂色の車体。パンタグラフから火花がバチバチと跳ねる。車窓の人影が手を振っている。リオも手を振り返そうと思ったが、初めて自転車に乗ったので、パブロの腰から片手すら離すことが出来なかった。


 二股の道で電車とは別れた。自転車は、住宅街を抜け、リオたちが普段、足を踏み入れない様々なオフィスが並ぶ通りを過ぎて行く。

 この先にはいくつかの農園と式典広場がある。

 畦道を走っていると、学園の生徒と思しき群れを追い越した。


「結構、来てるな」


「今日って、何かあるの?」


「ガブリエレから訊いたんだけど、飛空挺団が式典広場で演習をするらしい」


「え!?」


「ちょっ! 急に動いたら危ないって!」


 あんまり驚いて、リオが身を乗り出したもんだから、危うく自転車ごとひっくり返るところだった。パブロが何とか体勢を立て直して、ことなきを得た。自転車は走り続ける。


  飛空挺団には滅多にお目にかかれない。数機の飛空艇を保持する飛空挺団は、町民には活動実態が明かされておらず、入団できる者もごく限られている。

 実際に飛んでいる飛空艇を見られることは殆んどなく、リオもまだ1度しか見たことがない。それも米粒くらいにしか見えなかった。


  式典広場を見下ろす丘には、既に何組かの見物客がいた。リオとパブロも自転車をおり、丘を登る。丁度良さそうな場所を見つけると、パブロは押していた自転車を斜面に寝かせて置いた。丘はなだらかだが、立てて停めておくと倒れるかもしれないからだろう。


 パブロは自転車のカゴから取り出しておいた鞄に手を突っ込むと、中からピクニックシートを引っ張り出した。


「気が利くね」


 リオと共に広げたシートに座ると、パブロはまた鞄をごそごそしている。何が入っているのか、肩掛け鞄は結構な大きさだ。


「それだけじゃないぜ」


 パブロの鞄からランチボックスと水筒が出てくる。


「あははっ、すごい」


 ランチボックスにはサンドイッチが2人分。水筒にはアップルソーダが入っていた。


「パブロが作ったの?」


「まさか、ガブリエレだよ。あ、でも、アップルソーダはオレが作ったんだ」


「それって、混ぜただけでしょ、作ったとは言わないよ」


 他愛のない話をしていると、丘に集った見物客から小さなどよめきが起こった。見ると、式典広場に飛空艇が運び込まれてくる所だった。それぞれ台車に乗せられ、人力で押されて出てくる。

 合計で5台の飛空艇が並んだ。箱型のパイロットスペースの四隅から突き出すように4つのプロペラがついている。最大でも2人しか乗れない単純なものだが、空を飛べるのはすごいことだ。


 パイロットらしき人たちが出てくると、見物人の誰かが指笛を吹いた。そこに拍手や歓声が追いかけてくる。「盛り上がってるな」なんて言いながら、パブロも興奮気味だ。もちろん、リオもだ。


 おそろいのユニフォームを纏ったパイロットたちが全部で6人。先頭の1機に2人が乗り込み、残りの4機には1人ずつ乗り込んでいく。パイロットスペースに座席はなく、立ったまま操縦する造りになっている。構造上、上半身は機体から出ている状態となる。風の抵抗をモロに受けるその構造は、スピードを重視していないからだろう。

 飛空挺団の活動が明らかにされていないため、どうしてそんな構造になっているのかは、はっきりとはわからないのだが、クビンが推理するところによると、荷物の運搬が目的ではないかという話だった。


 飛び上がるのを今か今かと、リオが待ち侘びていると、目の端に、ある人物が飛び込んできた。飛空艇から離れた広場の隅に設置されたテントに町長がいたのだ。パブロもそれに気づいたのか声を上げた。


「なぁ、あれって」


「うん……」


 テントから目が離せないでいると、パブロが鞄をごそごそやりだした。そして、取り出したものをリオの手に押し付ける。嫌に固い感触が押し付けられて、リオは思わず取り落としそうになった。何かと思って見ると、双眼鏡だった。

 一昨年、ショッピングモールで、町の人たちから不用品を募って開かれたガレッジセールで売られていたのを、パブロが購入したのだ。それは、長らく寮のクローゼットで眠っていたが、今日のこの日、再び陽の光のもとに出られたらしい。


「こんなの持ってきてたの?」


「持ってきて良かっただろ?」


 間髪いれずに言われて、リオは頷くしかなかった。飛空艇のエンジンが次々とかかり、プロペラが回りだす。辺りにエンジン音と集まった人々の期待に満ちた歓呼の声が響く。

 テントから町長が出てきた。恰幅が良く、丁寧に整えられたちょび髭がトレードマークだ。

 スターターよろしく、町長が離陸の合図をするようだ。


 テントの影からもう1人、旗を持った人物が出てきた。リオは思わず立ち上がり、双眼鏡を強く目に押し当てた。そうしても、見える範囲は変わらないのに、リオは力を入れずにはいられなかった。

 几帳面に整えられた銀灰色の髪に、蝋のように白い顔。蒼色の瞳は、黒ぶちのハーフリムの眼鏡で外界と遮断されている。細身の体にフィットする暗い色のスーツを身に纏う端正な顔立ちは、冷淡な雰囲気を醸し出していた。


「キルヒナー」


 双眼鏡の中で、彼は手に持っていた旗を町長に渡し、何事かを耳打ちした。少しの間を開けてから町長が旗を振り上げると、飛空艇はエンジン音を激しく唸らせて次々に飛び立っていく。

 すぐ間近で耳に刺さるような音がすると思ったら、空を昇っていく飛行艇を見上げて、パブロが口笛を吹いていた。

 空を昇っていく飛空艇を見上げると、リオの体から力が抜けていく。思わず座り込んでしまい、双眼鏡をパブロに返した。


「キルヒナーってば、こういうイベントがあるなら教えといてくれればいいのに……」


「婚約者と言えど、それは教えられないんじゃないか? 飛空挺団って秘密主義だしさ」


 双眼鏡で飛空艇を追いかけながらパブロは呑気に言った。キルヒナーの仕事は町長の秘書だ。何をしているのかよくわからないけど、いつも忙しそうにしている。急な呼び出しも多く、日曜日に休めないこともざらだ。

 町の運営に関わる仕事だからそれも仕方ないんだろうけど、少しは僕のことも省みて欲しいーーなんてこと、頭の隅では考えていても、鬱陶しく思われそうで、リオはキルヒナーには言えない。


 クビンだけじゃない。リオもキルヒナーに『ヒュラースの丘』に行ったことを知られる訳にはいかなかった。

 何せ彼は町長の秘書だ。いずれは跡を継ぎ、次の町長となることも決まっている。アントンの失踪にリオが関わっていると知られたら、一緒にはいられないかもしれない。


 飛空挺は空のずっと高いところで隊列を組んで飛んでいく。もう米粒程にしか見えない。


 飛空艇の姿が見えなくなって見物客が1組、また1組と帰り始めても、リオたちは広場を見下ろす丘に残っていた。ガブリエレが作ってくれたサンドイッチを無言で頬張る。

 やがて、丘にはリオとパブロの2人だけになった。さっきまで忙しなく人が行き来していた式典広場にも人の姿はなく、キルヒナーと町長は随分前に広場から辞去していた。

 サンドイッチを食べ終えても、リオたちはいつまでも飛空挺が飛び去った空を眺め続けていた。

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