第41話

 キルヒナーが僕に飛びついた時、それが彼の意図したものなのか、それとも勢い余ってのことなのか、視界が一気に反転した。

 僕の体を掻き抱くキルヒナーはそのまま、崖の下へと落下していく。

 遠くなっていく淵から、リオが僕たちを見送っていた。


 その顔にあるのは、何の感情もない冷めた色だけだった。

 その色を見て、リオは本当にキルヒナーに選ばれたがっていたのだろうか。と、疑問に思った。


 もしかしたら、彼は本当に、、僕のクローンなのかもしれない。


 切り立った岩肌はやがて、つるりとした鉄の装甲に覆われる。僕は瞬きをしてそれを見上げた。


「見てご覧、キルヒナー。あれが僕たちの町だよ」


 キルヒナーが振り返ったそこには、森や建物や路面電車を背負った、巨大な船があった。

 白い船底にいくつも筋が入った空飛ぶ船は、いつか図書室の本で見たクジラを思わせる。僕がこれを目にするのは2度目だ。

 あの時、この光景を見て、僕は何てちっぽけな人間なのだろうと思ったものだ。


 いつか、近い未来、人類はすべからく、この世からいなくなるだろう。

 『ヒュラースの丘』の先にある崖から身を投げて、あの船にいる人間が、やがて全て消え失せるように。

 僕を生み、僕を育み、僕を殺したあの町が、無人の廃墟になる日が待ち遠しい。


 クジラの横っ腹に流れるような文体で『Argoアルゴー

という文字が記されている。

 僕の憎んだ町の名前が、そのまま船の名前なのだろう。


「アンリ……私たちはどこに行くのでしょう?」


 僕を腕に抱きしめ、ごうごうと鳴る風の合間にキルヒナーが問う。


 僕は笑う。


「前に教えてあげたじゃない! 素晴らしい場所だよ!」


 あはは、と空に僕の笑い声が響いた。狂気の音が空に舞う。

 キルヒナーの眼鏡もどこかに飛んでった。

 きっと、あれも人の顔に乗っているのではなく、自由になりたかったのだろう。


 キルヒナーの腕の中で僕の体は霧へと還っていく。


 僕の体がなくなっても、きっとキルヒナーは僕の心を……魂を抱いてくれているはずだ。

 僕は僕の中にある最大限の慈愛を込めて、キルヒナーの額に口づけを落とした。

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