第35話
夜は明け、空に真新しい太陽が登る。
冷えた空気が暖められ、次第に新鮮味が薄れていくようだ。
私は運動不足の体を呪いながら、学園まで、息も絶え絶えに走ってきた。
普段、デスクワーク中心で体を動かしてこなかったことを後悔する。わき腹が痛み、吐きそうなほど咳が出た。
こんなに走ったのは、学生の時以来だ。それでも、まだリオネルを見つけられない。
私は朝日で白々と輝く、霧に覆われた『ヒュラースの丘』に向かって足を踏み出した。
もう間に合わないかもしれない。
その思いが浮かぶごとに頭を振り、リオネルの姿を求めて、薄い霧の中を慎重に歩いた。
丘を下って暫く行くと、地面に何か影のようなものが見え始める。
まさかと思って駆け寄ると、私と揃いのガウンを羽織ったリオネルが地面に伏していた。
彼の姿に安堵しながらも、慌てて傍に跪き呼吸を確認する。
すうすうと、眠っているような、それだけで愛らしいと思ってしまうような呼吸の音が聞こえた。
「リオネル、起きてください」
上半身を抱え起こすと、薄い瞼がぴくりぴくりと動き、やがて大きな空色の瞳が現れた。
「大丈夫ですか?」
問いかけると、リオネルは弱々しく微笑んだ。
「ここがどこだか、わかりますか?」
続けた私の言葉にリオネルは「キルヒナーの腕の中」と、こちらが赤面してしまいそうなほど可愛らしい答えを返した。
「ここは、ヒュラースの丘を越えたところです。どうしてこんなところに来たのか、覚えていますか?」
私が問いかけている間に、リオネルの瞼がうつらうつらと重そうに上下し、やがて完全に閉じてしまった。
その後、いくら呼びかけても、リオネルは目を覚まさなかった。
意識を失ったように眠るリオネルを背負って、ガブリエレの家に到着したのは夜が明けてだいぶ経ってからだった。
リオネルを探して駆け回ったことに加え、彼を背負って歩いてきた私の膝は、がくがくと、滑稽なほど笑っている。
旧友のそんな情けない姿にガブリエレは驚きつつも笑いを禁じえないようだった。
「寝巻き姿でリオを背負ったお前を見た時は本当に驚いたよ。何があったんだ?」
ソファにうつ伏せに寝そべる私のふくらはぎに、氷を当ててくれながらガブリエルが訊く。
「私にもわかりません……昨夜、少しあって、リオネルが夜のうちに家からいなくなっていて、夜通し探してやっと見つけたんです」
そのリオネルは2階の客間のベットに寝かせてもらっている。今は、ちょうど泊まりにきていたガブリエレの婚約者のパブロが様子を見てくれている。
彼は寮でリオネルと同室で、仲が良いと聞いている。
ひとまず、彼に任せておけば安心だろう。
「喧嘩でもしたのか?」
「いや、喧嘩というか……」
何と説明すればいいのわからず言い淀む。ガブリエレは何かを悟ったように質問を変えた。
「リオは、どこにいたんだ?」
ドキリと心臓が跳ねる。
私はクッションに顔を埋め、出来るだけ、その言葉がガブリエレに聞こえないように願いながら呟く。
「ヒュラースの丘に……」
「おい、それって」
ガブリエレが息を飲む。
ガラリと音を立てて、ふくらはぎに当てられていた氷をテーブルの上に置いた。
「呼び合ってるんじゃないのか」
神妙に響くガブリエレの声は私の不安を一気に突いた。
そう思いたくはなかった。けれど、もう限界なのだろう。
私が把握している限り、リオネルが丘に立ち入ったのは2回目だ。
次こそはその本懐を遂げてしまうかも知れない。
「リオにちゃんと話すんだ。そうすれば、もう丘に近付こうなんて思わないさ」
頷くことで返事を返し、私はクッションに顔を埋める。
柔らかい感触に、うとうとと眠気が忍び寄り、すぐに体が沈むような深い眠りに落ちた。
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