第39話

 人間が、心変わりをする生き物だということは知っていた。

 けれど、10年経とうが20年経とうが、変わらずに同じ人間を愛し続けている奴もいるらしい。

 それが、キルヒナーではないことが、少し悲しい。


 僕は崖の淵に立つ。少し離れた所に、もう1人。

 似紫色の髪に大きな空色の瞳。体に余るシャツを着て、ウエストがぶかぶかなズボンをベルトで絞めて留めている不恰好な服装。足下はごついブーツで何もかもが体に合っていなかった。


 写鏡のように同じ姿をした、もう1人の僕、リオネル。可哀想な、僕の半身。

 彼は目を閉じて、姿勢良く立っている。まるで、そこは崖の上なんかではなく、開演前の舞台の上だとでもいうように。目の前に広がるのは底も見えない深い暗闇ではなく、期待に胸を膨らませている観客たちが座る客席だとでも思っているみたいだ。


 僕たちは待っていた。もう長い時間、こうしているような気がする。

 僕は口を開いた。


「知ってる? ガブリエレにはずっと昔から一途に想い続けてる人がいるってこと」


 僕は目を細めてリオを見るけれど、リオはまだ目を閉じたまま微動だにしない。


「僕は知ってたよ、ずっと前からね。だけど、もう諦めたんだと思ってた。彼にはパブロという婚約者がいるし、彼の想い人の方も長い間、囚われ続けている想いがあるからね」


 ピクリとリオの瞼が動いたのが見えた。動揺しているのだろう。僕は笑いが堪えられない。


「そうだよ、ガブリエレはね、ずっとキルヒナーのことを想ってるんだよ。ガブリエレ……目障りな奴。いつも、僕とキルヒナーの後についてきて、それでいて自分の道徳心が許さないことには手を出そうとしない。いつも傍観者を気取って、自分は潔白だと思い込んでいた。僕に憎悪と嫌悪の混じった視線を向けながら、その腹には黒いものがいっぱい詰まっていたんだろうね」


「ガブリエレは、そんな人じゃないよ」


 目を閉じたまま、弱々しい声でポツリとリオが呟く。これが僕のクローンなのかと思うと嫌気が差す。


 どうしてコイツは僕みたいになれなかったんだろう。

 どうしてコイツは僕みたいに振舞えないんだろう。


 可哀想なリオ、本当の自分を知らないなんて。


「僕はね、ガブリエレが嫌いなんだ。だから、彼が悲しむ顔が見たい。とってもね」


 リオが目を開けてこちらを見る。大きな空色の瞳には怯えの色が見える。

 僕の大好きな色。

 だけど、僕と同じ顔にその色は似合わない。


「キルヒナーがいなくなったら、ガブリエレはどう思うだろう。きっと悲しむよね?」


「何考えてるの」


 睨むようにこちらを見て低い声でリオが言うけど、怖くもなんともない。僕が同じように凄んで見せたところで、リオのように怖くも何ともない結果になるんだろうな。だから僕は凄んで見せたりはしない。


「ねえ、君ももう知ってるよね。君の出生の秘密ってやつ。あれさ、嫌だなって思ったでしょう?」


 たじろぐようにリオがその場から少し後ずさる。彼はまた目を閉じ、自分の殻に閉じこもろうとしているようだ。

 僕は構わず続ける。


「キルヒナーのこと、憎いって思っちゃったんじゃないの? 所詮、君は僕の代わり。今は君を愛しているようなこと言ってたけど、そんなの信じられる? 彼が絶対に、僕と君を混同していないなんて、言えないもんね」


「キルヒナーをここから落とすつもり?」


 涙交じりの声でリオが問う。僕と同じ声でそんな惨めな音を出さないで欲しい。そんなことされると、うっかり突き落としてしまいそうになるじゃないか。

 僕は沸いてくる悪意を隠して、リオに笑顔を向ける。


「話が早くて助かるよ。協力してくれるよね」


「僕もここから落とすつもり?」


 青褪めたリオの顔。だから、僕と同じ姿でそんな情けない姿を晒さないでくれよ。


「キルヒナーより、自分の身が大事?」


「そんなつもりじゃ」


「自分の身は可愛いもんね。わかるよ」


 恥じているのか、リオは黙り込んだ。さっきまでは青かった顔が今度は赤くなっている。こんなに短時間に顔色を次々変えて、体に余計な負担が掛かって体調でも悪くするんじゃないだろうかと心配になってしまう。今、倒れられでもしたら、計画が台無しになってしまうじゃないか。

 僕はリオの体調の変化に気遣いながら話を続けた。


「どちらと落ちるか、彼に選ばせるんだ。これは究極の選択だよ。僕たちにとってもね。彼がどちらを愛しているか、本当の気持ちがわかるはずだよ」


 リオは俯いて考えているようだ。もう一押ししてみる。


「彼の気持ち、知りたいでしょう? 本当は誰を愛しているのか……君は愛されているのか」


「キルヒナーは僕を愛してるって言った」


「口ではね」


 何気なく放った言葉が、リオには酷く不快だったらしい。顔を手で覆って、僕に言葉を投げつける。


「君なんか嫌いだ。キルヒナーもきっと君なんか……!」


 そんな言葉、痛くも痒くもない。

 ……これは失敗作だな。キルヒナーは町長に頼み込んで僕のクローンを作り出した。

 キルヒナーには満足のいく仕上がりだったかもしれないけど、オリジナルの僕からすれば、こんなクローンは失敗作だ。クローン技術には、まだまだ改良の余地があるみたいだ。


 僕と同じ姿形をしたそれを、僕は悲しい気持ちで眺めていた。それはまだぶつぶつと何か言っていたけれど、特に聞く気にもなれず、僕は無視をした。

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