第2話
古さが目立つ木造2階建ての校舎の裏には丘がある。学園の名を取って『ヒュラースの丘』と呼ばれているが、その全貌はいつも霧に包まれていて、ハッキリとはわからない。
濃すぎる霧のせいで、本当に丘があるのかどうかも疑わしいほどだ。
生徒だけでなく、教師も、他の誰であろうと、そこへの立ち入りは禁止されている。そうは言っても、そこには柵がある訳でも、ロープが張られている訳でもない。
リオたちと、丘を遮るものは、何一つ見当たらない。
ただ、学園に入学した最初の日に先生が言った「あの丘は立ち入り禁止ですので、周辺には立ち入らないように」という言葉だけが最後の砦のように立ちはだかっていた。
それも、藁やなんかで出来た、酷く脆い砦だ。
「学園の裏にある丘では、人が消える……」
霧に包まれた丘を目の前にして、パブロが恐ろしげな口調で呟く。
「やめてよっ」
恐怖からか、アントンがヒステリックに叫んだ。
「その噂、本当かな?」
リオが呟くと、パブロはまだ恐ろしげな雰囲気を崩さずに「さあ、どうかな……」と意味ありげに呟いてみせた。
それをクビンが一蹴する。
「バカらしい。さっさと行って、さっさと帰ろう」
最初は行かないと言っていた癖に、行くとなったら俄然積極的になる。
そんなクビンとは違って、いざ行くとなっても「えー、本当に行くの?」とおたついているアントンとはやっぱり対照的だ。
4人は校舎の脇で辺りを見回し、誰の姿もないことを確認する。身を隠せるものは丘を覆う霧ぐらいなものだから、リオたちは急いで霧の中に飛び込んでいった。
霧に入ってすぐは、振り返ると校舎がぼんやり見えていたが、少し進むと輪郭があやふやになり、校舎は霧に隠れてしまった。
リオたちは出来るだけ広がらないように1列になった。先頭は言いだしっぺのパブロ、その次にクビン、リオ、最後にアントンが続く。
誰が言い出したのかはわからないけれど、リオたちが学園に入学するずっと前から、その噂は存在していた。
むかーしむかし、学園に通っていた少年たちが、立ち入り禁止の丘に遊び半分で侵入したそうだ。正に、今のリオたちと同じように。
丘には特に何もなくて、なぜ立ち入り禁止になっているのかも、わからないくらい普通だったそうだ。だけど、帰る段になって、少年が1人いなくなっていることに気が付いた。
仲間たちは「先に帰ったのかな」なんて呑気に言っていたんだけど、次の日になっても消えた少年は学園に登校してこなかった。
心配になった仲間たちは先生に、姿の見えない少年のことを尋ねたそうだ。その時も「あいつ、風邪でもひいたのかな」なんて、軽口を叩き合っていたんだけど……先生から、少年が昨日から家に帰っていないって聞かされて、酷く慌てたんだって。
もしかしたら、少年は丘で迷子になってしまったのかもしれない。そんなに広い丘じゃないけど、あの霧だ。置き去りにしてきちゃったのかも……って。
で、仲間たちはもう1度、丘に行くことにしたんだ。
もちろん、大人には内緒で。だけど、いくら丘で少年を探しても見つからない。名前を呼んでも、返事がない。
やっぱりどこか他の場所で、何らかの事件か事故に巻き込まれたのかな、なんて結論が出て、諦めて帰ろうとした時……仲間たちはまた1人、少年がいなくなっていることに気づいた。
あぁ、この丘が立ち入り禁止になっているのはこのせいかって、残った少年たちは一目散で丘から逃げ帰ったそうだ………………というのが、噂の大体のあらまし。
歴史の古い学園で何十年と語り継がれてる噂話だから、尾ひれやはひれ、外伝なんかもついていて、今では消えた生徒の数が100人を超えているとか。
さすがにそこまでいくと胡散臭いというより、むしろ面白いとも思う。
「何もないな」
おそらく丘の頂上付近と思われるところまで来ると、パブロが呟いた。その声に、リオは霧の中、クビンの背中越しで辛うじて見えるパブロの姿を確認した。
背後からは苦しそうに喘ぐ息遣いが聞こえてくる。
「大丈夫?」
リオが振り返ると、前髪だけではなく、今や制服までも全体にしっとりと汗に濡れたアントンの姿があった。彼は紅潮した頬を震わせて答える。
「ダメ、もう歩けないっ」
アントンの情けない声を聞いて、前を行く2人が足を止めた。
「情けないな~、ただ坂を上ってるだけだろ」
「前から思っていたんだけど、アントンは少し痩せた方がいいんじゃない?」
パブロとクビンの言葉に、膝に手をつき、俯いて休んでいたアントンの肩が震える。
リオは少し不憫に思う。
「まあ、でも、ふくよかな方が好みだって人もいるし」
「それって、ヴェーベルン伝説のこと?」
リオのフォローに、思い出したようにクビンが訊ねた。
『ヴェーベルン伝説』……これも『ヒュラースの丘』の噂と同じように、生徒の間で語り継がれているものだ。
但し、こちらは本当に実在した人物の本当の話。
リオたちより何期前の先輩だかはわからないけれど、かつて学園にヴェーベルンという生徒がいた。彼には将来を誓い合った婚約者がいて、2人は一緒に暮らしていた。
まあ、学園ではよくある話だ。愛する人がいて、将来も決まってて、ヴェーベルン先輩は安心しきっていた。
卒業を1年後に控えたある日、突然にヴェーベルン先輩は婚約者から別れを告げられた。うむも言わさず家から追い出されて、先輩は泣きながら学園の寮に戻ってきた。友人たちが婚約破棄の理由を訊ねると「太りすぎ」と一言。
実はヴェーベルン先輩、婚約破棄を申し渡される少し前に、チョコレートと運命的な出会いをしていたんだ。初めて食べた時、その甘さと口溶けにすっかり夢中になっちゃったんだって。
来る日も来る日も、飽きることなくチョコレートを食べ続けているうちに、細身だったヴェーベルン先輩の体型は、どんどん丸みを帯びていって、何というか……おデブになってしまっていた。
先輩からしたら突然の別れだったろうけど、先輩の変わりようを見てきた友人たちからしたら当然の成り行きで、みんな特に先輩を慰めることもなく、逆に自業自得だって責めたりしたんだって。
心に深い傷を負った先輩は、ますますチョコレートを食べる量が増えちゃって……友人たちだけじゃなくて、先生も呆れるくらいボテボテのブヨブヨになってしまった。
それはもう授業に差支えがあるくらい。先生が呆れるのも当然だよね。
これじゃ、貰い手はないだろうって、先生も諦めたらしい。でも、ヴェーベルン先輩は学園を卒業後、どの同級生より、地位もお金もある人と結婚することが出来たんだ。
みんなはビックリした。だって先輩、相変わらず太ったままだったから。
先輩が結婚した人は、ぽっちゃりしてる人が好きだったらしいんだけど……みんなが言うには、ヴェーベルン先輩、ぽっちゃりなんて可愛いもんじゃなかったらしい。
まぁ、感じ方は人それぞれだから、ね。
「言っておくけど、ヴェーベルン先輩は運が良かったんだ。あの伝説を信じて儚い希望持っているのなら、痛い目を見ることになるよ」
クビンは腕を組んで、厳しい目をアントンの腹に向けた。刺さるような視線から庇うように、アントンは腹を腕で抱えた。無駄に蓄えた肉が、腕の中に収まりきっていない。
「そんなこと言ったって……ボクは、みんなより太りやすい体質なんだもん」
「違うだろ、アントン。お前は人より食べ過ぎてるんだ」
パブロが呆れ声で真実を告げる。
確かに、給食の様子を思い返してみれば、それは明らかだ。休みの人がいて余っているとか、嫌いで食べられないと聞けば、アントンは人の分まで食べている。
ぐうの音も出ない様子でアントンが項垂れる。
パブロは腰に手を当てて辺りを見回した。
「さて、休んでないで、もう少し先に行ってみるか」
「えー、何もないんだから帰ろうよぉ……」
アントンの情けない声を無視してパブロは歩き出す。
「疲れているのなら、ここで待ってなよ」
そう言葉を投げて、クビンがパブロの後に続く。リオは特に言うこともなく、先を行く2人の後を追った。リオがチラリと後ろを見ると、アントンは仕方ないといった感じでのろのろと歩き始めていた。
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