Argo
とらとら
第1話
「昔は人間にも雌がいたって本当かな」
放課後のざわめきに溢れた教室で、リオが帰る準備をしていると、隣の席でパブロが呟いた。
「今日の授業のこと?」
「そう」
質問に短く返すパブロの視線は、教科書を鞄に詰める自分の手に注がれていた。頭のてっぺんで前髪をヘアピンで留めているが、サイドの髪が少し垂れている。淡水色の髪を邪魔そうに指で払い、パブロは帰り支度をする手を早めた。
リオたちは今日の社会科の授業で、遠い昔には、人間は今のように男だけではなく、女という種類もいたのだと教わった。
「先生が言ってるんだし、そうなんじゃないの」
リオは適当に答えながら、重くなった鞄を背負う。パブロも留め具を嵌めて同じように鞄を背負った。
錆色をした皮のスクールバックは、学園から支給されるもので、生徒全員が同じものを使っている。
学園の制服は、上が白のセーラー服、スカーフとハーフパンツは紺青となっているのだが、鞄を背負う時、肩から背中にひらりと下がる襟が邪魔だなと、リオはいつも思う。
「教師の言ってることが全て正しいとは限らないだろ」
「それは、そうだけど」
リオが口ごもっていると、横からアントンが口を挟んだ。
「でも、写真があったじゃない」
「ああ、あの胸の部分だけ妙に太った写真? あんなの誰だって作れるだろ」
「じゃあ、スカートは? スカートって女用の衣装だって言ってたような……」
パブロとアントンが言い合っていると、教室と廊下を隔てるドアにもたれて待っていたクビンが首を傾げた。かけている眼鏡が、きらりと照明を反射する。目に掛かるほど長い前髪がふわりと揺れた。
「スカートって、民族衣装なんじゃないの」
「え? そうだっけ……クビンが言うのなら、そうなのかも」
成績上位者であるクビンの一言に、アントンの声は急に小さくなった。俯いて肩をすぼめて見せるけど、ふっくらとした彼の身体は声に反して小さくはならなかった。
クビンは眼鏡の奥の眠そうに見える目をぱちりと瞬かせて「よく知らないけど」と、無責任な一言を残して廊下に出ていく。
アントンは小さな笑い声を立てて後を追いかけた。
「何だよ、それ~」
木板の廊下をアントンとクビンが並んで前を行き、その後ろをリオとパブロがついていく。歩きながら、リオは前の2人を見比べて、自然に笑いが込み上げてきた。
クビンは身長が高く痩せ型、瞳も髪も黒羽色でクールな印象だ。黒縁の眼鏡をかけた真面目な見た目通り、頭が良く、何でもそつなくこなす。
対してアントンは、肥満児と言ってもいい、ぼってりとした体型、背はクラスで2番目に低い。紫紺の髪は茸を思わせる坊ちゃん刈りで、眉は情けなく八の字に垂れ、いつも困ったような顔をしている。見た目を裏切らず、要領も悪い。
同じ年齢でも、これだけ違うのだから面白い。
隣から忍び笑いが聞こえてきたのでリオが目をやると、パブロも同じことを思っていたようだ。パブロはリオと目が合うと、視線で前を指し、口の端をくいっと吊り上げて悪戯っぽい笑顔を見せた。
リオとパブロは身長も体型もさほど変わらない。2人とも中肉中背で、背の順で並べばクラスのちょうど真ん中あたり。13歳の平均を求めるとすれば彼らだろう。
「この後、どうする?」
急にクビンが振り返って訊いた。リオとパブロは慌てて平静な顔を装う。
「ガブリエレのところは?」
「やめといた方がいい。葡萄の収穫が終わって、丁度、ワイン作りを始めてるところだから、行ったら手伝わされるぞ」
整った眉の間に皺を作ってパブロが言った。不機嫌なその顔から、葡萄の収穫を手伝わされたのだろうと推測できる。
「じゃあ、どうしようか」
呟いたところで玄関に到着した。靴箱からブーツを取り出して履きかえる。これも学園からの支給品である。
鞄と同じ錆色のショートブーツは頑丈だが、まだ華奢な少年たちには不釣り合いな、ごつい見た目をしている。その見た目の通り、ブーツは重たく、リオは生徒を学園に縛り付ける足枷のように感じていた。おまけに編み上げだから履くのも面倒なのだ。
「あそこ行ってみないか」
パブロは靴紐を結びながら、何でもないことのように提案する。
「あそこって?」
リオが訊くと、パブロはニヤリと笑って立ち上がった。まだ靴紐を結んでいるリオたちに、腰を折って顔を寄せると「ヒュラースの丘」と囁いた。
途端にクビンの表情が曇る。
「ダメだ。あそこは立ち入り禁止じゃないか」
眼鏡のリムを親指と人指し指で掴んで位置を直すとクビンも立ち上がる。クビンの方がパブロよりも身長が高いので、威圧感がある。
「何だ、クビン。お前、あんな噂信じてるのか?」
クビンに見下ろされる形になって、パブロは下から覗き込むように挑発した。
「そうは言ってない。俺はただ立ち入り禁止だと言ってるんだ」
「だからいいんじゃん、いい暇つぶしになる」
「俺は行かない」
「信じてないとか言って、お前、本当は怖いんだろ」
「怖くなんてないさ」
2人の言い合いを下から眺めていたリオの耳にアントンが口を寄せる。
「ボクは怖いから行きたくないんだけど……」
見ると、アントンは暑くもないのに汗をかいている。切りそろえられた前髪が額に張り付いていた。
リオもアントンを真似て、アントンの耳元に口を寄せて訊いた。
「それじゃあ、君は行かないの?」
アントンは口を窄めて考えている。八の字の困り眉の下で、円らな瞳が困惑に揺れている。
「じゃあ、行こうぜ」
リオとアントンを置き去りにして、パブロとクビンの言い合いは終着点を迎えていた。どうやら渋々だが、クビンも丘に行くらしい。
「来ないのは君だけみたい」
こそりと耳打ちすると、アントンは困ったような顔をして頼りない声を上げた。
「分かったよー、ボクも行くよー」
「別に、怖いなら来なくていいんだぞ」
パブロが思いやりの無い言葉をかける。アントンは泣きそうになりながらも「怖いけど行くよー。だって、仲間外れは嫌だもん」と情けなく呟いて、立ち上がった。
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