第11話
バタバタと足音を立て、息を切らしながら管理棟1階の図書室に飛び込むと、カウンターにいた図書委員がビックリした様子でリオとパブロを見た。本を読んでいた生徒も顔を上げて怪訝そうな顔で2人を見る。
リオが何とか息を整えて、返却カウンターに図鑑を返すと、今度はパブロがリオの腕を掴んで図書室の奥に引っ張っていった。
「ちょっと」
小声で抗議の声を上げるも、パブロは書架が立ち並ぶ狭い通路をどんどん進んでいく。と、急に書架と書架の間の細い脇道にリオを引っ張り込むと、パブロはやっと足を止めた。
「何、急に」
「そっちだって、いきなり走りだしただろ」
お返しと言わんばかりにパブロが意地悪く笑う。
「それは……ごめん」
謝りながら、さっき教員室で見たものがリオの脳裏をかすめた。
同級生のあんな場面に遭遇してしまうとは、気まずいーー
何とはなしに、書架に並ぶ本の背表紙を指でなぞって気を紛らわす。
『初めての天体観測』『惑星の種類』『宇宙の秘密』『守護天使』…………本の並びに相応しくないタイトルを見つけて指をかける。引き抜いて表紙を見ると、白い大きな翼を背に生やした人間が描かれていた。波のようにうねる金色の髪が美しい天使の絵だ。
「それで、誘ってみたのか? キルヒナーのこと」
何の脈絡もなくパブロが言った。いや、あの光景の後だから、あると言えばあるのだけれど。
リオは白い翼を広げ、表紙の中で慈愛に満ちた眼差しを向ける天使から、パブロに視線を移す。パブロはポケットに手をつっこんで、なんだか不機嫌そうに口をへの字に曲げて、リオを見下ろしている。その瞳には悪意が満ちているように感じられ、壁に凭せ掛けたパブロの背中から、蝙蝠のような黒い翼が生えてくる錯覚を覚えた。
「……どうしてそういう話になるの」
図書室なので2人とも小声だ。リオはできるだけ刺々しく聞こえるように言った。
「まあ、ああゆう場面見ちゃったし?」
パブロは壁から離れて、リオの手にある本を取り上げた。
「こんなのに興味あるのか?」
ペラペラとページを捲りながら訊いてくる。
「別に」
リオはパブロから本を取り返して、棚に戻した。
「何だよ、見てたのに」
「興味ない癖に」
ふふ、とパブロは笑って、リオの手を引いてくるりと回った。まるでダンスをしているように。向かい合ったまま、リオは壁に押さえつけられた。
放課後の図書室は人が少ない。薄暗い通路でリオとパブロは2人きりだった。
顔は笑っているが、パブロの瞳の中の悪意はまだ消えていない。
「優等生のクビンでさえ、経験済みなんだぜ」
「クビンとミュンターは一緒に暮らしてるから……」
「そんなこと関係ないさ」
寮でアントンと同室だったクビンは、アントンが消えてから、2人部屋を1人で使うことになった。そんなクビンを心配して、婚約者であるミュンターが彼を引き取り、一緒に暮らすようになるのにそう時間はかからなかった。
リオたち8年生の担任でもあるミュンターは、クビンが卒業するまでは、一緒に暮らさないと宣言していたけれど、寂しそうなクビンを放っておけなかったようだ。
「けど、流石に学校ではヤバイよな。ミュンターの奴、迂闊すぎ」
パブロはリオの肩に頭をもたせかけて、クツクツと笑う。右肩に微かな重みを感じて、リオは妙に落ち着かなくなった。パブロの跳ねた髪が頬に当たってくすぐったい。
「言っておくけど、あそこでしたいと言ったのは、俺の方だから」
急に別の声が割り込んできて、リオもパブロも驚いた。通路の入り口を見ると、クビンが身体を半分だけ見せるようにして立っていた。
影のようになっていて、初めは誰だかわからなかった。
「クビンか、驚かすなよ」
パブロはサッとリオから体を離し、クビンの方に近付く。リオもその後に続いた。
「ここにいるって、よくわかったね」
リオが言うと、クビンは少し俯いて「本を持っていたのが見えたから……さっき」と呟くように言った。
「で、何? 言い訳しに来たのかよ」
「ちょっと、パブロ」
挑発するようなパブロの態度を、リオが止めさせようとすると、クビンがそれを手で制した。真っ直ぐにリオとパブロを見て言う。
「先生の名誉のために言うと、誘ったのは俺だ。彼は乗り気じゃなかった」
なんとも潔い台詞に、リオは何も言えなかった。パブロはポケットに手を突っ込んで肩を竦める。
「そんな風には見えなかったけど……まあ、いいや」
そう言って、パブロは焼けた肌とは対照的な白い歯を見せて笑う。邪悪な雰囲気は消えていた。
「ていうか、お前の名誉はいいのか?」
「俺はミュンターを愛しているから。自分のことより彼の名誉を優先したいんだ」
「はいはい、ごちそう様」
パブロはうんざりしたような声で言ったけど、その表情は少し嬉しそうだった。一時期は消沈していたクビンも、ミュンターのお陰で普段の彼に戻ることが出来たのだ。
クビンとミュンターの関係が順調にいっているのなら、リオも嬉しく思う。ただ、時と場所はわきまえて欲しいとも思う。
通路を出て行こうとするパブロを、クビンが書架に腕を伸ばして塞いで止めた。パブロの後ろにいるリオも当然、出られない。
クビンは眉間に皺を寄せて、苦しげな表情を浮かべて床を見つめている。
「どうしたの?」
心配になってリオが声をかけると、クビンは震える声で言った。
「俺はミュンターを愛している」
「それはさっき聞いたって」
パブロは呆れた声を出しながらも、リオの方にちらちらと視線を送った。クビンが何を言いたいのかわからないので困っているのだ。リオも右に同じだったので、不安に思いながらパブロに首を傾げて見せた。
クビンはそんな2人の様子に気付いているのか、いないのか、話を続ける。
「ミュンターを失いたくないんだ……だから、あの日、俺たちが丘に行ったことは絶対に、誰にも言わないでくれ」
泣きそうな顔をしているクビンの肩に、リオが優しく手を置く。
「大丈夫だよ、クビン。僕たち、誰にも言ってない」
クビンを安心させる為に、リオはそう言ったものの、キルヒナーには気付かれているかもしれない……いうことは言い出せなかった。情緒不安定なクビンを前にして、どうしてそんなことが言えようか。
アントンが消えた次の日、リオたちは話し合って『ヒュラースの丘』に行ったことを誰にも言わないと決めた。
その当時からクビンとミュンターは婚約関係にあって、ただでさえ、教師という固い職業のミュンターに、丘に行ったことが知られれば婚約解消にも発展しかねないからだ。
ただ単に、立ち入り禁止の丘に行っただけならば、秘密にすることなんてなかった。
丘に行って、アントンが消えたことが問題なのだ。
口を噤むことに、リオもパブロも異論はなかった。本当なら、大人に相談すべきだったのかもしれない。
僕たちのせいでアントンが消えたんだとしたらーーそう考えると、リオは怖くて何も言えなかった。
図書室から出ると、3人はもう1度、互いに秘密を持ち続けることを約束して、その日は別れた。
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