第15話

「リオネル、大丈夫ですか?」


 揺り起こされてリオは目を覚ました。キルヒナーの心配そうな顔が目の前にある。眼鏡に囲われた蒼色の瞳が不安そうにリオを見つめていた。


「うなされていましたよ」


「キルヒナー……おはよう」


「おはようございます、リオネル。汗をかいていますね、着替えを出しましょう」


「うん……ありがと」


 まだ覚醒しきらない頭で、リオはキルヒナーの家に泊まりに来ていたことを思い出す。


「さあ、リオネル、これを」


 クローゼットからタオルと着替えを抱えてキルヒナーが戻ってきた。


 友達はみんな『リオ』と呼ぶが、彼の正確な名前は『リオネル』という。先生でさえ彼のことを『リオ』と呼ぶのに、キルヒナーは馬鹿丁寧に、いつも彼を『リオネル』と呼んだ。

 何事もきちんとしなければ気が済まない。面倒な性格だと思いつつも、リオはそれを嫌だと思ったことはない。

 彼が『リオネル』と呼ぶ時、いつもの『リオ』の中に隠れている、本当の自分が姿を見せているような気がするからだ。


 汗を拭き、着替えを済ませて、2人で朝食を食べた。いつも通り、ピシッと整った食卓。

 サラダにオムレツ、スープ付。バスケットには丸パンが盛られ、デザートにはヨーグルトと果物を少々。キルヒナーにはコーヒーを、リオにはオレンジジュースを。


「今日は、仕事じゃないんだね」


「ええ」


「そう言えば、先週、式典広場に飛空挺団が来てたね」


「知っていたんですか」


「パブロが教えてくれて、2人で見に行ったんだよ」


「そうですか」


 久しぶりにまともに顔を合わせたというのに会話が弾まない。リオは一生懸命、話題を探して話してみるけど、キルヒナーの返事が素っ気なさ過ぎる。

 キルヒナーは表情の変化も乏しく、整った顔立ちのせいもあって、冷たく感じる。もしかしたら、キルヒナーはリオと話をしたくないのかもしれない。

 だからと言って、リオはこのまま黙っている訳にもいかない。


「今日、どうする? どこか行く?」


「そうですね……リオネルはどこか、行きたいところはありますか?」


「僕? 僕は……」


 キルヒナーといられるんならどこだっていいんだけどーーなんて、リオには照れくさくて言えない。しかし、この町には娯楽が少ない。出掛けると言っても大抵の場合、ショッピングモールになってしまう。

 ショッピングモールは日用品から食料品まで、大抵のものは揃っているし、お洒落なレストランやカフェもある。広場では、時々、演劇や演奏会などの催しも開かれる。


「ショッピングモールの広場、今日は何かイベントやってるかな?」


 リオの言葉に覆いかぶさるように電話が鳴った。キルヒナーは電話に出ると、短い返事を何度かして、すぐに受話器を置いた。


 嫌な予感ーー


 キルヒナーがリオを見る。彼のつるりとした肌は蝋で出来ているみたいで、作り物めいて見えた。眼鏡のレンズが冷たく光った。


「すみません、リオネル。仕事が入ってしまいました」


「断れないの?」


「えぇ、すみません」


 キルヒナーはそう言ったが、全然「すみません」という顔をしていない。むしろ、仕事が入ってホッとしているようにさえ見えた。


 僕といるのがそんなに苦痛なんだろうかーーそう思うと、もうリオは黙っていられなかった。


「キルヒナー……最近、僕のこと避けてるよね?」


 仕事の準備のため、部屋を出て行こうとしていたキルヒナーは、リオの言葉に動きを止めた。振り返って、また作り物めいた顔を見せる。


「あまり一緒にいられないことは、申し訳ないと思いますが、仕事なんです。わかってください」


「何をわかれって言うの? キルヒナーがもう僕のことを好きじゃないってこと?」


「そんなことは言っていないじゃないですか」


「言ってるよ! 最近のキルヒナーの態度を見てたらわかるよ!」


 興奮したリオとは反対にキルヒナーは冷静で、首を左右に振ると、溜息をついた。


 呆れられているーーリオだって自分自身に呆れていた。


 こんなことを言って、キルヒナーを困らせてーーだけど、もう止められない。


「僕と、別れたいんでしょ……キルヒナー」


 見つめるリオの視線を無視して、キルヒナーはリビングから出て行ってしまった。それから、ガタガタと物音がしたかと思うと、玄関のドアを開く音がした。

 リオは慌てて玄関に走ったが、既にキルヒナーの姿はなかった。

 玄関にはポツンと、リオの無骨なブーツだけが残されていた。

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