第33話

 ガクンと落ちる感覚がして目が覚めた。いつの間にかデスクに肘を突いて眠っていたらしい。

 懐かしい夢に、目覚めたばかりの頭がくらくらする。


 まだ子供だった私とガブリエレと……永遠に子供のまま、私の記憶に残ることになったアンリの夢だ。


 最近、リオネルの様子がおかしい。先ほど寝室で魘されていたかと思えば、急に体の関係を持とうと言い出した。


 いや、急にではないのかもしれない。

 婚約をしているのなら、とうに済んでいてもおかしくはないのだろう。

 私とて、リオネルと契りたい想いはある。けれど、リオネルは本当にそれを望んでいるのだろうか。


 彼の心は本当に私に向いているのだろうか。


 頭の隅に、瞼の裏に、ちらちらと亡霊の姿が映る。両手で顔を覆い、ぶんぶんと頭を振って、それを追い払う。

 今更ながら、とんでもないことをしてしまったのではないかという思いが、私のなけなしの良心を苦しめた。


 あの日、私がまだ少年だった時、握り締めた拳に残った髪を使って、私は……


 ふと、聞こえてきた物音に目を上げた。

 リオネルだろうか。

 さっきは気が動転してしまい、酷く冷たくしてしまった。


 時折、彼の中に悪魔を見てしまう。

 私はその度、試されているのではないかと怯える自分に気付く。

 そうあの頃のように、彼の空色の瞳が細められ……


 また、音がした。


 机に置いていた眼鏡をかけ、椅子から立ち上がって廊下に出る。廊下の電灯は点けられていないが、リオネルが水でも飲みに出てきているのだろうか。

 彼に会ったら謝らなければ。

『さっきはすみませんでした。君の様子がおかしくて不安だったんです』

 頭の中でどう謝るべきかを考えながら廊下を進む。


 思った通り寝室のドアが開いていて、中にリオネルはいなかった。

 暗い廊下に寝室で灯されたままのランプの明かりが漏れている。その明かりを頼りにリビングに入った。

 リビングも、そこから続くキッチンにも明かりはなく、人影もなかった。


「リオネル?」


 呼びかけながら、家中を探す。

 トイレ、シャワールーム、物置にしている部屋も覗いてみたが、リオネルの姿はどこにもなかった。

 最後に玄関を確認する。そこにリオネルがいつも履いているブーツがなかった。


 私もかつて履いていた、学園から支給されるブーツは、頑丈だが重たくて、履いていると何かの罰を与えられているような気になった。

 休日になると大抵の生徒はその重たいブーツを脱ぎ捨てて、軽やかに駆け回れるお気に入りに履き替える。

 だが、リオネルはどこに行くにもその重たいブーツを履いていた。

 新しい靴を買おうかと提案した事もあったが、彼は「1度でも違う靴を履いたら、もう2度とこのブーツを履きたくなくなるから」言ってと断った。

 靴を洗う時は、絶対にどこにも出掛けない日を選ぶという念の入れようだった。

 その靴がないということは、リオネルが今、その靴を履いているということだ。


 リビングに戻って時計を確認する。時刻は午前3時を過ぎていた。

 こんな時間に、リオネルは重たいブーツを履いてどこに行ったと言うのだろう。

 寝室での私があまりに冷たく、ショックを受けて寮に帰ってしまったのだろうか。


 まさか……こんな時間では路面電車も動いていないと言うのに。


 私は自転車を持っていないし、もしあったとしても、リオネルは自転車に乗れない。

 ここから寮までは歩いて2時間程だろうか。


 空っぽの家を見回して私は途方に暮れた。


 ある考えが頭を過ぎっては、そんな事、あるはずがないと否定する。

 最後にリオネルと話した時、彼は夢の話をしていた。

「もうあの夢は見たくない」と。


 リオネルは一体どんな夢を見ていたのだろう。彼は酷く怯えていた。

 嫌な想像が頭にちらつく。


 リオネルが霧のかかった夜の丘を歩いている。

 いや、それは本当にリオネルだろうか。


 それは彼ではないのか……


 そこまで考えて、私はガウンを羽織ったパジャマ姿のまま家を飛び出していた。

 リオネルは今、14歳で、学年は8年生だ。それはアンリが学園の噂に加わった時の年齢だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る