第20話

 3日間の外出禁止が解けた木曜日、リオはパブロと一緒にガブリエレの家に向かっていた。

 学園に登校する以外の外出が出来なかった間、パブロはガブリエレの家の裏にある、小さな畑の世話が出来なかった。パブロは電話でガブリエレに畑の世話をお願いしていたけど、謹慎中、ずっと心配そうにしていた。


 こうなったのも自分のせいだーーリオはお詫びも兼ねて、今日はパブロの手伝いをすることにしたのだった。


 ガブリエレの家に着くと、リオとパブロは作業用のつなぎに着替えて早速、裏の畑に向かう。杭と針金で区切られた小さな畑には、青々とした葉っぱが茂っていた。

 何だか、3日前に見た時よりも大きくなっている気がする。


「おー、お前ら元気にしてたかー?」


 パブロは葉っぱを撫でるようにして言った。


「僕は何をすればいい?」


「じゃあ、雑草を抜いてもらおうかな」


「わかった」


 荒地から畑に整えた時に、雑草は全部抜いたはずなのに、少し楕円気味でぎざぎざした縁取りの苺の葉っぱ以外にも、なにやら草が生えてきていた。

 2人で屈んで作業をしていると、頭上から声が降ってくる。


「お、早速やってるな」


 見上げるといつの間にやってきたのか、畑を囲う針金を巻いた木の杭に腕を預けて、ガブリエレがリオたちを見下ろしていた。木の杭はガブリエレのがっしりとした体躯を支えるには少し頼りないように見える。何しろ、乗せられた腕よりも細いのだから。


 3日前のこともあって、リオはどんな顔をすればいいのか戸惑ってしまう。リオたちがガブリエレとキルヒナーの会話を盗み聞きしていたことは、バレていないと思うが罪悪感は拭えない。

 そんなリオの心の内を知らず、ガブリエレはパブロに笑みを向けた。


「婚約者に挨拶もせずに、まずは畑の世話とは、将来が楽しみだな」


「ガブリエレは放っておいても死なないけど、畑はオレがいないと死んじゃうだろ」


「パブロが来られない間、その畑の世話をしていたのは誰だっけ?」


 ガブリエレの顔は笑っているように見えるけど、なんだか険悪な雰囲気だ。トゲトゲした空気にリオがビクビクしていると、パブロは溜息を吐きつつ立ち上がり、ガブリエレの元に歩み寄る。

 杭に置いたガブリエレの腕を支えに、パブロが背伸びをした。細い杭が新たな負荷にぐらりと揺れるが、パブロは気にせず、ぐんとさらに背伸びをしてガブリエレの頬にキスをした。


「感謝してるって」


「それなら良し」


 ケンカに発展するのかとヒヤヒヤしたリオだが、逆に見せ付けられてしまった。今のリオに、その光景は眩しすぎる。複雑な心境で雑草を抜く作業に戻ろうとリオが下を向くと、ガブリエレが声をかけてきた。


「そう言えば、君たち。日曜に俺とキルヒナーが話しているのを盗み聞きしてただろ」


「えっ?!」


 思わず立ち上がり、リオは慌ててガブリエレに駆け寄った。ガブリエレはそんなリオの様子を見て、さも愉快そうに笑う。


「何でわかったかって? だって君たち、ジュースのビンをそのままにしてたし、パブロは買ってくるように頼んだグラスを台所に置いて行ってたしなぁ」


 ああ、なんて間抜けな僕らーーがっくりと項垂れるリオの頭を、ガブリエレが軽く小突いた。


「ま、これからは気をつけることだな」


「それって、盗み聞きしないように気をつけろってこと? それとも、今度は証拠を残さないように気をつけろってこと?」


 横からパブロが軽い調子で言って、ガブリエレは眉間に皺を寄せて、苦い笑みを浮かべた。


「さあ、どっちかな」


 そんなの、どっちでもいいーーリオはそれどころではない。


 盗み聞きしてたことを知られたなんて! キルヒナー、絶対、僕のこと軽蔑してる! 次に会う時、一体どんな顔をして会えばいいんだ。というか、次の日曜日、僕はキルヒナーの家に行ってもいいの? キルヒナーは僕ではない誰か……アンリという人を想っているんだーー


 次から次に様々な想いや疑問が溢れてきて、堪えようとしても、リオの目に涙が滲んでくる。


「あ、リオ。キルヒナーには君たちが盗み聞きしてたってこと言ってないから安心しろよ」


 もののついでみたいに言われて、零れそうになっていたリオの涙が引っ込んだ。1人で百面相をしているリオに、ガブリエレもパブロも笑った。


「ガブリエレ……言わなかったの?」


 リオの問いに、ガブリエレは何だか、もの憂げな顔で頷いた。


「まあ、知らない方がいいこともあるしな」


「それって、アンリって人のこと?」


 パブロがあんまり怖気もなく訊くから、リオは呆気に取られてしまった。この時もリオは百面相をしていた。だけど、パブロもガブリエレも笑わなかった。


「そうだな」


 急に真面目な声音になってガブリエレは答えた。


「パブロ、止めてよ」


 リオはまた涙が出てきそうになって、目を擦りながら言う。パブロは不機嫌そうな顔をしてリオを見た。


「何だよ。リオだって訊きたいだろ」


 それはそうだけどーー訊きたいけれど訊けない、この微妙な男心。それに、ガブリエレの固い雰囲気からも、これは訊いてはいけないことだということが伝わってくる。


「いいか、2人とも。そのことを詮索するのは止めなさい。誰にだって、知られたくないことはあるだろう?」


 ガブリエレの言葉にパブロも口を閉じざるを得なかった。

 リオたちにも秘密がある。アントンのことは誰にも話せない。


「リオ、不満はあるだろうけど、何も訊かずにキルヒナーと一緒にいてあげてくれ。彼には君が必要だ」


 いつになく真剣な様子で言われて、リオは黙ってしまう。


 ガブリエレの言うことは本当だろうか? キルヒナーには僕が必要? それならなぜ、キルヒナーはいつも僕を1人にするんだろう。僕の方にこそ、キルヒナーが必要だというのにーーリオの心は疑心でいっぱいだ。


「わかった、わかった。もう訊かないから仕事に戻れよ。オレたちもさっさと草抜きを終わらせないと。また外出禁止になったら大変だ」


 気持ちを切り替えるためか、パブロは伸びをして妙に大きな声で言った。

 ガブリエレは心配そうにリオを見ていたが、リオが小さな声で「大丈夫」と伝えると、後ろ髪を引かれながらも仕事に戻っていった。


 2人は雑草を引っこ抜く作業を再開した。交わす言葉はなく、手を動かすことだけに集中した。刻々と傾いていく太陽に急かされるように、2人はその日の作業をこなしていった。

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