第23話

 寮に戻ると、やはりパブロが帰ってきていて、ぶすっとした顔でリオを迎えた。パブロはなぜかリオのベッドに横になり、枕を弄っている。

 部屋の奥にあるテラスに続くガラス戸が開けられており、白いレースのカーテンが揺れていた。


「そっち、僕のベッドなんだけど」


「見たぜ」


 唐突に言われて理解ができなかった。


「見たって、何を?」


 溜息を吐きながら、リオは勉強机の椅子を引いて座る。


「キルヒナーが会いに来ただろ」


「な、何で知ってるの」


「だから見たんだって」


 どこで見られたんだろうーー


 キルヒナーとリオは学園の前で別れた。果たして、パブロはどこで何を見たのだろう。

 もしかしたら、図書室でリオたちがキスをしていたのを見たのかもしれない。


 リオは顔が熱くなるのを感じて、椅子から立ち上がり、クローゼットの前まで歩いていって意味もなく扉を開けたりした。


「そ、それが何」


「いや、別に」


 パブロはベッドの上で片肘をついて、意味ありげな笑みを浮かべて、リオを見上げている。空いた方の手では、胸元に置いた枕を撫でていた。


 2人はそのまま暫く睨み合う。先に口を開いたのはリオの方だった。


「何? 何か言いたいことでもあるの?」


 クローゼットを閉めて椅子に戻って座る。


「んー? ただ、良いのかなって」


「だから、何が」


「アンリって人のこと」


 リオは時々、パブロのことがわからなくなる。

 普段は明るくて、とても良い奴なのに、リオの前では、ふとした瞬間、とても意地悪になる。本当はパブロに嫌われているのではないかと、リオが不安に思ってしまうくらいに。


「リオは気にならないんだ? 2番目でもいいってこと?」


「どうしてそんなこと言うの」


 それ以上、何か言われるのが怖くて、リオは部屋から逃げ出そうとした。けれど、それをパブロは許さなかった。

 パブロはベッドから飛び起きて、ドアに向かうリオの腕を掴んだ。何がどうなったのか、リオは床に押し倒されていた。掴まれていない方の腕で庇って大丈夫だったが、リオは危うく頭を打つところだった。


「何するんだ!」


 馬乗りになるパブロを押しのけようと、リオはもがいたが、畑仕事で鍛えられたのか、パブロの体はビクともしなかった。体格からも力の差は明らかだ。貧相な体に泣けてくる。

 リオは諦めて、パブロの顔を睨んだ。

 すると、パブロはおもちゃに飽きた子供のように、急に興味をなくして、リオの上からどいた。頭を掻きながら、パブロは今度はちゃんと自分のベッドに横になる。


 リオには何が何だかわからない。


「パブロ?」


 心配になって、リオが床から起き上がって声を掛ける。パブロは寝返りを打って、リオに背中を向けた。


「暫く1人にしてくれ」


 そう言ってパブロはぴくりとも動かなくなった。


 1人にしてって、ここは僕の部屋でもあるんだけどなぁーーそう思いつつも、リオは仕方なく部屋を出て、廊下に立つ。

 廊下にはたくさんの扉が並んでいる。こんなに部屋があるというのに、リオがいるべき場所はどこにもない。自分の部屋でさえパブロに追い出されてしまった。


 階段の方から笑い声が聞こえて、下級生の2人組が歩いてきた。リオに気がついてペコリと頭を下げると、どちらかの部屋なのだろう扉の前で話しを始めた。

 1人で廊下に突っ立っているのも不審に思われそうなので、取りあえず、リオは裏庭に行くことにした。食堂にも待合にも人がいて、自分の居場所ではない気がしたからだ。


 裏庭は灯りがないので、暗くなると滅多なことでは人が来ない。庭に面している食堂の窓から漏れてくる灯りを頼りに、リオは庭の端に置かれたベンチまで行く。

 明るい内なら、よく手入れされた花壇にとりどりに咲く花が見えるのだけれど、今は微かに吹く風に乗って香りが届くだけだ。

 空を見上げるとやせ細った月が頼りなげに地上を照らしていた。


 花の香りを含む冷たい風に吹かれながら、リオはパブロに言われた事を考える。


『リオは気にならないんだ? 2番目でもいいってこと?』


 気にならない訳じゃない。2番目でいいなんてことも思っていない。だけど、仕方ないじゃないか、キルヒナーは僕に何も話してくれないんだーーリオは唇を噛んで、心の痛みをやり過ごした。


 ガブリエレからは詮索しないように釘を刺されている。それでも、キルヒナーは僕と一緒にいたいと言ってくれた。その言葉に縋ることは、そんなに責められることなのだろうかーー


 リオは重たいブーツを脱ぎ捨て、ベンチの上で膝を抱えた。

 ほんの少し、ブーツの重みの分だけ心が軽くなったような気がする。


 暫くの間、リオは目を閉じてベンチの上で体を丸めていた。


 近づく足音に顔を上げると、暗がりの中にパブロが立っていた。気まずそうに体を揺らしている。


「さっきはゴメン」


「……うん」


 リオが頷くと、パブロは少だけ笑って隣に座った。


「リオのことが心配なんだ」


 パブロが言った。声は低くて呟くようだった。


「リオには幸せになってもらいたいんだ」


 隣を見ると、細い月が放つ、微かな明かりに照らし出されたパブロの真剣な横顔があった。すっと通った鼻筋が白く光っている。


「……ありがとう」


 リオはどう答えていいのかわらかず、取りあえずお礼を言った。それきり、2人は黙ってベンチに座って、空を見上げていた。

 細い月の輝きに掻き消されそうになりながら、それでもそこにあることを主張する星の瞬きを複雑な想いで、リオは見つめた。

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