27

※ 本日は三話更新します。


=====


 弓兵隊から離脱する。

 そこらじゅうに手当たり次第に矢を射る敵を掻い潜るのは簡単ではなかったが、矢が当たるたびに『キャンセル』が発動し、あたしは敵の索敵範囲から逃れることができた。


(ハイジ)

(ありがとう、助かった)


 しかし悠長にしている余裕はない。即座に手首から溢れる血を止めなければ意識を失う。よくもこんな大量の血を流してもまだ動けたものだと感心する――しかし。


(……あ、れ?)


 すでに血は止まっていた。

 直視し難いような酷い断面ではあるが、血がふきだしているようなことはない。

 異常だ。

 そんなはずはない。

 腕に流れる動脈は太い。傷をつければ確実に命を刈り取るはずだ。

 しかし、焼けた火かき棒を押しつけたような痛みはあれど、血は確実に止まっている。


 ――――ハイジの経験値!!


 なるほど。


 胸の中にいる赤ん坊は、こんな死の気配が満ちた喧騒の中でも泣きもせずに眠っている。

 世界を渡ってきた直後だからか、あるいは衰弱しているのか。


 これでは『はぐれ』が気味が悪い不吉な存在だと忌まれるのも無理はない。半分以上はあたしのせいな気もするが、それでも今はギャアギャア泣かれるよりはよほどマシだ。


(ああ、脳が回らない!)

(今、気を失うわけには……)


 しかし、もう胸の痛みはない。

『キャンセル』は必ず間に合うように発動する。

 ならば、あたしが諦めさえしなければ絶対に助かるということだ。


 あたしは腕の痛みをどうにか堪えながら、幾度も『キャンセル』に助けられながら死地から逃れる。


 自陣に戻ると、なんとかいう領――今回の遠征のスポンサー――の将軍たちに酷く驚かれたが、どうにか赤ん坊を衛生兵に預ける。


 よかった。

 なんとか死なせずに済んだ。

 だけど、あたしはきっともうダメだろう。


(よかった。これで大手を振ってハイジに会える)

(これなら――きっと「よくやった」って言ってくれるよね)


 そしたら思いっきり得意げな顔を見せてやるんだ。

 そのあとはハイジに抱きしめてもらって、思い切り甘えてやる。


 ありがとうハイジ。

 あなたの残してくれたもののおかげで『はぐれ』の子供を死なせずに済んだ。

 あとはゆっくり、ヴァルハラに招かれるのを待てばいい。


 思わず笑みがこぼれる。


 手首を失いながら笑っているあたしを見て、衛生兵たちが顔を青くしていたがけれど、そんなことは気にならない。

 ハイジを殺したあの日、あの瞬間には及ばないものの――



「――こんな終わりも悪くない」



 あたしは呟いて、意識を手放した。


* * *


 気づいたのはギルドの治療室だった。


「……は?」


 あまり世話になったことはなかったが、そこは間違いなくエイヒムの合同ギルドの治療室だ。


 夢か?

 しかし手首の痛みがそれを否定する。


 ひどくだるいが、左手を動かして確認みる――包帯は撒かれているものの、切り落としたはずの手首がそこにあった。


「……は?」


 動かそうとしてみる。

 親指だけがピクリと動いただけで、握ることすらできない。

 しかもめちゃめちゃ痛い。

 それでも、間違いなく手首は失われずにそこに存在していた。


(……そうだ! 赤ん坊!)


 体を動かそうとしたが、全身が砂袋のように重い。

 なんだこれ。


「もしかして」


 いや、ここにきて間違えようもない。

 認め難い現実に、頭がクラクラする。


「あたし、もしかして……生き残った?」


 いや、もしかしてもくそもなく、間違いなく生きている。


 あの傷で?


 千載一遇のあのチャンスで?


 あんな偶然が重なることなんて、もう二度とないだろう。


 だというのに――あたしはまた死なせてもらえなかったというのか。


 あんなに……あんなに痛い思いまでしたというのに?


(嘘だろ――!?)


 冗談じゃないぞ、おい。

 

* * *


 あたしが目を覚ますと、ギルド中が大騒ぎになった。

 

 聞けば、どうやらあたしが『はぐれ』の赤ん坊を見つけ、それを救うために手首を切り落としたところを味方の兵に見られていたらしく、その兵は果敢にもあたしの手首を回収したらしい。

 なんでも、子供を救うために命まで投げ出すその姿勢に感動したのだそうだ。


 ――と、なぜかリンゴのようなフルーツの皮をシャリシャリと器用に剥くヴィーゴが教えてくれた。


 いやあんたそこで何をやってんだよ。


「だからって……手首の欠損を治せるような魔術師があんな小さな戦場に居る? それに毒だって――」

「サヤだ」

「は?」

「お前が出向く戦場には、ヤツが凄腕の治癒魔術師を派遣していた」

「は、え?」

「お前には黙っておくように言われていたが、もう言っても構わんだろう」

「何してくれとんじゃーーーーーッツ!!」


 は? じゃああたし、結局何をしても死ねないの?

 どれだけ頑張っても、ハイジに会えないの?


 ――みんな、あたしより先に死んじゃう癖に!


 しかしヴィーゴはカットしたフルーツを口に運びながら(自分で食うのかよ)、冷たい目を向ける。

 その目は冷たすぎて、むしろ爬虫類よりも感情的に見える。


「お前、ハイジの遺志を継いでるんだろう。そんなに簡単に死ねるか」

「冗談じゃないですよ! え、いや、何? サーヤお前何してくれてんだ!」

「それについては全面的に同感するが――じゃあお前、あの『はぐれ』の子供ガキをどうするつもりだ?」

「そんなのハイジが遺したコミュニティがどうにかしてくれるんじゃないんですか」

「残念ながらコミュニティは自助組織であって孤児院ではない。お前、今の状況で『はぐれ』を孤児院に入れるつもりか?」


 すぐ殺されるか売られて終わりだぞ、とヴィーゴは言う。

 まるで「俺は別にそれでもかまわないが」とでも言いそうな顔だ。


「そもそもお前が病院じゃなくギルドここにいるのはなんでだと思ってる」

「なんでなんです?」

「暗殺される恐れがあるからだ。『はぐれ』の立場は今までになく悪いからな」

「……じゃあ、今はあの子、どこにいるんです?」

「ペトラが預かってる」

「ペトラが?」

「ああ。あの女曰く、お前が拾ってきた子供だから、あいつにとっては孫にあたるんだそうだぞ」

「!!」


 それは、つまりペトラがあたしのことを今でも「娘」だと思ってくれているということだろうか。

 思わず涙腺が緩む。


 ダメだ。この男の前で無様な顔を見せるわけにはいかない。


「ペトラ……」

「まぁ、実のところせっかく改善していた『はぐれ』の立場も、貴様のせいで地に落ちていてな。他に引き取り手がいなかっただけだ」

「ぶっ」


 ヴィーゴが身も蓋もないことを言った。


「ほんっと、ヴィーゴさんって性格……あぐぁ!?」


 ヴィーゴは剥いたフルーツの最後の一切れをナイフに刺し、文句をいうために開いたあたしの口に突っ込んだ。


「見捨てるつもりなら止めはせん。好きにすればいい」

「もぐもぐ……じゃあどうすりゃいいってんですか」

「知るか」


 言い捨てて、ヴィーゴは立ち上がる。

 そして、扉を閉めながらポツリと言った。


「自分で考えろ」


 ちょうど「ハイジならどうするだろう」と考えていたところだったあたしは、その言葉にドキリとした。


* * *


 それからしばらく、エイヒムで出会った人たちが次々に顔を見にきた。

 ニコやヤーコブをはじめとして、パーティを組んだことのある冒険者たちや、元孤児の少年たち、娼婦のお姉さん、果ては商店のおじさんまで。


 嬉しかったのは、長いこと顔を見ていなかったミッラが訪ねてきてくれたことだった。


「あたし、結構嫌われてるのかと思ってたんだけど」

「実際嫌われてるんじゃない? 一部の人たちを除けば、リンちゃんの評判はあんまり良くないわよ」


 ギルド職員という立場を離れたからか、ミッラの口調が崩れている。

 距離が近づいたようで嬉しい。


「じゃあなんで見舞いに来んのよ」

「んー、逆にさ、ハイジさんとリンちゃんをずっと見てた人間からすると――リンちゃんが自分の命とハイジさんを天秤にかけるとこなんて想像つかないのよね」

「はぁ、そっすか」

「ずーっとハイジさんに嬉しそうにまとわりついてさ。後ろを追いかけて森についていくは、挙句は傭兵にまでなっちゃって……」


 そう聞くと、なんか小っ恥ずかしいな。

 あたしは小動物かなんかか。

 狩るぞ。


「そんなに死にたくないなら街だか森だかで待ってりゃいいわけじゃない? 実際、みんなそうしてたわけだし」

「まぁ、そうねぇ……」


 初めから森に住んでいたサーヤはともかく、確かに戦場にまで着いていくような酔狂な『はぐれ』はあたしだけだろう。


「だから、直接付き合いのある人なら、リンちゃんがハイジさんを殺した目的が自分の命を守るためじゃないってことくらいはわかるわよ」

「……ノーコメントで」

「はいはい。理解されるのは嫌なんでしょ。みんなに聞いて知ってるわよ」


 独占欲の強いことね、と言いながら、ミッラは不器用そうにフルーツの皮を剥いて、剥き終わるとパクリとそれを口にした。


 なんだろう、この世界の人間は見舞いに来ると食い散らかして帰る習性でもあるのだろうか。


「ん、甘いわよ、これ」

「あたしにもちょうだいよ」

「どうぞ?」


 あーん、とミッラに果物をもらう。

 うん、品種改良されてないから日本のフルーツと比べたら全然甘くないし青臭い。

 だけど、あたしはこの世界の食べ物のほうが口に合う。

 むしろ完成された甘味は、もはや体に合わないだろう。


「で、どうするつもり?」

「あの子供のこと?」

「そう。言い方は悪いけど、ペトラさんは……その、ほら」

「歳だって言いたい?」

「そう。赤ちゃんが大人になるまは……生きてられないでしょうね」

「うん……」


 でも、少し離れたところに気配がある。

 ペトラが気遣わしげに何度もギルドまでやってきていることを知っている。


 ずっとここにいると退屈で、つい魔力を通して世界を見てしまう。

 だから、ギルドのそばでウロウロする、とても暖かい気配がわかってしまう。


「ペトラ、毎日ギルドの外まで来てウロウロしてんのよ。やっぱり気まずいのかな」

「リンちゃんから会いに行けばいいのに」

「二度と顔を見せるなと言われてる手前ね……実際、それも完全にあたしのせいだし」

「それでもよ。ペトラさん、ずーっとリンちゃんのこと心配してるよ」

「うん……」

「それに最近ものすごく老けたわ。……間に合わなくても知らないわよ」

「……そうね」


 生き残ってしまったものは仕方ない。

 生きていくならば……逃げずに決着をつけておいた方がいい。


「ミッラ、一つお願いがあるんだけど……」

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