25

「で、結局何しに来たのよ……ハイジのベッドの匂いを嗅ぎに来たの?」

「……ううん。それはついでかな」

「ついでならやめて欲しかった……」

「リンちゃんの顔を見に来たんだよ」


 そう言って、サーヤはあたしを真っ直ぐに見た。

 そうするとちゃんと貴族の姫君に見えるからずるい。

 それに、噂によれば間も無く旦那さんが領主となり、そうなればサーヤは姫ではなく領主夫人になる。


 ……殴ったのは不敬だったかもしれない。


「それで、実際に見てみてどう?」

「……思ったよりは憔悴してなかったな。きっとものすごーく凹んでると思ってた」

「そりゃあ、悲しいし、寂しかったけど……誤解されるかもしれないけど、あたし自分を不幸だとは思ってないよ」

「そうなの?」

「うん、だって」


 ハイジは「追いかけてこい」と言ったのだ。

 だから今この瞬間も、あたしはハイジのいる場所に向かって歩いている。


 色々と誤解されて、それに付随する色々な現実は残酷だ。

 ハイジを失った悲しみは今も少しも癒えてはいない。

 ハイジが隣にいない、抱えきれないほどの寂しさも。


 だけど。


「ハイジがヴァルハラで待ってくれてるから」

「それが、リンちゃんが今も戦ってる理由?」

「そうね。なかなかあたしを殺せる敵が見つからないけど」


 あたしの台詞にヤーコブが「そんな台詞、一度でもいいから口にしてみてぇよ」と呟いて、ニコにポカリとやられている。

 いい気味だ。


「そう。ならここにきた甲斐はあった」

「そんなことのために来てくれたんだ。ありがとね、サーヤ」

「どういたしましてだよ。それにギャラはしっかりいただきましたし」


 サーヤは人差し指と親指で輪っかを作ってシシシと笑う。

 なんだろう、もしかしてこれ『はぐれ』共通の決めポーズか何かなのか。

 あと、あんたが受け取ったギャラはお金じゃなくハイジの匂いだ。

 暴利だ。半分返せ。


「ねぇリンちゃん」

「ん?」

「もしよかったら、あたしの騎士になってくれないかな」

「……は?」

「知ってる? 騎士は戦場で死ななくてもヴァルハラに招かれるんだって。そうすれば、リンちゃんはもう戦わなくて済むよ」


 もちろん、あたしを守るために戦うことはあるだろうけど、とサーヤは言う。


 これはきっと、サーヤなりの背一杯の優しさだ。

 自分が惚れていた養父を殺した女――本当ならあたしのことを憎んでいてもおかしくないのに。


 だけど、あたしにはその優しさに答えられない。

 ハイジが遺してくれた大切なものを守り続けるために。


「ごめんね。やめとく」

「まぁ、わかってたけどね」


 サーヤはそう言って屈託なく笑った。


* * *


 あまり遅くなると、寂しの森を夜に通過することになる。

 まさかここに泊めるわけにはいかないし(サーヤあたりは狂喜乱舞して泊まっていきそうだが)、そうなると長居してもらうわけにもいかない。


「送ってくわ」

「すまねぇ、帰りはどうしようかと思ってた……」

「だらしないね。これでも魔獣の数は昔の半分くらいになったんだよ」

「マジか……」


 こんなところに住むなんて、あんたら頭おかしいんじゃねぇか、とヤーコブはため息をついた。

「あんた」ではなく「あんたら」だったところには好感が持てる。


「そういや、赤ちゃんはどうしたの?」

「リンならペトラにみてもらってるよ」

「なるほど」


 その赤ちゃんの名前は「リン」。

 ややこしいのでできれば違う名前にして欲しかった。


「とりあえず行こうか」

「ありがと、リンちゃん。……また遊びに来ていいかな」

「ニコ一人で来るならいいよ」

「えっ、俺は?!」

「あたしは?!」

「ヤーコブがいなくてもニコなら魔獣に対応できるでしょ。あとサーヤは二度と来るな。匂いが減る」

「そんなぁ!」


 バカなことを言いながら、あたしは三人を護衛しながらエイヒムへ向かった。


* * *


 三人と一緒にギルドへ向かう。

 あたしがいるとややこしくなるのでさっさとみんなと別れ、あたしは傭兵の募集掲示板に足を運んだ。

 大量に張り紙があるが、どれも小競り合いだ。

 と、中に「ベッサラビア領」と書かれたものを見つける。

 ベッサラビア領と言えば、旧ハーゲンベックだ。

 もともと反政府派閥だったハーゲンベックだが、領主が倒れたあとに新しく統治する貴族も反政府派閥だったらしい。

 せっかくならもう少し生きやすい領主が来ればよかったのに、住人たちには同情するほかない。


 あたしはそれを剥がして受付へと持っていく。


「これを受けるわ」

「はい、ありがとうございます」


 見知らぬ女性職員だった。


 ミッラはギルドを辞めた。

 今はベビーシッター的な仕事をしているらしい。

 詳しくは知らないが、大戦当時にお付き合いしていた人が亡くなってしまったことが原因だと聞いている。


 この世界には幼稚園や保育園は存在しない。小学校だって当然存在しない。

 だから、仕事を持つ女性は何人かで集まり、ベビーシッターを雇うのが通例だ。

 つまり、あたしのような荒事を生業にしている人間との接点はない。


 もう会えないのだろうか。

 迷惑ばかりかけていた気もするが、あたしはあの人に助けられていたからこそ、今ここにいる。


* * *


ェーーーーーーーッツ!!」


 またこれだ。

 最近ではどこの敵も『黒山羊』対策に波状攻撃を仕掛けるようになった。


 さらにはまで使われるようになって、ますます『黒山羊』対策が進んでいる。


 この世界の毒矢はなかなか凶悪だ。

 たとえ当たりどころが良くても、毒が回れば全身が麻痺して動けなくなる。そうなれば詰みだ。


(ありがたいことだ)

(必死に抵抗するあたしを見事打ち取って見せろ)


 ただ、『キャンセル』がある今、毒矢であたしを殺すのは簡単ではない。

 やるなら即死を狙うべきだ。


 あたしの予想では、即死した場合は『キャンセル』は発動しない。

 繰り返されるのは傷を負う「痛み」だけで、痛みを感じる主体が死んでしまえばそれを感じることもないからだ。


 それは言うなれば、あたしにとっては理想の死に方なのだが、悲しいことに今のところ対応できてしまっている。


* * *


 相変わらずあたしの評判は酷いものだ。

 根も葉もあるのだから仕方ないとはいえ、この世界が一気に厳しいものになってしまった。

 裏切り者の代名詞『黒山羊』――ならば、あたしと付き合うと後ろ指を刺される。


 だと言うのに、一部の人たちは相変わらずあたしに普通に接してくる。

 いや「普通を装って」と言うべきだろうか。


 そしてみんな口々に言う。


 ――リンちゃん、死に急がないで

 ――リンちゃんが死んじゃったら悲しいよ。

 ――生きたいって、思ってよ


 気持ちは嬉しい。


 嬉しいのだが、余計な心配でもある。

 残念ながらこの世界にあたしを打倒しうる敵はいないのだし、あたしも胸を張ってヴァルハラに招かれるように必死に抗う。

 あたしなんぞと居てなにが嬉しいのかわからないが、とにかくあたしが戦死する可能性は限りなく低いのだ。


 と、ニコに言うと、


「違うよ、リンちゃん」


 と否定された。


「殺されないことと、生きたいって思うことは、全然違うよ」

「……一緒じゃない?」

「気持ちの問題だよ……」


 ニコは少し悲しそうだった。

 だからだろうか。


 ――生きてくれ、リン


 あたしはハイジの最後の言葉を思い出した。


(無理、だよ)


 あたしは飛んでくる矢を次々落としながら、敵勢力を削いでいく。

 完全に化物を見る目であたしを見て逃げまとう敵に対し、もうちょっと頑張れよと腹立たしく思いながら。


(生きろと言われれば生きる。死ぬなと言われれば死なない、戦えと言われれば戦う)

(でも――ヴァルハラでハイジが待ってるんだ)


 ハイジのいないこの世界で「生きたい」と思うなんて…………あたしには無理だ。

 ハイジの残したものを味わい尽くせていないから死を先延ばしにしているだけで――可能なら今すぐにでもハイジの元へと飛んでいきたい。


 だから、皆んなには申し訳ないけれど、あたしは「生きたい」と思えないでいる。

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