9

 あたしが渋々(本当に嫌々)ハイジの命令に返事をすると、後ろから声がかかった。


「何をしてるんです?」

「トゥーリッキーさん!」


 ヴィーゴの後ろに、冷たい目をした女性が立っていた。

 見れば、トゥーリッキーの周りの空間がゆらゆらと歪んで見える。

 どうやらお怒りらしい。

 さらにヴィーゴも「うへぇ」と顔を歪め、肩を竦めている。


(なんと)

(この爬虫類男がこんな顔をするとは)


 あたしとしては驚きしかないが、ハイジはといえば何も気にする様子もなく平然としている。

 どうやらトゥーリッキーの怒りの矛先はヴィーゴだけらしい。


「ギルド長ともあろう者が、いち傭兵に対して何を命令してるんです?」

「……ライヒ領にとって必要なことだ」

「大義名分があれば命令してもいいと? そういうのを嫌って、領主さまと袂を分けたのでは?」

「それはそうだ、だが俺だって言いたくて言っているわけじゃないぞ!? ハイジとは長い付き合いなんだ、他のメンバーにこんなことを言ったりしない」

「つまり公私混同を認めるわけですね?」

「それは……」


 なんと、ヴィーゴがしどろもどろになっている。

 それを面白そうに見るハイジに、あたしはこっそりと話しかける。


(何これ?)

(ヨーコは女が苦手でな。女性に関することは全てトゥーリッキー氏に任せている)


 だから頭が上がらないのだ、とハイジは言う。


(へぇー)


 確かにあたしに対するあの態度からして、よくギルド長なんて大役が務まるものだと思っていた。

 あの嫌味と毒舌に耐えられる女性はそうは多くないだろう。


「それだけではございません。わたくしはヒエログリード卿よりご自身が暴走することのないよう仰せつかっております」

「卿?」


 そういや、ヴィーゴもハイジも貴族の末席だったっけか……。


「あまり似合わないわね……」

「トゥーリッキー氏は、受勲の際ライヒ卿につけられた教師だ」

「あー、ライヒ領の貴族としてやってくための?」

「そういうことだ」


 いやあんたも貴族だろと思わなくもないが、ハイジは自分を貴族だとは思っていないはずだ。わざわざ「おれは貴族ではないから」などと言っていたし、間違いないだろう。


 ……なんだろう、胃が痛くなるような出来事を思い出しそうだ。


「いくつかの条件に抵触する場合は止めるようにと仰ったのは、ギルド長です」

「黙れ。これはギルド長としての責務だ」

「黙りません。ギルド長は私に命令する権限を持ちませんし、私も従う理由がありません」

「くっ……!」


 うわー、面白い。

 普段蛇みたいに嫌味なヴィーゴが小柄な女性にやり込められている。

 というか、貴族としての位は多分トゥーリッキーのほうが上なんだろうなぁ……。


 ついでに言えば、多分トゥーリッキーさん。おそらく相当な実力者だ。

 てっきり戦闘とは無縁の文官的な人物だと思っていたが、なかなかどうして安定した威嚇である。よほど魔力の扱いが上手でなければ、こんな真似はできない。


「そういうことですのでハイジ君、リンさんも。ギルド長の命令は無視してください」

「ああ」

「わかりました」

「おいっ!」

「そんなことよりも、相談させていただきたいことがございます」

「なんでしょう?」

「おい、話を聞け!」

「「うるさい」」

「な!?」


 あたしとトゥーリッキーに睨まれて、ヴィーゴが唖然としている。

 まぁ、蜥蜴男のことは放っておこう。


「実は、エイヒムに学校を作ろうという話が持ち上がっているのです」

「えっ、学校ですか」

「はい、ライヒ伯爵はこのエイヒムをヴォリネッリの教育の中心としたいと仰せです」

「おい、そんなことより今は」


 ヴィーゴが話を止めようとすると、トゥーリッキーが冷たい目で睨んだ。


「ギルド長。戦争と言ったって今すぐどうのと言うわけではないでしょう?」

「その時が来てからじゃ遅いだろう!」

「それを言うなら学校設立も同じです。準備は一刻も早い方がいい」

「あの」


 話が見えなくてあたしは恐る恐る手を上げる。


「なんです?」

「その、学校を作るのはいいことだと思うんですが、相談というのは……」

「はい、実はハイジ君とリンさんに教師になっていただきたいのです」

「えっ!」


 教師?


「それは……例えば戦い方とかですか?」


 あたしの戦い方は能力頼りだし、言うほど役に立てるとは思わない。


「いえ、ハイジ君には戦い方を教わりたいところですが、リンさんは別ですね」

「別?」

「数学や、いろいろな論理的な考え方を教えていただきたいのです」

「え、そんなの無理だと思いますけど」


 何を言い出すのだ。

 頭のいい『はぐれ』ももちろんいるだろうけど、あたしは戦闘特化だぞ。


「なぜあたしにそんなことを?」

「ユヅキさんという方をご存知ですよね」

「え、あ、はい。ハイジが世話になっている娼館の偉い人ですよね」

「そのユヅキさんからの推薦です」

「えっ、なぜ?」

「最初はユヅキさんにお願いしに行ったのですが、人前に出るのを嫌がられまして」

「それはあたしも同じなんですけど」

「ですね。それで条件として、リンさんと一緒であればやっても構わないと言質をいただきました」

「ユヅキ、何言ってんのよ……」


 これはどうせ、あたしが断るに違いないと踏んで、口実に使っているだけじゃないだろうか。


(人に憎まれ役を押し付けて……ユヅキの馬鹿)


 ならば、あたしも同じ手を使おう。

 悪いけれど、ここはハイジに犠牲になってもらおう。


「あたしも気は進みませんね」

「どうしてもですか?」

「そうですね……」


 チラリとハイジを見る。


「ハイジがやるというのであれば、あたしも付き合っても構いません」

「それは本当ですか?」

「はい、ハイジ次第ですね」

「と、言うことですが」


 トゥーリッキーはハイジを見る。

 ハイジは肩をすくめて言った。


「英雄役を免除してくれるのであれば構わない」

「えええ、ハイジ、何言い出すのよ!」

「後進を育てるのは大事だ」

「だからって!」


 まさかハイジが受けると思わなかったあたしは、オロオロと前言を撤回するように促すが、ハイジは不思議そうな顔であたしを見るばかりである。


「お前もやるというのであれば、断る理由もないな」

「そんな! じゃあやめる! あたしもやらないから!」

「リンさん……? それは話が違うのではありませんか……?」


 グニャ、とトゥーリッキーの周りの空気が変質する。

 怒っていらっしゃる。

 トゥーリッキーの能力が何かはわからないが、これは放置というわけにはいかなそうだ。


「いえあの、すみません……」

「わかればいいのです。では、そういうことで構いませんね?」

「あの、前言を撤回するわけには……」


 とてもではないが、あたしに教師なんて務まらない。

 数学も長く触っていないし、あたし自身あまり論理的な人間ではないのだ。

 しかし、トゥーリッキーは無情にもそれを認めようとはしなかった。


「そういうわけにはまいりません。それにユヅキさんのこともあります。リンさんのわがままを許してしまうと、それだけで三人も優秀な教師を失うことになります」


 そんなわけにはいかないと、トゥーリッキーはにっこりと笑う。


「ああ……冗談じゃない……」


 頭を抱えるが、ヴィーゴが意地悪そうな目であたしを煽る。


「ざまあみろ。お前が非協力的だからこういう目に遭うんだ」

「うるさいですね。教師だったらヴィーゴさんがやればいいじゃないですか」

「俺は元々やる予定だ」

「えっ、ヴィーゴさんが何を教えるっていうんです?」

「冒険者や傭兵に必要な技能だよ」

「……生徒の人格が歪みそう……」

「どんなに歪んだとてお前よりはマシだ」

「失礼ですね!?」


 言い合っているが、とにかく妙なことに決まってしまった。


「あ、じゃあ! あたしもその英雄役? っていうのは免除でいいですよね?!」

「何を言ってるんです、あとから条件を増やすなどあり得ません。一度認めたからには、きちんと責任を果たしてください」

「そうだ。ハイジがどうしてもダメだというのであれば、貴様程度でも構わん。名だけは知れ渡ってることだしな」

「ヴィーゴさんは本っ当にうるさいですよね!」

「こちらにとっても貴様みたいな役立たずに頼るのは不本意だ。ああ、他領の連中が騒がなければいいが……」


 結局あたしとヴィーゴが頭を抱え、ハイジとトゥーリッキが肩をすくめることとなった。

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