8
翌朝ギルドへ向かう。
早朝とはいえ、季節柄空は明るく、その割に
パン屋などが開店準備をしているか、道端に酔っぱらいが転がっているくらいだ。
(治安いいなぁ)
よくよく考えれば道端で寝てたりすれば強盗に襲われても不思議はない。
ヤーコブも少年時代にはハイジから置引きしようとしたらしいし、犯罪者はゴロゴロいるだろう。
なのにこの平和な風景である。
(ハーゲンベックが滅んでよかった)
まぁ、ハーゲンベックの死に様はさすがにちょっと気の毒だとはいえ、この風景が守られてよかったと思う。
傭兵冥利に尽きると言うものだ。
ペトラの店からギルドまでの短い距離だが、石畳の硬い感触を楽しみつつ、森とは違う空気を思い切り吸いながら歩く。
するとなにやら賑やかな声が聞こえてきた。
『やぁっ!』
『これでも喰らえー!』
『こらそこ! 脇が甘いっ! もっと脇締めて、剣は背中で振るんだよ!』
(お、やってるやってる)
ペトラの朝練だ。
ヤーコブたちは独り立ちできたが、この街にはまだまだ多くの浮浪児がいる。
しかも話によるとクーデターが起きたハーゲンベックからの流民があることも予想されるらしく、戦争に勝ったからといってエイヒムはこれからまだまだ忙しくなるだろうとのこと。
領主が死んだからといって賠償金がチャラになるわけでもなく、これからハーゲンベックは大変な時期に入るだろう。
まさかずっと領主不在というわけにはいかないだろうが、ライヒはハーゲンベック領を併合するつもりはない。賠償金を取り損ねたら意味がないからだ。
(新しく来る領主は大変だろうなぁ)
ヴォルネッリにハーゲンベックの後釜を任される人を気の毒に思う。
まぁいい、どうせあたしには関係のない話である。
ギルド裏の訓練場をチラリと覗いてみると、やはりペトラだった。
ペトラの教え方はあまり上手ではない――というより直感的すぎてあまり理屈は身につかないらしいが、なかなかどうして子供たちは様になっている。
色々怒鳴られながらも、楽しそうに木剣を振っている。
(やさし)
だまってぶん投げて転がすだけのハイジと比べてなんと優しいことか。
(ってあたしもか)
まぁ楽しくやっているようで何よりである。
すでに教官を引退した身である。
気づかれないようにギルドへ向かう。
* * *
ギルドにはすでにハイジがいた。
ただし待っていたのはハイジだけではない。
しかもどこか不穏な雰囲気。
二人してお茶をしながら、何やら難しそうに話あっている。
せっかくのエイヒムなのだからついでに色々買い物をして帰ろう、などと思っていたが、そんな雰囲気ではなさそうだ。
「おはようございます」
挨拶をすると、ハイジはうむとうなづき、
「遅いぞ、リン」
ヴィーゴがギロリと睨んでそんなことを言う。
「早く来いとは言われてませんし」
「師匠より遅く来るとは何事だ」
「いつも通りの時間ですけどね」
肩をすくめて時計を見る。
針はもうすぐ六時であることを示していた。
「で、何の用です?」
「仕事だ」
「どっちの?」
どちらのかというのは、冒険者としての仕事か、傭兵としての仕事かと言う意味だ。どちらにしても戦うのは同じだが、相手が人か魔物かが違う。
ヴィーゴが答える。
「戦争だ」
「……ハーゲンベックがいなくなっても、戦争は無くならないんですね」
「当たり前だ。なくなることなど永遠にありえない」
「……」
それは、きっと正しいのだろうけれど、口に出していいことではない気がする。
建前でもいいから、戦争をなくすことを目的にしてほしいものだ。
「で、ハイジに声をかけたと」
「そうだ。だが断られた」
「は?」
断った?
ハイジが?
「なんで?」
思わず聞いてみるが、ハイジは肩をすくめて、それを否定してみせた。
「受けないとは言っていない。戦そのものには参加する」
「……って言ってますけど」
「それじゃダメだと言っている」
「話が見えないんですけど……」
「ハイジ曰く、
ははぁ、なるほど。
「ヴィーゴさんとしては、傭兵ハイジではなく、英雄ハイジに依頼したいってわけですね」
「そうだ」
「そんなに大事なことなんですか?」
「こいつがいるだけで戦意が高揚する。勝率も倍ほどに跳ね上がる」
そういうヴィーゴの表情は硬い。
「そんな難敵なんですか?」
「いや、そうではないが……」
ヴィーゴはすこし言い淀むが、ハイジが後を引き継いでみせた。
「ハーゲンベックを倒した今、もう俺の役割も終わりだろう。傭兵としては戦うが、いち傭兵としてだ。妙に祭り上げられるのはかわなん」
「……というわけだ」
「なるほど」
まぁ、わかる。
そもそもハイジは人前に立たされるのがあまり好きではない。
あたしもそうだからわかるが、目立つというのはそれだけでストレスなのだ。
できればひっそりと、誰の目にもつくことなく生きていきたいというのが本音だ。
しかしヴィーゴは諦めない。
「だが、儀礼戦には英雄がつきものだぞ」
「おれでなくてもいいだろう」
「このライヒに、おまえの他に英雄がいるか!」
「リンがいるだろう」
「……は?」
ハイジがとんでもないことを言い出した。
「名前も知れているし、実力は折り紙付きだ。うってつけだろう」
「ちょちょちょちょ、待って、嫌よあたし!」
「俺も嫌だ。それにおれはもう歳だ。旗印がやられたら格好がつかないだろう。戦意も下がる。適任ではない」
「ハイジが負けるなんて想像もつかないけど……」
そもそもあの無敵の能力『キャンセル』がある限り、ハイジが戦で負けることなどありえない。
「わからんぞ。第一この歳で第一線に出ることが間違いだ」
「……そもそもハイジって何歳なのよ」
「四十六だ」
「え、思ったよりおじさんだった!?」
思ったより歳が行っていたことに驚いた。
「なんだお前、知らなかったのか。ハイジは俺と大して変わらんぞ」
「てっきり三十代だとばかり思ってました」
聞けば、ヴィーゴやヘルマンニも同じような歳らしい。
ペトラだけが少し下なんだそうで。
……みんな若々しいなぁ。
ヴィーゴだけは年相応だけど……。
「この世界の平均寿命は六十歳にも届かないって話ですし、確かに歳と言えなくもないですね」
「そんなことはどうでもいい!」
ダン、とヴィーゴが机を叩くと、周りの職員たちがビクッと飛び上がった。
「ヴィーゴさん、怒鳴らないで。みんなが怯えてる」
「やかましい! もしハイジが一線を退いたりしてみろ、他領の連中が妙な野心を起こしかねないだろう!」
「そう言われてもな。おれが歳なのは事実だ。その点リンは若い」
「あたし、嫌だからね?!」
何と言われても嫌なもんは嫌だ。
「どうするんだ、これ……」
ヴィーゴが頭をかかえるが、ハイジはしれっとしている。
「最近は後進も育っていると聞く。ロートルは引退すべきだろう」
「だからってお前を失うのは……」
「まだ当分は戦に参加はするさ。だが英雄役は勘弁してくれ」
ハイジがそう言うと、ヴィーゴが顔を上げてあたしをキッと睨んだ。
「おまえからも何か言え。説得しろ!」
「なんであたしが。ハイジも嫌がってるでしょうが」
「ならお前がやるか?」
「お断りです。嫌だって言ってるでしょう」
「やかましい! よし、ギルド長として命令だ。お前がハイジを説得しろ。そうでないならお前が英雄だ」
「な……ッ!?」
思わず素っ頓狂な声を上げたが、無理もないだろう。
何を言い出すんだこの蜥蜴男は。
「なんて横暴な!」
「逆らうと資格を剥奪するぞ!」
「最っ悪! なにこの人! そんな仕事傭兵の仕事に含まれないっ!」
「ギルド長からの命令は絶対だ! 最初に言っといただろうが!」
「あんた、全ギルドの統括でしょうが! そんなこと言い出したら誰もあんたに逆らえないでしょうが! 公私混同するな! この独裁トカゲ!」
「やかましい! 何が公私混同だ! これはあくまで領のためだ! 俺個人のわがままじゃないだろうが!」
「だったらハイジに命令してくださいよ!」
「コイツがその程度で言うことを聞くタマか! ハイジから資格剥奪などできるか!」
あたしとヴィーゴがギャーギャーやっていると、ハイジが面白そうに目を細めて見ていた。
「ちょっとハイジもなんか言ってやってよ、あんたたち古い友人なんでしょうが!」
「ハイジっ! ギルドとしては英雄を失うわけにはいかんのだ!」
ハイジは珍しくくつくつと笑い、
「悪いなヨーコ。説得が無駄なことくらいわかるだろう」
「ク……ッ! そ、そうだったな……! この頑固者め、くたばれ!」
「あとリン」
「何よ……」
「ヨーコがいう通り、英雄役は必要だ。だが俺はやる気はない」
「あたしもよ」
「だが適任だ。お前がやれ」
ハイジはあたしに命令しない。それが本当に必要なことでない限り、最終的にはあたしの自由意志を尊重してくれる。
だからハイジがそういうふうに言うということは、それは必要なことなのだ。
ならばどんなに不満がある命令であっても、考える必要はない。
あたしの返事は決まっているのだから。
「………………………………わかったわ」
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