7

 学校設立に向けて、教師陣が少しずつモノになってきた。

 意外だったのは、ヘルマンニがものすごーく有能だったことだ。

 いい加減で、いつも酔っ払っていて、ヘラヘラとしているヘルマンニだが、何を求められてもブーブーと文句を言いつつ、完璧にこなしてみせる。

 教本テキストだってそうだ。

 あたしとユヅキが必死になって進めているテキストを尻目に、ヘルマンニは冒険者に必要なありとあらゆる知識を体系立てて整理し、字が読めないような者でもわかりやすくまとめ上げて見せた。

「見せて」と言うと、軽い調子で「いいぜ」と言って見せてくれたが、あたしとユヅキは舌を巻いた。


(なんだこれ……凄まじいクオリティだ)

(文字が読めなくても理解できるようなってるし、めちゃくちゃわかりやすいぞ)


 しかも読んでいて楽しい。

 冒険を夢見る少年少女がバイブルにしそうな、モチベーションの上がるテキストだった。


 そして絵の出来も素晴らしい。簡単な線で描かれているが、特徴が分かりやすく、注釈も適切で、これなら写真よりも参考になる。


「この絵誰が描いたの?」

「俺に決まってんだろ?」

「「えええ!?」」


 あたしはのけぞって驚いた。

 マジか。


「どこかの画家に頼んだのかと思った……」

「んなもん、生きた魔物や薬草も見たことねぇ連中に任せられるわけねぇだろ」

「……そりゃそうか」


 それにしても舌を巻く。

 これが「何でもできる『ラクーン』」というやつか。


「認めたくないけど、ヘルマンニ、あんた有能なのね」

「当たり前だろぉ? 惚れてもいいんだぜ、リン」

「冗談じゃない。遠慮しとくわ」


 バカなやりとりをしていると、隣にユヅキの雰囲気が一変した。

 いつものサバサバした口調は形を潜め、匂い立つような色っぽさを放ち始める。


「じゃあヘルマンニさん、娼館うちにいらっしゃいな。いい娘を用意させてもらうわ」


 ……これだ。

 たまに娼館の上役の顔を見せるユヅキは、びっくりするほど妖艶になるのだ。

 身長はあたしより低く、コオロギみたいに痩せていて、胸などストーンと男性と見分けがつかない程度に平坦。

 なのに、スッ……と足を組み直して、ねっとりとした口調で語り始めると、一気にその場を支配してしまうのだ。


 なにこれ、色っぽくて腰抜けそう。


(……ごくり)


 思わず生唾を飲み込むが、ヘルマンニはひどく慌てたように両手を降って断った。


「悪かった、ふざけただけだから勘弁して」

「あら、あたしとしたことがお客さんを逃しちゃったわ」

「許してくれよ、真面目にやるから」


 ヘルマンニなら「ユヅキちゃんが相手してくれるなら行ってもいいぜぇ」くらいのことを言いそうなのに、ひどく慌てている。


「???」


 よくわからないが、ヘルマンニが大人しくなってくれるならそれに越したことはない。


* * *


「負けてらんないよね。テキスト見直すよ、ユヅキ」


 娼館に到着すると、あたしは早速テキストを見返し始めた。

 まだまだブラッシュアップの余地はあるはずだ。


「なんだってあんなに有能なのよ」

「まぁ……ヘルマンニさんだからねぇ」

「あそこまでとは思わなかったわ……ただの酔っ払いのイメージしかなかったのに」


 っていうか、普段は本当にただの酔っ払いだ。

 パーティで行動すると「何でも卒なくこなすなぁ」と感じることも多いが、普段からハイジと行動しているからかそんなに強い印象はない。


 ユヅキが愉快そうにあたしを見て言った。


「リンちゃんって意外とものを知らないのね」

「……とは?」

「ヘルマンニさんは有能なので有名よ? 他領からの引き合いもすごいんだから」

「へぇー」


 まぁ、今のヘルマンニの仕事を見ている限り、そりゃ有名にもなるだろう。


「……詳しいね」

「昔はお得意さんだったからね」

「……うわぁ……」


 それは、ヘルマンニにしてみればあまりつっつかれたくないだろう。

 娼館には守秘義務があるので実際は問題なないにせよ。


 そういえば。


「ユヅキさ、時々ものすごく色っぽいよね」

「そう? ありがと」

「あれ、何?」

「……んふ。知られてしまったか」

「何、何」


 ブワッと空気が変わって、途端に妖艶な雰囲気が立ち込め始める。

 なぜあたしと二人っきりなのに、色気を発散させようとするのか。


「ちょ、ユヅキ、やめてね?」

「冗談よ」

「何なのそれ」

「あたしの能力」

「何それ?!」


 ユヅキはケラケラと笑って「これは秘密なんだけど」と言って説明してくれた。

 さっきの色っぽさはどこへ行ったのか。


「と言っても、リンちゃんやサーヤ姫様と比べたらものすごーくささやかな力なんだけど」

「う、うん」

「相手に『この人を守ろう』って思わせることができるみたい」

「と、言いますと」

「庇護欲を掻き立てるっていうか、単に好かれるっていうのかな、相手に『守りたい』と思わせることがでできるんだ」

「え、まさか相手の精神に影響する能力!?」


 なんだそのチート!

 と思ったら「違う違う」と首を振られた。


「そんな都合のいいもんじゃないよ。どうすれば相手が守ってくれるかわかるっていうか……そういう態度を取れるってだけね。初めは子犬みたいにプルプル震えるしかなかったけど、いろんな人と出会って、いろんな自分を演じられるようになったわけ」

「はぁー」

「あたしの場合、戦う術もなければ器量も良くないからさ、誰かに守ってもらわないと死んじゃってたよ」


 そんなことで、失礼ながらコオロギ体型のユヅキがあんなことになるのか……。


「でも、あたしこの力があんまり好きじゃないよ」

「え、なんで? 便利だと思うけど」

「だって、相手からの好意が本物かどうかわかんなくなるもん」

「あー……ってあたしはどうなんだろう。最初からユヅキのことは嫌いじゃなかったけど」


 なんか妙に色っぽい人だなーと思ったくらいだ。


「もしかして、初めて会った時とか……」

「あたし、リンちゃんに使ったことなんてないよ! よっぽどのことがない限りこの力は使わないつもり」


 ユヅキは「だって、ちょっとずるい武器なんだもん」と言って肩をすくめる。


「それはよかった……で、ヘルマンニのあれは?」

「リンちゃんを口説いたりするから、ちょっと嫌がらせ」

「口説くって……あんなのいつものことじゃないの」

「だってあれ、本当は当てつけなのよ? ヘルマンニさん、ちゃんと好きな人がいるのに不誠実だと思うな」

「え、だれ?」

「……わかんないなら、わかんないままでいなさいな。あたしの口から言うことじゃないもの」

「えーっ」


 昨日は「この世界の人間はみんななんて子供ガキなんだろう」と思っていたけれど、なんだか今日は自分だけがすっごい子供ガキであるような気がしてきた……。


* * *


「よし、完成」

「流石にもういいでしょ」


 二人してテキストを完成させる。

 トゥーリッキ氏に散々朱を入れられてちょっとうんざりだけれど、これなら少しずつ数の概念を習得できるはずだ。


「というか、もうこれ以上は無理。学ぶ側がついて来れないでしょ」

「中学一年くらいのレベルだけどね」


 実際、何人かを相手に色々試してみたが、文字式という概念を理解してもらえないのだ。

 簡単な方程式くらいはできるようになった方がいいと思うが、そこからは専門分野扱いになる。


 だが、聞けばライヒ伯は経済学の一貫として独自の計算方法を持っていると聞く。

 もし着いて来られる人がいれば、それはその時考えればいいだろう。

 というか、あたしとユヅキも高等数学はかなり怪しいのだけれど。

 あたしは大学浪人中だったので、まだ多少覚えているけれど、それでも何年もやっていなければだいぶ曖昧だ。


 とりあえず、これで一旦数学のテキストについては完成として良いだろう。

 あたしはユヅキとハイタッチした。


* * *


 出来上がったテキストをチェックしてもらうためにトゥーリッキに渡し、あたしはすぐに次の戦の招集を探す。


 できればなるべく激しい戦闘になることが予想されるような、大きな戦がいい。

 ハイジがどの戦を探しているかはわからないが、小競り合い程度の戦争ならば今のハイジであれば問題はないはずだ。

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