8

 いつものように傭兵向けの掲示板を見てみると、張り紙は一枚だけだった。

 普段なら十枚以上の張り紙があって、どこかの小国の小競り合いやら、小さな街からの防衛依頼、兵站支援、さらにはかなり遠い土地への遠征など所狭しと並んでいる。

 だけど、今は全て取り払われており、たった一枚だけがど真ん中に貼られている。


 ――中央政府より招集

 ――戦えるものは可能な限り参加


 どうやら中央政府からの依頼は、他の依頼を後回ししなければならない程度には VIP 待遇らしい。

 そして張り紙の最後に書いてある一文を読んであたしはのけぞった。


 ――『番犬』と『黒山羊』は強制参加


「……なんだとぅ」


 思わず声が出た。


* * *


「いや、そりゃ参加はしますけど、なんなんです? あの書き方は」


 ギルド長のところへ出向き、あたしは早速ヴィーゴに文句をつける。


 そこにはヴィーゴだけでなく、ハイジ、トゥーリッキ、あとは数人の兵が集まっていた。


「いいから座れ」


 全く悪びれる様子もなく、ヴィーゴは顎で座るように促してきた。

 こちらをチラリとも見もせず、そのまま書類仕事を続けている。


(この野郎)


 相変わらずの態度にイラッとしたが、他の面々の前でもある。

 仕方なくソファに腰掛ける。


 しばらく待たされて、二人ほど別の傭兵がやってくると、ようやくヴィーゴがペンを置く。


「だいたい集まったな。では、配置を発表する」

「ちょちょちょ」


 あたしは慌ててそれを止める。


「配置って、まずなんの話なのか説明してください」

「招集状に書いてあっただろう。中央政府からの要請で、ライヒ中の兵は公民問わず共闘することとなった。ここエイヒムも当然参加だ」


 他に知りたいことが? と爬虫類みたいな目であたしを見るが、全然意味がわからない。周りのおじさんたちが黙っているということは、意味がわかっているってことなのだろうか。だとすればあたしだけ置いてけぼりである。


「いつもの戦争とはちがうんですか?」

「規模が全く違う。まずヴォルネッリは中央政府と反政府に、あとは中立――つまり日和見だな。三つの派閥があるが、中央政府と反政府がぶつかった」

「まずそれが初耳なんですが……ちなみにエイヒムうちは――」

「いつもは中立だが、今回は中央政府につく」

「なぜ?」

「……参戦しないなら替わりにお前とハイジをよこせと言ってきたからだ」

「ヴォリネッリ中央から?」

「そうだ。エイヒムの傭兵をやめて、中央の兵になれという意味だな」

「冗談じゃないですね」


 肩をすくめる。

 あたしはエイヒムを離れる気はないし、それ以上に森を放置することはできない。

 魔物の領域は放っておくと数年でエイヒムを飲み込む。

 害獣駆除はその危険度の割に旨味が少ないため――ハイジほどの腕があれば別だが――冒険者はそれを嫌う。それにあっという間に人的資産が枯渇する。

 魔物の領域が小さくなってきたとはいえ、ハイジの存在は、そのままエイヒムの安全を守っていると言っていい。

「魔物の森のハイジ」の異名は伊達ではないのだ。


 対してあたしはどうか。

 ハイジと離れ離れにされるくらいなら、相手がどこでも関係なく潰す。

 ヴィーゴだってそれくらいわかっているはずだ。


「ハイジには十年以上昔から何度も打診があった。その度にエイヒムを離れる気はないと言って断っている」

「じゃあ、あたしも同じでいいのでは?」

「それは難しい」

「なぜです?」

「良くも悪くも、お前は目立ちすぎた。これでヴォリネッリからの招集を断れば、叛意ありと見なされてもおかしくない」

「……野心なんて一欠片もありませんが」

「知っている。だがヴォリネッリがそうは思わないだろう」

「……どうすればいいですかね」

「お前一人で招集命令に応じるのが一番手っ取り早いが、実のところライヒとしてもお前を手放すのは痛い。それにお前、ハイジから離れる気はないだろう」

「そうですね」

「なら、総員でかかってこの戦争を早めに終わらせるしかない。ただし、半年以内に終わらないならリンとハイジは隔月で参戦という条件を飲ませた。休みの間は森を任せる」


 半年、と言う言葉を聞いて驚いた。


(つまり年単位の戦を想定しているわけで……それほどまでに大きな戦争だということか)

(これまで、たいていは儀礼戦で終わりか、せいぜい数週間以内には決着がついたのに)


「今気づいたんだけど、ハイジとあたしがいなくなったら寂しの森をどうやって制御するつもりだったんです?」

「そのための学院設立だろうが。お前たちが死んだところでエイヒムを守れる程度のことは考えている」

「さようですか」

「だが、まだ時期尚早だ。何も準備できていない。お前たちを手放すのは厳しいところだ」

「はい」

「でないと俺やヘルマンニが駆り出されるだろうが。森暮らしなんて冗談じゃない」


(……この野郎)


 ヴィーゴの言い方にイラッとするものの、現実問題としては他に方法ないであろう。


「話が逸れた。そういうわけでライヒは日和見から中央支持に転向し、従順な態度を見せておくことになった。一刻でも早くくだらん戦争に決着をつけるぞ」

「……でもライヒは弱小なんですよね? 総員で当たったところで戦局に影響なんかあるんです?」

「わかってないな。今やライヒはヴォリネッリで一番目立った発展国だ。今回の戦争で中央政府は、ライヒが味方なのか、潰すべき敵なのかを見極めるつもりだ。……まぁ中央にはライヒ伯爵のシンパが大量にいるから、おそらく心配はいらないはずだが」


 ライヒは破竹の勢いで伸びており、経済、軍事の両面でヴォリネッリ中から注目を浴びている。

 その要因として「戦争屋」リヒテンベルクとハーゲンベックを下した二人の兵士――『番犬』ハイジと『黒山羊』の存在がある、と目されている。


「ライヒとしては全面協力し、ここで忠誠を見せて覚えめでたくしておきたい」

「そのために総員でかかると? ハイジとあたしだけ参戦するわけには……」

「それだと、お前たちは帰って来れんぞ。中央が手放すわけがあるまいよ」

「……」

「だからお前、これからはなるべく目立つな」


 あたしはヴィーゴの言葉に思いっきり不満な顔をぶつけてやった。


「何ですかね、あたしとしてはあれだけ「目立ちたくない」と言い続けたのに、無理やり英雄役を押し付けたのはヴィーゴさんですよね」

「そう言うな。お前は間違いなく期待に応えてくれた。――ちょっと期待を上回りすぎただけでな」

「それだってヴィーゴさんの裏工作のせいでしょうが」

「俺だってあの熱狂っぷりは予想外だった。さすがは『黒山羊』だな」

「知るか!」


 何もかもヴィーゴのせいじゃないか。

 そういうことなら、せいぜい苦労してくれ。


* * *


 配置が発表されると、それまで黙っていた傭兵の一人が陰鬱な顔で言った。

 かなりの老齢――といってもハイジと年齢は同程度だが――で、小柄だががっしりした歴戦の戦士だ。


「『黒山羊』、お前負け戦の経験はあるか?」

「ありません」

「今度のような大規模な戦闘になると、一人の英雄が戦局をひっくり返すのは難しい。手が回らんし、数の暴力に個人では太刀打ちできん」

「……そうですね」

「だから――まぁ、覚悟はしておけ」

「中央政府軍が負けるってことですか?」

「いや、それはあり得ん」


 あたしの疑問に答えたのは別の傭兵だ。

 歳は若いが、立派な髭をしている。


「そうなんですか。じゃあ負けるというのは……?」

「中央が勝つと言ってもそれは結果の話だ。対戦は細かい戦争の集合体だ」

「小規模なものから大規模なものまで、各所同時に戦闘が行われる。一つ一つの戦争では勝ったり負けたりがあって当然だ」

「なるほど……」

「仮に負けたからと言って、お前さんがどうにかなることはなさそうだが……負け戦はキツいぞ」

「だから覚悟しておけ」


 どうやら戦士たちは、勝ち戦しか知らないあたしのことを心配してくれているらしい。

 いかつくて毛むくじゃらの暑苦しい男たちではあるが、こんな小娘なんぞのためになんて親切なのだろうか。

 素敵なおじさまたちである。


「ありがとうございます。肝に銘じます」


 ぺこりと頭を下げると、男たちは顔を見合わせた。


「偉く素直だな」

「『黒山羊』は『番犬』の言うことしか聞かない跳ねっ返りだと聞いていたが」

「えっ、あたしはいつでも素直ですよ」

「どこがだ」


 ヴィーゴが憎々しげに頬杖をついてため息をついた。


 

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