9
戦士は戦場で夢を見ない。
覚醒している間は限界ギリギリまで体を動かしているからだ。
睡眠と同時に意識を失い、目覚めるべき時に目覚めるのだ。
* * *
雨に気づいて覚醒した。
寝具がわりにくるまっていた厚手のマントに水が染みて冷たい。
体を起こす。
ここは針葉樹に囲まれた鬱蒼とした森で、敵地で、戦場だ。
ボツボツと大粒の雨が地面を打ち付けている。
体を冷やすと命に関わる。
見通しが悪くなるし、弓が役に立たなくなるので、こうなると戦いは一時休止になる。
(雨だからお休みとは悠長なことだ)
(何だっけ、風が強いと遅刻して、雨が降ったらお休み、だっけ)
ふと、昔に習った童謡を思い出しておかしくなる。
南の暖かい空気は恋しいが、残念ながらここは世界北端の国だ。
雨の中見回すと、兵たちがゴロゴロと転がっている。
ただ寝ているだけなのか、怪我で動けないのか、死んでしまっているのか、ここからでは見分けがつかない。
激戦だった。
これまで参加してきた戦では半数以上が儀礼戦で終わっていたし、長引いても苦戦するようなことはなかった。
中央政府が絡むと話は別だ。
今までの小競り合いとは違い、規模は極端に大きい。
今、この世界はいくつかの勢力に分かれてぶつかり合っている。
雨足が強くなり、霧のように視界を悪くする。
(英雄役をしなくていいだけ気が楽ね)
特別な役目を持たないただの一兵卒として戦に参加しているあたしは、むしろ武勲をあげすぎないように気をつけながら戦争に参加している。
目立つな――というのはヴィーゴの命令だが、そもそも今回の戦争はヴォリネッリが友軍を募ってはじまった反乱勢力の鎮圧が目的だ。あたしが目立つ必要はない。
しかし、これまでのように殺さずに済ますような真似もできない。
背負った荷物から食料――干し葡萄を混ぜた甘くないクッキーみたいなもの――を口に運び、ゆっくりと咀嚼する。
水は昨晩のうちに確保しているが、無駄遣いはできない。干し葡萄の酸味で唾液が分泌されるのを待つ。
あたりを見回すと、ポツポツと起き上がっている人もいる。
あまり会話はしたことがないが、ほとんどが他領の若い青年だ。
たまにあたしを見つけて「なぜ子供がこんなところにいる」などと言って構ってこようとする。
あたしも自分の見た目のそぐわなさは理解しているし、親切心で話しかけてくれているのは理解しているので、邪険にあつかったりはしない。
が、あたしの黒い目と乱雑に刈られた黒髪、V字に欠けた耳を見て「あんたが『黒山羊』か?」と気づかれるのが常だ。
だいたいはひどく狼狽えて、中にはよくわからない良心の呵責のような感情を抱く人も多い。
――こんな小さな子供まで戦場に駆り出すなんて、上は何を考えているのか
――すまない、本当は君のような子供を守るために僕たちがいるはずなのに
優しい人たちなのだ。
そのどれもが真っ当で、きっとおかしいのはあたしの方なのだろう。
だけど、戦場ではいい人は長生きできないのだ。
想像力豊かにあたしの境遇に同情し、涙を溜めていた青年も。
あたしに「守ってやるから安心しろ」といって笑いかけてきたおじさんも。
なぜか対抗意識を燃やして突っかかってきた少年も。
(もういない)
(死んでしまった)
戦場だ。
この世で最も人の死が身近な血塗られた土地だ。
そんな中、あたしは大した怪我もなく、お腹をすかすこともなく座って陰惨な風景を眺めている。
これまであたしが殺してきた人たちの中にも、きっと優しい真っ当な人がいた。
だからいつか自分が殺されたとしても、相手を恨むことはできない。
(体が小さくてよかった)
戦が長引くと一番困るのが水と食料だ。
この際、医療については諦める。戦えるものが戦い続けるための燃料のほうがはるかに重要だからだ。
体の小さなあたしは配給された食料だけで十分足りているが、体の大きな兵は腹が空きすぎて力が出ないと言っていた。
仕方なく、死んだ兵の荷物から食料をいただくことになるが、あたしはそれを固辞した。
大食漢の男たちには妙に感謝されたのだが、まずその燃費の悪い体をどうにかしろと思う。
思い返せば、ハイジは普段から最低限の食事しか摂らなかった。あれは少ない食料で戦い続けるためだ。
一から百まで、全てを戦いのために費やしてきたハイジ。
敵にとっては悪夢そのものの暴力装置。
守るべきもののために命を捧げた男。
残念ながら、あたしにはその純粋さはない。
あたしはあたしのわがままのために戦っているだけの、ただのエゴイストだ。
まだ動ける兵たちはノロノロと起き上がり、雨を避けられるところに移動している。誰もが疲労困憊で、満身創痍。雨は弱った兵の体力を奪うが、おかげで休戦でもある。
そう思えば、肌寒く、冷たいこの雨も恵みの雨と言えなくもない。
――そして、どこの誰かもわからないような敵に殺されてしまうんだ
――それが傭兵の
あの本物の英雄は、戦って野垂れ死ぬことを
ここにいる連中も同じなのだろうか。
でも、あたしは違う。誇りなんてどうでも良くて――ただ、ハイジの横に立っていたいだけだ。
そしていつかハイジと一緒に死ねるのなら、なんて素敵なんだろう。
そんなふうに思うあたしはきっと傭兵として不純で、間違っていて、穢れていて、そして――狂っているんだろう。
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